第三章 60話 啄木鳥戦法
これまでの小競り合いとは異なり、帝国軍と王国軍の戦は夜から始まっていた。
王国軍の奇襲を読んだコーウェン将軍がそれよりも先に王国軍陣地に攻め込んだのである。
「突撃だ、突撃!」
「王国軍を踏み潰せ!」
帝国軍は王国軍陣地に殺到していた。
この帝国軍の攻勢を王国軍は必死に跳ね返していた。
だが、奇襲攻撃を見破っていた帝国軍に勢いがある。
フローレンス騎士団長の必死の指揮で王国軍は何とか持ちこたえている状況だった。
「それにしても、さすがは将軍ですね。よく敵の奇襲部隊が動き出すことを見破りましたね」
「なに。奇襲をかけるのに今夜ほど適切な日はあるまい。それこそがシャナの千里眼と申す若造の命取りだな。簡単にいえば、シャナの千里眼の最大の弱点は致命的に戦の経験が無いことよ。だから、戦の駆け引きを知らん。こういう戦では先に動いたほうが負けるものだ。そういった戦の駆け引きを知らんから奇襲攻撃を読まれるのだよ」
そう言い、コーウェン将軍は小競り合いが終わった直後の王国軍陣地を思い出していた。
◆
帝国軍セイジュ山本陣
今日も王国軍との戦は決着が付かず、夕刻になったこともあって両陣とも兵を引いた。
戦が終わるとコーウェン将軍はセイジュ山の頂上から黙って王国軍陣地を眺めていた。
依然小雨が降り続けているものの、目を凝らせば何とか王国軍陣地の様子を見ることが出来た。
その様子はどうやら何か思いに耽っているようであった。
そんな将軍に副官が近付いた。
「将軍、そんなに王国軍の陣地を眺めてどうしましたか?」
「今夜、王国軍が動くぞ」
ジッと王国軍を見ていたコーウェン将軍が短く呟いた。
「まさか……!」
「ワシの勘が告げている。今夜、動くとな」
それでも不信そうに見る副官にコーウェン将軍は言葉をつづけた。
「何も根拠のない話しではない。情況的には王国軍もそろそろ動かずにはいられないだろう」
「それは一体?」
「敵に援軍がいるなら、こちらにも援軍がいる。あちらも馬鹿ではない。陛下の援軍がバーネット皇国軍の動向次第でいつ来るかも分からん状況だ。そうなると援軍が来る前に何とか我々を撃破したいと思っていることだろう。そして、この天気は奇襲におあつらえ向きだ。また、最大の根拠が王国軍陣地の様子だ。王国軍の陣地を良く見てみろ? いつもより警戒が厳重になっている」
将軍の指摘に副官もまじまじと王国軍陣地を見てみると確かにいつもより歩哨の数が多かった。
「いいか? いつもより警戒が厳重だということは敵に悟られると不味い何かがあるということだ。謀りは密を持って良しとする。千里眼のヒヨッコは忠実にその言葉を守っているつもりなのだ。警戒を厳重にすることで見破られるとは思わずにな。王国軍に斥候は出しているか?」
「それが昨夜から王国軍の警戒が厳しく、王国軍陣地に近付いた物見兵は捕縛されるか殺されています。とても近づけません」
「やはりな。別働隊の存在を察知されることを警戒していると見える。よし、斥候は王国軍陣地に近付くな。王国軍の警戒網の外で待機しろ。敵の別働隊が動き出したことを確認したら、報告するように厳命させろ。我々は別働隊の編成で敵本陣が薄くなったところを全兵力で奇襲するぞ」
「畏まりました」
副官が慌てて陣地に戻って行った。
「策士策に溺れたな。この戦、勝たせて貰うぞ」
コーウェン将軍は虎のような鋭い犬歯を見せながら獰猛に笑った。
◆
そして、セシリア達率いる別働隊の動きを察知するや帝国軍は山を下りたのである。
この奇襲攻撃で帝国軍は一気に優勢となったのは言うまでもない。
その攻勢は凄まじく、さしものフローレンス騎士団長でも支えきれなかった。
「ちぃっ! 仕方がない! 陣地を放棄して後退しろ!! 山間で敵を防ぐぞ!!」
帝国軍の猛攻に陣地では支えきれないとみたフローレンス騎士団長はついに陣地の放棄を決断した。
「退却だ! 退却っ!!」
「退け、退けっ!!」
王国軍は自陣地に火を放ち一斉に後退する。
この好機に帝国軍は勇み立った。
古来より後退するのと追撃するのでは後者が有利である。
帝国軍は勇躍し、敵陣地を占領するのももどかしく追撃を始めた
だが、さすがは手堅い用兵を得意とするフローレンス騎士団長は帝国軍の思い通りにはさせなかった。
「今こそ、近衛騎士団の見せ場だぞ! 総員奮起せよ!」
フローレンス騎士団長はそう吠えるや近衛騎士団は奮い立った。
王国軍随一の精鋭という誇りを守るべく、鬼の形相で近衛騎士達は帝国軍に戦いを挑む。
フローレンス騎士団長自身も槍を持ち、次から次へと湧き上がる敵兵を串刺しにしていく。
