08:シーラは『それ・これ・あれ』とご対面
ホーキンズの異界人召喚事件から一ヶ月と半月が経過した本日、瑞歌が『とあるもの』を拾ってきた。
「ミズカ? それ、何?」
「ああ、これぇ? なんかー、さっき迷子になった時に入っちゃった市場? の入口らへんで拾ったんだー。皆に見てほしくて。ね、これ、すごくない?」
戦々恐々といった具合に尋ねるシーラに、瑞歌はぴかぴか笑顔を返した。
「異界人、怖いぃ……」
シーラは思わず己の額に手のひらを当てて発熱の確認した。
……うん、大丈夫。平熱よりも少し高い気はするけど、熱はなさそうだ。
と自分に言い聞かせたのは、今は倒れている場合ではないからである。
瑞歌は、『さっき迷子になった時』とごくごく軽い様子で言ったが、魔道士隊と警邏隊、加えて非番だった方々までも総動員して街中を探すという大大大捜索であった。
そのおかげと言ってもいいのか、瑞歌は捜索から約一時間もかからずに見つけることができた。
それなのに、シーラとアイゼイアは所長にしこたま叱られた。
しかも、始末書が確定している。……めっちゃ悔しい。
ちなみに『尻拭い係』はクビにはならないようで、引き続きこの係は続行とのことなので、始末書の枚数は交渉し、減らしてもらう所存だ。
さて、そんな経緯で瑞歌が拾った『とあるもの』の話に戻らせていただこう(戻したくないけど)。
『とあるもの』、それは瑞歌の華奢な両手に収まる程度だが、一般に売られているものとは段違いに大きな卵。
シーラは、見たことがない卵で……いや、実物を見たことはないのだが、どこかで見たことがあるような……? 一体、どこで見たのだろうか。
嫌な予感が邪魔をして、記憶を上手く辿れない。
「ねっ、これでプリン作ったら何人分かな?」
「……人騒がせな女だな、お前」
「あたし、口の中で蕩けるタイプのプリンが好き」
「反省してねえし」
頭を捻り、うんうんと考えているシーラにも何のその。
瑞歌は、心配顔を解いて呆れ顔になっている尚路とお喋りしながら、卵を様々な角度から見ようと回転させた、その途端、シーラは「ぴぃっ」と悲鳴を上げた──瑞歌がくるくる回している卵を、どこで見たのか思い出したのだ。
そして、それを思い出したのはシーラだけではなかった。
「クロフォード卿、これ……この卵って、あ、あ、あれですか?」
シーラは、叫んだ自分とほぼ同じ「……嘘だろ」と呟いたアイゼイアにバッと勢い良く顔を向け、『どうか否定してほしい』と意味を込めて聞く。
が、しかし。
「絶滅危惧種の銀龍の卵です」
彼は青褪めた顔でしっかりと頷き、シーラに絶望を与えた。
「嘘です、だって……なんで……なんで、そんなものが市場にあるんですか?」
「嘘だと思いたいのですが、初等学校在学中に夢中で読んだ図鑑に載っていました。それと、先ほど隊長から闇商人の男を捕縛したと鳥が届きました。まだ聞き取りはしていませんが、その男が銀龍の卵を王都の市場に持ち込んだと考えて間違いないでしょう」
シーラもアイゼイアと同じで初等学校在学中に図鑑を百周はした口なのだが、如何せん、今、昔話に花を咲かせられる心の余裕が小指の爪ほどもない。
「……も、もう、だめです……この国は終わりです……」
「シエル嬢、気をしっかり持ってください。……所長と隊長に報告した後、王への謁見をしましょう。大丈夫です、この国は千年前にも同じことが起こりましたが、危難を乗り越えています」
嘆くシーラと、それを励ましつつ鳥を飛ばすアイゼイアを見て、さすがに事の異常さを察知したのか、瑞歌が泣きそうに顔を歪め、尚路は顔を強張らせた。
これはもう、話さない訳にはいかないだろう。
「ナオミチ、ミズカ」
