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07:シーラは明日タルトを焼く

「漢字だと『詩』『衣』『良』かなあ」


 瑞歌が紙に書いた文字を見て、シーラは感嘆の声を上げた。


「これが、『カンジ』? ……ミズカとセンザイ殿が住む国の文字はとても難しいんだね」


 漢字に、平仮名、カタカナ。そして、ローマ字。義務教育が済む頃には、これらが一通り読み書きできるようになっていて、彼らの暮らす異界の地の識字率は、ほぼ百パーセントだそうだ。


 ちなみに、異界の二人にはこの国の文字は彼らの母国語である『日本語』というものがフリガナとして表示され、言葉は普通に『日本語』とやらに聞こえているらしい。それなのに、彼らの使う文字は異界のものとして認知できるという不思議……。

 過去の文献には、『言葉が通じず、意思疎通が困難である』と記載しているのだが、ホーキンズはそれを読んで言葉と文字が理解できる魔法を取得したのかも知れない。

 ……いや、きっとそうに違いない。こんな難解な魔法を組めるのはホーキンズしかいない。

 

「当て字だけど、シーラちゃんのイメージに合ってると思うんだよね。ねっ、なっちゃん、あたしってば最高にセンス良くない? さすが漢検合格者だよね!」

「漢検三級でドヤるのやめてくんない?」


 瑞歌の隣に座る尚路曰く、『詩衣良』の『詩』には、芸術、言葉、歌などの意味があり──ちなみに、この『歌』という漢字は、瑞歌の名前に使われていて、『衣』には、服飾という意味があり、『良』には、優秀という意味があるのだとか。


 なんだか大層な意味の文字を当てられてしまった。

 でも、純粋に嬉しいとも思う。


「確かに、シエル嬢にぴったりな『カンジ』ですね」

「……ありがとうございます」

 

 むせずにお礼を言えたのは、奇跡、は言い過ぎだろうか。

 ……うん、言い過ぎだ。過言だ。


 シーラは、すまし顔を作りながら自分が淹れた紅茶を飲んで気持ちを立て直す。

 さすがはホーキンズお気に入りの茶葉だ、とても美味しい。

 昨日、瑞歌のリクエストで焼いたほろほろ食感のクッキーとの相性も抜群だ。


 それはそうと、つい先日。ポール・オウアの魔道士隊(ソル・ドルギーエ)の除隊が決定した。

 一研の薬草倉庫室の被害は……というか、『被害』というほどでもなかったのだが、ごく少量の薬草が使い物にならなくなった。

 そのだめになった薬草の持ち主が、少々難しい気質の……──件の性格を疑うような策を好むムーアヘッド氏だった。

 ここまで聞けば最後まで語らずともお察しであろう。

 簡潔に言うと、性格を疑うような策を好むムーアヘッド氏が、激怒してオウア家の『知られてはいけない秘密』を暴き、それを世間に公表しない代わりにポールをオウア家の籍から外した。

 これは、『一研はやべえ奴の巣窟』と言われるほんの一例である。


 されど、今回のことはシーラにしたら拍手案件!


 ムーアヘッド氏の好きなドライフルーツをたっぷり使ったパウンドケーキと、ホーキンズの好物でもある光蜜蜂のシロップ漬けのナッツを大盤振る舞いした。

 おかげで、気難しいムーアヘッド氏はシーラに対して当たりがとっても柔らかくなった。


 ポール・オウアは『ただのポール』になり、今は王都から遠く離れたどこかの町でなんやかんや生きているそうだ。

 詳細は、デジャヴュなことにムーアヘッド氏を含む周囲から『聞くな』『調べるな』『知らないほうが良い』等々言われたので知らないし、知りたいという気持ちは失せた。


 まあ、生きているのだから大丈夫だろう、と思うことにしている。

 うん、きっと大丈夫だ。


 そういえば、ポールが用意していた瑞歌を誘拐する計画(アクシデント)は、魔剣使いのアイゼイアと、異界で『ケンドーブ』とやらに所属している尚路によって瞬殺だったらしい。

