報告。
本章のエピローグ的な位置づけの話です。
それでは、どうぞ。
「ふう。この報告のお役目さえなければ、本当に楽しい任務なんだけど」
太平洋上に設置されたプラットフォーム施設に到着し、ヘリコプターから降りた七色佳織は、心底うんざりした表情で独り言ちる。
この施設が建設されたのは、およそ三年前。建設費も運用費も日本国の予算から捻出されている、文句なしの国家施設である。
予算の名目は「環境調査および新たなエネルギー資源確保の為」。大きな災害をきっかけに原子力発電への信頼が弱まり、環境保全の観点から火力発電にも厳しい視線が向けられるようになった現在、国にとって大きな課題とされてきたテーマだ。
この海上プラントで研究されている内容は、この国の将来を大きく変える可能性を秘めている。公にはされていないが、この施設で得られる「とあるエネルギー」を利用することで、首都圏一帯の電力を問題なく賄えることが確認されているのだ。
現状は試験運用の段階だが、それでも首都圏に必要な四分の一程度はここから得られる新エネルギーによって賄われている。それでも本運用に踏み切れないのは、単純にいえばサステナビリティに欠けるためだ。
このプラントから供給されるエネルギーは、とある契約に基づき、極めて個に頼った特殊な方法で生産されている。契約が破棄されたり、個に協力を放棄されたりすれば供給がストップしてしまう状況は、社会が求める持続性とは程遠い。
「七色さん。お勤め、ご苦労様です」
「出迎えご苦労さま。先方は、すでにお待ちかしら?」
迎えてくれた職員に軽く挨拶しつつ、佳織は施設の奥へ視線を向ける。正直、わざわざ確認するまでもない。相手が「すでに居る」ことは、ヘリポートに着陸する手前あたりで気が付いていた。
「それでは……よろしくお願いします」
佳織の質問には答えを返さずに軽い苦笑を浮かべたのみで、職員の男性はそそくさとその場を離れた。少しでも遠くへ離れたい、という気持ちは理解できなくもないが、これからサシで対峙しなくてはならない佳織からすれば少々不愉快な対応であり、この場を離れたくらいでは「圧力」から逃れることなどできはしない。
佳織はやれやれ、と肩をすくめつつ、まっすぐ施設の奥へと進んでいく。一歩前へと進むたびにUターンしてヘリに飛び乗りたい衝動に駆られるが、そうした本能的なリアクションも含め、彼女には「もう慣れた」ものだった。
長い階段を降り、さらに奥へと進んだ、その先。一見、何の変哲もない鉄製の扉が、とてつもなく禍々しい異世界への扉のように映る。
佳織はひとつ深呼吸をすると、ノックをすることもなく鉄製の扉をガチャリと開けた。
「お待ちしておりました、七色佳織さん。ご機嫌はいかがです?」
「お待たせして申し訳ありません。今月の報告にあがりました」
広い室内で佳織を待ち受けていたのは、黒いロングコートにシルクハットを被った、一見すると怪しいマジシャンのような男性。
いや、便宜上「男性」としたが、佳織には性別どころか存在自体が正確に認識できない。
シルクハットを被っていること、黒いロングコートを纏っていることも「たぶん」としか言いようがないほど、視覚情報が歪められている。
それでいて、相手が放つ強烈すぎる存在感は、保健室に初めて訪れた際の天音美琴の比ではない。あのとき、佳織が悲鳴を上げることも椅子から飛び上がることもなく対応できたのは、間違いなくここでの経験が活きた形だ。
「ふむ。では、詳しく報告を聞かせていただきましょう」
「はい。まず、阿須田猟人くんは予定どおり、日ノ本大学付属玉川高校へと進学しました」
この場で佳織に与えられている役割は、阿須田猟人の活動報告だ。生活のすべてをサポートする立場にある彼女本人が、依頼元である男性(?)にそのすべてを報告する。
阿須田猟人の生活に起こった出来事のすべてを、余すところなく正確に、だ。信頼関係を損なうような隠し事は厳禁で、情報の出し惜しみといった駆け引きも不要。ただ単純に、言われた通りすべてを報告するのが彼女の役割だ。
「なるほど。それで『あちら』から送り込まれた少女を同じグループにいれたのですか。とてもおもしろい」
「そうおっしゃっていただけて幸いです」
今回の定時報告における最重要項目は、痴漢事件でもアメフト部との抗争でもなく、天音美琴とともに部活動を開始したこと、である。咎めたてられる可能性がないわけではなかったが、予想どおり、接触を歓迎する意向を見せてくれた。
