01 良くある異世界転生
異世界通販能力を貰っての転生モノです。
主人公はほとんど活躍しません。主に活躍する人たちを育てる感じで話が進みます。
森だ。木と木の間が狭く、灌木も茂っていてとても真っ直ぐ歩く事は困難。つまり密林だ。その森が見渡す限りの広さで、遠く霞んでさえいる。
一体どれだけの広さなのか。
その森の中央付近にぽっかりと広場が出来ている。直径が二百メートルほどの円形の広場で、その場所だけは地面が綺麗に均され、鮮やかな黄緑色の芝が覆っていた。
さらにその中央に一件の家が建てられている。
民家と言うには広すぎで、屋敷と表現するのが良い大きさだ。
屋敷は木造で二階建て。日本の武家屋敷を思い起こさせる形をしている。
周囲は塀で囲まれ、その塀の上端も瓦が敷かれている。
住居部分と倉があり、その間は中庭になっており、ちょっとした池とそれをまたぐ石造りの小さな橋も架かっている。
見渡す限りの密林の中央にあるべき物では無い。
まるで、そこだけが切り取られたかのように別の様相を見せていた。
そんな屋敷の中に、一つの影が動く。
年の頃なら十歳前後という感じの少年だ。幼さを見せる風貌とは違って、しっかりとした目を持っている。
着ているのは作務衣。形は殆ど柔道着と変わらない作りだが、布地が綿では無く麻を使って柔道着よりも薄く、軽く作られている作業着だ。
袖口と裾口には紐が通してあり、手足を覆う事が無い様に作られている。
その袖をさらに捲り上げて、少年は荷物を運んでいた。
持っているのは少年にとっては馴染みの深い、通販サイト大手の箱だ。
「食料品は台所で注文すれば良かったよなぁ」
そう独りごちる。
箱の中身は、インスタント麺やアルミ缶に入ったジュース、スナック菓子に保温ポットやコーヒーサーバーなどである。
単にコーヒーを取り寄せるつもりだったが、ついつい、アレもコレもと買い込んでしまった。
本人も言うように本格的に食料品を注文したわけでは無いので、また注文しなければならないのは変わらない。
廊下を裸足で歩いてきたが、台所は床が張っていない土間だ。広さは十二畳ほどはあり、端は外に出る戸が開いている。そこでサンダルを履いて土間の四分の一を占めるテーブルに荷物を置いて中身を並べていく。
本来、この土間にガスや電気のコンロは無い。あるのは薪を燃やして煮炊きする竈だけだ。灯りも戸や窓の格子から入る外の光だけというのが基本だ。水も外の井戸から汲み上げ、土間に置いてある水瓶に溜めて使う方法しか考えられていない。
なので、少年はガソリン発電機とガソリンを通販で購入し、大容量バッテリーに通してからLED照明につないである。ついでにソーラーパネルも購入して外の地面に固定してある。
少年としてはしっかりとした台に傾斜を付けて浮かせた状態で固定したいので材料は購入してあるが、作業が面倒でまだ実現していない。
電力は主に照明と井戸からの水のくみ上げに使っている。
大型冷蔵庫を買ってジュースを冷やす事に使いたかったが、発電施設の設置が大がかりになりすぎるので保留し、井戸の水を流し続けてペットボトル等を浸けているだけにしている。
竈の上には板が敷かれ、その上にカセットコンロが置いてある。いろいろ台無しであるが、少年にとっては雰囲気よりも実利が大事だと、アルミ合金のケトルにペットボトルから水を注いで火に掛けている。
テーブルの上にはコーヒーサーバーとドリッパー、紙フィルター、そして缶に入ったキリマンジャロコーヒーがしっかりと置かれている。
「あ、しまった。カップが無い。しょうが無い。ここで注文するか」
そして少年は作務衣に付いているポケットからスマホを取り出すと空中に突き出して画面を押した。すると少年の前に四角い光の板が現れた。
【いらっしゃいませ 通販サイト ネコリンへようこそ】
光る板に文字が現れる。それが少年が使っている異世界通販のスキル画面だった。
少年は異世界人だった。
元は三十二歳の平凡なサラリーマン、いや無職の男だった。突然会社が親会社の整理に巻き込まれ、働く場所が無くなってしまったのだ。そして書類を持って社畜斡旋組織『ガンバロードー』に行く途中。乗っていたバスが大型トラックに正面から追突された。バスの前半分がひしゃげるレベルの大事故で、近くに立っていた少年をとっさにかばってクッションになろうとした位置が、丁度トラックの突っ込んだ場所だった。
少年は骨折を含む重傷だったが命に別状は無く、かばった男は暫く身元の確認に時間が掛かるほどの状態になった。
それが武藤敬吾。享年三十三歳。職業の表記は無職だった。
痛みは無いが自分が潰れたと言う現実は認識していた。生きていれば相当な痛みでのたうち回る事になるかな、と考える余裕さえあった。きっと今はかなりの衝撃に体も心も驚いている状態なんだろうな、と冷静に思考している。
『あ~、コレが死かぁ。このまま俺の意識は消えていくんだろうな~…』
何も見えない。周りが暗いのか明るいのかさえ判らない。おそらく静か何だろうけど、本当に周りが静かなのかも判らなかった。ただ、身体というか、全てが冷たくなっていく感覚だけがある。
『そこで貴方にチャンスです! か?』
突然声が聞こえた。
『わたくしのお願いを聞いてくれましてくれやがったりしましたーら。ズル特典付きでハッピーライフ、イン異世界プレゼント!』
『日本語が不自由な人?』
思わずそう聞きたくなった。
『おーのー。わたくり、じぽんご得意アルよ』
『ああ、ワザとやってるのか』
どうやら声に出すという労力を使わなくても意思は通じるらしい。
『冷静なのはとても良いけど、ちょっと力入れてやった分、やるせない思いが重いでヤンス』
『はぁ。で、俺を死後の世界にお出迎え?』
『いやいや。言ったでしょ? 異世界で生まれ変わってチート貰ってウハウハのハーレムライフとか夢見ない?』
『そういう小説とか漫画とかあったような…』
『そう、それ。君に、生きるチャンスをあげよう。ただ、君の本体はもうちょっと挽かないと粗挽きハンバーグにはならない感じだけどね。だから新しい身体を作ってあげよう』
俺の身体で粗挽きハンバーグかぁ、不味そうだなぁ。
『俺にとってはお得だけど、アンタには何の得が?』
『うーん。上手く言葉で言い表せないんだけど、簡単に言えば君が住む事になる君にとっての異世界をメチャメチャにして欲しいんだ。それこそ国の体制が壊れるぐらいに』
『俺に戦えって? 自慢じゃ無いが喧嘩なんて幼稚園の時が最後で、運動も特にやってないぞ?』
『君にあげるチートは世界通販、異世界辞典、鑑定、言語理解の四つだよ。君の住んでいた世界の物品と知識を使って、便利に生きてもらえればそれでおーけーサー!』
『文化的に壊せって事か? でもそれだけでも戦争の火種にはなるだろう?』
便利な道具や知識はそれだけで独占欲に火を付ける事になる。
『それが狙いだけど、大丈夫! 君には実害が及ばないようにするよ。かなり手間暇力を注ぎ込まないと異世界の人物を召喚するなんて出来ないから、君にはしっかり長生きしてもらわないとね』
『そんな手間をかけるなら、コッチの物品を直接その異世界に送り込めば良いんじゃ無いのか?』
『それは前にやったんだ。うん。使い方と応用を思いついてくれなかったんだよねぇ…』
かなり黄昏れている雰囲気が伝わってくる。四つん這いになって頭を下げて、地面を叩いている姿が見える様だ。
『あ、ごめん。つまり、使い方と出来れば作り方とかも教えて良いんだな?』
『そうそう。だけど無理そうなら使い方だけで良いからね。石油精製製品なんかあの世界じゃ再現不可能だし』
『判った。ここで死ぬよりは良い状況になる感じだな。どうせ死ぬしか無いのならその話に乗ろう』
『ありがとー! 色々条件があるけど、それは向こうに着いてから実際に見て感じて体験して調べてね。あ、そうそう、ハーレムも作って良いからね。どんどん子供作っちゃって~』
その言葉を最後に武藤敬吾はこの森の中の屋敷で目覚めた。
しかも元々の武藤敬吾とは似ても似つかない身体と、何故か十歳前後という年齢で。
そして、そばにはスマホが置いてあり、チャットメッセージが残されていた。
『そのお屋敷は全部君の物だから便利に使ってねー。改造なんかも自由だYOー。君の身体は新しく作った理想的な遺伝子にしてあるから、いっぱい子供つくって遺伝子を広めてね。まぁあと二年ぐらいは精通も始まらないから、作るのはもう少し後だね。その間にこの世界にしっかり慣れておいてね~』
