第三章 61話 コーラルの戦い終結
「どんどん弓矢を放ちなさい! 狙いは定めなくてもいいわ!! 撃てば当たるんだから」
さきほどまで帝国軍の左翼にセシリアは弓矢を帝国軍に降らせ続けていた。
そして、弓矢が無くなると同時にセシリアは帝国軍に向けて突撃を開始していたのである。
美しくも頼りになる上官の姿に王国軍が奮い立ったのは言うまでもない。
「セシリア様に指一本触れさせぬ!」
数で勝る帝国軍を王国軍別働隊は押しまくっていた。
セシリアはその合間にダグラスを傍らに呼んだ。
「ダグラス、準備のほどはどう?」
「セシリア姐御、任せて下さい。もう、終わりますぜ!」
「分かったわ、あなたは戻って頂戴。タイミングは分かるわよね?」
「大丈夫です。必ずや姉御の期待に応えて見せますとも。……ですので、成功した暁には貴族のお嬢様方のご紹介お願いします! もう、俺には後が無いんです!」
ダグラスは帝国兵と戦いながら、土下座するという離れ業をやってのけた。
その様子にセシリアは宙に目線を彷徨わせながら、曖昧に頷いた。
「……うん、考えてみるわ。あくまでも考えるだけよ?」
「うっしゃー! 力が湧いてきたぞ!!」
聞きたくない情報は自動でシャットダウンする便利な機能付きの耳をフル作動させながらダグラスは小躍りして喜んだ。
「ほらほら、もういいから。早く持ち場に行きなさい」
「分っかりやした姉御! 俺はヤルッす! これで勇気百倍ダグラスマンっす! たとえ、火の中、水の中! 美女の胸の谷間の中やスカートの中!」
「それは止めなさいっ! 」
「飛び込んで見せましょう!」
「したら、即逮捕するわよっ!」
しかし、既に貴族のお姉さま方に囲まれる夢を見ているダグラスはセシリアの声は聞こえなかった。
「それじゃ、ジャスティン。姐御の護衛を頼んだぞ?」
「……指一本触れさせない」
ジャスティンは持っていた愛用の弓を掲げて静かに応えた。
「おぉ、任せたぜ! じゃ、まだ見ぬ美女の為! 行ってくるぜ!」
ダグラスはそれだけ言い残すと軽やかにスキップしながら、立ち去っていった。
「……とりあえず、私たちも行くわよ! 全軍突撃っ!」
セシリアの号令に別働隊は歓声で持って応えた。
◆
セシリアの別働隊が帝国軍を襲ったのと時を同じくしてヴァレンティナ率いる別働隊も帝国軍の右を突撃していた。
「それにしても呆気ないわね。こんな簡単に帝国軍は引っかかるなんて」
「コーウェン将軍が名将ゆえに引っ掛かったのでしょう」
カーラは実質的に指揮を執りながら直接的の主君の言葉に返事をしていた。
その間にもカーラは的確な采配で帝国軍の防衛ラインを切り崩してくことも忘れない。
左右から王国軍別働隊の攻撃を受け、さらには前方からも王国軍本隊の反撃を受け動揺していた帝国軍の防衛ラインは簡単にカーラの采配にきりきり舞いになった。
「それはともかくセシリアには負けられないわよ。御褒美は私が貰うんだから」
「お任せ下さい」
カーラは頭を下げ、帝国軍に更なる攻勢をかけた。
◆
「敵部隊は我が軍の左右を同時に攻撃しております!!」
「これに呼応し、敵本隊も反撃を開始!」
「左翼のゴードン万騎将から救援要請です!」
続々とコーウェン将軍のいる帝国軍本隊に阿鼻叫喚の混じった報告が届けられていた。
「浮足立つな、敵は我らよりも少数だ! 慌てず、対応しろ!! 一旦後退して態勢を整えるぞ! ゴードン万騎将は敵別働隊を全力で食い止めるように伝えよ! すぐに予備兵力から兵を抽出し、向かわせる! 先鋒のロッペン万騎将には後退するように言えっ! それと、セイジュ山麓で敵別働隊を待ち受けている6万の軍勢をすぐに呼び戻せ!」
敵別働隊からの攻撃で浮足立った帝国軍をコーウェン将軍は一喝して立ち直らせ、矢継ぎ早に指示を出していく。
長年の経験でコーウェン将軍は茫然自失となっている兵達を立ち直らせるにはすぐに命令を出すことだと心得ていた。
