第四章 64話 シャナ王国はブルー企業?
コーラルの地で王国軍はグランバニア大陸最大の戦力を誇る帝国軍を打ち破った。
それは戦史に残る戦いだろう。
2倍以上の敵に王国軍は完勝したのである。
敗れた帝国軍はランスに向けて敗走を余儀なくされた。
この敗走した軍勢に追撃をかけるべくフローレンス騎士団長は全軍から軽騎兵5千を抽出し、マーリン万騎将に追撃を命じた。
これと先に帝国軍の追撃を行っている別働隊4万が合流する手筈となっていた。
それ以外の王国軍将兵は長時間に亘る戦いで消耗しており、工兵が簡単な陣幕を作ると、そこで休むこととなった。
◆
工兵隊の手で作られた指揮官専用の天幕でクーダは傷口の縫合を行っていた。
彼は軍医としてシャナ王国軍に加わっていたのだ。
「これでいいでしょう。あまり無理して動かないで下さいよ? 縫ったばかりで傷口が開くかもしれませんからね」
クーダは処置を終えると、桶に汲まれた水で手を洗った。
「なぁ、クーダ先生。本当に大丈夫か? まだ、脇腹がズキズキ痛むんだけど」
簡易ベッドの上でカズマは包帯の巻かれたお腹を軽く擦っていた。
「大丈夫ですよ。あと2、3週間もすれば、綺麗に塞がります。このくらいの怪我だと、物足りないぐらいです。もっと生死の淵を永遠に彷徨うぐらいの怪我をしてくれれば、張り合いがあったんですけどね。そんな怪我よりも患者の暴れっぷりのほうに私は手を焼かされましたよ。私の医者人生でもトップワン(ダントツ1位)に入る手のかかる患者ですね」
ヤレヤレとクーダは首を振った。
クーダが縫合しようとする度にカズマが子供のように暴れるので、最終的には近衛騎士が三人がかりで患者を抑え込んで縫合したのである。
「そんなことないだろ、きっと俺以外にもいるはずだろ」
「いやいや、屈強な騎士達を三人相手に互角の抵抗を出来る患者はあなただけですよ。是非、今度の医学会で行われる『モンスタークランケ大陸選手権』に推薦したい程です。カズマ殿はモンスタークランケ界に新星の如く現れた10年に1人の逸材と言っても過言ではないです」
「医学会って、そんなに暇なのかよ! もっと新薬を開発したり、新しい治療法を見つけたりすることは山ほどあるだろ!」
「医学会なんてそんなもんですよ? 他にも『笑える医療ミス選手権』ですとか、『こんなナースに看病されたいぜ! ミスコン選手権』や『白衣の天使をこよなく愛する会』も毎年大好評で。特にナースのミスコンは各界の著名人が多数訪れる一大イベントですよ」
「絶望した、この世界に絶望した!」
とりあえず王都に戻ったら『こんなナースに看病されたいぜ!ミスコン選手権』の開催日をいの一番に調べようとカズマは心に誓った。
「まぁ、それでは私はこれで失礼します。今度、私を呼ぶ時は生死を彷徨っている時にして下さいね」
「……善処するよ」
本当にこんなのが医者でいいのだろうかとカズマは深く思った。
そんなクーダは医療用カバンに治療道具を素早く片付けると、天幕を出ていった。
それと入れ替わるようにしてヴァレンティナが中に入ってきた。
「カズマ、大丈夫そうかしら?」
「あれ、ヴァレンティナ? 帝国軍を追撃していたんじゃなかったのか?」
てっきりヴァレンティナも帝国軍を追撃しているとカズマは思っていた。
「カズマ様が怪我をしたと聞いてはそれどころではありませんわ。別働隊の指揮権はちょうど来たマーリン万騎将にさっさと渡しましたわ」
そう言うやヴァレンティナは簡易ベッドの縁に腰かけた。
「怪我は思ったよりも軽いぞ。内臓は損傷していないそうだし、2、3週間安静にしていれば治るってさ」
「良かったわ。当然よね、私のファーストキスだもの。それぐらいの効力はあるわよね」
「いやいや、嘘でしょ?」
男慣れしていそうなヴァレンティナがファーストキスをもしていなかったとは信じられなかった。
「あら、そんなに私がふしだらな女に見える? ……そうね、カズマの前ではふしだらな女になってしまうかしら」
トロンとした目でそう言うや、カズマへとヴァレンティナはにじり寄った。
その姿は得物を見つけた女豹のようだった。
「ん~とね、ヴァレンティナ。ほらっ、ここはいつ誰が来るか分からないし。ねっ? だから、その天をも貫こうかという二つの女性の象徴を俺に押し付けるのを止めようか! そろそろ、嬉し恥ずかし大人の時間が始まっちゃうからさっ!」
カズマは咄嗟に手を突き出してヴァレンティナを拒もうとしたが、それは逆効果であった。
一瞬後、ヴァレンティナを押し止めようとした右手は柔らかな衝撃をカズマは感じた。
それは手のひらにとても収まりきらないほど大きく、この世で最も甘美な柔らかさであった。
揉めば揉むほど味が出る餅である。
思わずカズマは本能のままに少し手に力を込めると、ヴァレンティナの口から「……んっ」という喘ぎ声がこぼれ落ちた。
……これはマズい。
