03:シーラは驚きまくる
移動した先は予約制の談話室だった。
シーラは借りたことはないが、この部屋は盗聴防止で防音魔法がかかっている特別な部屋なので、予約が難しいと聞く。
よくこの部屋の予約が取れたなあ、と感心していると、アイゼイアが一人用の肘掛けソファーを手で示し、座るように促された。
それから座った途端に、「申し訳ありません」と、アイゼイアから深々と頭を下げられた。
「……」
二拍置いて、何についてかの謝罪かを理解したシーラは、目の前で頭を下げる男の後頭部をまじまじ見る。
赤みがかった短い金髪は、とても頑固そうだ。
なんて呑気なことを考えながら、ふと男と二人きりの状況に気が付いた。
しかし、なぜだか分からないが、アイゼイアは全然怖くない。
ポールと二人きりになった時は死ぬほど怖かったのに、どうしてだろう?
「……とりあえず顔を上げてください」
シーラの言葉に、彼はゆっくりと顔を上げた。
「ホーキンズ室長から直々に頼まれていたのに、怖い思いをさせてしまって、」
「え、室長から頼まれた?」
シーラは驚きのあまり、目を丸くしてアイゼイアの言葉を遮る。
が、彼も「え?」と言って、少し考えた様子を見せてから「聞いてないのですか?」とシーラに問うてくる。
「聞いていません。あの、差し支えなければ教えていただけませんか?」
シーラが尋ねると、アイゼイアは『失敗した』とでも言うように眉を下げてから、観念したように話してくれた。
曰く、今朝──おそらく異界人を召喚する前か、その直後、ホーキンズはアイゼイアに会いに来て、『一研の可愛い補佐ちゃんのこと、よろしくね』と、頼みごとをするような態度ではない口調(通常運転)で言ってきたそうだ。
何でも、シーラにかけている防衛魔法が、国から出ることによって解けてしまうらしく、ホーキンズが戻ってくるまでシーラの護衛をするように頼まれたので了承した、とのことなのだが……それは『依頼』ではなく、『命令』では?
しかも、これを所長に利用され、『尻拭い係』と相成った、という経緯である。
「あの、クロフォード卿……」
「はい」
「ええと、わたしは、守っていただかなくとも大丈夫ですから、ご自分の持ち場に戻ってください」
「……それは、私が失敗したからお役御免ということですか?」
「え!? い、いえ、そんなっ、全然違います! ……ええっと、クロフォード卿はお忙しいですし、わたし一人で何とかするって意味で……それに、あなたはわたしを守ってくれました。お礼が遅くなってすみません、先ほどはありがとうございました」
あの男の情けない声を聞いて、シーラの溜飲は下がった。
それに、一人でも問題ないと本心から思っている。
さっきは心の準備をしていなかったので固まってしまったが、次は行ける気がしている。
え? 根拠? そんなものはない。
強いて言うのならば、この溢れるやる気のみである。
シーラの作戦は、また部屋に連れ込まれたところで、つい最近取得した長い呪文を唱え、変態野郎を拘束し警邏隊に突き出す、というものだ。
だから、シーラ的には、もういっそのこと連れ込んでもらいたい。
そりゃあ怖い。めっちゃ怖い。
が、仕方がない。
だって、そうすれば確実に法の下であの男を裁けるのだ──前回は現行犯でなかったことと、クソ野郎が犯行を否認したこと、そして彼の父親が大金を払って優秀な弁護人を雇ったことで、有耶無耶となってしまったのだ。
やってやる!
やってやんぞ!
おりゃーーー!!
シーラは、やる気の炎をメラメラさせて決意する(今回の決意は、本気の方の決意である)。
それに、独学だが、ここ一年で身に付けた攻撃魔法も試したい。つまり、一石二鳥なのである。
ぶっ飛ばしてやんよ、ポール・オウア!!
