緊急会議とアメフト部顧問(後)
会議後編です。
それではどうぞ。
「い、いや、まあその……君としては狙ってやったことかもしれないが、そういう結果につながってしまったこと自体、事故みたいなものだというかだね」
「はあ。事故か事故でないかでいえば、後者でしょうね」
なんとか食い下がる教頭を、猟人は容赦なくはたき落とす。
実際のところ。猟人は教頭を含む学校側の意図をほぼ、正確に読み取っている。
グラウンドに向かう前、朋からそれに近いアドバイスを受け取っていたし、グラウンドでのやりとりにおいても相手の「建前」を看破していた。
学校側の狙いどおり「なかったことにする」という方針自体には、特に異論がない。もっといえば、それは彼にとって「どうでもいい」こと。
それでもなお、阿須田猟人が簡単に話を運ばせない理由。シンプルに、話を終わらせる前に聞いておきたいことがあったためだ。
「俺が知りたいのは一点です。こんな風に『なかったことに』したいと考えるくらいなら、なぜ、もっと強くあの男を『躾けて』おかなかったのか。そこだけがまるで理解できない」
取り返しのつかないトラブルが起きてから、慌てて処理しようと四苦八苦するくらいなら、最初から「蛇口をしめて」おけばよい。
あの口ぶりからして、座席をめぐるトラブルは初めてのことであるはずがない。学校側に不満を訴えた生徒も確実にいたはずだ。
それにも拘わらず、アメフト部の横暴は止まっていない。ことは茨木だけの話ではなく、この高校のアメフト部の伝統として「受け継がれてきた」ものではなないか、とすら思える。
そんなトラブルの種を放置していたから、ここで発芽した。正しく、道理である。
「そ、それはまあ、あくまで学生同士の話に学校が首を突っ込むのはよくないというだね、そういう教育的見地からの判断であって……」
青い顔をしながら回答する教頭の言い分は、いかにも苦しい。
状況を把握していたのはほぼ間違いない上、一般生徒から是正を求める声があった際にも取り合わなかった、という事実を暗に肯定しているも同然だった。
緋登美が「結局、学校のヒーローたちを甘やかしていただけじゃん!」と考えている、隣の席。
猟人は教頭の話を聞きながら、顎に手をあてて何かを熟考していた。
事件自体は単純な話だ。
ある種の伝統に則り、生徒たちに帰りのバスで座席を強要するアメフト部員と、それに逆らった新聞部員の対立。それが武力抗争に発展し、新聞部員が勝利した。
大きな問題点は二つ。ひとつは対立のきっかけとなった、座席の強要だ。
これが茨木のはじめたことではなく、本当に「部の伝統」として引き継がれてきたものであれば、状況を知りながら放置した学校側の責任は免れない。
もうひとつ、より大きな問題点と言えるのが、昼休みに猟人を呼び出し、複数人でリンチまがいのことをしようと企て、実際に丸腰の猟人に完全武装でタックルをかまそうとしたこと、である。
結果として「茨木の膝が逆方向に折られた」が、それはあくまで結果でしかない。
ごく常識的に展開が進めば、大けがをするのは猟人の方だった。その場合にアメフト部、そして学校が受けたであろうダメージは計り知れない。
それを正確に理解していたからこそ、主将の実崎は事情聴取のはじまりも待たずに頭を下げた。事実上、救われたのは自分たちである、と。
「教頭、少しよろしいですかな」
アメフト部顧問の漆原は、奥歯にものが挟まったような回答を続ける教頭を制するようにスッと右手を前にあげる。
「阿須田君、だったな。実におもしろい少年だ」
漆原はニヤリと笑みを深めると、本当におもしろい男を発見した、というようにうんうんと頷く。そして、意を決したように真顔に戻ると、しっかりと猟人を見据えて話しはじめた。
「そんな風に茨木を、いや部員たちを『躾けて』いなかったのは、俺の方針だ。それについては後ほど、すべての責任を俺が負うと約束しよう。まず、それが前提だ」