百戦錬磨の将軍らしい的確な指示で帝国軍は何とか立ち直りつつあった。
「ふん、たしかに見事な作戦だ。我らを平野部に誘い込んで、三方向からの攻撃で撃破する。並みの将軍では敗走に追い込まれたことだろう。だが、儂はそうはいかんぞ!」
コーウェン将軍はいまだ湧き続ける闘志を隠そうともせず吠えた。
その戦場に轟く虎の咆哮に帝国軍の将兵は自分のすべきことを思い出していった。
動揺していた前線はコーウェン将軍のお陰で立ち直りつつあり、王国軍に反撃するのも時間の問題のように思われた。
そうなれば、王国軍は別働隊による伏兵で帝国軍に打撃を与えたとはいえ、いまだに兵数では劣っている。
これにセイジュ山麓に布陣していた帝国軍5万が本隊と合流すれば、王国軍は一転危機に陥ることは明白だった。
「その策ごと王国軍を潰してくれようぞ!」
◆
そのことは王国軍本隊で指揮を執るフローレンス騎士団長にも分かっていた。
「ちっ、もう立ち直りつつあるぞ! さすがはコーウェン将軍だ。一筋縄ではいかないか」
コーウェン将軍の手腕にフローレンス騎士団長も舌を巻かずにはいられなかった。
今まで優勢だった王国軍はコーウェン将軍の一喝で立ち直った帝国軍に徐々に押され始めていた。
最初の伏兵で帝国軍を押しきれなかったことが痛かった。
さすがのフローレンス騎士団長でも真正面から数で勝る敵とグランバニア大陸を代表する敵将が相手では手に余った。
「頼むぜ、軍師殿……」
王国軍の命運を握っている軍師がいるであろう後方を振り返りながらフローレンスは呟いた。
◆
王国軍が押されていることは後方にいるカズマにも分かった。
「大丈夫でやんすかね?」
戦況に不安を覚えたバルカンがカズマに問うた。
「大丈夫だよ。あの二人ならやってくれるさ」
カズマは自分に言い聞かせるように力強くバルカンに言い放った。
「そうでやんすね。ヴァレンティナ姉御には今を時めくシャナの千里眼様の施したお呪いがあるでやんすしね」
「ブフッ!」
「ところであれはファーストキスでやんすか?」
「黙れいっ! そこの筋肉ダルマ!」
「それは肯定と受け取るでやんすが?」
「ほれっ、いいから前を見ろよ、前を! 一筋縄の他にも百筋縄まで用意した罠がついに出てきたんだから!」
カズマが話を誤魔化すべく人差し指で指した方向には最後まで足掻く虎を捕らえるための最後の罠が発動していた。
◆
それは戦場と言う場所でなければ、いつまでも見ていたい幻想的な光景であった。
夜の闇からでも分かる大量の火の球が一斉に帝国軍の王国軍の別働隊がいた左右の山から浮き上がったのだ。
その数は数十万を数えるだろう。
帝国軍の兵士達はホタルの大軍が飛んでいるかのように錯覚するほどであった。
この準備をするのに時間がかかり、帝国軍を平野部に誘い込んでも王国軍別働隊が動き出せなかった理由はここにある。
これだけであれば、帝国軍は何事も無かったかのように戦い続けたに違いない。
だが、カズマの策はこれで終わらない。
『さぁ、コーウェン将軍。これで王手飛車取りだぞ?』
この戦場のどこかで猫背気味の軍師がニヤリと笑いながら呟いたという。
◆
数十万本はあるだろう松明が夜の闇に浮き出ることを合図に帝国軍に突撃をしていた別働隊の面々が口々に叫び始めた。
それは……
「バーネット皇国からの援軍だ! 援軍が来たぞ!」」
「姫将軍直々に率いる20万の軍勢だ!」
「これで我らの勝利だ!!」
この王国軍兵士達の言葉に帝国軍の将兵は凍りついた。
かねてからバーネット皇国とシャナ王国は同盟関係にあることは誰でも知っていたからだ。
更に数日前からバーネット皇国軍が援軍に来るという噂は帝国軍陣地内にも公然と流れていた。
帝国軍の将兵は一瞬でその噂を思い出したのである。
そこで更なる追い打ちが味方の兵士達からもかけられた……
「もう、駄目だ! バーネット皇国軍が援軍に来ちまった! 俺らの負けだ!」
