第三章 57話 効力絶大なお守り
帝国軍と聖堂騎士団は山を下りるとシャナ王国軍の陣地がある平地で布陣を始めた。
それぞれ中央15万、右翼4万5千の帝国軍が布陣し、左翼には5万の聖堂騎士団が布陣した。
一方のシャナ王国軍は中央に近衛騎士団を中核とした5万、左翼と右翼にはそれぞれ2万5千の領主と騎士団の混合した軍勢が布陣した。
帝国軍と聖堂騎士団が布陣を終えるとコーウェン将軍は全軍に前進を命じた。
◆
その様子はシャナ王国軍の陣地からもよく見えた。
「さすがは20万を軽々超える大軍だな。壮観だね」
カズマは初めて目の当たりにする帝国軍の陣容に圧倒された。
報告や情報などからセントレイズ帝国が巨大国家であることは知っていたのだが、実際軍勢を目の当たりするのとでは印象が丸っきり違った。
更に帝国軍は数十万以上の軍勢を動員できるのである。
まさしく、グランバニア大陸一の巨大国家に相応しい軍容にただただカズマは見とれた。
「軍師殿は呑気で羨ましい。私はそれどころではないというのに」
そんな呑気な軍師の様子にフローレンスが突っ込む。
「仕方ないだろ? 軍師なんて作戦を考えたら仕事は終わりだもん。あとは寝て結果を待つだけだ。昔の人はいいことを言ってくれたよな。果報は寝て待てなんて」
いかにも仕事で疲れたというかのようにカズマは肩をトントンと叩いて見せた。
「……よく言うわよ。仕事中でも寝ている癖に」
「さしずめ、果報が来ても寝て待つでやんすね」
カズマの忠実(?) なる副官達が上官の怠慢をそれぞれ嘆いた。
「それで準備は出来たか?」
形勢が悪いと見るやカズマは話を逸らすことにした。
そのことにセシリアもバルカンも気付いたが、溜息一つで見逃すことにした。
「準備は出来たそうよ。さっき、ダグラスが喜び勇んで私に報告をしたわ」
「……あいつは上官を勘違いしていないか?」
最近、カズマには部下が増えたのだが、どいつもこいつも上司よりも前に副官に報告をするようになっていた。
単純に上司と副官の力の差を見たのか。
それともむさ苦しい男の上司より、見目麗しい女の副官に報告することを選んだのか。
どっちにしてもカズマは頭痛を覚えるほかなかった。
「それにしても、ヴァレンティナ嬢で大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。ヴァレンティナにはカーラがいるからな。なかなか良いコンビだよ、あの二人は。それに御利益抜群のお守りも大量に持たせたし、心配はいらない。あとはフローレンスの仕事次第だ。俺は寝て勝敗を待つからな。信じているよ、不幸将軍様々?」
「寝覚めの悪い報せになっても知らんぞ」
仕事を丸投げする軍師にフローレンスは肩を落としながらもそう言い返すのが精一杯だった。
とりあえず、右翼と左翼を任せている腹心の部下にフローレンスは指示を出し始めた。
◆
フローレンスが右翼と左翼に指示を出している頃、王国軍の右翼に向け聖堂騎士団は進軍をしていた。
帝国軍の左翼を任された聖堂騎士団の団長はドレイグという少壮の男であった。
今年で28歳になる血気盛んな騎士団長であった。
スペンサーが教皇職に就任と同時に百騎将から千騎将と万騎将を飛び越えて騎士団長に昇進していた。
まさしくゼノン教の騎士にとっては羨むべき立身出世である。
ただ、その所為なのだろうか、彼の評判はあまり芳しくない。
聖堂騎士団の騎士達はドレイグについて聞かれれば「筋肉馬鹿」「頭の髄まで筋肉で出来ている」「お山の騎士団長」「筋肉至上主義者」という答えをすぐさま返していた。
その言葉の中には嫉妬の色もあるのだろうがそれでも正鵠を射た評価と言えよう。
さて、その彼の命令は非常に分かりやすい。
何故なら……