何がと聞かれると困るが、色々とマズいとカズマは思った。
彼女の全身は甘い麻薬であった。
胸に置かれた右手はもっと揉みたいと、カズマの理性を受け付けずに自分勝手に動き出す始末。
左手もヴァレンティナを押しのけようと、彼女の腰に手を当てていたが、それをカズマは少し後悔していた。
ヴァレンティナの見事な腰のラインは彼女の上質な絹糸のような柔肌と合わさって、鮮やかなシルクロードを生み出す。
その彼女の腰に当てている左手は少しでも彼女の腰から手を離すと、禁断症状に苛まされた。
もっと、触らせろ! そんな声をカズマは左手から確かに聞こえた気がした。
「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ」
使徒からの襲撃にカズマは必死に理性のコントロールから逃げようとする己の体に言い聞かせていた。
「カ・ズ・マ?」
ヴァレンティナはカズマの耳元に紅い唇を近付けると、ふぅ~と優しく吹きかけた。
その蠱惑的な春風はカズマの理性を吹き飛ばすのには十分な風速をもっていた。
(……古来より据え膳食わぬは男の恥という。ここで退くこと。すなわち約6000万人いる日本男児達の恥になるということ。それだけは避けなければならない。日本男児達の熱き魂と意地とプライドが俺の肩に掛かっているのだ!)
そう煩悩をカズマは正当化すると、息も荒くヴァレンティナを押し倒そうとした瞬間……。
「カズマ、怪我をしたって聞いたけど大丈夫なの! 別働隊はマーリン万騎将に預けて来…ちゃっ…た…けど……?」
勢いよく天幕に飛び込んで来たセシリアがそのままの姿で固まった。
次の瞬間、スーパー夜叉姫と化したセシリアが自慢の金髪を逆立てさせた。
カズマがスカウターを身に着けていれば、一瞬で壊れたことだろう。
それほどの凄まじい戦闘力が彼女の身に宿っていた。
「遺言はある?」
「……ふっ、知っていたさ。これがお約束だということはこの千里眼にはお見通しなのネ痛い痛い痛い遺体Death合うあじゃあtgby不jいこ、xwせdcyhぐあああああああああああああああああああああ(ry)」
カズマの悲痛な声は夜のコーラルでひっそりといつまでも響き渡っていたという。
◆
翌日、王国軍の幹部達がコーラル城に揃って入城すると、城主であるナシアス自ら出迎えていた。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。部屋を用意しております」
ナシアスの案内でコーラル城の一室へと向かった。
その部屋には大きな円卓があり、それに合わせて人数分の椅子も置いてあった。
その椅子に各自が思い思いに座った。
それを確認したナシアスは気になっていたことをカズマに訊いた。
「軍師殿、その傷はもしや? コーウェン将軍と戦った時のですか?」
カズマの痣だらけになっている顔を見て、ナシアスはコーウェン将軍の凄まじい執念と戦闘の激しさに思いを馳せていた。
「まぁ、うん……そうなんだよ。あんな攻撃は今まで見たこと無かったね。速さ、威力ともに申し分なかったよ」
とても顔の傷は昨日の夜にセシリアにやられたものだと言えないカズマは曖昧に言葉を濁すしかなかった。
そして、ちらりと元凶をカズマは見た。
その視線に気付いたセシリアが「何よ」と言いたげな目で見つめ返した。
「いや、別に……」
下手に藪を突付いて特大のアナコンダが出てきては困ると思ったカズマは視線を即座に外した。
「さて、それじゃ軍議を始めるとするか」
フローレンスが軍議の開始を宣言すると、皆の目が近衛騎士団長に集まった。
「と、その前にナシアス伯爵」
フローレンス近衛騎士団長が懐に手を入れると、何かを取り出した。
それを子供とキャッチボールをするお父さんが投げるボールのように軽くナシアスの胸元に放った。
ナシアスはそれを慌てて両手で受け取った。
「……これは短剣ですか?」
それは見事な装飾が施された短剣であった。
鞘にはふんだんに金箔が塗られ、至る所に宝石なども散りばめられていた。
その短剣一つを売れば、一般的な家族が5、6年を遊んで暮らせることだろう。
「おぅ、ちぃっとばかし凝った作りをしているだけのただの短剣だ。持ち主にはついでに将軍の位もプレゼントされるだけのな」
王からその短剣を授与された者はシャナ王国において将軍の位に就くことを意味する。
将軍とはシャナ王国で一軍を率いることを許された者だけが持つことを許された地位である。
その称号を持つ者は王国軍総司令官になる資格を認められ、武人ならば誰でも憧れる称号であった。
その称号がシャナ王国史上最年少となるナシアスに贈られたのだ。
とはいえ、当の本人は非常に戸惑っていた。
「し、しかし! 私はまだ若輩者ですし。そのような役にはまだ早いのでは」
「反対、拒絶、辞退は受けつけん。これはもう陛下が直々に下した決定事項だからな」