アイゼイアは二人に視線を交互にやってから、一拍置いて話し始めた。
「千年前、若い魔法師が銀龍の怒りを買い、戦争が起こった。その魔法師が銀龍を怒らせた原因が……その卵だ──」
──昔々。今より千年も昔の話。龍がまだ王都の上空を泳いでいる姿が見られるのが日常だった頃。
一人の若き魔法師が、銀龍の卵を孵化させてしまった。
銀龍は数いる龍の中で一番繁殖力が低く、卵の中から出るまでに二十年以上かかる生き物であり、毎日毎日、魔力と愛情を注ぎ、手間暇かけて孵化させる生き物だ。
それを、件の魔法師が孵化させたのである。
加えて、その魔法師は歴代稀に見る偉才の魔法師であったことが卵の母親である銀龍の怒りの火に油を注いだ。
なんせ、孵化した子銀龍は魔法師を親だと思っているのだ、母銀龍の怒りは当然であろう。
そして、怒り狂った銀龍は七日七夜、王都の上空から火の雨を降らせた。
アイゼイアの話を聞き終わった瑞歌は、彼女らしくないか細い声で「そんな……」と呟き、手に持っている卵を見やった。
結果としては、歴代稀に見る偉才の魔法師とその仲間が力を合わせ、母銀龍の怒りを鎮めたらしいのだが、それが記載されている文献は過去に起こった戦争によって紛失してほとんど残っておらず、今現在の王国ではかの魔法師がどのように母銀龍から許され、子銀龍から親ではないと判断されたかが全く分からない状態にある。
「銀龍は人間よりも何十倍、いや、何百倍もあらゆる感覚が優れている。……だから、絶対にこの場を突き止める。捕縛した闇商人が卵を手放した理由は、命の危機を察知したからだろう。銀龍は愛情深いが、嫉妬深い生き物でもある。己の子供が奪われた母銀龍は、卵の持ち主を八つ裂きにしたいと思っているに違いない。でも、」
「じゃあ、卵持ってたら、あたし死んじゃうってこと!?」
瑞歌はアイゼイアの話を遮り叫んだ。
「ミズカ、大丈夫だから、最後まで話を聞いてくれ」
「無理! 最後まで聞くの怖いっ! やだ〜〜〜!」
「……ミズカ」
シーラはからからに乾いた喉でどうにか彼女の瑞歌を呼ぶが、その声は届いていないようで、彼女の手の震えはどんどん酷くなり、卵を持つ彼女の手はさっきよりも大きく震えている。
「瑞歌、とりあえず卵置けっ!」
尚路も焦っていたのだろう。
それが声に表れ、緊張状態の瑞歌を驚かせ、瑞歌の手から卵がパッと離れた。
その時、「あっ」と、声を漏らしたのはシーラだったのか、それともアイゼイアと瑞歌と尚路の三人の内の誰かだったのか、それともアイゼイアが送った鳥を受け取って入室してきた所長含むド偉い方達一行の中の誰かだったのか、それともこの場にいた全員だったのか。
シーラは覚えていない。
が、咄嗟に手を伸ばしたことだけは覚えている。
だから、今、シーラの手の中に銀龍の卵がある。
「……っ」
瑞歌が持っている時には白にほんの少し灰色を混ぜたような色だった卵は、銀色になっていた。
そして、先ほどよりも大きく、どんどん重くなっていく。
銀龍の卵は母親の魔力によって孵るが、母親以外の魔力を吸収するという特性を持つ。
特に人間の魔力を、もの凄い速さで吸収する。
なので、魔力持ちの人間が触れるとかなり厄介なことになる。
もっと詳しく言うと、生まれた子銀龍は自分に魔力を一等注いでくれた存在を親と認識するのだが、孵化前に吸収した魔力も『注がれたもの』と認識してしまうのだ。
そして、母銀龍の魔力よりも人間の魔力のほうが卵の状態の子銀龍にとって美味しいと感じるらしく、卵に人がほんの少し触れただけでも物凄い量の魔力を吸収することから、はるか昔より『魔力持ち、銀龍の卵に触れるべからず』と言い伝わっている。