さらにフローレンス騎士団長は近衛騎士団の一部隊を後方に先回りさせ、身を隠せる場所で待機した。
そして、近衛騎士団が後退した後に現れる帝国軍を横合いからの伏兵で混乱に追い込み、颯爽と引き上げていった。
こうして、近衛騎士団は追撃してくる帝国軍を伏兵戦術などで打撃を与え、怯んだところを後退するという戦法で巧みに殿の役目を果たした。
この近衛騎士団の働きで領主軍や他騎士団の大部分を後方へと無事に逃がすことに成功した。
帝国軍は伏兵を恐れて追撃の手を緩め、近衛騎士団も平野部に作られた陣地の後方にあった山間部に撤退することに成功した。
「あともう少しだ! もう少しで別働隊が来る!! ここを耐えれば勝機が見えてくる!! ここは耐えてくれ!」
陣頭では役に立たないカズマも先に領主軍や他騎士団と一緒に山間部へと撤退すると、声を張り上げて全軍の士気を上げることに必死になって走り回った。
◆
そんなカズマの声を嘲笑うかのようにコーウェン将軍は抜かりなかった。
「王国軍は別働隊が来ることを信じて戦っているようだが。無駄な抵抗よ。すでにセイジュ山麓には帝国軍6万と聖堂騎士団5万を配置してあるわっ!」
コーウェン将軍は王国軍を追撃している途上で言った。
この時、コーウェン将軍の命を受けた帝国軍6万と聖堂騎士団5万は帝国軍陣地のあったセイジュ山麓で王国軍別働隊を待ち受けていた。
これはもぬけの殻となった帝国軍陣地で事態に気付いた王国軍別働隊が本隊と合流することを防ぐために配置された軍勢であった。
王国軍の別働隊は4万の兵力に対し、帝国軍と聖堂騎士団を合わせた11万の兵力は過剰でもあったが、これには理由があった。
先日の戦で聖堂騎士団を完全に見限ったコーウェン将軍は帝国軍独力でも敵別働隊と戦える戦力を麓に配置したのである。
それが帝国軍6万という数字であった。
これで王国軍別働隊は完全に孤立することになる。
「もはや、帝国軍の勝ちは動かん。いくら、シャナの千里眼といえどもな」
小雨で濡れた顔を手で拭いつつ、絶対的な自信を込めてコーウェン将軍は言った。
事実、王国軍は後方の山間部まで帝国軍に追いつめられていた。
別働隊までもが本隊と合流することが困難ということになれば、王国軍の敗北は免れない。
王国軍の敗北はコーウェン将軍の予測通りに進んでいった。
……だが、コーウェン将軍は忘れていた。何故、カズマが『シャナの千里眼』と呼ばれる所以を。
―――――――――その者、カズマ。
その両目は千里眼。全てを見通し、あらゆる事象を知る千里眼。
どのような豪傑、名将、軍神といえども彼の者に毛筋一つ傷をつけることは叶わぬ。
現世に召喚されし、異郷の賢者。
彼の者は勝利の女神に愛され、軍神の加護を受ける者なり。
彼の者の往くところは栄光に満ちた不敗神話の道のみ。
◆
コーウェン将軍が勝利を確信していた頃、月の光が雲の挟間から時折差し込み、一人の天から舞い降りたかのような美女をその都度うつし出していた。
その様子は下界に舞い降りた女神を彷彿させるものであった。
その美の女神は山頂から王国軍に攻めかかる帝国軍を見下ろしていた。
「ティナ達も準備が出来た頃ね。そろそろ、動くわよ」
その声は類稀な美貌に相応しい柔らかなものあった。
それでありながら、不思議なことに大きな声を出しているわけもないのに彼女の声は辺りに満遍なく響き渡らせていく。
「「はっ!!」」
彼女の声と同時に身じろぎする男達がいた。
彼等は一人の例外なく数万にも及ぶ王国軍の甲冑を身に纏っていた。
その様子はあたかも勝利の女神に率いられた天の軍勢のようであった。
「我がシャナの千里眼に率いられし、王国軍は常勝不敗の軍勢なり! この戦すでに勝利は我らのモノ、総員奮戦せよ! 別働隊攻撃開始っ!!」
美女の凛とした声が鳴り響くと同時に軍勢は静かに動き出した。
◆
「押せ、押せ! あと少しだぞ!」
もはや、勝ち戦がどの帝国兵の脳裏にチラつき始めた頃、異変は帝国軍の左右で突如起きた。
小雨が降り注ぐ暗闇の中から大量の弓矢が帝国軍に降り注いだのである。
「なっ、何事だ!」
「敵襲だ、敵襲っ―!!」
「王国軍の伏兵だ!!!」
今まで何の異変も起きていなかった左右から敵軍の伏兵を受けた帝国軍は動揺した。
帝国軍の将兵が前方だけに集中していたところを横合いから不意打ちをしてきたのである。
帝国軍の一部の将兵は事態を把握し、持っていた盾を上に掲げることで弓矢から己の身を守ることが出来た。
だが、不意の攻撃にそこまで判断できる人間は非常に少ない。
呆然としている間に次から次へと降ってくる弓矢に大多数の帝国兵は抵抗することも出来ず、射抜かれていった。
