ダーリンと魔法使い
俺は死んだ。
満月は一昨日なので、体力は下降の一途だ。新月時には普通の人間並みになってしまう。通常ならば不死身の体力を維持できているギリギリの一日のはずだが、今の一言で、猛烈な脱力感に襲われた。意識の方が、完全に停止した。
「え~と…4番目をスーと発音するってことは、中国系か?名前もそれっぽいし…」違う。そこじゃぁない。
「近々家族に紹介したいんだけど、次の満月まで待つ?ダーリン!」
瞬時に鳥肌がたった。「ダーリンって何だよ…おまえは緑の髪の毛の宇宙人か!虎縞ビキニを着て出直してこい!」違う。やっぱりそこじゃぁない。
「あはは、何それ?水着がいいなら用意するけど…」
いやいや、そこじゃぁないんだよ。「だいたい俺はお前のことなど何にも知らんし、いきなり来て結婚しろとか、頭がどうかしてるんじゃないのか?」うんうん、ようやく常識的な会話になってきたぞ。
「まぁ、その辺は追々と云うことで、いいじゃないの」
「いい訳ないだろう…」ひょっとして、頭蓋骨の中身が可哀そうな人なのか?俺のことは調べたと言ってるが、ステーキ店での行動といい、たった一日でここを突き止めて来た調査力や”満月”のキーワードをぶつけて来たことといい、こいつは明らかに”知っている”だけじゃぁない。「いったい何を企んでるんだ?俺には狙われるような財産なんかありゃぁしないぞ」当然、そんなこと位、調べはついているだろうが、一応言ってみた。
「財産って…まぁ、ある意味財産かもだけど、私が欲しいのはね…」
突然、入り口のドアが開いて、男がひとり入って来た。身長165センチ位で痩せた50歳前後の小男だ。爪楊枝を咥えて、二ヘラ笑いの張り付いた顔を巡らし、店内を一見して言った。「おやまぁ、個性的な店だねこりゃ」どこかで聞いた台詞だ。
物腰はユルいが、こいつは只者じゃない。ドアが開くまで、気配を全く感じなかった。何よりも、今、店内には護衛対象のお嬢様と俺しか居ないのだ。こんな得体のしれない奴を、外のSPがすんなり通すはずがない。小男の足元越しに閉まるドアの下の方の隙間を見ると、SPの大男の手の先が見えた。倒したのか⁉気配どころか、物音ひとつしなかったぞ?俺は全身の毛を逆立てて、身構えた。
ドアが閉まると同時に小男と目が合った。殺気とは違う、凍り付くような気配がする。来るか⁉
「あんた誰?今、大事な話をしてるのよ。邪魔しないで」意識外から少女の声がする。一瞬、存在を忘れていた。ヤバい。カウンター越しでは、致命的にタイミングが遅れる。小男が、少女に意識を向ける。絶頂期では無い今の俺では、意識は加速しても体力的に間に合わせることができるかどうか…
と考えたところで、小男が素っ頓狂な声を出した。「ありゃぁ、こいつは驚いた。あんた、フー一族のお嬢さんじゃぁないの?」
どうやらお目当ては俺の方で、少女の存在は存外だったようだ。少なくとも、少女に対しては、攻撃の意思は無さそうだ。緊張のベクトルを小男の方に戻したところで、再びドアが勢いよく開いた。
体制を低くしたSPの姉さんが、一歩目を踏み出すよりも先に電磁警棒を突き出す。早い。が、小男は更に早かった。まるで体重を持たないかのように、ひらりと飛び上がって身をかわすと、同時に姉さんが這いつくばった。顔から床に突っ伏して、動かなくなる。何だ?何をしたのか見えなかったぞ?こいつは魔法使いか?
一直線に伸び切った姿勢でのびている姉さんには目もくれず、小男は言った。「物騒だねぇどうにも。酒ぐらい、ゆっくり呑ませて欲しいもんだねぇ」俺に向けた目は、何事も無かったようにニヤケたままだ。
同じ位、何事も無かったかのような輩が言う「取り込み中だって言ってるでしょ!呑むなら他に行きなさいよ!」っていやいや、お嬢さん、この状況下でどんだけ図太いんだよ!おまえも大概只モンじゃねぇよ!
すっかり気を削がれた俺は、次の行動に選択肢を見つけることができずにいた。