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01:シーラは尻拭い係

 シーラは激怒した。

 必ず、かの邪智暴虐(ちゃらんぽらん)の雇い主を除かなければならぬと決意した(※決意しただけなので実行には移さない。安心してほしい)。

 シーラには政治が解らぬ。

 シーラは、王国立魔法研究所・第一魔法研究室──通称、『一研』の室長補佐である。

 シーラは不労所得に憧れている。けれどもそんな暮らしは許されないので、やべえ雇い主の元、日々あくせく働いている。


 シーラは三年と少し前、一研の室長モーリス・ホーキンズを、文字通り拾った。


『拾われた』ではなく、『拾った』である。


 誤字ではない。



 ◇



 かつて、一研の室長補佐は長続きしないことで有名な仕事だった。


 記録にして、最短十八分三秒。最長では三日と六時間七分十一秒。

 ただし彼の室長補佐になりたいという若者はなぜだか後を絶たず……。

 さあ、次はどれくらいで辞めるのかという賭けが行われるほどに、それは長続きしないと有名だった。

 三年前、シーラが来るまでは。


 ホーキンズは気まぐれで、好奇心の塊で、ルールなんてクソ喰らえな自由人で、とうの昔に二百歳は軽く越えているだろうに、現在は不老と七変化の魔法によってシーラよりも三〜四歳年上に見える程度の年齢不詳の銀目銀髪の美男だ。

 そして、大魔法師として世界でも五本の指に数えられている程の実力を有しながらも、断固として上を目指さず、一研室長の座で満足している、出世にも金にも名声にも興味のない男でもある。

 そんな『見た目は大人、中身は子供(クソガキ)』と定評のあるモーリス・ホーキンズ──年齢不詳の大魔法師は、紅茶の淹れ方が最高に上手いという理由から、シーラを自分の補佐(というのは肩書だけで、実際のところは雑務係)に抜擢した。


 魔法学校に一位で特待生としての入学が決定こそすれど、父親がその入学資金を含む全財産を持って若い女と逃げてしまったせいで、シーラは魔法学校入学を早々に諦めた。

 いや、諦めざるを得なかった、というのが正しい。

 入学金と授業料は免除されても、教科書や制服の代金、その他雑費と、生活費の捻出が不可能になってしまったのだ。

 シーラ一人だったのならば、何とかなっていたのかも知れないが、如何せん。シーラには、体の弱い母と生まれたばかりの妹がいた。

 母はどうにかすると言ってくれたが、そう言った母の目には妙な胸騒ぎを感じる色が宿っており、それを見て見ぬふりなど、シーラにはできっこなかった。


 それから、シーラは必死で働いた。

 昼は代筆屋と食堂で、夜は苦手な刺繍の内職で生計を立て、独学で魔法を勉強した。

 いつか、王国立魔法研究所で働くことを夢見て。


 しかし、そんなのことは所詮は叶わぬ夢なのだと、ある日気付かされる。


『首席で受かっても卒業できなければ何の価値もないわよねえ。ああ、そうだわ! 皆、聞いて! 良いことを思いついたの! あの子が来たら、笑ってやりましょうよ!』


 同級生になるはずだったアナリサ・クレイマーが意地悪そうに口の端を上げ嗤う様子が、容易に想像できた。

 そして、そんな彼女の台詞に、きゃはは、あはは、と愉しげに嗤う男女の声、声、声、声、声。

 その声を聞いて、シーラは彼女が貸し切った店の扉を開けるのをやめ、踵を返した。


『あなたと是非お友達になりたいって言う子達がたくさんいるのよ。ねえ、私のクラスメイト達と会ってみない? ええ? 応用魔法ができないから恥ずかしいの? ふふ、大丈夫よ、魔法なら私達が教えてあげるわ!』


