第四章 72話 風林火山
王都ランパールは夜が更けても喧騒が収まる気配を見せなかった。
普段ならば、辺りは静かになる時刻となっていたが、酒場などには引っ切り無しに客が吸い込まれていく。
その酒場を覗いてみれば、次から次へと酒が各テーブルに運び込まれては赤ら顔の男達の胃袋に収まっていった。
どこの通りも陽気な顔をした酔っ払い達が練り歩き、大通りには屋台も出店し、昼間以上の賑わいを見せている。
このように王都ランパールが祭りのような賑わいを見せているのは同盟国バーネット皇国からショーナ皇女が使者として訪れたからだ。
数十人からなる世にも稀なうら若き女性で編成された警護兵に囲まれた皇女が民に手を振る度に老若男女問わず、感嘆の声が漏れだした。
バーネット皇国が誇るショーナ姫と言えば、勝利の女神として、シャナ王国にもその名は鳴り響いている。
その為、皇女の姿を一目見ようと多くの国民が大通りに集まったが、その噂に違わぬ美しさと威厳にどの口からも賛美の声が漏れ出たほどである。
城の警備兵からバーネット皇国の使者が都着したことを知ったラファエル王は側近に歓待する準備を命じた。
その一環として、ランパール城では盛大な舞踏会が開かれ、異邦から来た使者達を持て成すこととなったのである。
◆
今回もすったもんだの逃走劇の末、舞踏会に参加することとなったカズマは舌打ちをしながら、バルカンに命じていた。
「全く、面倒くさいな。おい、バルカン! 次は2時の方向だ」
「はいでやんすよ」
どこか疲れた様子のバルカンは渋々言われた方角に顔を向けた。
そこには揉み手をしながら、近付いてきた恰幅の良い貴族がバルカンの強面の顔にそそくさと回れ右をする姿だった。
先程からしつこいハエを追い払う名誉な役をバルカンは演じていた。
「おいら、もう着替えていいでやんすか?」
バルカンが情けない声で懇願するが、カズマはその提案を却下した。
「駄目だ。お前のその顔と格好が小うるさい蚊を追い払う蚊取り線香の役割を果たしているんだから。それにタキシードなんかを着るよりも百万倍は似合っているぞ」
そうしている間にもバルカンの姿を目にしたマダムがギャッと声を出すや、その場で昏倒していた。
昏倒した女性を介抱する近衛騎士を見ながらバルカンは呟いた。
「そりゃ、元本職でやんすからね」
複雑そうな表情で呟くバルカンは実用的なのかどうか分からない肩当から飛び出したたくさんの棘が付いた皮の鎧を着込んでいた。
その格好は治安の悪い街道か、世紀末の[汚物は消毒だ!]にこそ相応しい。
間違っても舞踏会で着てくる服装ではない。
「私としても助かるわね」
ウエイターが運んできたカクテルを少し飲み、頬を多少上気させたセシリアも応じた。
こちらは舞踏会に相応しく淡い青色のドレスを着込み、清楚さと美しさを両立させていた。
「変な虫がバルカンの姿を見ただけで逃げ出すんですもの」
黒いシックなドレスに身を包んだヴァレンティナは彼女を物欲しそうに眺める男共の視線を感じているヴァレンティナも頷いていた。
二人とも極上の美女である。
美しい花に虫が集るのは必然と言えよう。
「そういえば、他の人は?」
「アイザックは例によって、見目麗しいマダムに変装して、貴族の若い燕に夢と絶望の思い出作りに専念しているし、レスターはさっさと好きな食べ物を皿に取って研究室に引きこもっている。ジャスティンは今頃、猪でも狩っているんじゃないか? ダグラスは……」
とカズマが説明しようとした瞬間、目の前のテーブルが大量の食べ物を撒き散らしながら倒れた。
もったいないなと貧乏性のカズマが思っていると、豚ロース肉をポワレしてバルサミコソースの甘酸っぱいソースを掛けた料理長自慢の一品が入っていた皿を頭に乗っけた男が立ち上がった。
「フッフッフッお嬢さん、なかなか過激な趣味ですね。しか~~~~し、私はその趣味ごとあなたを愛して見せましょう!」
熱っぽく呟くダグラスの視線の先ではフンッと鼻を鳴らし、踵を返す御令嬢の姿があった。
「くぅ~、何が問題だったんだ! 恋愛戦略軍略マニュアルこれであの子のハートもゲットだぜ!カズマ式兵法書38ページ通りにナンパしたのにぃ~~~!」
シクシク泣いているダグラスを見かねたオフィーリアが花柄をあしらった愛らしいハンカチを差し出していた。
もはや、どちらが保護者か分からない。
「ところで恋愛マニュアルって?」
「いや、ダグラスがシャナの千里眼ならナンパの方法も分かるだろって泣いて頼むから適当に書いた兵法書を渡したんだ」
とカズマは肩を竦めながら答えた。
そんな著者に気付くことなく、くそ~! こんなことではあきらめんぞ! 次は89ページのこれだな! と懐から恋愛戦略マニュアル(略)を取り出すやダグラスは目を通し始めていた。
「ダグラス、諦めたらどうじゃ。足掻けば足掻くほど振られているような気がするのじゃが……」
「甘い、甘いぞオフィーリア! ケーキを肴にカルーアミルクをピッチャーで飲む並みに甘いぞ! この本には百戦無敗のカズマが書いた数々の兵法が載っているのだ。例えばだ。この自然の動きを兵法に例えた言葉なんぞ、胸が震えるほど感動するぞ」
呆れ顔のオフィーリアを教え諭すようにダグラスは説明した。
「スカートを捲ること風の如く
女湯を覗くこと林の如く
夜這いすること火の如く
おっぱいは山の如く!
略して風林火山っ~~~~! この言葉を極めた時、俺は兵法の天才になるのだ!」
グッと手を握り、白い目で駄目な保護者を見る美幼女を気にすることなく宣言していた。
「……あそこまで信じるとは思わなかったがな」
ポリポリと頬を掻きながらカズマはとりあえず、そっぽを向きながら他人の振りをすることにした。
そんな愉快なカズマ一行に近付く物好きな人間がいた。
「そなたがシャナの千里眼……。カズマ殿だな? 噂はかねがね聞いておる」
白い礼服で男装した主賓であるショーナ皇女であった。
彼女は一連の騒ぎを面白そうに眺め、声を掛けたのである。
「これはこれはショーナ皇女様。バーネット皇国の勝利の女神様に名前を知って頂けるとは……。私の一生の誇りでございます」
普段の姿からは想像できないほど、胸に右手を当てて優雅にカズマは頭を下げた。
やろうと思えば、これぐらいの芸当は出来るのである。
貴族を貴族とも思わないカズマだが、表面上だけでも礼儀を見せるべき相手を知っている。
バーネット皇国と同盟を結んでいるからこそ、セントレイズ帝国とシャナ王国は戦えるのである。
もし、皇女の機嫌を損ねて同盟にヒビが入っては大変である。
自分の詰まらないプライドで余計なリスクを背負うほど、カズマは愚かではなかった。
「世辞はいらん。それよりも、外で夜風に当たらんか? シャナの千里眼と呼ばれるカズマ殿には前々から興味があってな。是非、二人で話しがしたい」
さて、自分に何の用だろうと首を傾げたが、特に断る理由を見いだせなかったカズマはバルコニーへと彼女を案内した。
どうもお久しぶりです。
地震によりトイレで死にかけた越前屋です。
とりあえず、お待たせいたしました。
何とか72話が完成しました。
次回は4,5月中ですかね? 気長に待って頂けると幸いです。