「おおよそ十歳か」
まぁ、十歳と言う事で良いかと覚悟を決め、さらにスマホを弄ると、今まで弄っていたスマホとは少しだけ違う事が判った。
まずバッテリーと電波状態の表記が無いし、入れたはずのアプリも無い。一応メッセージやチャット、位置情報や地図も出せる。カメラで撮影や録画も出来るみたいだが、カメラは付いてい無い。どこで画像を撮るのかと思っていたら、自分の目がカメラ代わりになって、見ている状況がそのまま撮影できる事が判明した。これは、スマホを手に持っていても、構えずに手を下げている状態でも相手を撮影できる。
初対面の人間と会った場合には記録としてかなり有効だろうと判断した。
そして異世界辞典と鑑定が同じ一つのアイコンで表示されている。
どちらもマイクに声に出して聞くと、自動識別して検索してくれる。当てにしていた物と違った場合は手入力で修正して再検索してくれる。物を鑑定する場合は、目で見てアイコンを押せば良いらしい。
これはネットに繋がっていない事が違うだけだけど、殆ど同じように使える。
いや。アプリは退避させておいてもマルチタスクで稼働したままだから、使い勝手はかなり良いかもと思い直す。
他にアプリが無いか調べたら、【ゴッドストアー準備中】と言うのがあった。まぁそういう事だろうとスルーする。
さらに【古物商ツブツブ屋】と言うアイコンがある。押してみると、デフォルメされた商人さんが頭を下げているアニメーションの下側に【買い取り】、【販売】の項目が出てくる。古物商で買い取りと言う事は、要らない道具とかを買い取ってくれるという事だろう。販売とは? おそらく中古品の販売だろうと予測。確認のために販売の方を見てみる。すると結構な数の商品があるようだ。一画面に五個表示されているが、総ページ数が三桁はあり、ページ切り替えを必要としている。
右上の点が三つ縦に並んだボタンを押して表示方法を変えてみる。高い順、安い順、店長お薦め、カテゴリー選択、検索の項目がある。カテゴリー選択が気になったので押してみると、武器、医薬品、アーティファクト、建築物、その他とあった。
建築物を選択すると、さらに神殿、城塞、民家、作業小屋とある。うん、今はいいや、後にしようとスルー。
そして一番の目的である【世界通販】のアイコンを押す。すると敬吾の頭の上に斜めに光る四角い板が現れた。下から覗き込むと、【いらっしゃいませ 通販サイト ネコリンへようこそ】と書いてあるのが判る。つまり出す角度が悪かったようだと一度電源ボタンを押して消し、スマホ自体を前に突き出すようにアイコンを押した。
今度は真正面にモニター画面の様に見える位置に出た。さらなる操作は、その空中に浮き出た画面にタッチして行うらしいと当たりを付けて触ると、画面が【ログイン】と言う文字に変わり、ケーゴと言う名前で登録されている事が判った。
さらに億単位の所持金額が示されるが、物価基準が判らないので保留して商品欄に移る。
商品はカテゴリーとして、食品類、衣料類、家具類、医療類、武具類、家電類、その他に分けられており、その分類の下にさらに分類が続くのは簡単に想像出来た。
そこで、先ずは何かを購入してみる事にしたが、今、自分がどういった状態なのかの確認が先だと考えた。
始めに自分自身を見下ろす。着ているのは雑な伸びない布地で作られたTシャツもどきと膝下までのズボンもどき。この衣服がこの世界の一般人の姿なのか? と想像したが、あり得ないと考え直して服を整える事にした。
さらに確認すると下着も履いていなかった。いや、この姿が下着姿なのだろうか? と言う考えも浮かぶが、自分自身が落ち着かないので通販でボクサーパンツをMサイズで買ってみる。
衣料類からインナーを選択すると色々なパンツとシャツが並んで表示されていく。この身体は子供だから直ぐに着られなくなるから、そう贅沢な物じゃ無くてもいいだろう。と言う事で青色の一枚五百と表記されたボクサーパンツを選択した。
そして同じ青色のMサイズのTシャツ一枚八百と表記のモノを一枚ずつだ。
決済を選択すると、目の前にネコリンのロゴが入った茶色い包み紙の分厚い封筒が現れた。内側に緩衝材が貼り付けられているタイプだ。
封はしっかりと茶色い紙の粘着テープで閉じてある。
「しまったな。テープを切るカッターとか買っておけば良かったか? いや、買って、それが封筒に入っていたら同じじゃね?」
などと一人コントを始めるケーゴ。
無理矢理破いて封筒を開けると、パンツとシャツが良くある透明なポリ袋に収まっていた。取り出して早速履いてみるとしっくりくる。こういう伸縮性があって肌触りが良くて、汗を吸ってくれる素材に慣れると、なかなか抜け出せないと改めて思う。
調子に乗って、シャツやズボンも選ぶが、最後に選んだ紺色の作務衣を着て落ち着いた。
外の様子を知らない事には、柄物のシャツは選ばない方が良いだろうという選択だ。さらに、Mサイズだと微妙に大きい感じがしたが、Sサイズだと小さすぎるかもという懸念もあり、大きくとも袖や裾の位置を合わせられる物になった。
そして、改めて落ち着いた所で周りを見回してみる。
和室だ。しかも板敷きの。床板は良い感じで黒光りしている。隣の部屋は同じ板敷きだけど、二畳ほど畳が敷かれている。
「寝室か?」
開いた緩衝材入り封筒はそのままにして、ケーゴは立ち上がって裸足で歩き始めた。
そして外に行こうとして、履き物が無い事に気がついた。自分の足を見て大凡でMサイズのサンダルを通販で購入。それを履いて外に出た。
屋敷は塀に囲まれており、門を出ると外は芝生の広場だった。その向こう側は木々がびっしりと立っていてはっきりとしない。異世界だと言われていなければ、どこかのゴルフ場かと思ったかも知れない。
少し歩いて広場の端、木々が生い茂る境界線までやって来た。無理をすれば分け入る事が出来そうだが、サンダル履きでは直ぐに遭難してしまう事は容易に想像出来る。
その時、木々の奥に、鶏を高さ二メートルぐらいに拡大させて、羽毛を無くし、顔と皮膚をワニにしたような恐竜もどきを見つけた。
丁度恐竜もどきと目が合う。
恐竜もどきはケーゴに気付いて襲いかかろうと飛びかかってくるが、木々と芝生の境界線で何かにぶつかるように止まり、それ以上はこちらに近づけない様だった。
「結界、とか言うヤツか、な?」
結界か、バリアーか、エーなんとかフィールドとか言うヤツか、とにかくここは安全地帯になる事は確認出来た。
ちびりそうになったのは秘密にしようと心に決める。あとでトイレでしっかり確認が必要だとも。
「けど、これじゃ、俺も外に出られないんじゃないのか?」
根本的な疑問を声に出してみた。
その答えがあるんじゃないか? と期待してスマホを取り出してみると、丁度メッセージが到着したと通知が入る。
『まずはその場所でお店を開いてねー。初めは来てくれるお客さんの対応から慣れてねー』
「こ、ここにお客が来るのか?」
恐竜もどきが闊歩する密林を抜けてくるお客。それを想像して逆に恐ろしくなる。
さっきスマホの地図を見た所、小さな丸の中に点があって、そこにピンが刺さっていた。そしてそれ以外の場所は全部緑だった。その全部緑というのがこの森なんだろう。スマホを出して、地図の画面をズームアウトするのはやめようと心に誓う。
「えーと、こういう時は、先ずは現実逃避だな。うん。とりあえず俺自身の生活を整えよう」
そして家の周りを確認し、生活レベルを見る。
家は武家屋敷を思わせる立派な物だったが、江戸時代後期ぐらいの電気の無い生活を基準に作られている。トイレは屋外にある掘っ立て小屋の中に穴を掘って、木の板を渡して足場にし、跨いで用足しをする形式だった。つまりボットン。
江戸時代と同じ形式だと、用足しの大きい方は汲み上げて飼料にするからこの形式になる。しかし十歳の身体だと落っこちる可能性が怖かった。
「ある程度溜まったら汲み取らなきゃならないのか?」
そう言葉に出してみるが、メッセージは来なかった。ならばと「このトイレの解説」と鑑定に聞く。
【地下七百メートルまで直通の穴。下はマグマ層に直結。結界により排泄物関連以外の通過は不可能】
異次元に投棄とか期待していたが、とんでもない結果が出てきた。試しにと穴に手を入れようとするが、何かに弾かれて穴の中を触る事も出来ない。
「畑も田んぼも無いから飼料にする必要はないって事でこうなったと言う感じだな。飼料が必要なら通販で買えばいいわけだし」