 あの台詞は、シーラを貶める為にアナリサが吐いた嘘だった。


 この時、信じた自分が莫迦だったのだと気が付き、己の愚かさに呆れ……傷付いた。

 それからは魔法の勉強を止め、研究室入りなんて夢のまた夢だと諦め、黙々と労働に精を出した。


 そして、極たまに母と妹に砂糖菓子を買うという小さくささやかな贅沢に喜びを見いだせるようになった頃、シーラは行き倒れているホーキンズを拾ったのである。


『わ〜お。君、紅茶淹れるの超上手いねー! しかもこれ疲労回復の魔法かかってない? 古い術式なのは、意図的? ていうか、そんな激安な渋茶葉でこんなにも美味しい紅茶淹れられるってすごくない? 僕は紅茶を淹れるのが下手くそで……あっ! ねえ、ねえ、君、僕の補佐をやらない? 毎日、二〜三時間で良いんだ。決まった時間に紅茶を淹れて、簡単な部屋の掃除とスケジュール管理。で、これくらいの時間給。ね、どうかなー? 悪い話ではないでしょう? ああ、これ、愛人契約とかじゃないから、安心してねー』


 当時、四十代くらいの小太りの禿頭に見える魔法を纏っていたホーキンズは、右手をぱっと広げてそう言った──この時の彼は衣服は汚れているが、持っているものは高価な品ばかりで、浮浪者には見えなかった。

 むしろお忍びで城下に降りた金持ちに見えた。


 ()()()()()


 手を広げているということは、指五本分の賃金。

 つまり、五十オークタールだろう。

 紅茶を淹れて、軽い掃除とスケジュール管理をするだけで一時間五十オークタールは確かに悪い話ではない。愛人契約ではないのならば尚の事、美味しい話である。

 だが、一日たったの二〜三時間労働というのは厳しい。

 もし、諾と答えたとして、男の屋敷に通う往復時間を考えたり、時間をこちらで指定できないと思うととても億劫だ。


 この時のシーラの稼ぐ額は、朝から晩まで働いて月に八千オークタールいくかいかないか、というところ──後に判明するのだが、成人前の子供だったシーラは足元を見られていた。

 慎ましく生活しているので、月末の数日間の食事が質素になる程度で、酷い困窮はしていなかったものの、数年後に予定している妹の入学資金の蓄えは全く無く、加えて母の主治医は高齢ということで故郷に帰る予定があり、新しい医者を見つけなければいけなかった。今の主治医は薬代を安くしてくれたり、治療代をまけてくれたりと色々と助かっていたのだが……別の医者がそうしてくれる可能性はかなり低い。

 なので、あり得ないと分かりつつもシーラは、もしも時給五百オークタールならば即決なのになあ、などと思ったりしていた。

 しかし、そんな巧い話がそうそう転がっている訳ない。


『ううん。五百オークタール、なんてあり得ない』


 期待する自分に呆れたシーラが無意識に呟いた言葉に、男はだらしない腹をたっぷたっぷと揺らしながら、間髪を容れずに『あはは、何言ってるの?』と笑った。


『分かってます、すみません。言ってみただけです』


 覇気のない笑いを返すシーラが、さてお仕事を断ろうと次の言葉を言う直前、小太り男はニコニコと機嫌良く宣った。


『五千オークタールに決まってるじゃん』

『……えっ!? ご、ご、ごせんっ!? ぜ、是非、やらせてくださいっ!』


 シーラは、彼が何者かも分からないままの状態で即決した。


 あれから、早三年。


 色んなことがあった、とシーラはしみじみ思う。

 一研に入れなかったアナリサに嫉妬され、酷い嫌がらせを受け、悪意と嘘と虚妄が混じった噂を流されたり、暗い倉庫に閉じ込められたり、あわや貞操の危機に遭ったり、なんてこともあったりした。

 が、今ではそれも綺麗に、いいや、綺麗過ぎるほどにホーキンズが解決してくれたおかげで、シーラは何とか室長補佐(という名の雑務係)の仕事を続けられている。

 ホーキンズがどのようにして彼女を退けたのかまでは知らないが、『聞くな』『調べるな』『知らないほうが良い』などと多方面から言われたので未だに怖くて聞けていないし、今後聞く予定もない。