「全軍突撃だ! 突撃!! 憎きカズマの首を狙え!!!」
ドレイグ騎士団長は大声を張り上げながら槍を片手に愛馬に跨り率先して、シャナ王国軍の右翼に突撃していく。
彼の脳内辞書は一つの言葉しかインプットされていないと専らの評判である。
すなわち……突撃のみ。
「どけ、どけ! お前らの首なんぞには興味がないわ!!」
ドレイグは真っ先に王国軍右翼への突撃を果たした。
待ち構える王国軍の兵を愛槍で右に左に薙ぎ倒しながらドレイグはひたすら突き進む。
俺にかなう奴はいないと日頃から豪語するだけあって、その武勇は凄まじかった。
当たるを幸いと王国軍兵士が必死に突きだす槍を軽々とかわし、お返しとばかりに槍の穂先を相手の胸に突きたてる。
たちまちドレイグの周辺は王国軍兵士の死体で埋まっていった。
たった一人で王国軍右翼をドレイグが突き崩していると聖堂騎士団の騎士達が遅れてやってきた。
ドレイグが力技で開けた戦線の穴を更にこじ開けるべく突入していく。
「王国軍なんぞ、恐るに足らず!! 我こそ聖堂騎士団最強のドレイグよ!!!」
ドレイグはそう吠えるや、また一人の敵兵を突き殺す。
彼にとっては待ちに待った一戦である。
コーラル城攻防戦でも彼の本音としては戦いたかった。
それは義理や信義といったものではなく、純粋に闘いを楽しみたかったからである。
彼は根っからの戦闘狂であり、それゆえ百騎将の位に留まっていたとも言える。
彼があげた武功は一つの軍団を任せられても可笑しくないほどであった。
ただ現場指揮官としては頼もしい半面、軍団を統べる指揮官としては不安であり、百騎将から昇進することはなかった。
彼はそれを常々不満に思っていたのだ。
……何故、俺よりも弱い奴に命令を受けなければいけないのだ。
それゆえ、スペンサー教皇が彼を聖堂騎士団の団長に任命したときは狂喜乱舞した。
そして、ドレイグが騎士団長に就任してから初めての戦である。
ドレイグの気合いは充分であった。
「猊下に叛逆する異教徒ども!! 覚悟しろ!!!」
更に彼の闘志を燃え上がらせたのはコーウェン将軍の存在である。
グランバニア大陸中に己の武名を知らしめようと思っていた彼にとっては絶好の機会であった。
この戦でコーウェン将軍よりも己のほうが優れていることを証明してやろうとドレイグは思っていた。
そんなドレイグと聖堂騎士団の猛攻にシャナ王国軍の右翼を任されたリュージュ万騎将は耐え切れず後退していった。
◆
聖堂騎士団がシャナ王国軍の右翼をがむしゃらに押しまくっているのはコーウェン将軍のいる中央陣地からもよく見えた。
「聖堂騎士団が敵右翼を押しています」
「中央の敵、右翼に引きずられるように後退!」
「敵左翼も後退!」
続々と帝国軍の中央陣地には前線の情報が入ってくる。
コーウェン将軍はその情報を吟味し、素早く指令を出す。
「よし右翼はそのまま前進して敵の喉笛を喰いちぎってやれ! 中央は今の前線を維持しろ!! 聖堂騎士団なんかに後れを取るな!」
その采配は猛烈にして、苛烈。
ドレイグとは違い槍を手に前線で戦っていないが、コーウェン将軍が猛将と呼ばれるに恥じない采配ぶりであった。
聖堂騎士団の猛攻に加え、帝国軍からの猛攻にシャナ王国軍は防戦一方になっていた。
◆
「リュージュ万騎将には無理をせずに後退するように伝えろ! 第三軍団第4連隊は右翼の救援に向かえ! 左翼のマーリン万騎将も徐々に後退しろ! そのままだと孤立するぞ!」
軍師から仕事を丸投げされたフローレンスは矢継ぎ早に指示を出していった。
並の指揮官ではたちまち潰走へと追い込まれるであろう猛攻を耐え切っていた。
手堅い用兵に定評のあるフローレンスならではだ。
彼は的確な用兵で崩れかけた陣を補強していく。