しかし、と考えて通販の画面を出すケーゴ。
先ずは家具のカテゴリーからバス・トイレ用品の項目を選択。さらに便器の項目を選ぶと、足下が絞られているタイプでは無く、全体が円柱形になっている便座を選択する。そして取り寄せる前に表記されている寸法を確認し、便座の排水口の大きさを調べた。
次にその他のカテゴリーからDIYを選び、板材と接着剤と化粧板を選択。
現在も跨げば用足しできる様にはなっているが、さらに板材を敷いて穴を狭める。そこに建築現場で使われるコーキング材兼用の接着剤を大雑把に塗って、その上に化粧板を貼り付けていく。
「これで釘で固定しなくて済む」
本格的には身体が大きくなって、力が付いてから考えれば良いと割り切る事にした。
便座を取り寄せると、何故かしっかりと穴に合わせた位置にはまり込んだ。便利だから言及は無しにする。
水のタンクが金属製の送水管に支えられた状態で空中に浮かんだままなので、レンガを買ってタンクの下に積み上げていく。
水と電気は後回しにして、ブリキのバケツを五つ購入。とりあえず井戸から水汲んで、タンクに補充すれば良い。井戸から水を汲み上げるシステムをどうするかは、もう少し落ち着いてからにしよう。
風呂とキッチンが気になったので見に行くと、風呂は五右衛門風呂。キッチンは土間に竈があるだけだった。
五右衛門風呂は、米を炊くためのお釜を大きくした様な金属製の鍋だ。そこに水を入れて下から火を焚いてお湯を沸かす。当然、鍋の底は直接火であぶられるので、入る場合は下駄を履くか、下に簀の子を敷いて直接金属部分が触れないようにしなければならない。
土間のキッチン。この場合は台所と言うべきか? と、風呂場には当然井戸が無い。なので、水は外の井戸から汲み上げて運ぶのが基本のようだ。
十歳の子供の体力でこれらを行う労力を考えたら目眩がしてきた。
直ぐにどうこう出来る話でも無いと一旦諦め、休憩に入る事にした。場所は一番初めに目が覚めた板の間の部屋。
隣の畳の在る場所の方が良いかと思い直し、移動したが、布団が無い事も発覚した。押し入れはあるが、中身は無い。座布団一つ無かった。
部屋を見回し、他に必要な物を考える。
布団、座布団、机、小物を入れる棚とか道具箱が必要か。ノートとペン類、そしてカッターも必要かと通販にチェックを入れて購入いく。
これからこの場所で生きていく事も考えなければと、これからを想像する。
そしてLEDランタン、乾電池、ペットボトル飲料、菓子、菓子パンを購入。
「これで、今晩一晩は保つだろう」
さらに寝間着にするスウェットと下着類を十枚ずつ色違いで購入。定規や巻き尺各種を買って自分の身体の寸法を測っておく。電池を使わない形式の体重計も買って、自分の成長記録も付けておく。
この世界。医療技術も保険も年金も無いだろうから、自分が動けなくなる前に子供を作って面倒見てもらうしか無い。ハーレムを作って子供をバンバン作りたい所だが、こんな場所で相手が見つかるかが不安だ。
そして夜を迎えた。
遠くの方で凶悪そうな獣の声が微かに聞こえるが、元々ケーゴが住んでいた場所よりも静かでぐっすりと眠れた。
翌朝は、井戸で水を汲み上げて顔を洗い、トイレに水を補給し、中庭でラジオ体操をする。
「身体が柔らかい!」
新しい身体に感激する。ついでにとばかりに、スウェットのまま家の塀の周りを軽くジョギングする。サンダル履きだったが、身体が軽いせいで負担は少なかった。例え脱げても芝生なので逆に気持ちが良いと感じた。
「まぁとりあえずジョギングシューズは買っておくか。ガッチリとした安全靴みたいな物も必要そうだけど、暫く屋敷に引き籠もる予定だから、直ぐには要らないな」
夕べ測ったサイズでジョギングシューズを買い、履き慣らしてみる。ついでにサンダルもいくつか買って、屋敷の至る所に置いておく。
早急に準備しておくのは、水と電気だと当たりを付けて発電装置のカテゴリーを確認する。
あったのはソーラーバッテリーとガソリン式発電機。ガソリンと言うか、灯油だけど通販で購入出来るのには驚いたが、数リットルの小口販売だった。
まぁケーゴのいた世界で大量の灯油を注文したら、変なチェックが入るだろうが、ここでなら問題は無いだろう。
さらに住宅用の蓄電池を調べ、とにかく電気を長期間利用できる体制を作り上げる。
そして仮組みとして土間に長テーブルを設置し蓄電池を置き、外にソーラーパネルを置いて発電、充電できるか確認する。確認したら、次に電動ドリル、電動ドライバーを購入し、それに充電する。
水の汲み上げをどうするか悩んだ。結果として井戸の横に大きな樽を置き、電動ポンプで水を樽の中に汲み上げる。
そして樽の上層まで水があふれたら、そのまま井戸の中に流れていく仕組みにする。
樽の底の方にトイレや土間に流す配管を通して、終了。
樽の位置を高くしておけば、トイレのタンクぐらいの高さなら上ってくれるだろう。大気圧に期待。
井戸には小さな東屋という感じで屋根がある。その屋根にソーラーパネルを金具で固定して、屋根の内側に完全防水できる箱を設置して蓄電池を設置すれば完成。
アルミ製の梯子とか色々追加購入する事になったが、塩ビの水道管をトイレと土間と風呂場に設置できた。電動工具があっても三日かかった。
風呂に入れる、と喜んだが薪が無かった。通販で買えるのか? と思ったけど普通に変えた。凄いぞ通販と称えておく。お一人様キャンプとか薪ストーブとかで需要はあるようだ。
五右衛門風呂に水を溜め、小さな固形燃料を三つほど置いてから上に薪をかぶせていく。そしてマッチで固形燃料に火を付けて、火が燃え広がるのを待つ。
通販でフイゴが無いか見てみたら、竹の中を抜いた筒をフイゴとしてしっかり売っていたのは驚いた。だが、体力の無い十歳児なので、二つの木のシャモジを合わせて蝶番を付け、中に袋を貼り付けた、手で開いて閉じる形式のフイゴを購入。
薪に空気を送って火に勢いを付けさせる。
大人一人が膝を折って座れる程度の広さしか無い五右衛門風呂だから、ガスだったら十五分程度で沸くはずと予想。でも、薪であぶっているだけだから効率は悪いはず。先ずは三十分程度で様子見とした。
五分程度を目安に薪の追加とフイゴを繰り返しながら、お風呂用品を揃える。
風呂が終わった後には、残り湯で洗濯もするつもりだから、そのための桶や洗剤なんかも用意する。
「洗濯機が欲しいなぁ」
三十分後、お風呂を手桶でかき混ぜる。混ぜた後の温度を見るともう少し時間が必要な様だ。上は結構な熱さになっていたけど、かき混ぜるとかなりヌルかった。
一時間後。なんとか入れる温度になった。
一応薪を多めに追加して、火が燃え移ったのを確認してから焚き口を石で塞ぐ。ほんの少しだけ隙間があるのがポイントだ。
五右衛門風呂の底に敷く丸い簀の子が無いかと通販を見てみたが、丸い簀の子は殆どがざる蕎麦用だった。落ち着いたらざる蕎麦も食いたいなぁと考えながら、一番安い木の下駄を購入。それを履いて五右衛門風呂の中にソロリソロリと入っていく。
五右衛門風呂の火が直接あたる場所は火傷するほど熱くなっているが、三十センチも離れれば金属面でも水温と同じぐらいの温度になる。
膝を抱える様にして背中を金属面によりかかせて力を抜く。べたりと尻を付けられないのが残念だが、暖かいお湯に浸かる心地よさに声が漏れる。
「あぁ~」
十歳の子供の出す声じゃ無いだろう、とは自分でも思うが、中身は三十二歳なんだから仕方ない。うん、仕方ないんだ。風呂上がりのビールも仕方ない? 色々問題がありそうだからジュースにしておこう。等と自己弁護を繰り返す。
釜の火が気になるので、速攻で身体と髪を洗って再び入り直す。そして暖まったら出て、身体を拭いて服を着る。その間、約二十分。一時間以上沸かして利用が二十分。一人だから当然だけど、けっこうもったいない。
大きな桶に残り湯を汲み,そこに洗濯物と洗剤を入れて良く馴染ませる。桶はその状態で一旦放置して、風呂釜の焚き口を完全に塞ぐ。これで、炭になった状態で残ってくれればラッキーという程度の期待。燃え尽きていたら諦めようとも覚悟する。
「しかし、風呂も要改造だな」
一人しか使用しないのだから、初めに身体を洗ってから入る、と言う様なマナーを気にする必要も無い。しかし西洋のバスタブ形式にするのも気が引ける。上がり湯さえしっかり確保しておけば、一人なんだからそれで良いはずなんだが、やはり日本人は綺麗なお湯にのんびり浸かる種族なんだろう。