「シーラ・シエル、その卵をこちらのケースに入れなさい。……それと、呼吸をしなさい」
「……あ、はい」
所長の言葉に何とか頷いたシーラはケースに卵をそっと置き、息を吐いた。
「シーラ・シエル、その、なんだ……ええっと、だな……」
今まで聞いたことのない、言い辛そうな所長に皆まで言わせることはできない。
「分かってます」
シーラは所長の目をしっかり見て頷いた。
笑顔は作れなかったが、泣き喚かないだけ及第点だろう。
「わたしを〈嘆きの島〉に送ってください」
〈嘆きの島〉とは今より三百年ほど前、婚約者がいるにもかかわらず、婚約者の異母妹と恋に落ちた王子が蟄居していたという塔のみがぽつんと建っている島である。
王都から船で二週間以上もかかる場所にある島で、隣国からも我が王国からも遠い場所に位置する。
〈嘆きの島〉には、五年に一度ほどのペースで王国立魔法研究所から調査隊を送っているし、所長なら慣れた移動魔法なので、座標がズレる心配もない。
そうすれば、シーラ一人の命でこの国は助かる──
「──でも、その前に頼み事を引き受けてもらってもよろしいでしょうか?」
頼み事とは、ホーキンズと母と妹、瑞歌と尚路の世話(と、その他諸々)である。
大丈夫、きっと所長は断らない。
……だって、シーラの最期の願いだもの。
「ああ、いいぞ……って、おいっ! アイゼイア・クロフォード! 何をしている!」
シーラが所長に頼もうとしたその時、所長が怒鳴り声を上げた。
振り向くと、ケースにしまったはずの銀龍の卵にアイゼイアが魔力を注入していた。
卵は銀色の中に七色の光の帯が煌めき、シーラの腰あたりまでの高さまで大きくなっていた──もう、卵は孵化寸前。
「ちょ、クロフォード卿! 何やってるんですか!!」
アイゼイアに駆け寄ると、彼は晴れ晴れと笑っていた。
シーラがこんなに怒っているのに……。
「どうして笑ってるのですか!? あなた、死にたいんですか!? 莫迦なんですか!!?」
先ほどよりも怒りを込めたのに、やはりアイゼイアは笑っていて、シーラは盛大に顔を顰めた。
「死にたくはないですね。でも、シエル嬢を死なせる訳にはいきませんので致し方ありません」
「えっ」
シーラはアイゼイアの言葉の意味が分からず、顰めた顔のまま固まった。
いや、意味は何となく分かるのだが、シーラの解釈と彼が言った言葉の意味が同じか否かが分からない。
もしかして……と思う心を、辛うじて存在する冷静な自分が『そんなことはあり得ない』と否定する。
なのに、シーラはまた『もしかして』と考えてしまう。
「……」
何も言葉を返せずにいると、アイゼイアが少しだけ寂しそうに微笑み、シーラの名前を呼んだ。
「シエル嬢、そろそろ卵が孵化しそうなので、もう行きます」
「ま、待って! 待ってください……!」
「待ちたいのは山々ですが、もう時間がありません」
「どうしてそんなに冷静なんですか!?」
至極冷静なアイゼイアに、シーラは子供のように喚いた。
なんだか視界がぼやけて、アイゼイアの表情がよく分からない。
そして、なぜ自分がこんなにも悲しいのかが分からない──シーラの命は助かり、これからも何ら変わらない日常を送れるというのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。
「シエル嬢、できたら…………いえ、すみません。どうかお元気で」
アイゼイアは何かを言いかけ逡巡した後、言葉を飲み込んだ。
一体何を言いかけたのだろう。
聞きたい。
「クロフォード卿、」
でも、シーラがそれをアイゼイアに聞くことはできなかった。
なぜなら、突如として部屋の中を強い光が占めたからである。