しかし、そんなシーラのやる気満々ファイヤーは、アイゼイアによって鎮火させられることになる。
「……シエル嬢の心遣いは大変嬉しいのですが、これは王国立魔法研究所・第一魔法研究室モーリス・ホーキンズ室長より私が直々に受けたものです」
イライラしているのをどうにかこうにか抑えているような、そんな声だ、とシーラは思った。
そして、この声に逆らってはいけない、とも。
「なので、ホーキンズ室長が帰ってくるまでは、どうか私が側に付くことを、お認めください」
任務遂行は絶対なのです。そう締めたアイゼイアの紺色の瞳に見据えられ、拒絶できる者は一体どれほどいるだろう。
きっと多くはないだろう。
……当然シーラもその大多数の内の一人。つまり、「あ、はい」と、頷くことしかできないのである。
「で、ですが、召喚者の面倒を見るのは……任務遂行に含まれていないのでは……?」
シーラが恐る恐る、慎重に尋ねるとアイゼイアは先ほどまであった『圧』を消し、「ああ、それも問題ありません」と微笑む──笑うと印象がかなり変わる男だ。
そういえば、彼はアナリサの好いていた人物だ。
『私は顔面偏差値九十以上しか愛せないのよ』と声高に言っていた彼女の好きな男なだけあって、顔が良い且つ高身長。しかも、史上初の最年少副隊長になった男。
アナリサを選ばなかったあたり、女を見る目もあるようだし、ポールにもガツンと言っていたので、性格も悪くはないだろう。
……まあ、でも相当に遊んでるのだろうな、とは思うけれど。
能力があって地位がある男は古今東西、好色だ。『英雄、色を好む』とはどの国の文献にも残っている史実である。
とはいえ、体の薄いシーラのような女は眼中にないだろうから安心だ。
彼が怖くない理由をシーラが理解したところで、アイゼイアが口を開く。
「召喚者の面倒を見るのは所長からの任務依頼です」
「…………所長が?」
「はい」
「ええ……?」
もしかして、アイゼイアは断れない人種なのだろうか。
「可哀想に……」
シーラは、最年少副隊長とはなんて大変なのだろう……と目の前の男に同情の視線を送った。
「え? 何ですか?」
「いえ、何でもありません」
◇
アイゼイアの三度目の移動魔法で〈アイリスの間〉に入ると、リラックスした様子でクッキーを齧っている異界人と、怒りのオーラを纏った異界人がいた。
そして、男の子の方が、シーラに向かってずんずん進みながら叫ぶ。
「俺達はいつ元の世界に帰れるんだ!!?」
ほんの一瞬だけ男の子がゲスの極み野郎に見え、たじろいでしまったが、すぐに目の前にいるのはホーキンズの被害者であることを認め、姿勢を正す。
召喚された彼のお怒りと質問は、ごもっとも。
……けれど、その質問の答えはシーラにも分からない。
なので、今、シーラにできるのは誠心誠意に謝罪することのみ。
だが、頭を下げようとしたシーラを、アイゼイアが止めた──「申し訳ありませんが、今はその質問にお答えすることはできません」
「は? 勝手にこんなところに連れてきて、質問にも答えないなんて舐めてんのか!?」
「それに関しては心よりお詫びをいたします。ですが、あなたの質問の答えを持っていないのです」
「それなら、もう少し申し訳ねえ顔しろよ!!!」
ドンッと異界人が、アイゼイアの胸あたりを強く押す。
が、微塵も動かない。
さすが魔道士隊・副隊長殿。体幹が強い。
きっとひ弱なシーラならころころと転がって壁に頭をぶつけてしまっただろう。
しかし、今はそんな感心をしている場合ではない。
異界人は顔を歪めて、悔しそうな様子だし、アイゼイアはアイゼイアで、何だか態度が良くない。
シーラへの謝罪には心がこもっていたのに。
どうして、そんなにも反抗的な態度なのか。
……というか、アイゼイアがやり返したらどうしよう。
あれ、あれ、大変。何だか、空気が良くないのでは……? もしかして、一触即発!?