ゴム手袋をはめて洗濯を再開。洗濯板でゴシゴシやって、汚れた水を交換。柔軟仕上げ剤を入れて軽くゴシゴシ。水を捨ててすすぎ。二回水を替えて絞って終了。
「しまった。干す場所を考えてなかった」
安いハンガーを大量に買って、洗った服を掛けていく。お徳用のピンチも買って、ハンガーにパンツやズボンを掛ける。
そして購入するのは室内用の物干し台。ぶら下がり健康器具とか鉄棒を横に伸ばした様な形をしている。それを台所の土間に置いて、洗濯物を掛けていった。
塀があるから外に干す方が良いが、天気予報も無いから寝る時は心配で仕方なくそうなった。
「昼間なら外に出したんだがなぁ」
作業中なら急な雨にも対応出来る。だがぐっすり眠っている場合はもう一度洗濯のやり直しになってしまう。
「乾燥機はともかく、洗濯機は欲しいなぁ」
洗濯機の問題は給水と排水だ。
屋敷の中庭は簡単な作りの庭園になっている。コレは壊したくない。台所側の出口は裏庭になっており井戸があって、薪を準備する掘っ立て小屋もある。トイレ小屋はここと庭園側の中間にある。この台所出口の裏庭はおそらく来客の馬を繋いでおいた場所みたいで少し広い。ここに新しく風呂のための小屋を建てられないだろうかと構想を練る。
そして通販サイトを調べて驚いた。灯油を使った給湯器が通販されていた。山の中などのガス管が伸びていない場所などで使う物らしいが、通販されているとは驚愕だった。
当然浴槽も売ってた。四万弱だけど、十歳児の大きさならそのまま足伸ばして漂える程の贅沢なヤツだ。
残りの問題は建屋だけだ。
そこでちょっと思い出した。
スマホを取り出して【古物商つぶつぶ屋】を起動。販売、建築物を経由して作業小屋を選択する。
作業小屋の中には色々な種類があり、木工や石工の作業場から鍛冶、製糸、機織りなどが作業人数毎に分類されていた。
狙ったのは石工の作業小屋。人数は五人程度だ。石工なら作業面積が大きいから、五人程度の物でも、風呂場と脱衣所、そして洗濯部屋もとれる面積があるはずだ。
画面に出してみると、石造りでがっしりした建物が表示された。気に掛かるのは縦横の面積と床だ。
既に買ってある最大二十メートル測れる巻き尺を持って、風呂になる場所を計測。横八メートル、奥行き二メートル半の場所を確保出来た。この寸法に収まる建物を選ばなければならない。
が、石工の作業小屋では条件に合う物件は見つからなかった。
風呂上がりで洗濯も済んだ状態なので、ここで汚れたく無かったので作業を終了して部屋に戻る。
ソーラーパネルでも良い仕事をしてくれて、天井に取り付けたLED照明が部屋を煌々と照らしている。手元のリモコンで点灯、消灯が操作できるが、壁か柱にスイッチも付けておきたい気もする。夜にトイレに行きたくなったらLEDランタンで行く事になるが、それでも廊下にもLED照明は設置してある。
お客様がくるんだよねぇとケーゴは嘆息する。
で、ここって、何屋? 困った時は検索先生と言う事でスマホを出して話しかける。
「ここって何の店? 名前は?」
【職種:不明 店名:無し】
いや、まぁ、判ってた。仕事実績も無いので職種不明は仕方ないと一人で期待して一人で落ち込むケーゴだった。
「なんでも屋? 便利屋? 道具屋? いや、職種は決めなくても、屋号だけでもいいんじゃね?」
布団の中でスマホを手して夜が更けていく。いつの間にかケーゴは眠っていた。照明も付けっぱなしで。
「しくったぁ。バッテリーの無駄遣いしちゃったなぁ」
朝目が覚めたら、LED照明が点いたままだった。基本的にソーラーパネルからの充電なので電気代云々の話では無いのだが、もしもの時を考えると損をした気になる。例えば今日を境に雨が続くとかになった場合、ガソリン式発電機に切り替えるタイミングが早くなるかも、と言う程度だが。
だが外に出て空を見上げると、今日も良い天気になりそうだったので、一晩中LED照明が点いていた事は直ぐに忘れていた。
タオル片手に井戸まで行って顔を洗う。歯磨きセットを買っていなかった事を思い出し、生活雑貨をもっと揃えようと気持ちを改める。
そして板材、テーブル、折りたたみの椅子、歯磨きセット、カセット式ガスコンロ、ケトルなどを買っていく。
台所で決済すると大きめの段ボール箱が現れた。
使う予定の無くなった竈の上に板材を置いて、その上にカセットコンロを置く。流し場には井戸の水が塩ビ管を通って引いてあり、取り付けた蛇口をひねれば水が出る仕組みになっている。しかし、まだ環境に慣れていないと言い訳して、ケーゴは井戸の水を洗い物、トイレ、風呂にしか使用していない。飲むための水はもっぱらペットボトルに入ったミネラルウォーターだ。
「そのうち、面倒になって井戸の水をがぶ飲みする様になるんだろうけどなぁ」
そう呟きながら、ペットボトルの水をケトルに入れて、試しにとカセットコンロを点火させる。
「今日の朝食はカップ麺にしよう」
普段から時間が無い時に良くやっていた朝食だ。基本的に食に拘らない性格なので、とりあえず腹が膨れれば良いというスタンスだ。だからこの世界に来ても、食事は菓子パンや栄養補助食品などで済ませてきた。
「そろそろ栄養バランスを考えた食事も考えないとなぁ」
買い置きからカップ麺を取り出して、湯が沸いたら直ぐに注げる状態にしておく。カップ麺と五十膳入りの割り箸も先日買ってあったが、コンロもケトルも無かったので保留していた。
ちなみに、ケーゴの言う栄養バランスが整った食事というのは、レトルトのカレーやシチュー、そして野菜ジュースと栄養サプリで保管できると信じている。
色々残念な男であった。
この世界は寄生虫や雑菌の管理が雑なため、生野菜はほぼ食べられていない。生で食せるのは一部の果物類だけだった。それも一部の者たちだけが食べる習慣を持っているだけで、一般的な食事習慣とは言えなかった。そのため年を取ると色々な病気を引き起こすが、その原因や病気に対する処方は民間療法の域を出なかった。
それを考えると、野菜ジュースを飲んでいるケーゴはこの世界の住人よりも健康かも知れない。
カップ麺の汁を残らず飲み干しているので、塩分過多にはなりそうだが。
食べ終わったカップ麺の容器を、通販で送られてくる段ボール箱を流用したゴミ箱に放り込む。
ちなみに、江戸時代のお江戸ではゴミは基本的に出ない。せいぜい埃が溜まるぐらいだが、それは竈に放り込めば済んでしまう。ぼろ布、グチャグチャになった紙、欠けた茶碗、蝋燭の燃えかす、竈の灰でさえ買い取ってくれる業者がいた。着ない服は質屋に預けるし、長屋などは押し入れさえ無かった。
ケーゴの住む屋敷は江戸時代の武家屋敷を参考にされている様で、押し入れぐらいはあるが、ゴミの処理は裏庭の一角で焚き火の様に燃やす方法だけだった。
「資源回収の日は何曜日だろう?」
ケーゴは溜まっていく段ボールを見ながら呟いてみた。別に消防法があるワケでもないので、空いたスペースで盛大にキャンプファイヤーをしても構わないのだが、綺麗な芝生に焼け焦げ跡が残るのが気にくわないと思っている。
余談だが、古物商ツブツブ屋で段ボールやビニールゴミを引き取ってくれる事は、もう少し後に気付く事になる。
朝食が終わったので歯を磨き、今日の予定を考える。
予定として生活雑貨をもう少し揃えるとか、風呂場の建屋の都合を考えるとかがあった。そこでメモを取りながら両方をこなそうと考えた。
作業に没頭する事に飽きた、とも言う。
寝室に戻り、畳の上に座布団を敷いてその上にあぐらで座る。そしてメモ帳を取り出して昨日測った風呂場の面積を見る。
昨日に引き続き中古の作業小屋を物色する。そしてとうとう寸法が合う物件を見つけた。
「けっこう頑丈そうだけど、柱と壁と屋根だけの物置か。床が無いのが丁度良いな」
ケーゴは商品解説を見ていなかったが、実は貴族の屋敷の敷地の直ぐ外に建てられた民家を偽装した建物で、地下道で屋敷から脱出する目的で床が張っていない物件だった。その貴族の系統が脱出目的でその地下道を使う事は無かったが、お忍びで外に出る時などに良く使われていた建物で、近くの住人にとっては周知の事実というオチもあった。
【中古 状態:良 築年数八十二年】
表示を見てため息を吐く。状態は良くともボロ過ぎる。
「水使うから補強は必要だなぁ」
少なくとも床と柱関係はしっかり補強しないと、と考えながら、通販でユニットバスを調べてみた。
「あ、あるじゃないか」
