幕間① 瀬和
幕間です。阿須田くんの私生活(?)周りのお話。
それではどうぞ。
その少年がいつからここに住んでいたのか。明確な答えを知る者は、少なくとも近隣住民には存在しない。
都内郊外のベッドタウン。都心部まで一時間程度というアクセスから、数十年前には「夢のマイホーム」を求めたファミリー層から多くの人気を集めた。
マイホームニーズが都心部の高層マンションなどへと変化した現在、郊外の戸建てを求めてこの地にやって来る家族は決して多くなく、逆に二代目以降が都心部へと移り住んだことで高齢化が目立ちはじめ、そのまま空き家となってしまっているケースも少なくない。
そんな戸建ての空き家に、いつの日からか銀髪赤目の少年・阿須田猟人は暮らしていた。
「ろう君、朝ご飯、もう食べた?」
「いや、ランニングから戻ってシャワー浴びたところだ」
「よかった。作ってきたから、一緒に食べよう」
「ああ」
基本的に近所づきあいはなく、ときおり、スーツ姿の妙齢の女性が訪れる以外、訪問客もほとんどいない。
「多摩高、どう?おともだちできた?」
「さあな。普通じゃないか」
そのスーツ姿の女性以外で頻繁にこの家を訪れる例外が、彼と同じ多摩第六中学校に通っていた元クラスメートの少女・瀬和愛良である。
「ろう君の普通は普通じゃないこと多いからなあ」
「それは知らん」
「あ、この卵焼き、どう?こないだのは味が薄いって言ってたから、お母さんと相談して限界まで濃くしてみたの」
「ああ、悪くない」
「よかった!私には味が濃すぎて、全然おいしいと思えなかったから」
「そんなもん、よく俺に出せたな」
「だって、ろう君は濃いほうがいいんでしょ?ならいいじゃん」
いつから住んでいたのかははっきりしないが、少なくとも彼が中学一年生の段階でこの地に住んでいたことは確かだ。三年間、彼と同じクラスで過ごした愛良が証明できる。
「ねえねえ。この後さ、買い物付き合ってよ。高校生になったら行ってみたかったカフェ、あるんだよね」
「……まあいいだろ」
「うわあ、行きたくなさそう」
「よくわかったな。面倒だから行きたくはない」
「でも、いいって言ったよね?なら行こう!」
猟人は中学に入学した際、銀髪赤目という目立つ容姿の彼に絡んだ中学三年生グループの五人を容赦なく叩きのめした。叩きのめされた中学生の兄が、所属する地域の愚連隊メンバーとともに三人でリベンジマッチを挑むも、軽々と退ける。
今度は愚連隊メンバー総出で、と計画していたところ、たまり場に乗り込んできた猟人にリーダー含む全員が病院送りにされ、事実上、そのグループは壊滅した。
「そういえばさ。保険の七色先生、ろう君の学校に転任したって、ほんと?」
「そのようだな」
「そんなことってあるの?だって多摩高、私立じゃん」
「細かいことは知らん」
「あの人、なんでもありだよね」
中学入学から数カ月で恐ろしい武勇伝を打ち立てた猟人に近づく同級生はおらず、基本的に彼はひとりで学生生活を送っていた。
元来、世話好きな愛良は突如として地元に現れるも独りで過ごしていた少年を気にかけてはいたが、ただでさえ迫力のある彼にリアルな武勇伝が加わったことで、事務的な連絡以外で声をかけることが難しい状況だった。
「あーあ。ズルいな、七色先生。私も多摩高、行きたかった」
「そうなのか」
「うん。やっぱ、女子高はつまんないよ。女の子しかいないもん」
「そりゃそうだろ」
「ま、女子しかいない分、気楽な面もあるけどねー」
現在のように親しく(?)接するようになったのは、中学一年生の夏休みから。
猟人が叩き潰した愚連隊の残党が愛良とその友人に絡み、危うく連れ去られそうになっていた場面に遭遇した猟人が、これまた容赦なく残党を叩き潰した事件以降の話だ。