かつて、ケイフォードに見出された手腕は健在であった。
彼にとってこの程度の不幸は不幸のうちに入らない。
「さぁ、この程度の敵なんぞ、跳ね返してやれ!」
数々の修羅場を潜ってきたフローレンスは慌てることなく、敵の猛攻を対応した。
とはいえ、フローレンス騎士団長にも限界はある。
右翼と中央の間には着実に聖堂騎士団の猛攻で空隙が出来つつあった。
それは堤防に開いた蟻の一穴であった。
◆
決壊は突然であった。
あまりにも激しい聖堂騎士団の猛攻で押し込まれた右翼はついに堪え切れずに崩れ始めた。
陣形は陣形を保てなくなり、シャナ王国軍の右翼は後退というよりも敗走に近い情勢となっていた。
「さぁ、敵は崩れたぞ! 次はゼノン教最大の禁忌者のいる中央に向かうぞ!! コーウェン将軍を悔しがらせてやれ」
それを見たドレイグは崩れた敵右翼に構うことなく、聖堂騎士団全軍に突撃を命じた。
ドレイグは自らの手で完全なる勝利をもぎ取り、コーウェン将軍よりも己が優れていることを証明してやるつもりだった。
ゼノン教の誇る聖堂騎士団が中央のシャナ王国軍に向け進撃を開始する。
もはや、シャナ王国軍は敗勢一歩手前の状況だった。
シャナ王国軍の中央は倍以上の帝国軍と戦っており、とても横っ腹に喰らいつこうとする敵と戦える余裕はなかった。
◆
右翼にいた敵を蹴散らし、中央の敵へと向かっている聖堂騎士団の面々は勝利を確信していた。
あと少しで敵の横っ腹に喰らいつくことが出来る。
そうなれば、始まるのは戦ではなく一方的な虐殺である。
そういった未来の光景を思い浮かべていた。
「さぁ、もう少しだぞ!!」
それはドレイグも例外ではなかった。
あと少しでコーウェン将軍を超える名誉が手に入るのである。
自然とドレイグは持っていた愛槍に力が入り、愛馬をさらに速く走らせる。
それに釣られて、聖堂騎士団の歩みも速くなる。
もはや、聖堂騎士団を止められるものは存在しなかった。
―――――――そして、いままさに王国軍の中央に喰らいつこうとした瞬間
その間に割って入る集団がいた。
その規模は近衛騎士団の制服を纏った3千人ほどの部隊であった。
その部隊の指揮官はドレイグでもなかなかお目にかかれない絶世の美女が率いていた。
とはいえ、とても聖堂騎士団を止められるほどの兵力ではない。
聖堂騎士団5万の兵力を持ってすれば、軽く一蹴できる程度の戦力でしかないとドレイグは思った。
だが、聖堂騎士団は止まらざるを得なかった。
何故ならその敵が……
「ばっ、馬鹿な! 何だ、あの盾は!」
ドレイグは悔しげに呻いた。
別にゼノン神が現世に現れたから驚いているのではない。
敵兵が一人残らず、大きな盾を持っていた。
問題はその盾の表面の絵柄である。
それは教皇職就任時のスペンサーを描いた聖画であった。
彼は自尊心も高く、歴代の初代シモン教皇や中興の祖ヨハネス教皇と同じ位置に立ちたいと考えていた。
その為、自分の肖像画を描かせ、聖画だと言い張っていたのである。
聖堂騎士団の行く手を阻む敵兵達は盾の表面にその聖画を貼り付けていたのだ。
ただの信者であれば、まだ何とかなったかもしれない。
一般信者はスペンサーを描かせた聖画など平気で攻撃できるだろう。
なぜなら、彼等はスペンサーを尊敬してはいない。
だが、聖堂騎士団はゼノン教を守護すべく設立された騎士団であった。
つまり、その守護すべきゼノン教のトップはスペンサーであり、彼を守ることが任務と同義でもあると言える。
その為、騎士達は聖画を攻撃することに本能的に躊躇いを覚える。
彼の思想はかつて誤って聖画を踏んだ子供を処刑したところにも表れている。
……戦の為とはいえ、教皇は自分を描かせた聖画に攻撃することを許してくれるのだろうか?