実際は組み立て式なのだが、大人でも足を伸ばしてくつろげるサイズの風呂桶と、壁、床、天井を備えた風呂の部屋一式という感じのユニットバスが通販で売っていた。
床部分は水平を取りながらコンクリートブロックを敷き詰めれば良い、と見積もって、ケーゴのお風呂計画が本格的に始動した。
「良し。前祝いをしよう」
と紙にも書いていない計画が始まるのかなと言う状況なのに前祝いと言い出した。
「ビールや酒はやめておいて、コーヒーとお菓子か」
アルコールは少量であれば疲れを忘れさせ、ストレスを和らげる作用があるのは確認されている。しかし、そのために依存性があり、強い意志を持ってコントロールできないと健康を害する状態まで過剰摂取するようになる。
疲れが和らぐので身体に良い物だと錯覚し、身体が欲っしている物だと誤解する。その心と体から来る欲求を抑える強さが無いと坂道を転がり落ちると言うワケだ。
特に子供だと、そう言った欲望に対する制御が未発達なため、依存性は高くなってしまう。
思春期になり初めての性的欲求を経験し、社会性を保つために本能の欲望を抑えると言う自覚と自己制御を身につけた後でなら、酒に対する欲求も適度に抑えられるだろう、と言うのが酒の制限年齢の本質だ。
ちなみにアルコールが脳細胞を破壊する、と言うのはデマだが、糖尿病にまでなった場合は脳以外も破壊する事になるので注意が必要だ。
「コーヒーかぁ。いつものレギュラーじゃ無く、キリマンジャロ行ってみるか。お湯は作れるからコーヒーサーバーとドリッパーとフィルター、保温ポット。後は甘めのお菓子だな。ついでにインスタント麺とジュースも入れとくか」
サクッと注文すると直ぐに段ボール箱が現れる。
カッターで粘着テープに切れ込みを入れて開くと、梱包材と一緒にボール紙で作られた箱に入ったサーバーやドリッパーが見えた。自然と顔がにやける。
「あ、ここで広げるわけにも行かないか」
ケーゴは腰を上げ、段ボール箱を抱え上げて台所へと向かう。重さはそうでも無いが十歳児にとっては結構な手間だ。
「食料品は台所で注文すれば良かったよなぁ」
お菓子にしても、食料品は台所で一括管理が望ましい。ちょっと水分補給代わりにお茶を飲む、と言うのであれば台所で済ませれば良いし、部屋で飲む場合は飲む量だけ運ぶと言うのがベストだ。
と言う事で、台所にあるテーブルにコーヒーセットとお菓子類を広げ、コーヒーセットを箱から出す手間の間にお湯をカセットコンロで沸かす。
「あ、しまった。カップが無い。しょうが無い。ここで注文するか」
転生前に使っていたお気に入りのマグカップを思い出しながら、通販サイトで似た様な物を探す。お客が来る予定なんだよなぁ、と考えながら客用のカップも注文する。
「あとは、トレーだな」
色々見てみるが、トレーは色や材質が違うだけで大きく異なる物は無かった。なので子供でも持てる程度の物を数枚購入。
「あ、トレーやコーヒーセットとかカップを置く場所が無い」
広々としているが本当に何もない土間だ。ケーゴは金属製のポールと横板だけのシンプルなラックを三つ注文した。がっしりとした木製の棚だと、模様替えしたくなっても動かせないと言う理由からだった。
早速決済して配置する。と、同時にお湯が沸いたとケトルが笛を鳴らす。
荷物整理は後にして、先ずはコーヒーサーバーやカップなどに熱湯を注いで軽く濯ぐ。
そして紙フィルターを乗せてキリマンジャロの封を切る。
「しまった。計量スプーンが…」
間抜けである。
お湯が冷めるのを気にして、通販で注文する前に適当な量を入れる。かつては何度も入れていたから大凡の量は判って、いや、知っているつもりだった。
コーヒーを煎れる準備が整った。
まずは少量の湯を粉全体に浸みる程度で垂らす。約一分蒸らして今度は一気にお湯を注ぐ。ドリッパーからあふれない程度に抑えつつ、湯が減らない様に気をつけるのがポイントだ。湯が抜けきってからさらに湯をつぎ足すと、雑味が増える。と言うのがケーゴのこだわりだ。
完全にドリップする前にドリッパーを取り除いて、ドリッパーは別のカップの上に置く。そして自分のカップにコーヒーを注ぐ。その香りを楽しんで思わずにやけるケーゴだった。
ピロリン、ピロリン、ピン。
妙な電子音がいきなりなった。音源は横に置いたスマホだった。普段ならメッセージが届いたかと思う音だ。
カップにコーヒーを注ぎ終わったサーバーを横に置いて、スマホを取り上げて確認する。
【侵入者警告:聖域に三名の入場を確認:歓迎 排除】
大きく文字が出ているその下に画像が出ている。確かに三名だ。しかし、一人は甲冑を着ているが、兜は無い。一人はもう一人を支えている。この二人は普段着にも見えるが、布地としてはかなり厚めの感じがする。それ以上は画像がはっきりしないのでよく判らない。
「この世界の兵士か? それとも、いわゆる冒険者というヤツだろうか?」
とりあえず三人ともボロボロと言う感じなので、コーヒーをゆっくり楽しむ感じでは無くなった。
直ぐに追い返せば? と言う邪な考えも浮かんだが、そもそもここで商売をするために呼ばれたワケだから理由も無く追い返す事も出来ない。
「仕方ないな」
ケーゴはコーヒーを煎れている最中だったので椅子には座っていなかった。なので軽く手を拭いただけで裏庭に出る。格好は作務衣にサンダル履きというラフな格好だ。相手は武器を持っているかも知れないが、先ほどのスマホの画面に【歓迎 排除】の選択肢があったので、いざという時は排除してくれるだろうと予測した。
その【侵入者警告】のタスクを一旦保留にして、【カメラ】モードの【ビデオ】を選んで起動させる。これで、ケーゴが見ている状況がそのまま録画されるはずだ。
録画中を表す赤い丸を確認し、スマホを作務衣のポケットにしまう。
裏庭から少し回り込んで、正門の所に到着。
侵入者三名は家を見て呆然としていた。
「ケンファーソン殿。まこと、どう思われますか?」
歩く事も困難な程に負傷した仲間を支えている男が、甲冑の男に話しかけた。
「審判の森の中に、このような場所があるなど聞いた事が無い。しかし、少なくとも我らにとっては休めるチャンスかも知れない」
「はい。ですが、見た事も無い形式ですが、おそらくアレは人の住まう住居と考えまする。だとすると住まう者が居るという事に」
「例え敵国の兵士であろうとも、人であれば良いな」
「はっ、まこと」
そこまで話した時に、開いたままの門に一人の人物が現れた。
「子供? 着ているのは寝間着か?」
「小人族か、岩穴族でしょうか?」
「近づいてくるな。アレは我らと同じ人族の子供の様だ」
「こんな所で子供が? 大人がどこからか狙っているのでしょうか?」
「警戒を……、ふっ、我らは既に死んでいるやも知れぬな」
「はっ、確かに。ならばありのままでよろしいでしょうな」
既に三人とも歩く力さえ尽きかけている状態だった。例え魔獣に喰われる事になるとしても、走って逃げる力も無い。コレが覚悟を決めると言う事か、と三人は冷静に近づいてくる子供らしき人物を待った。
そして、三人とケーゴが、普通に会話できる距離にまで近づいた。
じっと見つめる三人に対して、先ずはケーゴが声を掛けるべきだと判断した。その第一声は。
「いらっしゃいませ」
両手を前で合わせ、腰を折ってお辞儀をする。接客の基本だ。
「「「はぁ?」」」
歩く事さえ困難だった男まで合わせて三人の声が重なった。
「あ、あ、し、失礼をした。我はローワン王国で騎士爵を拝するケンファーソン・ホークネスと申す。此度は、審判の森に逃げ込んだ逆賊アナローグ・ギーアを討伐する任務において、一千五百の兵団に参加した。その際、魔獣の群れを嗾けられ、部隊はまとまりを失い、我らも仲間を失いつつここまで辿り着いた次第。どうか、休むためにこの場所を貸して頂けないだろうか」
「そうでしたか。それは災難でした。この場所であるならば、ゆっくりと休めますのでどうかお寛ぎ下さい」
「感謝する」
そう言った途端に三人はその場に崩れ落ちる様に座り込んだ。
「大変お疲れのご様子ですが、何か入り用なモノはございますか? わたくし、この場にて商いを営ませて頂いております」
「こ、ここで商売? 客が来るのか?」
「お客様達が第一号でありますね。どうですか? 記念という事で勉強させて頂きますが」
「申し出は有り難いが、戦に参加している最中なので持ち合わせが無い」
三人はそれぞれ懐から袋を取り出して中身を確認している。
