第三章 54話 四面王歌
帝国軍がコーラル城を包囲してから7日が経過していた。
その間、攻防戦は何度なく行われたが、コーラル城を陥落させるまでには至らなかった。
すでに帝国軍の死傷者は2千を超えており、マーシャル軍の抵抗の激しさを物語っている。
この日もコーラル城を陥落させるまでには至らず、日も暮れたこともあって、帝国軍は退却した。
帝国軍の陣地に作られた陣幕ではコーウェン将軍が副官とともに撤収の進捗状況などの仕事に没頭していた。
「将軍、聖堂騎士団からいつになったらコーラル城を陥落出来るのかという催促の使いが参りました」
「また、いつものか? 放っておけ。あやつらの仕事は戦うことではなく文句をいうことだからな。適当に紅茶を濁して応対しろ」
不甲斐ない味方を嘆くようにコーウェン将軍はやれやれと首を横に振った。
聖堂騎士団はカズマとバロモンドの捕縛が任務であると言い張り、これまで積極的な攻撃に出たことはなかった。
どうやら、スペンサー教皇から被害を出来るだけ出さないようにという命令が出されているようだった。
「全く、さすがは情に厚いスペンサー教皇様々だ。ゼノン神を描いた聖画を誤って踏んだ子供を容赦なく殺しただけのことはあるな」
コーウェン将軍は目先のことしか考えないスペンサー教皇をそう吐き捨てた。
とはいえ、コーウェン将軍としても立場上は聖堂騎士団長ドレイグとは同格となっている為、攻撃参加を要請することしか出来なかった。
事実上、5万の兵が遊兵と化しているのであった。
それだけならばまだ良かったのだが(コーウェン将軍にとってはそれでも不本意だったが)、ドレイグはことあるごとにコーウェン将軍に文句を言ってきていた。
どうも、セントレイズ帝国で武名を轟かせているコーウェン将軍にドレイグ騎士団長ははた迷惑な対抗意識を燃やしているらしい。
これほど頼りがいのある味方はいないだろうと皮肉交じりにコーウェン将軍は思った。
まだ、農民に鍬でも持たせただけの兵のほうが戦力になるというもの。
「しかし、将軍。すでにコーラル城を包囲してからすでに7日も経過しております。死傷者も増え続けております。一部隊にコーラル城を包囲させ、われらは王都ランパールに向かったほうがよろしいのでは?」
マーシャル軍の抵抗に業を煮やした副官がコーウェン将軍に提案をした。
死傷者が2千を超えたとはいえ、25万を数える軍勢である。
まだ目を瞑れる被害ではあった。
だが、マーシャル軍は死兵と化した軍勢である。
コーラル城を陥落させるまでにどのくらいの被害が出るか想像も出来なかった。
それならば、一部の軍勢をコーラル城包囲のために置き、残りの軍勢で王都に向かう提案は真っ当ともいえる提案であった。
「……いや、この城は陥落させねばならん」
副官からの提案を沈思したコーウェン将軍だったが、すぐに結論を出した。
「何故でございますか?」
「状況が許さぬからだ。コーラル城はランスと王都を結ぶ街道の要衝に造られている。ここに敵の拠点を残すことは我らの補給線に不安が残る。それにだ。仮に軍勢を分けたとしよう。ここは敵地だ、相手はマーシャル勢だけではない。包囲している最中に敵の援軍が現れる恐れが十分ある。あまり少ない軍勢では破れる。そういった各個撃破を避けるためには相応の軍勢が必要だが……。我々にそんな余裕はない」
帝国軍と聖堂騎士団の数は合わせて25万の大軍勢。
野戦ならば、シャナ王国軍を圧倒する自信がコーウェン将軍にはあった。
だが、相手がこちらの思惑通りに運ぶとは思えない。
敵が籠城する可能性は十分考えられた。
そうなった場合には手持ちの兵力でも王都を陥落させるには足りない。
仮にも戦国の三雄の一角、シャナ王国の首都である。
奇襲を受けたとはいえ、王都に10万人程度の軍勢を集めるだけの力がある。
また、王都も易々と陥落するような城ではないだろう。
そうなると、手持ちの25万人の兵力で陥落させるには厳しいことになる。
しかも、その中でコーウェン将軍が思い通りに動かせる兵は20万である。
とても万単位の軍勢を割けるほどの余裕がなかった。
「しかし、いずれ陛下が援軍に来るので問題ないのでは?」
副官の言う通り、コーウェン将軍率いる20万の軍勢だけが帝国軍の全てではない。
シャナ王国側に奇襲を感づかれるリスクと動員できる軍勢が20万人という数字であった。
奇襲が成功した今となっては更なる派兵が可能であった。
「それでもだ。我々は全力で王都を攻略しなければいけない。たとえ、数万の軍勢でもここに張り付けることなど出来ない。それにマーシャル勢はすでに限界だ。あと数回の攻撃で陥落するだろうな」
「それは一体……?」
「簡単な話だ。あちらも無傷ではない」
そう言って、コーウェン将軍は陣幕から出るとコーラル城を眺めた。
◆
