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豪徳寺弥彦と15人のフィアンセ  作者: 水野葬席
【第一章・Ⅰ】
23/179

【19話】弥彦と春佳vs痴漢

弥彦(やひこ)


人が満ち満ちてすし詰め状態の電車の中。

俺と春佳(はるか)は入り口近くで立っている状態だった。


「辛抱してくれよ、春佳。」

ギュウギュウと押され苦しそうな春佳に声をかけてやる。

後2駅で俺たちは電車を乗り換える。乗り換え先ではこんな状態ではあるまい。

責めて座れますように、と心の中で祈っていた、そんな最中の出来事だった。


「ッ!?」


春佳が唐突に驚き、ごく僅かな声を出した。

隣にいなければ気づかないような声だった。


春佳が背後を向くと同時に俺も振り返る。

背後にいたのは背が俺と頭1つ違う巨漢である。

スキンヘッドの側頭部には卍の刺青が刻まれている。


人を外見で判断することは褒められたことではないと思うが、しかしこの男の素性は外見から推して知るべしだった。

雰囲気は大声で自己紹介をするより明白にその男を表している。

どうしようもなくガラの悪いゴロツキですよ、と。


春佳の反応の理由もすぐにわかった。

そのゴロツキの左手は春佳の尻を下からジーンズ越しに撫でまわしていたのだ。


この男は痴漢である。


ただでさえ人が密集しているこの電車では常に体と体が密着している状態だ。

このゴロツキはそれに乗じる形で痴漢という許されざる悪行に及んだのである。


「おい。」

俺が声をかける。

春佳がキッとゴロツキを睨みつける。

だがそのゴロツキは春佳から手を放そうとはしなかった。


「なんだ?なんか文句でもあんのか?」

ゴロツキはそう言って俺を睨み返してきた。

まるで自分のやっている行為が異常ではないかのように。


「あるってツラしてるよなあッ!」

男は突然に右手で俺の顔面を張り手の要領でどついた。

その勢いに思わず俺は後ろにいた人たちを巻き込みながら背中側に倒れてしまう。


「なあ、次の駅で一緒に降りて俺と一緒に楽しいことしようぜ。あの弱っちいカスのことなんて忘れてさあ!」


痛みに耐えながら目を開く。

俺をどついたゴロツキの右手は嫌がる春佳の胸を服の上からまさぐっている。

春佳は恐怖で声も出せないようだった。涙目で震えてしまっている。


自身の暴力の腕っぷしで周囲を委縮させ、そして自身は無法を謳歌する。

こいつは卑劣漢だ。人間のクズだ。クソ野郎だ。

無性に腹の底から怒りが沸き上がってきた。


「春佳から……汚い手を放せよッ!」

俺は立ち上がると同時に右手に握りしめた拳をゴロツキの頬に叩きつけた。

ゴロツキは俺の反撃など想像していなかったようで、俺の拳は直撃した。


だが俺とゴロツキにはいくらなんでも体格の差がありすぎる。

俺の拳はゴロツキは少しよろめかせるだけに過ぎなかった。

ここが満員の車内というのもあった。


「何しやがんだクソガキィッ!」

ゴロツキは周囲など構わず俺に飛びかかってきた。

「俺を誰だと思っていやがるッ!ナメくさりやがって!」

馬乗りになって俺を殴ろうとしたその右手は、何故か空中で止まった。


正確には空中で制止させられていた。

どこからか現れたヘルメット姿の作業員風の男が拳を自身の掌で止めたのだ。

同じ姿をした男が彼の他に2人そこにいた。彼らはゴロツキを羽交い絞めにして俺から引き剥がす。


「よう、あんちゃん。随分と勇気あんじゃねえの。ほれ、立てるか?」

ゴロツキの拳を止めた一人目の作業員風の男は俺に声をかけ、肩を貸してくれた。


「おばさん、こいつが痴漢で間違いないかい?」

ゴロツキを羽交い絞めにしている2人の内の1人が中年の女性に話しかける。

この女性は確か俺たちの近くの座席に座っていた人のはずだ。

どうして今立っているのかは知らない。


「そうよッ!このチンピラよッ!この男が()()()に悪戯した挙句、そこの彼氏さんに暴力まで振るったのよッ!」


おばさんは春佳に寄り添い俺とゴロツキの喧嘩に巻き込まれないようにしてくれたらしい。

この作業員風の男たちを助っ人に連れてきてくれたのもこの人だろう。

この人たちには感謝してもしきれないな。


「あんちゃん、デートの最中に散々なところ悪いんだが彼女さんと一緒にもう1個だけ付き合っちゃあくれないかい?ほら、あいつを駅員さんに突き出すのに話とか聞かれるだろうからよ。おばさん、あんたも頼むよ。」


◆◆◆


俺と春佳は目的の駅の1つ前で降ろされることになった挙句、そこでの事情聴取に時間もかかってしまった。

ゴロツキは最終的に警察官に左右をガッチリ挟まれて連行されていった。

最後の最後までわめき続けていた姿がみっともなかった。


「助けていただきありがとうございました。」

俺は作業員風の男たちやおばさんに頭を下げる。

彼らがいなければ事態は収まっていなかっただろう。

もしかしたらもっと悪い結果になっていたかもしれない。


「何、大したことじゃねえや。」

そう言って笑うのは3人の中でもリーダー風の男。

俺に肩を貸してくれた人だ。

俺はメモ用紙とボールペンを駅員さんから借りてとある電話番号を書き、その人に手渡す。

「これは?」


「後でこの番号に電話をかけてください。心ばかりですが、謝礼金をご用意できるかと思いますので。今回の件のお礼です。」


「いやあ、要らねえなあ。」

彼はそう言って俺が手渡した紙をそのまま突き返してきた。

「こういうの受け取ったら、まるでこれの為に人助けしたみたいになっちまうからよ。なあ、おばさん?」


「そうだねえ。あたしも要らないよ。それよりさ。」

おばさんは財布を取り出すとその中から千円札を2枚取り出し春佳に渡す。

「彼氏さん、あんなカッコのままじゃ不憫だろ?ほら、これで新しいのを見繕ってやんなよ。」


あんなカッコ、と言われて俺は自分の格好を見る。

顔面をどつかれた時に出た鼻血は止まることなく溢れ続け、結果Tシャツを真っ赤にしてしまったのだ。

確かにこれで水族館は回れない。


「丁度この駅ビルのアパレルショップがリニューアルオープンしたばかりですよ。寄ってみてはいかがでしょう。」

そんな駅員さんの言葉もあり春佳は断るに断れなくなってしまったようだった。

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