そう切り出した漆原に、緋登美はまたしても意外感を覚えた。てっきり「自分に正直なのはいいが、もっとうまく立ち回れ」的な説教が飛ぶものだ、とぼんやり考えていたためだ。
そんな緋登美の意外感を他所に、漆原は話を続ける。
「アメフトってのは球技ではあるが、大男たちが身体をぶつけ合う、激しい競技だ。そういう訓練を毎日積んでいる連中だ、そこらの小僧には腕っぷしで負けるわけがない、って考えるようになるのは当然だろう。これが武術の類なら、俺も『道』を説いたかもしれんがな。俺はむしろ『なんでも力で解決する』ことを推奨していたくらいだ。さすがにそうは指導していないが、なんせ俺自身が『力で』部員たちを押さえつけている」
漆原の口調に、自嘲するような雰囲気はない。自分の信念を語っている、という揺らぎのない表情だ。
「力で解決する、ってのはあながち間違いだとは思わん。この先、生きていれば多くの理不尽な壁にブチ当たることもあるだろう。それに唯々諾々と従うか、己の信念のままにあらがうのか。後者を選ぶ人生を歩もうと思うのなら、綺麗ごとじゃ済まない。腕力がそれを助けてくれることも多々、あるはずだ」
腕を組んだまま滔々と猟人に語り掛けていた漆原が、不意にニヤリと笑う。
厳つい顔のせいか、正直、緋登美には何かを企んでいるかのように見えてしまうが、それは気のせいだ。
「阿須田君。俺が君を『おもしろい』と評したのは、まさしくそこだ。君は腕力で状況を打開した。いや、いま現在もそうだ。意に染まぬ方向へ話が進めば、この場にいる全員を叩きのめしてでも思い通りの方向へ進んでやろう、という『意思』を感じる」
そう断言した漆原の言葉に、司会役の教頭をはじめとした佳織以外の教師陣、実崎と飯山、緋登美までもギョッとした表情を浮かべる。
そんな中でも無表情で見つめ返してくる猟人に、漆原は再び真顔を作って呼びかけた。
「阿須田君、君はそれでいい。そのまま突き進んでみなさい。いつかは壁に当たる、なんてつまらんことを言いだす大人がいるかもしれんが、そんな壁を打ち壊す気合で進みたまえ。君には、それができるだけの可能性を感じる」
そこまで言い終えると、漆原はフウ、と大きくひとつ、息を吐いた。
実のところ、漆原の発言は「猟人の本旨」を正確に撃ち抜いていた。そう、「疑問」ではなく、言ってみれば「進路相談」だ。
茨木らアメフト部員を積極的に放置し、結果として重大事件につながってしまった今回の案件。裏を返せば「自分自身にもなんら規制がかけられていない」という事実に直面する。
前回の痴漢の一件、そして今回。
いずれも降りかかった火の粉を払っただけ(積極的に火の粉をかぶりにいった面もあるが)とはいえ、彼は自身が思うように振る舞い、ほぼ思い通りに解決した。
それに対し、七色佳織は「過労死させないで」とか「お昼くらいはゆっくり食べさせて」と一応は文句らしきものを言いながら、事態の収拾に奔走している。高校入学後の二件だけではなく、この三年あまり、ずっとそうだ。
トラブルに発展しがちなことがわかっていながら、取り立てて行動制限らしきものをつけられていない自分は、今回「被害者」となった茨木という男となんら変わらない。
それは、本当に意味のある「学習」なのか。
疑問として「茨木の放置」を口にしながら、猟人は自分自身の「進むべき道」について、ある種の迷いを口にしていたのだった。
「今回の件はな、ウチの茨木が悪い。『なんでも力で解決すること』と、『力で相手に理不尽を強いること』は違う。それをわかった上で俺も部員たちを放置してきたが、君のように『自分よりも強い相手』と対した場面で、あいつは立ち向かう方向を間違えた。卑怯にも『合法的に』君を葬ろうとしたからな。バスで君に殴りかかるなり、バスから降ろして決着をつけるなりしなかったことは、明確に俺の教育不足だ」