『そうだよなぁ。こんな森の奥にまで来るのに、金なんか持ってこないよなぁ。こういう場合どうしたらいいんだ?』
心の中でケーゴがそう考える。
「何かございませんでしょうか? お金で無くとも構いませんが」
「金以外となれば、こういう魔石しか持っていないが」
「見せて頂いても?」
「ああ」
騎士の出した魔石を持って見てみる。それだけではどんな物か判らないので、スマホを出して録画タスクを横に移動させて鑑定を起動した。
【魔獣の体内にある魔獣の命の源。薬の材料や魔道具の核になるが、現在では魔道具を作る技術は失われている。人族の街での買い取り価格:二千。古物商ツブツブ屋での買い取り価格:十五万】
「コレは良い物です。コレでしたら八万で買い取りできますが、如何なさいますか?」
ぼったくりだけど商売の基本だ、と心の中で言い訳をする。だが実は適正価格の範囲に入る。
「八万? そんなにか? な、なら是非に買い取って貰いたい。そ、それと他にもあるが買い取って貰えるだろうか?」
「全てが八万と言うワケには行きませんが、この魔石と同じレベルであれば同額はお支払いします。もしもコレよりも良い物でしたら、さらに上乗せもあります」
「ならば是非に頼む」
「かしこまりました。あ、少々お待ちを」
そう言ってケーゴはきびすを返して屋敷に戻る。
そして通販サイトを出して台車と折りたたみテーブルと折りたたみのパイプ椅子、二十個入り紙コップとペットボトルの水や紅茶、オレンジジュース、リンゴジュースを注文する。
さらに「怪我、体力を回復させる薬」と検索する。
ケーゴとしては魔法の薬であるポーションがあれば良いな、と思っただけだが。
【体力を回復するスタミナタブレット、怪我を治すヒールタブレットがある 一部では秘伝として秘匿されている ヒールタブレットの作り方は魔力溜まりに生える回復草の根とクルワ草の葉 魔石の粉を混ぜ合わせて弱火で五時間煮込んだ後 型に入れて固める 最後の行程で小麦粉や片栗粉を混ぜる場合もあるが 混ぜ物が多い程効力が弱い タブレットは一つ当たり五千 人族の街では最低価格で五万】
なんと、ポーションという液体じゃ無く錠剤で在るらしいと驚く。
直ぐに通販サイトで確認すると、一旦この世界の商品に切り替えが必要だったが直ぐに取り寄せる事が出来た。買ったのはスタミナ、ヒール、それぞれ二十三個ずつ。
梱包材入りの封筒で現れたが、タブレットの大きさを確認してから二十個入る小箱を四つ追加注文した。
そして荷物全てを台車に乗せて押していく。
「お待たせいたしました。先ずは落ち着きましょう」
そう言って折りたたみの椅子とテーブルをセットしていく。
「お座りください。先ずは飲み物は如何ですか? 水、果実水、お茶がありますが」
「あ、ああ、では失礼して」
そして騎士はテーブルの上に持っていた魔石を並べていく。全部で十五個。その一つ一つを手に取って鑑定していく。ついでにスマホの電卓を起動して、買取額を足し算していく。
「はい。十五個全てで百八万で買い取りさせて頂きます」
「おお、そんなにか」
「おそらくですが、街では三万から五万程度の買取額では無いでしょうか?」
「あっ、し、知っていたのか」
「魔石の利用方法が知られていないのですから、仕方の無い事と存じます。では、次にこちらの商売を進めさせて頂きます。先ずはこちらをご利用ください」
そこで、三個ずつ入った小箱を二つ蓋を開いて差し出す。
「これは?」
「スタミナタブレットとヒールタブレットです」
「こ、コレが? 噂には聞いた事が在るが、見るのは初めてだ」
「この三つはサービスですので無料で結構です。どうか召し上がって、効果の程をお確かめください」
そこで紙コップを取り出し、それぞれにペットボトルから水を注いで飲むように促す。
「あ、楽になっていく。不思議だ」
今まで辛そうにして、椅子に座ってもテーブルに伏せていた男が背筋を伸ばして言葉にした。
「我も疲れがかき消えた様だ」
伏せていた男を支えていた男も、自分の手を握ったりして確認している。
「如何でしょうか?」
「す、素晴らしい。コレは売っているのか?」
「はい。ここには二十個入りが一つずつありますが、ご注文があれば揃えさせて頂きます」
「して、値段は?」
「タブレット一つ当たり一万になります」
「買った!」
「かしこまりました。これで、百八万から四十万が差し引かれて残り六十八万になりますが、他に入り用なモノはございますか?」
「う、うむ。出来れば武器と食料が欲しいが」
「武器の種類と食料の日数をお聞きしても?」
「長剣が良いのだが、この森では使いづらくて、結局は無くしてしまった。何か適当な刃物と三人で十日分の食料は欲しい」
「では、見繕って見ますので暫くお待ち下さい。あ、こちら、果実水とお茶はお好きにお飲み下さい。では少々」
そして再び屋敷に戻る。通販サイトから荷物が届くのを見られたくないだけだ。
そして選ぶのは剣鉈三本とコンバットナイフ三本、そしてコンパウンドボウという両端に滑車を付けた特殊な弓を一張りだ。ついでに矢も二ダース二十四本買い付けておく。
さらにアルミパイプの背負子を三つに二リットルのペットボトルの水を三本ずつくくりつけておく。
「問題は保存食だよなぁ。まぁ適当で良いか」
と言う事で袋にレトルトのシチューを二十個ずつと酒のつまみ用の小さなサラミソーセージを二キロ分ずつ、袋入りのカンパンを五袋で一キロ、シチュー用のスプーンを念のため三本ずつ入れて一括りにして背負子に縛り付ける。
試食用に一食ずつの分も余分に買っておく。
もう一つ台車を買って、また三人の元へ。
「これで残りの六十八万分になりますが、ご確認頂けますか?」
まず、ナイフと剣鉈を三つずつテーブルに並べる。
「このナイフは長いな。だが、なぜ黒いんだ?」
コンバットナイフだから、と言う台詞を飲み込んで、納得できそうな説明を選ぶ。
「黒くて光を反射しない仕様となっていますがおわかり頂けますか?」
「ぬ、確かに光に照らされぬ」
「長さは人や獣、魔獣を相手にする専用の武器という事で、その長さになります。紐を切る等の日常の雑用を除外した戦い用のナイフと言うワケです。黒いのは、光をチカチカ反射して、そこに居る事を気付かせるなどが無い様にと、目立たないためにそうなっております」
「暗殺者、つまりアサシン用というわけか?」
「アサシンにも便利ですが、獣や魔獣を相手にした場合に、一瞬でも相手が刃を見失う可能性があるのならば、それだけ生き残る事も多い、と言う単純な理由です」
「なるほど」
「こちらの長い方は剣鉈。殆ど鉈ですが、刃渡りが人の手の平を二つ縦に並べた程もあります。鉈なので分厚く作られておりますが、その分頑丈になっております」
「森の中であれば、この方が便利だな」
「そして一張りしかありませんが、こちらが弓になります」
「なんだ? コレが弓?」
通常の弓は弧を描いた単純な形だが、このコンパウンドボウはMの文字を平べったくして横に伸ばした様な形になっている。さらに両端に滑車が付いていて、少ない力で強く引けると言う特徴を持つ。
「どなたが弓を扱われるのですか?」
「某が」
負傷した男を支えていた男が弓を手にする。そしてケーゴの言うとおりに弓を引く。少し納得できない顔をしているのを確認したケーゴが、一本の矢を渡して聖域内の一番遠くの場所を指さす。
「これは!」
弓を引いて放つと、男はかなり驚いた。
「お判り頂けたでしょうか?」
ケーゴの言葉に、何度も頷く。
「どうした? 何があった?」
「この弓は凄い物であります」
そう言って騎士に弓を渡す。ケーゴも矢を一本渡す。そして騎士は同じ位置に矢を放って、呆気にとられた。
「なるほど、凄いな」
そしてさっきまで怪我で辛そうにしていた男に弓を渡して、その男にも矢を放たさせる。
「なんと。引いた力と矢が飛んでいった距離が合いませぬ」
「両端に輪っかが付いているのがお判り頂けると思いますが、それが滑車になっております。重い荷物も滑車を使えば少ない力で持ち上げる事が出来るわけです。この弓はそれを応用したものです」
「素晴らしい。だが、こんな凄い物を売ってしまって良いのか? もしも真似をされたらどうする?」
「使っている材質などはなかなか真似できるとは思われませんが、仕組みは調べれば同じような物も出来るでしょう。ただし、仕組みがやや複雑ですので、普通の弓よりも壊れやすいかも知れません。そこら辺は、作る方々の熟達具合に掛かる話でしょう。まぁ、作る気があるのならご自由に、と申し上げておきます」
