私は小説が嫌いだった
タイトルを見て「じゃあなんで『なろう』にいるんだよ!?」というツッコミは勘弁してください。
あくまでも過去形です。「嫌いだ」ではなく、「嫌いだった」なんです。
今では、ちょっと油断すると活字中毒になって時間を忘れるくらいには小説が好きです。
あ、もちろん、読む物語にもよりますよ。人間だもの。面白い面白くないはもちろん、好みもありますしね。
本エッセイでは、どうして小説嫌いな私が、今では自分で書くまでになったかを記載していきます。
ちなみにこのエッセイ、できれば教育関係にいる人や、文字だけの本が嫌いなお子さんがいる方に読んでいただけたら嬉しいです。
さて。
タイトルの通り、私は小説が嫌いでした。文字だけの本を見た時点で即閉じてました。多少挿絵があったとしても、基本文字だけの物語という時点で即パタン、です。その本は、角で人を叩くためだけに使ってました。
あ、皆さん、暴力はいけませんよ、暴力は。本は読むものです。人を叩く物じゃありません。
では、どうしてそこまで嫌っていたか。どうして読みもせずに嫌がっていたか。どうしてそんな食わず嫌いを?
答えは簡単です。持つ感想も、抱く気持ちも、思い起こす発想も、全てひとつの「答え」を求められていたから。
当たり前ですが、本自体は私にそんなことを求めません。後書き欄に「この本はこういうことを書いているから、こういう感想を持って、こういうことをこの物語から考えろ」なんてことが書いてあるわけでもないです。
では、どうしてそんな印象を小説に対して抱いていたか。
賢明な方は、先ほどの「どんな人にこのエッセイを読んで欲しいか」の部分で察してしまったかと思います。
国語の授業で、そう強要されるから。
当然ですが、学校であり勉強である国語には、テストが存在します。
テストには明確な答えがあり、その通りに回答しなければ「×」を付けられます。
自分が抱いた気持ちや感想、馳せた思いに「×」を付けられて、面白いと思うでしょうか?
少なくとも私は思いません。物語を読んでどんな感想を抱こうが、自由じゃねーか。どうして強要するんだよ? どうして会ったこともない作者の気持ちが、ただの国語教師に分かるんだよ?
だいたい、物語で作者が本当に伝えたいことがあって、それが読者に伝わらないなら、それはただ単に作者の力不足じゃねーか!
そんなことに苛ついたりもしました。
はい、自分で書いておいて、ちょっとグサッときました。作者の力不足。胸に痛い言葉ですね。私は今、盛大に自爆しちゃいましたよ。自分の力不足なんて、嫌というほど実感してますから。
話が逸れましたね。
そんな私がこんなにも──自分で書きたいと思うほど小説が好きになったのは、当時付き合っていた彼女の影響でした。
彼女は本好きで、よく私に小説を薦めてきました。
もちろん私は断ります。
ですがとうとう根負けして、彼女の特に一押しの本を読んだわけです。
版権とかの問題もあるでしょうからタイトルや作者名は明かせませんが、私にとっては人生を変えた本と言えるでしょう。活字嫌いの私を活字好きにし、自分で書くまでになったんですから。
正直に申し上げますと、読んだ感想は「面白かった。とても」
でも、その感想を彼女と話し合うには抵抗がありました。国語のテストのトラウマですよね。自分が抱いた感想に「×」をつけられるかも知れない。
ですが、付き合っている以上は彼女と会うわけで。デートするわけで。
一緒に行った某ファーストフードで、聞かれたわけです。
「どうだった?」
もうね、正直に言うしかないですよね。面白かったこと。どんな感想を抱いたかということ。
僕の回答に対する彼女の採点は「×」ではありませんでした。
でも「○」でもありませんでした。
彼女も僕とは違う感想を持っていて、どんなことを感じたか、主人公にどんな印象を抱いたか。ヒロインがどんな人間かを語り合いました。
自分の意見や感想は「×」ではないですが、「○」でもないんです。
それでよかったんです。楽しんで、自由な感想を持つ。本を読むということは、それでいいんです。
自分が面白かったと思った本に関して感想を言い合うのは、楽しかったですね。たとえ、その意見が彼女と完全一致じゃなかったとしても。
本を読むのは、自由なんです。どんな感想を持とうと、どんな印象を受けようと。
もし、このエッセイを教育関係に従事する方や活字嫌いのお子さんがいる方が読んでいるなら。
どうか子供達に、本の面白さを教えてあげてください。その子の感想を聞いて、「君はそういう感想を持ったんだね」と、その意見を尊重してあげてください。
そこから、活字に強い興味を抱いてくれるかも知れません。もしかしたら、小説を書き始めるかも知れません。
あなたの目の前にいる子は、もしかしたら、将来、直○賞を取る小説を書く作家になるかも知れないですよ。
まあ、私、直○賞受賞作は読んだことないんですけどね(おい)。
同時に、ひとつ思うことがあります。
自作に対して期待外れの感想を書かれたとき、その感想を書いた人をブロックする作者さんがいると聞いたことがあります。
もちろん、その感想が作品を貶める目的のものであるなら、ブロックも当然です。悪意は悪意で返されて当然です。
でも、そんな暇人ばかりが世の中に跋扈しているわけじゃありません。
純粋に読んで、素直に感じたことを感想に書いてくれる読者さんがほとんどだと思います。
私も、想定していた感想とは違う感想をいただいたことがあります。
「この人は、私の話をこんなふうに捉えたんだな。面白いな」
と思いました。自分の書いた作品について、自分の知らない一面を教えて貰った気がしました。
楽しくないですか? 自分の知らない自分を教えてもらったみたいで。それがまた、次のお話を書くときに活かせそうで。
自分の貴重な時間を割いて書いている小説。それを、自分の貴重な時間を使って読み、自分の貴重な時間を割いて感想を書いてくれる人がいる。
自分の貴重な時間を割いて嫌がらせの感想を書く○○野郎(過激過ぎるので伏せ字)なんて、ほんの少数です。
ほとんどの読者は、楽しんだからこそ感想を書いてくれるのだと思います。
書く側も読む側も、もっと小説を楽しめたら。そんなことを思います。
だって、ここにいるってことは、小説が好きなんですから。
──え? その、小説の楽しさを教えてくれた彼女とはどうなったかって?
彼女は今、私の妻として隣にいますよ。
……と言えばドラマチックなんでしょうけど。
とっくの昔に別れましたよハッハッハッ。
男と女なんてそんなもんですよハッハッハッ。
泣いてなんかいないですよハッハッハッ。
お後がよろしい──わけないやろがいっ!