「クロフォード卿、殴ってはいけませんっ」
「なっちゃん、ストーーーップ!」
シーラが言うのとほぼ同時に、異界人がクッキー片手に叫んだ。
◇
「あたし、咲鳥 瑞歌って言います。えっと、瑞歌が名前で、咲鳥が名字です。瑞歌って呼び捨てで呼んでくれると嬉しいです! よろしくお願いしまーす!」
ぴかぴか笑顔の瑞歌は、「ほらぁ、なっちゃんも、挨拶して」と、彼女の斜め後ろに立っている『なっちゃん』とやらに声をかける。
「……」
しかし、彼はむすっとした顔で沈黙を貫いて、いつまで経っても自己紹介を始めない。
「も〜! えっと、こっちの仏頂面のだんまり小僧が、千歳 尚路です。気軽に『なっちゃん』、もしくは『ミッチー』って呼んでくださーい」
「おいっ! 『ミッチー』はやめろ!」と、瑞歌に怒鳴る尚路。
「え〜? じゃあ『尚ミッチー』とかは?」と、怒鳴られても堪えない瑞歌。
「だから、その変な呼び方やめろよっ」と、また怒鳴る尚路。
「と、まあ本人もこう言ってますし、お好きな渾名で呼んでください!」と、やはり堪えない、且つお日様みたいな笑顔の瑞歌。
……いやいや、呼べる訳ないでしょ。
そう思いながらもシーラは笑顔を作り、そして四十五度で頭を下げる。
「シーラ・シエルと申します。お二人が元の世界に帰るまでの期間、快適に過ごせるよう尽力いたします。どうぞ、何でもお申し付けください」
シーラが言い終わると、一拍置いてアイゼイアが口を開く。
「お二人の身をお守りするようにと拝命を承りました、アイゼイア・クロフォードです」
今の彼には、棘や圧はない。……一体さっきは何だったのだろう。
男子ってほんっとに分からない。
「あのぉ、さっそくいいですか?」
瑞歌の言葉で顔を上げ、シーラは「はい」と答える──シーラとアイゼイアに緊張が走った。
アイゼイアに聞くところによると、所長から『異界のお二方の要望にはできうる限り応えるように』と言われたそうだ。
所長の言う『できうる限り』とはこれ即ち、『絶対』である。
無茶が過ぎる中年男はやっぱり禿げ散らかした方がいい。
「お二人はあたし達と同い年だとお聞きしました。なので……その、できたら、通常語で話したいなあ、って」
「え?」
そんなこと? でも、さすがにそんな言葉遣いは……。
「だめ、かな?」
「いいえ、だめでは……」しょんぼり顔の瑞歌に、シーラは慌てて言い直す。「……その、うん。いい、よ?」
「やったぁ! ありがと! あたし、敬語って本当に苦手なんだよね。肩凝っちゃうの。えっと、じゃあ、改めてよろしくね、シーラちゃん、アイゼイアくん……うーん、な〜んか長くない? 舌が攣りそう。……ね、アイくんって呼んでもいい?」
「えっ!?」
シーラは懲りずに本日何度目かの驚きの声を上げた。
魔道士隊・副隊長を『アイくん』!? ……異界人、しゅごい。
そして提案された『アイくん』こと、アイゼイアといえば、「ああ、いいよ」と即答。
「えっ!?」
シーラは懲りずに(以下略)。
にこやかに言うアイゼイアの爽やかなこと爽やかなこと。
異文化コミュニケーション力まで強いなんて、この男、全方位敵なしか!? 怖っ!!
「シエル嬢」
「……はい?」
「ついでに私達も通常語で話しませんか?」
ついで!?????
もう何を見聞きしても驚くまい、そう思っていたシーラは、アイゼイアの台詞に驚き過ぎて「え!」とは言わずに目を丸くしたまま硬直し、「無理です……」と呟いた。
「異世界召喚なんて貴重な体験できるなんて、あたしってば超ラッキー!」顔の横で指を二本上げて喜ぶ瑞歌。
「ミズカは前向きなんだな。……誰かさんと違って」尚路にだけ当たりが強いアイゼイア。
「何だと!?」至極当然の反応をしているのに、瑞歌のせいで『煽り耐性ゼロの怒りん坊』という位置に定着してしまった尚路。
「……わたしも異世界召喚されたい」ぎゃあぎゃあ喧しい三人をぼんやり見つめながら、小さく呟くシーラ。