取引の最前線に立たされている佳織の感覚として、「彼ら」は決して、対等な取引相手などではない。その気になれば、一瞬でこちらを死滅させることのできる相手だ。命令に抗うことは許されないし、返事を保留して持ち帰る勇気さえも持てない。
実際、美琴を送り込んできたサイドは、一方的に受け入れを要求してきたのみ。こちらには返事を保留する間も与えられず、ただ受け入れることを求められた。
対して、「男」が窓口として存在し、国に必要な新エネルギー開発および供給に協力することをメリットとして提示してくれた「猟人を送り込んできたサイド」は、まだしも良心的だ。
人類にとってはどちらも畏怖すべき存在であることに変わりはないが、どちらかといえば「彼ら」に親近感を感じている佳織はある意味、「魔に魅入られている」と言えるのかもしれない。
「彼に強い関心を抱いた教員から『力で道を切り拓くのは間違っていない』との指南を受け、考えるところがあったようです。これからの生活において、指針のひとつとして参考にする可能性を感じました」
「ほう。素晴らしい成果です。彼の『学び』に更なる深みが加わると良いですね」
猟人を監督し、生活をサポートする立場にある佳織ではあるが、彼を「教育」する権限はない。新聞部を設立したり、記事の書き方をレクチャーしたりといった程度のリードはできても、根本的なところで彼に行動の指針を与える役目は仰せつかっていなかった。
その点、自然と猟人に興味を持ち、師事するような働きを見せた漆原教諭は貴重な存在だ。教師を辞めてもらっては困るので、情報操作には全力を注いだ。
彼女本人としては、完成した「新聞」を部分的とはいえ公開する気はなかった。が、目の前にいる御仁から「情報伝達の様子と部分的な情報封鎖の効果を見てみたい」と要望されてしまえば、前述したとおり、抗う術はない。
そう。こうして佳織が心臓に負担をかけながら直接対峙して報告するまでもなく、文書レベルでは逐次細かくレポートを提出しているし、気まぐれに要望が飛んでくることもある。
こうした報告会が定期的に行われているのは先方の要望もあるが、どちらかといえば佳織の上司、つまり国家上層部の要望によるところが大きい。
要するに「しっかりと担当者同士が顔をつないでおくことで、信頼性を担保しておきたい」という、昔ながらの役人らしい交渉事へのこだわりなのだ。
「協力してくれている少女が自ら意思を確認したところ、彼は『必要』と口にしました。ただし、あくまで部の運営に必要と判断したのみで、恋情のようなものが芽生えているとは言い難いと判断しています」
「最終的に彼がこちらで子を成してくれるところまで進めばプロジェクトも次の段階へと進めるのですが……瀬和愛良さんでしたか?彼女を含め、まだそこまでの感情を引き出すまでには至っていないようですね」
「はい、残念ながら」
「このまま『善意の協力者』相手に話が進まなければ、申し訳ありませんが七色佳織さん、あなた自らに相手をしていただくことになります。私としては、将来のためにもあくまで事情を知らない純粋な少女たちにお相手いただくのが理想だとは考えておりますが」
正直、すでに猟人の素性を聞いている多田野緋登美にしても、どちらかといえば佳織の存在に違和感を覚えている瀬和愛良にしても、すでに「事情を知らない」とするのは無理がある。それでも、まさか「できれば猟人くんの子供産んでほしい」とこちらが考えていることまでは知る由もないはずなので、あくまで「無知なる善意の協力者」の位置付けとなる。
「最初からその可能性も考慮した上で任務についておりますので、お気になさらず。現状としては彼にそうした関心を向けてもらうのは難しいと言わざるを得ませんが、いざとなれば私も本気で『それ』に取り組む所存です」
仮にも三年以上、ほぼ付きっ切りでお世話をしてきた少年だ。職務を超えたところで、愛情に近い感情を持っている面もある。ただし、現状はどちらかといえば息子、いや弟に近い存在で、さすがに「子を成す」任務は遠慮したい、というのが本音だ。
「最終的な目的は、この国のあり方を永続的にこちらへ採り入れることで将来の発展へと繋げていくことですからね。彼に作為的な出来事を押し付けることは好ましくありません。これについてはもう少し、気長にお待ちするとしましょう」
佳織からすれば一安心、という方針の継続だが、なにせ、相手が相手だ。「気長」に待てるのはどの程度の期間なのか、はっきりしないうちは油断がならない。
「……他国との交渉はどのような状況でしょうか」
