親切心は断りづらい。
第三話です。教室の続き。
「で、どういうことなん?」
「ど、どういうことっていうほどでもないんだけどね」
ロングホームルーム明けの休み時間、朋は緋登美の机に腰かけて問い詰めるような視線を向けた。
痴漢被害にあった後、逃走した容疑者(?)を捕らえてくれたのが、このほどクラスメートと判明した銀髪赤目少年・阿須田猟人であることは先ほど、担任教諭が「日ノ大多摩高生の心得」を説いている際、回し手紙で簡単に伝えてある。
「てか、あんな男子、いたっけ?一度見たら忘れることはなさそうな相手なんだけど」
朋が指摘するとおり、入学式でもその後のクラス顔合わせでも、あれほどインパクトを放つ男子生徒はいなかった、と緋登美も断言できる。
ちなみにその本人は、休み時間に入るとともにサッと教室から姿を消した。
黙っていても圧倒的な存在感を放っていた彼に話かけたそうな生徒は男女問わず多く存在した。中でも実行に移したのは、「小山内朋がいなければ」クラスで最も目立つ存在であっただろう、という派手目な女子生徒・石和瑠衣が率いる三人組グループだ。
石和らのグループは入学式後からしきりに爽田(と茶井)に話しかけていたが、今朝の一連の流れを含めて事実上、彼らは朋と緋登美を選んだように見える。
諦めかけたクラス内カーストトップを奪回するためには、銀髪赤目で圧倒的に目立つ男子生徒の確保が急務だったのだろう。
「あの、阿須田くんっ!今日、ランチとか放課後とか、時間あったりする?」
「ない」
ブラウスのボタンを大きく広げ、胸の谷間を強調するように屈んだ姿勢で誘いかけた女子生徒を一言で切り捨てた阿須田猟人は、そのまま淡々と席を立ち、教室を去った。
その鮮やかすぎる、見ようによっては悲惨すぎる光景についてコメントするクラスメートは誰一人いなかったが、当事者である石和らを含め、皆の心に猟人の存在がより深く刻まれた、と言える。
「多田野さん、あの銀髪の彼、阿須田くんと知り合いなのかい?」
「知り合いっていうか、今朝知り合ったというかね」
先ほど同様、席の近い爽田がスムーズに会話へと加わってくると、今度は緋登美も引くことなく簡単に応じる。
「マジ?まさか、食パン食べながら曲がり角でぶつかったとか!?」
「それ、そんなによくあることなの?」」
朋と同じようなことを茶井にも聞かれ、緋登美は訝し気に首を捻る。少なくとも、彼女の常識の中で「よくあるシチュエーション」ではなかったようだ。
一方、ボケが軽く滑った(というより伝わらなかった)ことを察知した茶井は、少しだけ表情を引き締めて話題の方向転換を図る。
「てか、あの人。あの阿須田猟人かな、本物の」
「は?有名人なん?」
引き締められた表情で飛び出した思わせぶりな台詞に反応したのは朋だ。
「銀髪だし、赤っぽい目だし、間違いないと思うけど……。もし本人なら、よく高校とか来られるなって感じ。かなりヤバい、ってかヤバすぎるヤツって噂だし」
「え、怖いひとなの?」
「ま、ヤバそうなのは見ればわかるけど」
茶井の説明を受けても、朋は緋登美ほど驚かない。実際、あの銀髪赤目という特長を抜きにしても只者ではない、と思わせる雰囲気をまとっていた。
「阿須田がヤバいかヤバくないかはともかく、緋登美が助けてもらったってんなら素直に感謝しておけばいいんじゃん?とりあえずはクラスメートになったわけだし、後でちゃんとお礼くらいはしておきなよ」
「うん、そうだね。そうする」
「助けてもらったって?彼が痴漢犯人を取り押さえたのかい?」
緋登美は改めて、爽田と茶井に朝の一件のあらましを簡単に説明する。
「……っていう感じ。だから助けてもらったのとはちょっと違うんだけどさ」
「うーん、それ、犯人のおっさんはそのあとどうしたん?」
「え?どうしたって、わたしもそのまま学校来ちゃったからわかんないけど」
あくまで阿須田猟人との関わりを説明したつもりだったが、朋が関心を示したのはむしろ事件そのものの展開のようだった。
「僕もそこが気になるな。下手すると、無罪放免になったんじゃないか」
