決着。
うーん、投稿予約失敗が。。。
とりあえず第8話です、どうぞ。
「た、助けてくれっ!この少年に殺されるっ!!」
闖入者の登場で緩んだ猟人の足から脱出した郷田は、這ったままで黒ストッキングに覆われた佳織の美脚に縋りつくように近づく。
といっても、今の郷田にエロティックな欲望などあるはずがなく、自身に向けられた暴力から逃れることで頭がいっぱいだ。
だからこそ、自分たちが用意し、オートロックがかけられているはずのホテルの部屋に難なく登場した、という事実には全く思考が及ばなかった。
佳織は小さく一歩下がって足に縋ろうとした郷田から距離をとると、軽くウインクしてからニコリと笑みを深くする。
「おー、それは気づいてたんだ。うん、私が来なければ本当に殺されていたところだったよ、おじさんたち」
場の雰囲気にそぐわない、明るい調子で衝撃的な事実を告げる佳織。その言葉に込められた思わぬリアリティの高さは、郷田と鷺沼の体を再び強く震わせた。
「あれ?気づいてないのに大げさに言ってみたって感じ?それはほんと、覚悟が足りないねえ。ま、彼を相手に正面から『外法』仕掛けるような不感症じゃ、そんなもんかな」
佳織はわざとらしいほどの仕草でやれやれと肩をすくめると、胸元のポケットから名刺入れを取り出す。
「日ノ本大学付属多摩高校で保健医を務める、七色佳織です。一応、彼の顧問弁護士役も務めているんだけど。まあ、保護責任者みたいなものと思ってもらえれば」
座りこんだ姿勢で茫然とする郷田に手渡された名刺には「内閣特殊情報室担当室長・七色佳織」と書かれていた。
「な、内閣……?」
「そ。彼にはまあ、いろいろと事情がありまして。どういう事情か、なんてことはあなたごときが知る必要はないから安心してね!」
明るく言い放つ佳織とは裏腹に、郷田の背中には嫌な汗が流れていた。
最終的には権力で押しつぶすことは、郷田の得意パターン。だからこそ、相手にそれ以上の権力を見せられたときに対処できる引き出しがない。
ただし、それはあくまで郷田の理性的な判断であり、自分を納得させるための理由。
実際には、この明るさの中にとてつもない冷たさを内包したように感じられる若い女性の迫力に、単純に押し込まれていた。
緋登美もまた、自分が通う高校の保険医が彼の保護責任者としていきなり登場したことに驚きを隠せない。だが、つかみどころのない佳織の雰囲気と迫力に押され、黙って成り行きを見守ることしかできずにいた。
「それで猟人くん。さっきの質問の答えだけどね。この人たち、本気で『自分たちが持ち掛けた取引に君たちが黙って従う』と考えていたんだよ。まあ、キミがいたのは計算外で、基本的には多田野ちゃんだけを狙っていたんだろうけど」
佳織と猟人に突然目を向けられると、緋登美は我に返ったようにビクッと反応した。
佳織が入ってきて以降、いやそれ以前に猟人の圧倒的ターンがスタートして以降の展開にいまのところ、全く頭の処理が追いついていない緋登美は、もはや完全に傍観者よりのスタンスになってしまっていた。
「それはわかってますよ、実際にそんな感じで話が進んでいたし。ただ、それなら俺が介入した時点で戦略を変えるのが妥当では?」
猟人は「どこで話を聞いていたんだ」というまっとうなツッコミを入れることもなく、そのまま知りたいことを投げかけた。
「それができなかったことが、彼らの敗因かなー。なんで自分たちは悪いことしてもいいのに、相手が悪いことしないと思うんだろうねえ。それが三流悪党だ、って言っちゃえばそれまでだけど。そのくせ、完全に『悪の器量』違いを見せつけられたあとにも負けを認めてキミの質問に答えられないんだから。本当、つまらない小悪党ほどプライドだけは立派だよね。ああ、あともうひとつは『成功体験』かな。明らかに初犯じゃないし、いままでも同じようなことして握りつぶしてきたんだと思うよー」
