【17話】蘭一過
◇弥彦◇
蘭と別れた俺と凪乃は真っ暗な道を並んで行く。
俺は自分から話しかけるのが得意な方ではなく、凪乃も無口。
故に並んで歩いていながら俺たちの間には会話が存在していない。
周囲の無音もあって静寂さが際立っている。どこか気まずさもある。
「……不思議には思わないの?」
沈黙を破る一言目は凪乃だった。が、言葉が足りない。
彼女が何を言わんとしているか、情報量が乏しく理解できない。
俺がそれを聞くより前に凪乃は自分の言葉を補足する、
「蘭のこと。ろくに歩けもしない程に空腹だった理由。」
ああ、そのことか。何も疑問に思わないなんてことはないな。
寧ろ一番引っかかっていた部分だと言ってもいい。
「そりゃ気になったけど、なんていうか…あいつそういうこと突っ込まれるの苦手そうだろ?」
本当は聞くべきだったのかもなと答えながら考える。だが聞けなかった。
帰り道で聞くチャンスはいくらでもあった訳だ。にも拘わらず。
「まあ、聞きにくいことだよね……。」
凪乃のその言葉を最後に、またも沈黙が流れる。
行きは長く感じたが、帰りはもっと長く感じる道だった。
「あのさ。」
凪乃がまたも沈黙を破る。もう家は目と鼻の先だった。
「どうした?」
「ちょっと来てくれる?」
そう言うと凪乃は俺の手を掴んで引っ張り、玄関の前まで連れてきた。
「これ。」
彼女が指を指す先には監視カメラがあった。道路側を映している。
「監視カメラがどうかしたのか?」
「これ、大家さんに付けてもらったんだ。パソコンから映像が確認できる優れものでね。」
凪乃は言葉を続ける。
「昨日まで3日連続で蘭が映ってるんだよね。昼間もだけど、深夜にも。どこかと家を往復してると思うんだけど、その様子が気になってね。」
その上で、どうして聞かなかったんだろう。だが俺がそれを問う資格はない。
聞かなかった理由だって想像がつく。俺と一緒だ。
そして凪乃はきっと、それを後悔している。
だから今俺にそんな話をしているんだ。
「絶対に訳アリ、だよね……。」
凪乃の言葉に俺は俯き黙り込む。俺だってそれはわかっている。
俺はその上で蘭に手を差し伸べてやれなかったのだ。
俺は怖気づいてしまったんだ。
「ねえ、豪徳寺君。」
呼びかけるその声に俺は顔を上げる。
凪乃の表情は凛々しかった。何らかの覚悟を決めたことが読み取れる。
「もし私が蘭の為に何かするとしたら、協力してくれる?」
「勿論。約束するよ。」
「……君にこの話を聞いてもらえてよかった。じゃあ、よろしくね。」
俺の即答に凪乃は微笑んで自分の家へと帰っていくのだった。
俺も凪乃の思いを知ることができて良かった。
共通の重荷を背負った人間が他にいたことはどこか俺の心を軽くした。
俺は凪乃のおかげで前に進めるような気がした。
◇◇◇
時は少し遡り、場面は蘭と弥彦、凪乃が行った直後の夢原家のキッチンに移る。
愛依、果音、それに咲花が協力して12人分が食べた食器を洗っている。
「軽々しくOKしちゃったけど、普段の倍近くとなると流石にこうなるわね……。」
果音が嘆くのは洗っても洗っても減らない目の前の食器の山である。
いつもより少し多い程度だと果音はタカをくくっていたが、いざこうして目の前に結果が現れるとその見通しがどれだけ甘かったかを嫌でも感じさせられる。
「こういう時くらい、少しは手伝ってくれても良いのだけど。」
果音はリビングでテレビを見ながら笑っている珠希を見やる。
彼女は結局料理の時もつまみ食い以外のことをしなかった。
考えても仕方のないことだが、それでも果音は溜息をもらす。
果音が愛依の表情が沈んでいることに気づいたのはその時だった。
珠希を見やった時に視界に入った愛依は明らかにいつもと様子が違う。
「愛依、どうかしたの?」
「ふぇっ!?」
心ここにあらずだった愛依は果音の呼びかけで我に返る。
「え……あー、いや、何でもない……よ?」
その返答は妙にギクシャクしていた。
「なんでもなくないでしょ。」
果音を挟んで咲花も言葉を掛ける。
「凪乃たちが行ってから明らかに様子がおかしいもの。」
「あー……。」
咲花の鋭い指摘に愛依はたじろぎ目を泳がせる。
「……今日のポテトサラダ、美味しかった?」
愛依のその質問は一見話をはぐらかしているようにも聞こえる。
だが果音、咲花は言葉のトーンや表情から決してそうでないことを察する。
「いつも通りよ。よくできてたわ。美味しかった。」
「私もそう思うな。いつも通り。」
「なら良いんだけど……。」
果音も咲花も愛依の質問に対して最も望まれる答えを返したハズである。
しかしどういう訳か愛依の表情は曇ったまま変化がない。
「ポテトサラダがどうかしたの?」
今度は果音が質問してみる。少なくともポテトサラダには関係あるらしい。
「いや、皆、美味しく食べてくれたのかなって……。」
愛依が答えるまでに流れた不自然な間を果音は聞き逃さなかった。
愛依は今、間違いなく何かを隠した。そしてそれには心当たりがある。
だがそれを今ここで聞くかどうかは悩むべきところだ。果音は逡巡する。
「多分、そんな心配することないと思うよ?現に残ってないじゃない。」
愛依の不安に対する咲花の返答は質問には答えども的を得てはいなかった。
即ち、咲花は気づいていない。それを見届けると同時に果音の中で結論が定まる。
「そうね。豪徳寺君もきっと美味しく食べてくれたと思うわ。」
「ひゃっ!?わわわっ、ふう……。」
愛依は果音が豪徳寺という名前を出した瞬間に狼狽し、手を滑らせ皿を落としそうになる。
何とか泡まみれの手で持ち直すも動揺は収まっていない様子だ。
「なんでそこで豪徳寺君が出るの?いや、気になる、けどさ……。」
愛依の様子を見ながら果音は溜息をついた。
心当たりが推測から確信に変わった瞬間だった。
それを隣から眺めていた咲花はようやく現状を把握した。
「なるほどね……。」
咲花は愛依に聞こえないように、そんな独り言を漏らした。