爽田も朋と同じ部分が気にする。実際、その後の展開については緋登美も把握しておらず、駅員がどう判断したのかは知る由もない。
「警察につかまったのかどうかはわかんないけど、あんだけの騒ぎになったんだし、もう大丈夫じゃん?わたしも、もう一度捕まえてやろうとかは思ってないしさ」
「いや、逆でしょ。むしろ、緋登美が逆恨みされてないかとか心配してるんだけど」
朋に指摘されて、緋登美も別れ際に後ろから大声で怒鳴っていたことを思い出す。
「うん、まあ確かに『このままじゃ済まない』的なことを叫んでた気がするけど」
「いや絶対ヤバいじゃん、それ!」
「でもさ、あの人ぜったい犯人なんだよ?痴漢で捕まれば人生終わりだし、もし駅員にも見逃されてたならラッキー、で終わりじゃん。これ以上わたしに絡んで、やっぱ捕まえちゃえ、みたいになるほうがヤバいでしょ、ふつう」
緋登美の中では、中年男性への対応はすでに終わった話。騒動に発展した以上、今後、仮に電車で一緒になっても痴漢はされないだろうと考えているし、まして今朝の報復などということはみじんも頭にない。
「うーん、あたし、しばらくおじいちゃん家から通おうか。あんたひとりで電車に乗せるの、マジで心配」
朋がこの高校を選んだのは小学生時代に良い思い出を刻んだ地ということもあるが、単純に祖父母の家が近い、というのもある。
両親(主に母親)と祖父母の仲たがいもあって同居は解消されたが、朋にとって祖父母は自分をかわいがってくれた存在で、決して嫌いではない。
ただし、両者の仲たがいについては祖父母にも母親にも肩入れしておらず、「どっちもどっち」とドライに見極めている。
「えー、それ、トモちゃんに悪いよ。そりゃ、一緒に学校これたら楽しいけどさ」
「いや、楽しいとかじゃなくて。緋登美、マジ危機感なさすぎ」
思わぬタイミングで親愛を示されたためか、朋は呆れ半分、照れ半分といった様子でプイッと顔を横に向ける。
「いや、小山内さんが一緒でも同じだろう。……よかったら、僕らが多田野さんの最寄り駅まで迎えにいこうと思うけど、どうだい?」
「お、翔琉くん、ナイスアイディア!ボディガードは俺らに任せてほしいっしょ!」
「えー!?それこそ普通に悪いよ!しかも爽田くん、たしか横浜のほうでしょ?めっちゃ遠回りじゃん!?」
爽田が横浜出身、というクラス顔合わせ時の自己紹介情報は緋登美にしっかりインプットされている。
さわやかな都会風イケメン、という彼のルックスに横浜というのはイメージがぴったりあったためだろう。
ちなみに茶井の地元については全く覚えていないが、近所であればそれだけで印象に残るはずなので、少なくとも近い場所でないことだけは確かだ。
「家まで迎えにきて、と言われれば僕も困るけどね。多少遠回りではあるけど、駅を回るだけなら大して問題ないよ」
「そうそう。俺ら、部活の朝練とかで慣れてるし、早起きとか余裕っしょ!」
イケメンスマイルでスマートに微笑む爽田に緋登美も思わずたじろぐ。また、さほど男性慣れしていない緋登美にとっては茶井の押せ押せムードも侮れない。
このままでは、まださほど親しくない男子生徒ふたりに囲まれて通学する流れに持っていかれてしまいそうな流れを感じた緋登美は、慌てて朋に助けを求める視線を送る。
が、朋は依然、難しい表情を崩していなかった。
「緋登美、今回は爽田たちに甘えていいかも。正直、あたし、それくらい嫌な予感する」
「と、トモちゃん!?」
友人の思わぬ裏切り(?)に緋登美は頭を抱えたくなるが、彼女が心底自分を心配してくれていることも伝わってくるだけに、文句も言いづらい。
「よし。なら、一応細かいことを打ち合わせておこう。親御さんも心配するだろうし、小山内さんからご両親に事情を説明してもらえると助かる」
「わかったし。緋登美、放課後に家寄るわ」
「僕らも多田野さんの最寄り駅まではご一緒しよう。待ち合わせ場所なんかもすり合わせておきたいしね」
「了解!」
「……うん、よろしくね」
もはや、激流にあらがう術なし―。
緋登美はやや引きつった笑顔で、朋と男子生徒たちの提案を受け入れる覚悟を固めたのだった。