ヴィンテージものと主導権
一緒に入って来る気満々だったあの大男の鼻先へドアを叩きつけるように閉め、満面の笑みをたたえた少女が、近付きながら言う。「なかなか個性的なお店ね?」先日のカジュアルな大学生姿からは一転して、今夜は緑色がかった白を基調としたチャイナ服で、年齢も幾分上に見える。それでもお子様の域を出ていないのは、大きな黒目勝ちの目と丸みを帯びた童顔のせいだろう。
ホットドッグを咥えたままのオーナーが、じろりと流し目を送る。何だ?殺気が感じられるぞ。「未成年が来るとこじゃないわよ」だって。うわ、怖えぇ。
一寸水を差した方が良さそうだ。「よくここが分かったな。確かに追手は巻いたはずだが」
「ちょっと調べたら、すぐに分かったわよ。あなた結構有名人じゃないの」怖いオーナー様の御意見も全く意に介した様子も無く、カウンターに片肘をかけて続ける。「ねぇねぇ、調べても出てこなかったんだけど、このお店の名前、”D”って何?」
「いや、それは俺も聞いたことがない。聞いても教えてくれんし…」オーナーの顔色をうかがいながら、恐る恐る答える。
黙々とホットドッグを食ってはいるが、こめかみ付近に青筋が見えて来たオーナーに向かって、何故か陽気な小娘が「当ててあげましょうか?」と言うと、ぐるりと店内を見回しながら、「徹底的に質素で何も持たず…」入り口の方を見て、「甕のイメージと犬の意匠、あとは…南側に大きなホテル。”アレクサンドロス”」
確か大手チェーンのビジホだったか?「ホテル?関係あるのか?」
「日あたりを邪魔する大王様ね」再びオーナーに向かうと「”D"はディオゲネスのDでしょ?」
さっぱり解らん。が、オーナーが反応した。正面を向いたまま、ホットドックの残りをターキーで流し込みながらつまらなそうに言う。「だったら何?」当たりなのか⁉デイオ何とかって何なんだ?ていうか、俺じゃなくてオーナーに言うってことは、この店の主が誰なのかも調べがついてるってことか。
「子供の来るところじゃないわ。あたしが帰りなさいと言ったら帰りなさい」オーナーにも伝わったようだ。ここではあたしが法律よ、と。
「これ、お近づきのシルシ!」全然聞いちゃいない。ぶら下げていた紙包みをオーナーの前に置く。形状と音からして、酒だな。調べはついてるってか?
最早ブチ切れる寸前のオーナーが「こんなもん…で…」と言いかけて、中身をチラリと覗いた瞬間、手が止まった。目が見開いている。「こっ!…」いや、コッじゃねぇよ。ニワトリかよ。
だがそこは、クールが身上のビューチー。瞬時に平静を装いながら言う。「まぁいいわ。目当てはコイツでしょ。好きにしていいわよ。何ならお持ち帰りする?」だと。いくらなんでもそりゃぁ無いだろう。声が上擦ってるぞ。
「おいおい、酒一本で掌返しすぎだろう。一体どんな酒…」紙堤に手を伸ばすと、目にも止まらぬ速さで取り上げ、「駄目よ!これはあたしの‼」と取りつく島もない。呆れたもんだね、全く。
「見る位いいだろう?盗りゃしないよ」と言っても、金輪際放すものかと抱きかかえたまま、席を立って出て行ってしまう。ドアの前で立ち番をしていた大男にも、目もくれない。仕方なく少女に聞く「一体どんな酒だい?」
「お爺様のコレクションから適当に持って来たんだけど、あたしも詳しいことは知らないわ。確か、アイルランドかどこかの蒸留所が株主の為だけに仕込んだ非売品だとか…」あぁね。マニア垂涎の一本って訳か。しょうもな。
「では、幸いにもオーナーのお許しが出たところで、要件をお伺いしましょうか?」気を取り直し、改めて少女に向かって慇懃に言う。
「その前に、何か飲ませてよ。喉乾いちゃった」どこまでも図太い娘だ。
「生憎ソフトドリンクの類は置いてないんだ。未成年に吞ませる訳にもいかないしね」
「あたしの国ではお酒も呑めるわよ。18だって言ったでしょ。パスポート見せよっか?」いやいや、ここ日本では、まだ2年早いんだよ。ってか、おまえ外国人だったのかよ⁉
「どこの国だか知らんが、日本語巧いな。完全にネイティブじゃん」
「カタコトの日本語なんて、その方がウケがいいから演じて見せてるだけでしょ。水でいいわよ。」そうなのか?
既にすっかり呑まれてしまっている節も無くはないが、水位いいだろう。チェイサー用のグラスにミネラルウォーターを注いでやる。
半分ほど一息に飲んだ後、大きく息を吸うと、少女は言った。
「あたしの名前はベイベイ。フー・ベイベイ。姉妹の4番目だから、家族はスーって呼ぶわ。今日からはあなたにもそう呼んで欲しいの。結婚しましょ。ダーリン!」