この日の佳織、いや彼女の上層部を含めた関係者が最も知りたかった内容がこれだ。こちらから突っ込んだ質問を繰り出すことの危険性を考慮し、「必須課題」として命じられたわけではないが、「強めの努力目標」として掲げられてはいた。
「ほう……我々がこの国以外とどのような交渉を行っているかが知りたい、と」
佳織の背筋が思わず凍り付く。ニヤリと笑ったような、眼つきが一段鋭くなったような。あいまいな視覚情報の変化も感じたが、それ以上に、纏う気配の凶悪さが強まった。
「いえ。他国の状況を鑑みた上で、少しでも我々の取り組みの参考になれば、と」
あくまで協力体制のサンプルとするだけで、メリットは還元する。こんな言葉遊びのような交渉が通用する相手ではないとわかっていても、佳織はそう主張せざるを得ない。
「フフフ……。冗談ですよ、七色佳織さん。あなたの献身は高く評価しておりますから、ご心配なく。ただ、そのご質問への回答は難しい」
突きつけられた凶悪な気配が弱まり、佳織は内心でホッと息をつく。が、出された回答をそのまま持ち帰るのは厳しい。
この国と「彼ら」の契約自体はシンプルだ。一人の少年を留学生として受け入れ、その生活を最低限サポートすること。その代償として、「彼ら」は新エネルギーを供給する。
エネルギー源は、現在、会談が行われているこの部屋からさらに奥深く、海底エレベーターで進んだ先にある。いや、「居る」。
およそ地球上の生物からかけ離れた獣のような存在が、空腹のサインとして全身から放つ「何か」。それが周囲を囲む特殊な内壁に触れることで、原子力反応を大幅に上回るエネルギー結晶に変換される。
「男」はいわば、獣へのエサやり係だ。常時空腹の状態では「何か」が放たれることはないため、確実に腹を満たしてもらう必要がある。そのエサも特殊な物体であるらしく、少なくとも「男」以外に用意できる存在はいない。
この契約および取引、そして実際にエネルギーを得ている方法など、国家上層部においても詳細を知るのはごく一部だ。宗教観をぶち壊しかねない危険性から、政権内部はもちろん、国民に広く知らせる内容であるはずがない。
当然、それは諸外国に対しても同様だ。地球を周回する低軌道小型衛星から撮影したところで、ただの海上プラントとしか認識されまい。
一方、「彼ら」が他国とも同様の取引を行っているとなれば話が変わる。このエネルギー、あるいは「彼ら」自身を軍事的に利用された場合、自国を取り巻く勢力図が一瞬で変化してしまう。その可能性があるのであれば、自分たちもまた、軍事転用の可能性を模索しなくてはならなくなるのだ。
「いえ、心配は不要です。いまのところ、我々が取引しているのはあなたたちだけです。質問に答えられない、というのはつまり、答える内容がないということですよ」
「……そうですか。我が国に多大なる信頼を寄せていただき、感謝します」
佳織は慇懃に頭を下げる。どこまで信用していいのかは相変わらず掴めないが、少なくとも自国の対応に一定の信頼が置かれていることは伝わってきた。
「誠実に働いていただいているあなたに敬意を表し、もう少し、安心材料を与えておきましょう。そもそも我々は、軍事的支配による国家運営に将来的な行き詰まりを感じたからこそ、あなた方に協力を求めて『学び』の機会をいただいたわけです。その点、まともな軍事力を持たずに世界屈指の大国にまで成長したこの国は、我々のよい見本になる、と考えました。それはご存じでしょう?」
確認するような視線を向けられた「ような気がした」佳織は、黙ってコクリと頷く。
「もちろん、この国以外の候補もいくつか挙がっており、状況をみて随時、ご協力をお願いする計画はありました。しかし、残念ながら実行に移された例はありません。いえ、この先も難しいでしょうね。この国が極めて特殊で、かつ実直な民族であることがよく理解できましたよ」
各国への打診はあった、という可能性は否定できないが、同盟国を含め取り立てて騒ぎになっていない以上、情報を共有するのは難しい。
少なくとも「現在『留学生』を受け入れているのは日本だけ」という言葉を持ち帰りさえすれば、上層部もひとまずは納得するだろう。
「改めまして、多大なる信頼と貴重な情報をいただいたこと、深く感謝いたします」
「フフ。これからも、彼をよろしく」
それだけを言い残すと、一帯を包み込んでいた凶悪な気配はスッと消える。
佳織は肩の力を抜き、思わずへたり込みそうになる自身の足腰を叱咤しつつ、颯爽と来た道を引き返していった。