漆原はそう結論づけると、猟人から目線を外して顔を上に向け、目を閉じた。
持ち前の厳つい雰囲気を消し、何かを悟ったように瞑目する様子は、前提として自ら発した「責任論」の重さを噛みしめながら自身の教師生活を振り返っているように周囲には感じられた。
漆原の人間性を最もよく知る実崎は、彼がそういう結論に至るであろうことを最も恐れていた。あるいは、監督が責任をとって辞めてしまうかもしれない、と。
冒頭でいきなり頭を下げたのは、その展開を回避したいという狙いもあった。それでも回避しきれなかった展開に、悔しそうに唇を嚙みしめる。
「いや、まあ、その……漆原先生、そう結論を急がずともですね」
もはやぶっちゃけが過ぎてハチャメチャになってしまった事情聴取会をなんとか再び穏便な方向に戻すべく、教頭は額の汗をハンカチで拭いながら呼びかける。
そんな教頭をチラリと見てから、漆原は新任の保険医に視線を向けて、再びニヤリと笑う。
「本来なら、彼を手元においてじっくりと行く末を見届けたいところですな。どうやら、すでに唾をつけられているようなので、無理に横取りはしませんが」
急に話を向けられた佳織はいつもの笑顔を張り付けたまま、仰々しく首を横に振る。
「そうですねえ。漆原先生のような方がいらっしゃるなら、私がこちらの高校に赴任する必要もなかったような気がします。ですが、はいそうですねと丸投げしてしまうわけにはいかない、こちらの深すぎて説明できない事情もありまして」
佳織は漆原のけん制を見切り、多少事情を匂わせつつはっきりとお断りを宣言した。「口ではそう言いつつ、彼を獲る気満々ですねえ」とは、さすがに指摘しなかったが。
「あー、ええ、結局、今回の件はどういう……」
漆原と佳織のけん制合戦に戸惑いながら、教頭はとりあえず、この会議をさっさと締めに入りたい一心で割って入る。
こうも出席者が思い思いに発言してしまう会議の取りまとめなど、一介の学校教頭には荷が勝ちすぎていたと言わざるを得ない。
「悪いのは茨木、責任は俺。茨木の親が何やら言ってきたら、俺が謝罪しましょう。茨木は基本的に退部させず、マネージャーでもなんでもやらせて教育し直す方針です」
「は⁉それはつまり……」
茨木は退部、もしくは退学、騒動の責任をとって漆原も監督を降りた上で最悪辞職、というストーリーを描きつつあった教頭をはじめとする教師陣は、いきなり断定的に結論を出した漆原に目を白黒させる。
「阿須田君。君もそれで構わないか」
「はい。ご指導、ありがとうございました」
周囲の戸惑いに全く目を向けずに猟人に呼びかけると、猟人も礼をもって漆原に応じた。
先ほど、同じことを教頭に呼びかけられたときとは対応が真逆だが、そのことについてツッコミを入れられる余裕はもはや、教頭には残されていなかった。
「話し合いは以上だな。では、我々は失礼する」
漆原がそう宣言して席を立つと、呆気に取られていた様子の実崎と飯山、一年生部員も慌ててそれに続く。
直前まで「監督が去る」ことを覚悟していた実崎の表情はいまだ戸惑いを含みながらも晴れやかだったが、飯山は納得がいかない様子で猟人を睨みつけてから部屋を出た。
「では、私たちもこれで。猟人くん、緋登美ちゃん。教室戻ろうか」
佳織が小さくウインクしながら呼びかけると、猟人は黙って応じて立ち上がる。
緋登美はハッと慌てた様子で二度頷いてから、ばたばたした様子で立ち上がった。
学校側が当初から思い描いていた軟着陸のストーリーをバッサリと切り捨てつつ、猟人の迷いを正確に読んだ上でそれを断ち切るように指導し、最終的には学校側が描いたストーリーと大きく変わらない形で丸く収めたアメフト部監督・漆原厳。
現代の学校教師としては信じがたい発言が多々見られたものの、緋登美は「なんか、凄い先生いるな」と素直に感心していた。