それは聖堂騎士団全員が抱いた疑問だった。
そして、その疑問に誰かが答える前に敵は突撃を始めていた。
「くそっ、下がれ!」
さすがのドレイグもスペンサー教皇の爬虫類のような血の通わない冷たい目を思い出し、背筋が冷たい思いを味わった。
そうなると、ドレイグには盾に描かれたスペンサーが全て本物に見えてきた。
とても聖画の盾を構える敵兵に攻撃を仕掛けるどころではない。
慌ててドレイグは聖堂騎士団に後退を命じるが先ほどまで突撃をしていた5万の大所帯である。
すぐには後退が出来るはずもない。
さらに彼にとって最悪だったのはいつの間にやら、逃げ散ったはずの王国軍右翼が聖堂騎士団の左方から迫って来ていたのである。
ドレイグが的確な指示を出すことが出来ず、聖堂騎士団が右往左往している間に王国軍の挟撃を受けてしまった。
聖画の盾を掲げた敵兵に斬りかけるわけにもいかず、聖堂騎士団の騎士達は一方的に攻撃を受け続けた。
さらに無防備な横っ腹にリュージュ万騎将率いる王国軍右翼の攻撃を猛然と受け、もはや為すすべもなかった。
動揺が極限に達した聖堂騎士団は元来た道を一目散に敗走した。
聖堂騎士団の面々は今更ながらに王国軍に嵌められたことに気付いたが、あまりにも遅かった。
◆
「あらま、綺麗に引っかかったものね。スペンサーの聖画って、本当に御利益あるのね。カズマから大量にお守りを貰っておいて良かったわ」
聖画を掲げている部隊を率いる隊長の任を愛しのカズマから命じられていたヴァレンティナがその様子を眺めていた。
王都からかき集めた聖画を盾に貼り付けるというアイデアをカズマから聞かされた時は驚いたものである。
「所詮、ドレイグとやらは猪武者です。頭の良い狩人には適うはずもありません。それにしても、悪魔を退けると称していた聖画が教皇を守る騎士団をも退けるとは皮肉ですね」
実質的に部隊を采配しているカーラが敵将を寸評した。
「……それだけ効力絶大なお守りの証拠」
シャナ王国随一の弓使いであるジャスティスはまた一人の敵兵を射ぬきながら呟いた。
そうしている間にも聖堂騎士団はリュージュ万騎将に追い散らされていく。
「それじゃ、私も一枚記念に貰って部屋にでも飾ろうかしら。効力絶大なお守りなら恋も成就させてくれそう……やっぱり、やめるわ。あんな禿げ爺の絵なんて飾ったら夜中にうなされそうだし」
自分の部屋にスペンサー教皇の肖像画を飾ることを想像したヴァレンティナはブルブルと体を震わせた。
「それはそうと、ヴァレンティナ様。我らも追撃に加わりますか?」
「そうね。猪に立場を分からせてあげましょう。どちらが狩人でどちらが獲物であるかということをね。さぁ、目の前の敵を倒して、美味しい猪鍋を食べるわよ!」
ヴァレンティナは右目を軽くつぶり、世の男性を残らず蕩けさせる極上の笑顔を浮かべながら言ってのけた。
◆
リュージュ万騎将とヴァレンティナの猛追に聖堂騎士団は大打撃を受けた。
幸いにもドレイグは持ち前の武勇で王国軍の追撃を無事に逃れることが出来たが、多くの戦死者を出したことには変わりない。
また、聖堂騎士団が敗走したことで帝国軍の左翼は必然的に無防備になってしまったことでコーウェン将軍は左翼を固める為に一旦兵を退かせることにしたのである。
それを見たフローレンス騎士団長はこれ以上の追撃を無駄であると判断し、退却の鐘を鳴らさせた。
こうして、前哨戦は王国軍の圧勝で幕を閉じた。
以後、聖堂騎士団は前にもまして戦うことを嫌がるようになった。
何故ならこれ以上の被害が出れば、間違いなく処刑されるとドレイグは考えたからである。
さらにこの戦はカズマに絶大な信頼感を将兵達に植え付けることに成功した。
ただ、カズマ自身は勝って当然の戦だと思っており、喜びの表情は一切見せなかったという。
己の武勇を過信している猪武者などカズマが最も得意とする敵であったからだ。
なにせ、カズマの作った罠に一直線自動ホーミング機能付きの猪である。
そんな敵だったら、たとえ20万頭相手でもカズマは怖くなかった。
カズマが恐れるのは帝国軍にいるたった一匹の頭の良い虎であった。
予告なしのゲリラ更新です。
もう、10話ぐらい書き溜めたので余裕が出来てきたので更新してみました。
とりあえず、前哨戦ですね。
次回から決戦?編みたいなのに突入ですね。
宜しくお願いします。
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