 これはポールが考えなしだったのか、アイゼイアと尚路がポールの予想以上に強かったのか、それともどちらなのか……。

 瑞歌から聞いた話では、要領を得られなかったが、何となく『どちらも』だったのではないかな? とシーラは思っている。


「──アイ。お前の漢字は『愛』『是』『威』『有』だぞ」

「へえ、この『カンジ』は、どういう意味があるんだ?」


 紅茶で気持ちが落ち着いたところで、いつの間にか仲直り(?)をし、「アイ」、「ナオミチ」と呼び合う仲になった二人の会話に耳を傾ける。


「……」

 あんなに険悪なムードでぴりぴりでバチバチな空気を纏っていたのに、いつの間に仲良くなったのだろうか。


 やっぱり男子ってほんっと分からない。

 女子間では理解し難い関係性を築く変な生き物だ。

 なんて考えていると、つんつんと腕をつつかれ、シーラは顔を上げた。


 と、そこにはきらきら笑顔の瑞歌。


「ねねっ、シーラちゃん、シーラちゃんっ」

「な、何?」


 なぜに、小声なのだろう。

 そして、よく見ればきらきらではなく、にやにや顔。

 なんだか、居心地の悪い雰囲気を感じるシーラである。


「アイくんと何かあった? あったよね? ね? あたし、そういう勘、すごくいいんだあ。で? で!? 何があったの!? 教えて!!!」


 途中から小声ではなくなっている瑞歌に、シーラは固まってしまう。


 何か、って。

 何もなかった。と思う。

 ただ、アイゼイアに対する印象が変わったというか、誤解が解けたというか、なんというか、そんな感じなだけで。

 瑞歌の大好きなコイバナとやらの展開はなかったはずだ、多分。

 ……いや、多分ってなんだ、多分って。ないったらない。そう、そんなことは全然なかった。

 

「瑞歌、こら。やめろって言っただろ」


 シーラが、そんなことは全然なかった、と言おうとした時、尚路が瑞歌の額を指で弾いた。


「痛〜いっ! なっちゃん、ひど〜い!」

「嘘言うな、痛くしてねえし」

「嘘じゃないもん。痛かったもん……」

「……ちょっと見せてみろ」


 そして、二人はわちゃわちゃ、もとい、イチャイチャし始めた──尚路が「ごめん」と言って、瑞歌の額を撫でている。

 本当にこの二人は仲が良い。

 異界での二人は大学卒業後に結婚が決まっている許嫁兼幼馴染みというラブコメ関係にあるそうなので、仲が良く距離が近いのも頷けるのだが……少し周りの目を気にしてくれない?

 異界での二人の周囲はこういった場合どうするのだろう。教えてほしい。


「シエル嬢、散歩でも行きませんか?」


 気まずいなあ、と思っているシーラは隣のアイゼイアに話しかけられた。


「散歩、ですか」

「はい、ここは空気が甘いと言うか重いというか」

「ああ……確かに」


 甘ったるくて、胃もたれしそうだ。



 ◇



「わー、すごーい!」

「あっ、こらっ、方向音痴なんだから勝手に走っていくな!」


 ひゃっほーい! と走っていく瑞歌を焦った様子で追いかける尚路。

 そして、その背中を見送るのは、アイゼイアとシーラである。


「……よく所長が、この庭園への立ち入りの許可をくれましたね」


 感心したように周りを見渡しながら言うシーラに、アイゼイアは「ええ、二つ返事でしたよ」と綺麗な笑顔。


「そうですか……」


 その笑顔を見て、シーラはふと思う。

 最年少で魔道士隊(ソル・ドルギーエ)副隊長に抜擢された実力者アイゼイア・クロフォード。

 実家は、名うての鍛冶屋とは言え、根っからの職人気質であると有名な頑固な職人である彼の父にコネや狡さがあるとは考え辛い。

 となれば、アイゼイア本人の相当な努力があったはずだ。

 そして、その努力の中には、『情報収集』なんかもあったりするのではないか……?