この攻撃で数百人の兵を一挙に帝国軍は喪ったのである。
更に帝国軍の悪夢は続くことになる。
弓矢による攻撃が一段落したと思ったら、王国軍別働隊が突撃を開始したのである。
弓矢を防ぐために上に盾を掲げていた兵士は無防備そのものであった。
二つの王国軍別働隊はハサミで紙を切り裂くように帝国軍を分断していった。
◆
帝国軍の異変は山間部で必死に防戦していたフローレンス騎士団長にも伝わった。
「よし、別働隊が敵の横っ腹を突いたぞ! 全軍反撃開始! いままでの礼をたっぷり帝国軍に返してやれ!」
フローレンス騎士団長の言葉が響き渡ると、王国軍は歓声を上げて帝国軍に突撃を開始した。
その光景を見ながら、カズマは額にいつのまにか浮いていた冷や汗を手で拭っていた。
「やれやれ、何とか間に合ったか……。あと少し、遅かったら負けるところだった」
カズマの予想より帝国軍の猛攻は凄まじく、何度となく負けるという単語が脳裏をよぎっていたのである。
だが、王国軍はギリギリで帝国軍の攻撃を耐え切ってみせたのである。
シャナ王国軍の別働隊はセイジュ山の帝国軍陣地に奇襲攻撃をかけると見せかけ、帝国軍の左右に伏兵をしていたのだ。
これで戦況は10万対15万となった。
更に直前まで勝利を確信していた帝国軍の将兵は王国軍の伏兵に大きく動揺していた。
そのことを考えれば、戦況は王国軍に傾きつつあっただろう。
「危なかったでやんすね」
「さすがはコーウェン将軍と言ったところかな。まぁ、今回はそれを利用させて貰ったんだけどね」
実は、コーウェン将軍が王国軍別働隊の存在に気付くことをカズマは予測していたのである。
いや、コーウェン将軍が気付くように仕向けたと言ったほうがいいだろう。
カズマはコーウェン将軍と戦う前から彼の戦績を詳しく調べていた。
その戦歴のなかでコーウェン将軍が敵の奇襲攻撃を幾度も事前に看破し、撃退していることにカズマは注目した。
もし、王国軍が奇襲を企てているとコーウェン将軍が気付いたらどう行動するか?
そこでカズマは啄木鳥戦法に応用することを思い立った。
王国軍が奇襲攻撃を計画しているとコーウェン将軍に思わせることで帝国軍は山を下りる。
帝国軍は図らずも啄木鳥戦法と同じ状況になるという寸法だ。
王国軍は三方向から帝国軍に攻撃を加え、撃破するというのがカズマの思い描いた計略であった
「それにしてもコーウェン将軍が山を下りるとよく分かったでやんすね」
「コーウェン将軍はタイプで言えば猛将だからな。戦の方法も防御というよりも攻撃に重点をおいている。別働隊を割くことで敵本隊の陣容が薄くなったと知ったら、必ず本陣に攻め込もうと考えるのは当然の帰結だよ」
そのカズマの推測はコーウェン将軍の過去の戦歴からも裏付けられていたことから自信を持っていた。
「帝国軍が本陣に攻め込むことが分かれば、あとは簡単だ。別働隊には帝国軍の左右に陣取るように伏兵をさせて、頃合いを見て攻撃させるだけだ」
「飛んで火にいる夏の虫でやんすか」
「おぅ。ただ、25万匹もいるけどな」
「それは燃やすのに苦労しそうでやんすね」
「まぁ、フローレンスには頑張って火をくべて貰うとしようか。25万匹の虫を残らず燃やし尽くせるぐらいのやつをね」
そんなカズマの言葉にバルカンは前線にいるであろうフローレンスに向かって合掌した。
◆
「なかなか味な真似をしてくれるな……!」
帝国軍の左右で敵の攻撃を受けたことを知ったコーウェン将軍は歯ぎしりしながら悔しがった。
それと同時に王国軍がなにを狙っていたのかを知った。
シャナの千里眼は王国軍別働隊の存在を気付かせることでコーウェン将軍の油断を誘った。
敵の策を看破した気になって、ノコノコと山を下りてきた自分自身に腸が煮えくり返る位に腹が立っていた。
「……だが、シャナの若造。まだ我々は負けたわけではないぞ。帝国軍は王国軍よりもまだ兵が上回っておるわ」
コーウェン将軍の言葉通り、まだ帝国軍は兵数において王国軍を上回っている。
帝国軍が立ち直れば、戦況が再び帝国軍に傾くことは十分可能性があった。
さらにセイジュ山の麓に残してきた帝国軍が戻ってくれば、カズマの策もろとも王国軍を叩き潰せる。
コーウェン将軍にはそれを成し遂げるだけの技量が十分あった。
コーラルの戦の勝敗がどちらに転ぶかはいまだに分からなかった。
戦いは終幕へと向かいつつあった。
お待たせいたしました。
60話です。まだまだ戦いは終わりません。
次回も宜しくお願いします。
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