ナシアスの抗議をフローレンスが考えるまでもなく一蹴した。
「ですが……」
それでもナシアスは戸惑っていたが、痺れを切らしたカズマが声を出した。
「あぁ、もううるさいっ! ナシアスは将軍の位に就く。はい、決定! 文句を言った場合には市中引き回してから竹製の鋸で三日間ぎっとり、ねっとり、じっくりと休みなしに引かせ続けるぞ。これは王都からの指示を無視した罰だ」
「罰……?」
確かに王都からの退避命令をナシアスは無視した格好になっていた。
違反と言われれば、確かに違反だろう。
とはいえ、その罰がなんで将軍の位を授与されるのかが分からなかった。
そんなナシアスにカズマはふふんと鼻で笑った。
「罰だろ? 俺だったら、死んでも嫌だね。そんな面倒くさい地位。ナシアスにはブラック企業のお偉方の顔が真っ青になって、ブルー企業と呼ばれちゃうぐらいの労働環境を用意してあるから覚悟しておくように」
ブラック企業が何なのか良く分からなかったが、それが碌でもないものであることは理解出来たナシアスであった。
「まぁ、過労死しない程度に一緒に頑張ろうな。ナシアス君」
そんなナシアスの背中にフローレンスが軽く叩いた。
その目には新しい同僚を迎えるような慈愛の気持ちで満ちていた。
こうして、ブルー企業にまた一人の新入社員が入社したという。
そんなブルー企業に入社した新入社員はコーラル城で帝国軍の大軍に包囲された時のような命の危機を強烈に感じた。
だが、軍議は深刻に悩んでいるナシアスを無視し始まった。
「それで今後の予定だが、帝国軍を国境に追い出した後のことを協議したい。意見はあるか?」
「小官が思うに、この勝利した勢いをもって、帝国領に攻め込みましょう!」
「私も賛成です! このまま攻めいれば、必ずや帝都を攻め落とせましょう!」
帝国軍に勝利したことで次々と騎士達の間から積極論が飛び出てきた。
その後も威勢の良い意見が次々と飛び出し、軍議は盛り上がった。
だが、カズマはその盛り上がっている場の中で仏頂面をしていた。
その中で沈黙を保っているナシアスに気づいたカズマが話を向けた。
「ナシアスはどう思う?」
カズマに意見を求められたナシアスはしばし迷ったが、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……私は聖都ランス付近の国境を固めるべきだと思います」
ナシアスの言葉に騎士達がいきり立った。
それをカズマは右手で制し「続けて」と言った。
「コーラルの地で帝国軍を打ち破ったとはいえ、それはまだ帝国軍の一部でございます。帝国領にはいまだ数多くの帝国軍が控えております。それらを撃破するには全てにおいて足りておりません。そして、帝国の地で敗れるようなことがあれば、シャナ王国は今度こそ滅亡します。ここは聖都ランス周辺の国境沿いに新たな砦などを築き、帝国軍が再侵攻しても万全な態勢を整えるべきだと私は愚考します」
ゆっくりとナシアスは言葉を選びながら意見を述べた。
そして、ナシアスは発言を述べ終わると、ふぅ~と息を吐き自分のイスに再び座り直した。
それをカズマは見やりながら、軍議の間ずっと仏頂面だった表情を初めて和らげた。
「威勢のいい言葉は耳に心地よい。だが、それを口にしていいのは現場指揮官までだ。俺達は常に状況を客観的に見なければならない。それが数万の将兵達の命を預かっている俺達の仕事だ」
カズマは威勢の良い意見を出していた騎士達をジロリと見渡しながら言った。
その視線に騎士達は恥ずかしげに顔を俯かせた。
「さて、ナシアスの意見を是とするのが上策だと思う。フローレンスの意見はどうだ?」
「ふむ、退き際が最も大事だ。俺の勘も危ないと告げている。それに俺もそろそろ妻とイチャイチャしたくて堪らんからな」
フローレンスが肩を竦めると、騎士達の間から失笑が漏れた。
「それでどうする? 砦を築くにしろ、帝国軍を防ぐ規模となるとだ。かなりの時間がかかるぞ。それに帝国軍20万がまだランス周辺の都市に後詰として控えていたという情報もある。その兵力で再び侵攻してくる可能性は?」
フローレンスが危惧していることをカズマに訊いた。
機を見るに敏なギルバートが敗残兵を再編成し、再度後詰だった帝国軍が侵攻してくる可能性はあった。
「それなら手は打ってある。今頃、動き始めているはずだ」
カズマは自信ありげにニヤリと笑った。
大分、お待たせいたしました。
これで64話となります。
さて、私の気持ちを思う存分ぶつけた今作となっております。
皆さんも不景気だからと言って、会社を妥協してはいけませんよ?
入社1カ月で過労死しそうな目に会うかも知れません。
それでは過労死していなければまた次回会いましょう!
過労死していたら天国まで逢いに来て下さい。
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