辛辣な佳織の答えを聞いて、郷田は憮然としつつも顔を伏せる。もはや言い返すことができないほどの事実を改めて突き付けられ、さすがに恥じ入る気持ちがあったようだ。
一方、猟人は「心底つまらない答えだ」という顔で首を軽く振る。その表情には、明らかに「来るほどの価値はなかった」と書いてあった。
室内を再び、嫌な静寂が包む。
それを切り裂いたのは、誰あろう、緋登美だった。
「あのっ!」
状況的に「ひと段落」を感じ取れてはいたが、この雰囲気で声をあげるのはかなり勇気がいる。それでも、彼女には今こそ、言わなければならないことがあった。
彼がここに来てくれた、その「価値」についてだ。
「あ、あのさ、助けてくれてありがとう!いまも、それから今朝も!阿須田くんがいなかったら、わたし、どうなっていたか……」
緋登美は頭を下げながら、必死で感謝を伝える。
ショック状態から立ち直りつつあった彼女には、猟人が容赦なく振るった暴力への恐怖心もまた、生まれつつある。
それでも、彼の暴力がなければどうなっていたのか。まったく想像できないほど、彼女も初心ではない。
もしかしたら、女性として致命的な傷を負わされていたかもしれない。学校も退学させられていたかもしれない。
そんな状況を、彼の暴力が救ってくれた。
彼にとって無意味なことであったとしても、彼女にとってはとてつもなく大きな意味を持つ行動だったのだ。
猟人の「心底つまらなそうな」顔を見て、緋登美はそれを伝えなければならない、と本能的に思った。
そして、実際に伝えたことで、今度こそ心の底から安堵する。
自然、顔を上げた緋登美の頬をスッと涙が伝った。
「気にすんな。無駄を学ぶこともまた、俺に必要なことだ」
涙を流す緋登美の様を気にかける感じでもなく、猟人はさっぱりと礼に応じる。
そんな猟人の様子にハア、とわざとらしくため息を漏らしつつ、佳織がフォローを入れてきた。
「こらこら。泣いている女の子に『無駄』なんて刺激的な言葉、使わないの!ごめんね、多田野ちゃん。彼、少しだけ『ニンゲン』が足りないからさ」
人間が、足りない。先ほどまでの暴力的行動や展開に関係なく疑問を投げかける様子を含め、なんとなく「言いえて妙だな」と思った緋登美は、思わずプッと噴き出した。
泣いていたときと同様、噴き出した緋登美を見ても猟人の表情に変化はなかったが、佳織の方は緋登美が落ち着いたことに安堵したのか、改めて猟人に向き直って場を締めに入る。
「それじゃ猟人くん、後はお姉さんに任せてもらってもよいかな?ここでキミに殺人まで許しちゃうと、誤魔化すことが多すぎて面倒になるし」
「えっ!さ、殺人⁉」
緩んだ空気の中で再び飛びだしたゴツい表現に緋登美はギョッとするが、猟人は今朝方同様「もはや興味なし」という様子だ。
そんな猟人をみて佳織は何かを思いついたように手をポン、と叩くと、笑みを深めて猟人に問いかける。
「あ、一応、キミに聞いておこうか。このおじさんたち、どう処理すべきだと思う?」
佳織の猟人への質問を受けてピクッと反応したのは、郷田だった。
肉体的にも精神的にも打ち砕かれて茫然としていた郷田の眼に、少しだけ光が戻る。
これは、己の人生を生き残るための最後のチャンス。そう考えた郷田は、躊躇なく深々と、無表情で質問に答えようとする銀髪の高校生に向けて土下座した。
「た、頼む。このことは誰にも言わない!勘弁してください!俺には嫁も子供もいるんだ!なんとか水に流してくれれば、なんでも言うとおりにする」
恥も外聞もない、とはこのことだが、いい年齢の中年男性がプライドをかなぐり捨てて必死に許しを請おうと土下座する様子を見て、緋登美の心が少し傷んだ。
実際には先ほど、猟人の暴力に晒されたシーンでも郷田は土下座を繰り出しているが、単に暴力から逃れようとした先ほどと違い、正しく「人生をかけた」土下座には独特の迫力がある。