「まさかな。コレを我らだけの秘密にせよと言われると思ったが」
「ならばお売りしませんよ。何でしたらスタミナタブレットとヒールタブレットの作り方もお教えしましょうか?」
「な、何を言っている?」
「二つとも、業者が作り方を秘匿しすぎているせいで、業者の言い値になっている物です。業者との紛争の元になるやも知れませんが、ご希望でしたら作り方をお教えしますよ」
「………………わ、判った、教えてくれ」
そこでケーゴは、先ほど検索で知った内容をそのまま伝えた。紙に書き残す事はせず、あくまで頭の中にだけ残せと言う様に。
説明し終わった後、再び椅子を勧める。
「では、残りは保存食でしたね」
「ま、ま、待ってくれ。少し落ち着かせてくれ」
色々ありすぎてパニックになっている様だ。
「申し訳ございません。少し性急に過ぎました。ではお茶など飲んで落ち着きましょう」
「すまない」
そう言って騎士は紙コップを持って中の水を飲み干した。そして、持っている紙コップを見つめる。
「これはどうなっている?」
「はい? えっと、紙コップの事でしょうか?」
「そ、そうだ。コレは紙で出来ているのか?」
「はい。濡れても良いように、薄く蝋を塗ってあります。一度使ったらそのまま捨ててしまうと言う、使い捨て用に作られた消耗品ですね」
「なるほど」
「本格的なコップを用意する余裕がないなどの理由で、よく使われます。あと、洗わずに燃やせるのも後片付けという面で便利と言われています。蝋が塗ってありますので、ちょっとした蝋燭代わりにもなったりしますが、あまり蝋燭目的で使用する方はいませんね」
ケーゴは新たな紙コップを三つ取り出して、リンゴジュースを注ぐ。さらに三つ出してオレンジジュースも注ぐ。
「どうぞ。果実水です」
「かなり濃いな」
リンゴジュースを飲んだ騎士が一言。
「申し訳ありません。水で薄めて貰っても構いませんが」
「いや。濃いが不味いわけでは無い」
騎士は心の中で『コレに慣れたら、店の果実水は飲めなくなりそうだな』と呟く。他の二人はおいしそうに飲んでいる。
「お代わりはお好きなだけご利用下さい」
そう言ってペットボトルのジュースを前に出す。二人は嬉しそうに自分のコップに注ぎ足していった。
「保存食の方には、この水の方を三本ずつ用意いたしました。蓋はこのように横方向に回して開け閉めする物ですが、一番初めだけは密閉されているので、バキバキ、と言う音が出ますが、問題ありません」
「密閉?」
「はい。水でも開けて放っておくと、水あたりでお腹を壊す程度に水が悪くなります。このように小さな容器に入れたままならなおさらです。ですが、一度沸騰させて、その熱が冷めない内にきっちりと密閉しますと、水が悪くなる可能性が低くなります。一度開けてしまうと、他の水みたいに悪くなっていきますが」
「え? 一度沸騰させれば水は保つのか? 酢を入れなくとも?」
「ああ、酢を入れても保ちますね。ただ、容器の方が汚れていたら効果は半減でしょう。金属製の容器を使って、容器ごと火に掛けて中の水が沸騰するまでやって、沸騰したままきっちりと栓をする、と言うのが理想です」
「金属製の水筒か。革袋では無理なようだな」
「一度濃いめの酢で革袋の中を満たし、暫く置いてから入れ替えて沸騰したお湯で洗って、また沸騰したお湯を入れて栓をする、と言う方法もありますね」
「それでどの程度保つ?」
「革袋の状態によります。最低で二日、長くて七日程度でしょうか」
「そう上手くは行かないか」
「ちなみにですが、この透明な柔らかいボトルに入った水ですが、開ける前であれば二百日は飲める状態のままです」
「そ、そんなに?」
「一度でもパキッっと開けてしまうと他の水と同じになりますが。あ、ああ、忘れていました。もしも革袋でも、この透明なボトルでも、口を直接付けて飲むのであれば、翌日には悪くなっている可能性もあります。保存を考えるのであれば、カップに移してから飲んだ方が良いでしょう」
「口付けて飲むのは駄目なのか?」
かなりの驚愕だったようだ。口の中の雑菌の知識が無ければこんな反応だろう。
「あ、少々お待ち下さい」
またまた一人だけ退席して屋敷に戻る。用意するのはステンレス製のマグカップとミリタリーの名前を冠する水筒、そしてカラビナと革紐だ。コレはサービスで良いだろうと考えた。
「お待たせしました。コレは今回限りのサービスとしまして、皆様だけに無料でお分けします」
「カップと、コレが水筒か?」
「はい。一応火に掛けられる金属製ですが、蓋の部分は熱で溶けてしまいます。なので、基本的には火に掛けないで熱湯や酢などで洗って、他で沸かしたお湯を入れて下さい。使い方を説明します」
ケーゴはそう言って、テーブルの上に出ている水のペットボトルから一つの水筒に水を注ぎ入れ、蓋をねじって閉めた。そして一回置いてから、ステンレス製のマグカップに水筒から水を注ぎ、直ぐに水筒の蓋を閉める。
「こうやって、水筒の方に口を付けないでカップから飲めば、水筒の水が長持ちします。ですが、頻繁に水を入れ替える事が出来るのなら、口を付けて飲んでも構いません」
「何が衝撃かと言うと、こんな所に店がある事よりも、口を付けると水が腐ると言う事だったなぁ」
「腕とか、こう、直接、ベロンと舐めて、そのままにしておくと、その部分が臭くなったりするのを知りませんか?」
「アー、ありますねぇ」
「口の中の唾液って、腐りやすいんです」
「あ、じゃあ、傷とかを舐めてれば治る、ってのは?」
「汚れを落とすためと言うのなら少しは有効ですがそれ以外であれば、舐めてれば治るというのなら舐めなくても治ると言うのが本当のところです。理想で言えば綺麗な水で洗って、綺麗な布で覆って、汚れが付かないようにするのが一番ですね。血が止まらなければ押さえつける必要もありますが、血が止まっているのなら汚れが付かないようにしながら、風通しを良くするのが最も効果的です。出来ればヒールタブレットを飲むのが一番ですが」
「あ、確かに。作り方を聞いたんだった」
それからケーゴは、シチュー、カンパン、サラミの袋の開け方を見せながら説明して、一つのシチューを三人で分けて食べて貰った。カンパン、サラミも少量だが味見をして貰った。
「シチューはお湯に入れて温めてから封を切ると、さらにおいしく食べられます。封を切ったらその場で食べきって下さい。置いておくだけで悪くなります。サラミもカンパンも湿気るとカビが生えますから、一袋につき、封を切ってから五日程度で食べきるつもりでいて下さい」
「上手いなぁ、このシチューというヤツ。コレも封を切らなければ保つのか?」
「封を切らなければ二百日程度は保ちます。封を切ったら一日の四分の一程度で食べきって下さい」
「日が昇って、一番高くなるまでの時間か。それは普通に汁物を作って、皿によそって、置いておくのと同じぐらいと考えていいのか?」
「そのものズバリですね。置いてある食べ物も、そのままにしておいたら腐ります。汁物にしたり、火に掛けて料理をしたりすると、さらに腐りやすくなります。それと同じです」
ケーゴの例え話に皆が頷く。
「では、背負子に荷物をくくりつけていきましょう。帰るまで、何度も荷物を解く事になりますから、どこに何があるか、しっかり把握しておいてください」
革紐にカラビナを取り付け、背負子と繋いでいく。三人はその便利さにも目を丸めていた。
そして全ての準備が終わった。
「以上でよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、世話になった」
「では、快適な旅である事をお祈りしております。ご利用、ありがとうございました」
「一ついいか?」
「はい?」
「我々に武器を売ってくれたが、アンタは丸腰だ。そ、その、もしも我らが力ずくで奪おうとしたらどうするつもりだった?」
「はい。もしも私を傷つけようとしましたら、強制排除させて頂く所でした。ここは聖域です。害意あるモノは入れません。途中で気が変わった場合はそこで排除される事になります。その場合、どこに飛ばされるかは不明です」
「そ、そうだったのか。もしかしたら、我らは命拾いしたのかもな」
「初めから害意があれば入れませんでしたし、人の心は揺れるモノですから、行動に出なければ問題ありません」
「そうか。あ、悪い、最後にもう一つ。ここは何という店だ?」
「聖域にある何でも屋『不思議屋』でございます」