コーウェン将軍がコーラル城を眺めた時、ナシアスはブラッドを連れ、コーラル城の城壁の上を歩いていた。
時折、持ち場についている城兵を見かけたが、そのいずれも疲れ切った顔で座り込んでいたがナシアスは彼らを注意する気にはなれなかった。
今は兵たちにとって久々に訪れた貴重な休息の時間である。
すでにマーシャル軍で無傷なものは存在しなかった。
マーシャル軍は満身創痍の状態で帝国軍と戦っていた。
傍らにいるブラッドも頭には血の滲んだ包帯が乱雑に巻きつけてあった。
当然と言えば、当然である。
こちらは2千人程度の軍勢。
あちらは25万人の軍勢である。
帝国軍は大軍の利を生かして、次々と戦力をコーラル城にぶつけることが出来る。
だが、マーシャル軍は常に総力をあげて戦わざるを得ない。
さらに戦えば必ず一定の被害が出る。
そして、マーシャル軍一人一人の兵の負担が増すという悪循環である。
既に実質的な戦力は半分を下回っていることだろう。
「あともっても数回の攻撃だな」
城の様子を見たナシアスはそう結論を出さざるを得なかった。
それは奇しくもナシアスはコーウェン将軍と同じ結論であった。
「なに恥じ入る必要はありません。あれほどの大軍から7日間守り切ったのです。マーシャル家の誇りを十分見せつけたでしょう。ドーバー様も天国でお喜びでしょう」
誇らしげにブラッドは主君に胸を張った。
「あの頑固な父上が褒めてくれるかな?」
「褒めて下さりますとも。ドーバー様は大層の子煩悩でしたからな。ナシアス様が大きくなってからは子煩悩っぷりを人前で見せることはありませんでしたが、心のなかでは親馬鹿の極みでございましたよ。たしかナシアス様が生まれたときのことでしたが、ドーバー様は乗馬をしておりました。私めが報告した時には喜びのあまり落馬しましたからな」
「……あの騎士たるものどのような状況でも馬の手綱を離すなと教えていた父上が?」
「さようです。どんな合戦でも馬の手綱を離したことのないドーバー様が唯一落馬したのはその時だけでございましたな。そうそう、この話は墓場まで持って行くようにドーバー様からキツく念を押されておりました。まぁ、コーラル城を私の墓場と定めたことですし、大目に見てくださるでしょう」
大きくなってからは厳格なドーバー伯爵しか見たことのないナシアスには驚きだった。
それと同時に厳格な顔をした父親が落馬する姿を思い浮かべて、クックッと笑いを抑えるのに必死になった。
「そんなドーバー様が怒ることはないでしょう」
「そうだな。だが、私はともかくお前は怒られるかもしれないぞ? 何といっても父上最大の秘密を漏らしたのだからな」
「やれやれ、ナシアス様はずるいですぞ。血の繋がった子供ということで許されて、私はお叱りを受けるとは不条理な世の中です」
「何なら、お前も今から父上の子供になるか? 上手くすれば、怒られないかもしれないよ?」
「……謹んで御遠慮申し上げます。頑固な父親は一人だけで十分でございます。頑固な父親が二人に増えるぐらいでしたら、20万の帝国軍に徒手空拳で挑むほうがマシでございます」
ブルブルと一旦体を震わせるとブラッドはキッパリと言い放った。
その顔はドーバー伯爵の子供になった時のことを思い浮かべたのか心底嫌そうであった。
「ならば、怒られるしかないな」
「いえ、方法が一つあります。我々が帝国軍に勝つことです。もはや、私は帝国軍に負けるわけにはいかなくなりました。ナシアス様、ドーバー様との再会は延期させて貰いますぞ?」
「父親と子供の涙の再会を邪魔しようと言うのかい?」
「そんなのは関係ありませんな。ドーバー様と私の一方的な涙の再会を全力で邪魔させていただきます」
二人の主従は冗談を言いながら、最後の夜が更けていった。
◆
まだ薄暗い明け方に帝国軍の攻撃は開始された。
マーシャル軍も応戦したが初日ほどの激しさではなくなっていた。
城兵たちは傷だらけの体に鞭を打って、最後の抵抗をしている。
だが、マーシャル軍には帝国軍を跳ね返すほどの力は残されていなかった。
「石頭の意地最後まで帝国軍に見せつけてやれ!」
そんな中でもブラッドは獅子奮迅の働きを見せる。
帝国軍に崩されそうな場所を見つければ、いち早く駆けつけて、帝国軍の兵を城壁の上から叩き落としていく。
その度にマーシャル軍から歓声があがる。
しかし、帝国軍は叩き落とされても叩き落とされても次々と城壁をよじ登ってくる。
「マーシャル家が当主! ナシアスはここに在り!! 我が首を狙いたいものは参れ!!!」
ブラッドの近くでナシアスも愛槍を振り回しながら、敵を払いのけ続けた。
その姿はラングレーの戦いで獅子奮迅の戦いぶりをしてのけたドーバー伯爵と寸分の狂いもない。
その凄まじさにさしもの帝国軍もたじろいだ。