どう見ても自分の父親よりも上の世代なので「父と重なった」ということはないが、いい大人が高校生男子相手に本気で頭を下げる姿は痛ましい、と緋登美は思った。
つまり、少なくとも緋登美相手には土下座が十分な効果を発揮していたと言える。
「大事なものがあるのに、つまらんプライドにまかせて『死地』に戻ったのか。本当に覚悟のない、つまらねえ野郎だ」
対する猟人は興味なさげに言い捨てる。今にも唾でも吐き捨てそうな態度だ。
それでも「もういい。勘弁してやる」と続きそうなセリフである。その可能性を感じ取った郷田の表情には、わずかながら喜色が浮かんだ。
だが、事はそう簡単に郷田の思い通りには運ばない。この期に及んで、郷田はまだ、それを学ぶことができていなかった。
「佳織さん。ここで俺が消すのがダメなら、あんたが『普通に』処理すりゃいい」
郷田の「希望的観測」とは異なるセリフを告げると、猟人は黙って隣のベッドルームへと移動する。
そして、何やら隣室でごそごそと探しはじめたかと思うと、「目的のブツ」をあっさりと発見し、それを片手にリビングへと戻ってきた。
「ほら。小型のデジタルカメラだ。大方、その女を手籠めにするシーンを録画するつもりだったんだろ。でなきゃ、話し合いの場所をホテルの一室にする理由がないからな」
猟人が示した「証拠」を目にして、緋登美は郷田に同情する気持ちがすべて吹き飛んだ。
考えていた以上に自分がピンチだったことも思い知ったが、それ以上に「ああ、なんでわたし、土下座くらいであっさり許す気になっちゃってたんだろ」と自戒する気持ちが強い。
弁護士・鷺沼が繰り出してきた「事実のもっともらしい書き換え」で、役者の違いを思い知らされていたはずだった。この人間たちは、自分に痴漢をしておきながら反省するどころか、自分に罪を押し付けて逆にこちらを追い込もうとしてきたのだ。
そう、この人は反省なんてしない。ここで許されたところで、しめしめ、とばかり同じことを繰り返すだろう。
そう確信してしまった緋登美には、もはや郷田への「厳しい沙汰」を止めてあげようという気持ちが欠片もなくなっていた。
一方の郷田。もはや、完全な茫然自失状態だった。
猟人がカメラ片手に部屋へ戻った後、今度は佳織が鼻唄まじりにベッドルームへと向かう。そして、隠してあった大きなカバンを持って戻ってきたかと思えば、その中からいかがわしい玩具の数々を取り出してテーブルの上に並べていく。
致命傷となる証拠が次々と暴き出される、そんな絶望的な光景すら、現実感のない夢の中の出来事のように郷田には思えた。
「そだね。『普通に』こちらで処理することにするよ」
依然としてニコリとした笑顔を浮かべながら猟人の言葉に賛同する佳織からは、郷田に対する一切の温度が感じられない。
怒りも呆れも、何もない。強いていえば、「答え」を示した猟人に対して「よくできました」とでも言わんばかりの様子だ。
「じゃ、猟人くんたちはもう、帰っていいよ。多田野ちゃん、いろいろ、お疲れ様!」
鷺沼の鼻血がついたガラステーブルに並べられたいかがわしい玩具を恐る恐る覗き見していた緋登美は、声を掛けられて再起動する。
そして、佳織にペコリと頭を下げてから、黙って部屋を後にした猟人に続いた。
学生たちが去った後の現場。残されたのは、痛めつけられた中年男性と弁護士、そしてややエロティックな雰囲気をまとった黒いスカートスーツ姿の女性。
「おーい。もう終わったから、入ってきていいよー」
女性が手元のスマートフォンで何やら指示を出すと、スーツ姿の男性たちが黙って部屋に侵入してきて、中年男性と弁護士を拘束した。
まさしく「死地」。
あらがう術もなく拘束された郷田は、本当の意味で人生の終わりを悟る。
その目からは自然と涙があふれてきたが、その部屋に残る人間たちは誰も、その様子を気遣うことはなかった。