「ろう君のほうはどう?かわいい女の子とか……いた?」
「人外なのがいるな」
「じんがい?あ、人並み外れてめっちゃかわいいってこと?」
「狭い意味でとればそうだ」
事件後、愛良は猟人と積極的に関わるようになった。
あまりに積極的に関わりすぎて、彼を敵視する地元の不良グループ残党などから「弱点」として付け狙われたり、彼の隠れファンを気取っていた上級生女子生徒たちから軽く睨まれたりもしたが、その後も彼が順調に武勇伝を重ねたことで彼を狙う連中はいなくなり、いつのころからか嫉妬に燃える女子生徒から睨まれることもなくなった。
実際のところ、女子生徒たちの嫉妬攻撃がやんだ背景には、膨れ上がった彼の武勇伝に恐れをなしただけではなく、当時から「保険医」として周囲を見守っていた七色佳織がうまく手を回したためでもあったが、そのあたりの事情は愛良も知らない。
「狭い意味?ふ、ふーん。で、でもさ、別に仲良しになったわけじゃないんでしょ?」
「仲良くしたくはないが、一緒に部活をやることになった」
「はあ⁉な、なにそれ、なんで入学から一週間くらいでそんなこと決まってんの!」
「佳織さんが部活を立ち上げてな。俺もそいつも所属することになったようだ」
「なんでそんな他人事っぽい言い方なの!てか、その子と二人っきりで部活やるってこと⁉ありえなくない‼」
「いや、もうひとり入ったから三人だ」
「そ、そう。三人ならまあ……って、まさか、もうひとりも女の子とか言わないよね?」
「よくわかったな」
「……七色先生、ほんと、信じらんない」
どのような天の配剤か、愛良は二年・三年と猟人とは同じクラスとなり、休日を含む大半の時間を彼と過ごした。
その結果、愛良の「彼を気にかける」度合いは加速度的に上昇したが、現在のところ告白などの類はおこなっておらず、周囲の認識はともかく、愛良本人は「恋人関係になった」とは一切考えていない。
「ねえ。まさか、もうひとりの子もかわいいとか言わないよね?」
「どうだろうな。おまえと同じくらいじゃないか」
「え⁉そ、それって……ろう君、私のことかわいいとか思ってるとか、そういう話だったりする?」
「ただ、おまえと違って出るところが出ているな」
「は?どういう意味?わたしが出るところが出てないってディスってんの?」
恋人関係ではないが、長く気にかけてきた「男性」ではある。違う高校に通いはじめた現在でも、週末の朝から食事を持参して彼の自宅を訪れる程度には、親しみ以上の何かをおぼえているのも事実だ。
「違いをわかりやすく伝えただけだ」
「冷静にそういうこといわれると、逆に凹むなあ」
「ふむ。今日の飯はうまかったぞ」
「あ、ほんと?よかった。ろう君、ご馳走様は?」
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。じゃ、少し休んでから出かけよー!」
「ああ」
愛良は彼と同じ学校へ進みたいと考えていたが、中学三年間で積みあがった彼の武勇伝およびそれに連なる噂の数々を気にした父親が許さず、母親経由で女子高以外への進学を認めない方針が本人へと伝えられた。
ちなみに母親の方は朝食づくりを手伝った様子からもわかるとおり彼に好意的で、事実上、娘の交際相手に近い存在だと認識している。
猟人が自分のことをどう見ているのか。愛良は気にならないわけではないが、こうして中学卒業後も変わらずに自宅へと迎い入れてくれている以上、憎からず思ってくれていることは確かだ。
だから、とりあえずはこのまま、自然体で過ごしたい。
猟人の学生生活に訪れたらしい確かな変化には少々気を揉みつつ、中身のなくなった弁当箱を渡されて嬉しそうな笑みを浮かべると、愛良は短めのポニーテールを結んだリボンを小さく揺らしながら、自分のお弁当をやや急ぎ気味で掻き込んだ。