「援軍は20万の大軍だぞ! 俺らじゃ、敵いっこないぞ!」
「俺はもう逃げるぞ! こんな異国の地で死んでたまるかっ!」
という声があちらこちらから聞こえてきたことである。
あらかじめカズマがグローブ宰相に命じて帝国軍内に潜入させていた王国軍の細作に流言を叫ばせたから堪らない。
すでに王国軍は先の戦いで聖堂騎士団の動きを読み切って、敗退させている。
帝国軍も奇襲攻撃をかけるつもりが逆に王国軍の伏兵にあっていた。
王国軍はことごとく自分達の予想を超える動きを見せているのである。
この上、バーネット皇国軍がこの場所に現れてもおかしくない。
帝国軍の将兵達がそう考えたのも無理からぬことだった。
見る間に帝国軍は戦意を喪失し始めた。
さらに数十人の帝国軍兵が戦場から逃げ出し始めたことで帝国軍は完全に瓦解した。
一人が逃げ出せば、我も我もと逃げ出すのは人間の性である。
必死に下級指揮官や上級指揮官達が逃げ出す兵士達押し止めようと「敵前逃亡は死刑だぞ!」と叫ぶがそんなもので止まれるほど人間の生存本能は甘くない。
見る間に逃亡する兵は数万規模に膨れ上がった。
帝国軍はシロアリに食い潰された家屋のように一瞬で崩れてしまったのである。
◆
「おのれ、あの噂は全てこの為だったか……! バーネット皇国軍の援軍が来ると我らの脳裏に刻みつけ、敵の援軍がきたと吹聴する。例え、それが偽兵でも我らは敗れる……!!」
己の膝を力いっぱい拳でコーウェン将軍は叩いた。
「将軍、ならすぐに全軍にバーネット皇国軍は偽物だと伝達しましょう!」
「……無駄だ。もはや逃亡していく兵にはどんな智将、名将でも止められん」
「そんな!」
副官が詰め寄ったが、コーウェン将軍は力無く首を横に振った。
「この戦の敗因。シャナの千里眼を若造と甘く見た儂の責任だ」
「将軍、どうする気ですか!」
「知れたことよ。儂はこれから王国軍本陣に突撃する。このままでは陛下に会わせる顔がない」
「しかし、勝敗は兵家の常です! それに将軍は総大将です! 将軍以外に纏められません! 残りの無事な帝国軍の将兵を無事に本国へ帰すのも将軍の仕事です! どうか、お願いします! 指揮を!!」
王国軍本隊に向けて突撃をしようとする将軍の袂を必死に掴み副官が諫言をする。
「止めるな。このままでは帝国軍は全滅する。これ以上の被害は許されん。儂が王国軍に突撃し、時間を稼ぐ。その間にお前は帝国軍を纏めろ」
「将軍!」
「儂の最後の命令だ。儂と地獄の底まで付き合う奇特な者たちは続けっ!」
コーウェン将軍の檄に帝国軍本陣を守る3千人の騎馬隊は黙って、突撃用の陣形を作った。
彼らは数多い帝国軍の中から将軍直々に選び出された子飼いの精鋭集団である。
「さぁ、儂の最後の戦ぶり。とくとシャナの千里眼に見せつけてやるとしよう。全軍、突撃っ! 儂に続けっ!!」
コーウェン将軍が愛用の朱槍を片手に先頭を切って突撃を開始すると、それに騎馬隊は続いた。
残された副官は将軍の命令を無視し、後に続くべきか迷っていた。
だが、残された帝国軍の将兵達が不安そうにしている表情を見て断腸の思いで決断した。
「指揮は将軍に変わり、私が執る! 全軍に撤退を伝達しろっ! 急げっ!」
副官が指示を出すと、慌てて帝国兵が動き出していった。
そんな様子に構うことなく副官は将軍が突撃していった方角に恭しく敬礼すると、将軍の最後の命令を遂行すべく自分も動き出した。
こうして、帝国軍は一部を残してコーラルの地を撤退することになる。
ここに帝国軍対王国軍の戦いは後者の勝利で終結した。
だが、コーウェン将軍対カズマの戦いの幕は始まったばかりであった。
お待たせいたしました。
やっとこさ、策の全貌を開陳出来ました。
次回で完全にコーラルの戦いが終結する予定です。
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