だが、すでに個人の武勇では戦局を打開するまでには至らない状況まで来ていた。
◆
コーラル城攻防戦が最終局面に来ていることは帝国軍の陣地からも分かった。
「どうやら、あと少しで陥落出来そうだな」
コーウェン将軍は自分の予想通りに戦局が動いていることを確認した。
「しかし、しぶとい連中でしたな」
「だが、シャナ王国に侵攻してから最も称賛出来る敵だ。私もああいう味方が欲しかったな。聖堂騎士団の連中に手垢を煎じて、朝昼晩飲ませてやりたいわ」
コーウェン将軍にとってみれば、5万の役に立たない味方よりも3千にも満たない敵のほうが味方に欲しいぐらいである。
「恐らく朝昼晩でも治りませんよ。ティータイムの時間も飲ませるべきでは?」
「そうだな。さて、前線に伝令を送れ。降伏する敵がいれば認めろ。殺すことは断じて許さん。丁重に扱えと私の名で伝えろ」
「畏まりました」
副官が前線に伝令を送るために陣幕から下がると、コーウェン将軍は独りごちた。
「まぁ、あれほどの覚悟をもった敵だ。降伏することなどないだろうが。やれやれ、称賛されるべき者が死に、非難されるべき者が生き残る。全くもって不条理な世の中だな」
陣幕から垣間見えるコーラル城をコーウェン将軍は眺めながら呟いた。
◆
コーラル城の城壁の上にいる帝国兵は次第にその数を増やしつつあった。
それでもブラッドとナシアスは戦い続けていた。
ブラッドは全身を赤く染めさせ、自分の血なのか返り血なのか分からないほどであった。
ナシアスはブラッドよりも比較的マシだったが、それでも十分な血を鎧に染めさせていた。
無意識に戦っていたせいかナシアスは自分がどこを怪我しているのかも分からなかった。
ふとナシアスが周りを見渡してみれば、視界に入るのは敵兵ばかりになりつつあった。
……もはや、これまでかな
自然とそんな考えが出てきた。
すでに手足の感覚など遠い昔に忘れ、ナシアスは自分が立っているのか座っているのかも分からなかった。
「お前が敵大将だな? その首、俺が貰った!! 」
そんなナシアスを手柄の好機だと思った敵兵が手に持っていた凶刃で迫った。
すでに体力の限界に達していたナシアスには避ける術もなかった。
恐らく一瞬で己を貫くはずの凶刃だったが、何故かナシアスにはゆっくりと刃先が動いているように感じた。
ナシアスの脳裏にはドーバー伯爵との思い出が走馬灯のように流れていた。
その情景は父親の膝の上に座りながら、父親の下手糞な歌を聞いていた。
父親が好んで歌ったのはシャナ王国の行軍中によく歌われる軍歌の一つであった。
――来たれよ、来たれ 侵略者
我らは王国を守るために戦わん
敵が多くとも決して退くことはない
我らは誇りある王国の騎士よ
王国の為に、王の為に、民の為にも
我らは退かぬ
全てのものを守り
全ての敵を退ける
この美しき緑の国を誰にも渡さぬ
この軍歌を繰り返し、ドーバー伯爵はナシアスに歌って聞かせた。
それは古くからあるシャナ王国の騎士が受勲時に王へ誓う詞を軍歌用にしたものだった。
ドーバー伯爵はこの誓いの詞を大層気に入っていた。
その為かこの軍歌を好んで歌った。
「喰らえ!!」
敵兵の声でナシアスは我に返った。
そして、いつの間にかナシアスは自分がその歌を口ずさんでいたことに気付いた。
……私もこの歌のように、父のような騎士となったのだろうか?
覚悟を決めたナシアスは瞼を閉じ、口ずさみ続けた。
心なしか歌が大きくなったかのようにナシアスには感じられた。
次の瞬間、凶刃は心臓を精確に貫き、完全に息の根を止めた。
口からは赤い血を噴き出し、その傷は誰の目にも致命傷であった。
――――――――そう若き敵兵の
「ナシアス様、味方でございます!!」
一瞬早く駆け付けたブラッドが敵兵の刃先を撥ね退け、持っていた槍で敵を突いていたのだ。
「何だと?」
ナシアスが目を開けてみると、あれほどいた敵兵が退いていた。
耳を澄ましてみれば、敵陣から退却の鐘が打ち鳴らされていた。
その退却の鐘に交じり、ナシアスにとっては馴染み深い軍歌が敵陣の遠く後ろから聞こえてきていた。
マーシャル軍にとって四面王歌とは味方の援軍の到来を告げるものであった。
それはフローレンス騎士団長を総大将とする10万の王国軍であった。
その中には少々猫背気味の黒髪黒目の若者の姿もあったという。
予定より1日早めに更新しました。
思ったより書き溜めが順調でしたので。
この話でコーラル攻防戦は終了。
次回から本当の戦いが始まる予定ですね。
次回も宜しくお願いします。
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また、更新予定日を当方の活動報告にて随時、予告します。
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