 しかし、感謝はすれども、雇い主であるホーキンズの世話(あえて、このような表現をさせていただく)はとても大変である。……否! 大変なんてものではない。

 だって、最初に言っていた二〜三時間労働なんて大嘘で、基本十三〜十六時間労働。酷い時は二十四時間勤務なのだもの。


 時給五千オークタールでなかったらば早々に投げ出していたに違いない。

 この給金は極めて至極真っ当で、妥当である。と、シーラは断言したい。

 まあ、彼の我儘エピソードと、シーラの愚痴は今は割愛させていただこう。


 なんせ、今はそれどころではない。


 ──モーリス・ホーキンズが()()やらかしたのである。



 ◇



「じょ、冗談ですよね?」


 青褪めた顔のシーラに、目の前の男は眼鏡をくいっと指で押し上げて一言。


「君は私が冗談を言うと思っているのか?」


「いいえ」

 シーラは、首を振って即答する。


 この男が、冗談なんて言わないことは分かっている。

 でも、どうか夢であってほしかったのだ。……夢ならいずれ醒めるから。


「シーラ・シエル。君の雇い主兼上司であるモーリス・ホーキンズ室長が三百年ぶりに召喚術を成功させた。それも二人も。ああ、違うな。この場合は失敗と言うべきだな。そう思うだろう、シーラ・シエル?」

「え、ええ。まあ、そう、ですね?」


 なぜ、わざわざフルネームを呼ぶのか。

 圧を感じるのでやめてほしい。


 いや待て。それよりも、だ。


 シーラの雇い主よりも偉い、王国立魔法研究所所長のこの言葉で今ここで起こっていることが現実だということが証明されてしまった。


 つまり、非常に残念なことに、これは夢ではないということだ。

 その証拠に、頬をつねると痛い。すごく痛い。


「いてて」つねり過ぎた。


「という訳で、犠牲者を元の世界に帰すまで、君に協力してほしいんだ」


「『という訳で』? 『協力』?」

 シーラは頬を擦りながら首を傾げた。


 所長殿は、これを魔法の言葉とでも思っているのだろうか……?

 協力という言葉を使いながら『命令』をするのだから、おっかない。


「決まっているだろう。彼らの面倒を見る、ということだ」

「……『決まっている』ですか?」

「そうだ。先ほど(おこな)った緊急会議の結果、あの方の下に三年もいる君になら可能だろうという結論に至った。それに君は、一研室長の尻拭い係だろう?」

「そんな係はありません。何です? 皆さん、わたしのことを陰でそのように呼んでらっしゃるのですか? 所長は、愛称でない渾名は好まないと記憶していたのですが違ったのですか?」


 げふんげふん。態とらしい空咳をする所長に、「性格悪過ぎません?」と、思わず言ってしまったシーラは悪くない。

 絶対、絶対、悪くない!


 しかし、ギロリと睨まれれば反射的に頭を下げる悲しい(さが)よ。

 シーラには「承知いたしました」と言うことしか許されていないのだ。


 ──さて、ここで冒頭に戻る(※しつこいようだが、決意しただけなので実行には移さない。安心してほしい)。


 おのれ、ホーキンズ。雇い主だろうが、許さんぞ。ついでに所長、貴様も許さん。

 ……なーんてことは、口が裂けても言えないシーラは「ぐぬぬ」と呻くに留まる。


 渦中の人ことモーリス・ホーキンズは、『〈ドラン〉にジェラート食べてくるねー』と言って、二時間半前に出て行ったきり帰って来ていない──〈ドラン〉とは三国ほど離れた小国だ。


 聞いた時は、『ああ、またか』と思ったが、所長の話を聞いた後ではそんなことは思えない。


 過去に十数回、上司がそう言って出ていったことがあるが、その時のホーキンズは早くて丸二日間、長くて九十五日間、帰ってこなかった。


「ぐぬぅ……っ!」


 シーラは、頭を抱えて呻いた。

五十オークタール :おやつ豆(そら豆サイズ)十粒程度。

百五十オークタール:食パン二斤分。

千オークタール:状態が良くない時代遅れの魔導書一冊分。

五千オークタール:一般家庭の四日〜七日分の食費。

一万〜三万オークタール:最新の魔導書一冊分。

三万〜六万オークタール:一般家庭の一ヶ月分の生活費。

五万〜九万オークタール:一般男性の一ヶ月分の給料。

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