 情報は、大事だ。

 なんせ、無知は食い物にされ、使い捨てられる。現に、数年前の右も左も分からないシーラは安月給でこき使われていた。

 つまり、彼は、所長の弱みなるものを握っていたりするのだろうか?

 この考えは飛躍し過ぎかも知れないが、いや、でも、そうでないとつじつまが合わない。

 だって、シーラの知る所長は気前よくこの場所──世界中の希少な花を管理している庭園への立ち入りの許可をくれる男ではない。


「ねねっ、シーラちゃん、シーラちゃんっ」

「な、なに?」


 デジャヴュの瑞歌に、シーラは後退する。

 が、ずいっと前進する瑞歌によって距離は詰められる。


「遠くには行かないから、なっちゃんと二人で歩いてきていい?」


 小声の頼まれ事は、とても可愛らしいもので、恋する女の子のものでもあった。


 そして、こんな風に頼まれたら所長命令がなくったって断れない。


「……うん、いいよ」



 ◇



「庭園は初めてですか?」

「はい。あっ……でも、入口から中を見たことは何度かありました」


 小さくなっていく尚路と瑞歌の背を見ながらアイゼイアに尋ねられ、シーラは答えた。


 シーラは、室長のお迎えとか、室長のお迎えとか、室長のお迎えとか(略)、たまに一研のお使いとかでこの庭園に来たことが何度かある。

 アイゼイアに言った通り、中に入ったことはないが、入口から眺めていたこの景色に憧れていた。


「所長が言ってました。シエル嬢に頼まれたら庭園(ここ)への立ち入りを許可した、と」

「ええ? あの所長が? 信じられません」


 本当に信じられません。口の中でもそもそと呟くシーラに「でも頼んだことはないのでしょう?」と鋭いアイゼイア。

 確かにそうだ。シーラが、この庭園に入ってみたいと口にしたことは一度もない。


「ないですが、でも……」

「諦める癖がついてますか?」

「……どうでしょう、そんなこと考えたこともありません」


 シーラが冷静に言葉を返せたのは、アイゼイアの声に同情や哀れみの色が少しもなかったからだ。

 もしもそれらがあったのならば、シーラは彼の頬を……だめだ、シーラではそこには届かない。……仕方がないので、足を思いっきり蹴っていたことにしよう。


「ええと、次は頼んでみようかと思います」

「是非」

「……もし、だめと言われたらどうしましょう」


 まだ頼んでもいないのに、シーラは断られた場合のことを考えてしまう。……これこそが彼の言う、シーラの『諦める癖』なのだろう。


「所長は、ジャスミンシロップで煮た杏と桃がお好きだそうですよ」


 似合いませんよね、そうですね、と笑い合った後、アイゼイアは「所長に限らず古参幹部らは皆、甘いものに目がありません。シエル嬢が作った菓子を持っていけば、難しい頼み事も叶えてくれるかも知れませんね」と、冗談かそうでないか見極めが難しい口調で続けた。


 てっきり『私が頼んであげますよ』なんて言葉が返ってくるのかと思ったのだが、違った。

 でも、貸しを作るのが嫌いで、頼ることに慣れていないシーラにとって、有り難いことだった。


「ちなみに私も甘いものは嫌いではありません。……なので、シエル嬢に頼まれたら、きっと断れません」


 こほん、と空咳をしていて、シーラから目をそらし言う彼の耳は少し赤い。


 甘いものが好きなのは、格好悪くて恥ずかしい。……そういう風に思っている人間は割と多い。

 騎士服を着ている彼もそういった意見のせいで大っぴらに言えないのかも知れない。

 だけど、シーラにはそんな偏見はない。

 シーラだって甘いものは大好きだ。それに、甘いもの好きに男も女も関係ない、と思う。本心で。


 だから、シーラは迷わず聞くことにした。


「クロフォード卿は、どんなものがお好きなのですか?」

「……タルト生地の菓子なら何でも」


 なんだかアイゼイアらしくない小さな声の返答にシーラは笑いを堪え、「明日、タルト焼きますね」と言葉を返した。


 楽しみにしてます、と小さな声で言う彼は可愛いかった。

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