『凄いぞ俺! よくぞとっさにそれらしい名前を出せた!』と心の中でガッツポーズをするケーゴだった。
「不思議屋かなるほどな。ではさらばだ。縁があったらまた会おう」
そう言ってケンファーソン達三人は森の中に戻っていった。
そして台車にテーブルや椅子を片付けるケーゴ。半ば魂が抜けているようだ。黙々と動いている。
「お、終わった~」
台車を裏庭まで押して行き、置いたままにして台所に入り、台所と部屋を繋ぐ廊下に仰向けで横たわる。
まだ昼前だが、そのまま眠りたいと思ってしまう。だが。
「やっぱ、店としての体裁は必要だろう」
そもそもケーゴは、自分の住んでいる屋敷に客を入れる事に抵抗があった。武家屋敷とは言え、広めの民家でしか無い。コレが呉服問屋とかお食事処とかだったら、そのまま「店」に出来たのだが。
スマホを見てみるが、チャットやメッセージは来ていなかった。
「あ、やべ。録画したままだった」
タスクを開いて録画を終了させる。
「店も欲しいけど、こういうデータを管理できるパソコンも欲しいな」
通販サイトを開いて、パソコン関連を選択する。すると『店長お薦め!』と言うパソコンが表示される。
「コレを選択しろ、って事か」
もう諦めているので、そのまま選択して決済する。決済してから値段を見たら三千九百八十だった。
「諦めって必要な感情だったんだなぁ」
と、妙な関心をするケーゴであった。
部屋で決済すれば良かった、と後悔しながら、重い段ボール箱を引きずって運ぶ。場所はケーゴが目覚めた板の間。
パソコン用のデスクが必要かな、と考えながら段ボール箱を開けると、入っていたのは分厚いノートパソコンだった。
「三十年ぐらい前のノートパソコンかな?」
実は単なる中古のパソコンが捨て値で売っていただけか? と、また注文する必要性に頭を抱えたくなる。しかし、モニター部分を持ち上げて開くと、画面は筐体の蓋の部分と同じ広さで、画面の周りに縁になる部分がほんの少ししか無い。さらに段ボール箱の中にはモニター単体が二台入っており、専用ケーブルで繋げば三画面で利用できる物だった。
「おお、格好いい」
先ずはスマホで、電源の延長ケーブルを買い、暫定的に台所の蓄電器に繋ぐ。そしてパソコンとモニターの電源を繋いで起動させた。
OSの起動や登録が始まるのか? と期待したが、いきなり出てきたのはスマホと同じ画面だった。
「つまり、デカいスマホというわけか?」
まぁ、それならそれで、と納得し、マウスが無い事に気付く。キーボードはあるが、マウスパッドも無い。ならばと画面を指で突くと、すんなり反応した。
「やっぱデカいスマホか」
表示されているアプリも同じだ。だが、画面が大きい分、見やすい。さらに三画面あるので、全画面表示させた画面を隣のモニターに移す事が出来た。
アプリの一つ、【ゴッドストアー準備中】だったモノが、【ゴッドストアー】に変わっていた。準備が終わったのかと、パソコンモニターのそのアイコンを指で突いた。
「やっぱマウスは欲しいな」
そう呟きながら画面を見ると、【ゲーム準備中】【アプリ】の二つのボタンのみ。諦めを越えた悟りの境地に向かいながら【アプリ】を押すと、いくつかのアプリが並んでおり、その下にそれぞれの簡単な説明が書かれていた。
スマホなら、個々のアプリを選択すると、そのアプリに詳しい説明と評価やコメントが見られるはずだ。
アプリは、総合オフィスソフト、監視アプリ見張り番君、錬金術教本、戦闘技能習得教本、商いの基本、ローワン王国観光ガイドブック、冒険者の心得、この星の生き物たち、と言うアプリなんだか、教本なんだか、はっきりしない品揃えになっていた。
「スマホの方には要らないけど、パソコンの方には全部入れときたいな」
そう思い、片端から選択してインストールしていく。
次に、古物商ツブツブ屋をパソコンで起動させ、建物を選択。客に対応するための「店」を見ていく。カテゴリーは【民家】だったが、この世界では店舗兼住居が当たり前のようだ。
「問屋、茶屋、居酒屋、蕎麦屋が選ぶ所だろうな。しかし、やっぱ江戸時代風にまとめたいみたいだなぁ」
画面にはカテゴリーの他にサンプルとして画像が出ているが、どれも和風の建物だった。
ケーゴは問屋を選択してみる。
そこもカテゴリーが分かれており【米問屋 呉服問屋 油問屋 荷受け問屋 木材問屋 木綿問屋】があった。
「何を扱うかで店の形状が変わるみたいだけど、ここでの商売なら食料品から武器まで、色々織り交ぜて配置する必要があるからなぁ」
ケーゴとしては交渉するテーブルと、倉庫としての部屋がいくつかあれば対応出来ると考えていた。
「あの森を抜けて来るんだから、やっぱかなり疲れてるはずだよな。あ、それと来る人数もはっきりしないか。五人まで、十人まで、二十人までの部屋を用意して、お茶セットを用意できる給湯室みたいなのと、ワゴンも欲しいな。今回は直ぐに追い返しちゃったけど、お客が寝泊まりできる場所も必要かぁ」
場所的に、単純に店を置くだけでは対応出来ないと考え、まずは聖域の端に井戸付きの調理場、簡易宿泊用の小屋とトイレを設置する。
井戸と調理場はキャンプ場にある様なタイプで、井戸、竈、流し場のシンプルな構成だ。宿泊用の小屋は、土間の大部屋の中に六畳ほどの広い板の間が四隅にあり、外壁以外の仕切りが無い。柱はあるが、部屋のどこからも全部の場所が見通せる。トイレは西洋式の物を探しに探して漸く見つけた便座タイプ。入り口から一メートルは地面と同じ高さの床だが、そこから高さ六十センチほどの段差になっている。その上段の手前に丸い穴が開いており、尻を出して上段に座って用を足すと言うスタイルだ。ケーゴはその穴にU字型の便座を取り付け、座り心地を良くしてある。紙はロールでは無く、四角い板状のちり紙をトレーに乗せて置いた。
店の方は、いくつもの店のタイプを飽きるまで見続け、ようやく見つけた。
基本は呉服問屋で、入り口は半分が広い土間で、残り半分が板の間の小上がりになっている。壁際には反物を入れる棚があるので、そこを利用して保存食やタブレットのサンプルを置いてある。土間の左右には奥へと通じる通路があり、五人、十人、二十人用の三つの取引用の部屋に繋がっている。そして給湯室と倉庫と言う構成だ。
建物を置いてから、LED照明用の電源コードを這わせたり、テーブルや椅子、要望のありそうな商品としての武器や小物などを揃えて、完成となったのは、初めてのお客様を迎えてから十二日後だった。
「出来上がった~! もう、俺の人生、終わりでいいんじゃね?」
と店の小上がりの板の間に大の字で寝ながら、かなり弱気な発言をしている時スマホが電子音を出した。
見ると、古物商ツブツブ屋のアイコンに【!】が重なって点滅している。押すとカテゴリー【建物】のアイコンに【!】が。さらに押すと【神殿】に【!】が。
神殿のカテゴリー画面に入ると、【創造神ジワンの神殿】に【店長お薦め!】とあった。
「そっか、あいつジワンって言うのかぁ~」
スマホは手に持ったまま、再び大の字になって休憩を続行しようとする。しかし電子音が鳴り響き、今度はスマホが微振動を繰り返した。
見ても新たなメッセージがあるワケでも無く、【店長お薦め!】の文字が大きくなっていただけだった。
仕方なく、設置しようとスマホを操作する。
「一番しょぼいヤツをトイレの裏にでも置いておくか?」
そう呟いた途端に、神殿カテゴリーの中から、一つの物件を除いた全てが消えた。
「俺の屋敷より大きくてどうする! そもそも管理者がいないだろ!」
聖域の中だから不審者がいるわけでも無いし、掃除も必要無いのかも知れない。だが、祈る者が居ない神殿なんて意味があるのか? と考えてしまう。
その思いが通じたのか、選ばれた神殿はケーゴの店と同じぐらいの大きさの物になった。形は石組みの土台の上にギリシャのパルテノン神殿の様な柱と屋根だけが組まれ、その中央に台座とシンボルだけがあるシンプルな物だ。
「俺の所は和風なのに、自分の神殿はギリシャ風かよ」
その言葉を聞いたのか、スマホの電源がいきなり落ちた。再び電源スイッチを押すといつも通りの画面が出る。
「諦めを超え、悟りを超え、今、解脱へと至る」
と呟いて、大の字に戻り、昼寝に入る事にした。だが、板の間が痛くて直ぐに諦めた。解脱は遠いようだ。
外に出ると、少し離れた位置に神殿があるのが目に入った。
「はぁ~」
ケーゴは人生で始めて、深呼吸よりも深いため息を吐いた。