第三章 48話 愚者とハサミは使いよう
この頃、旧ゼノン教の総本山ランスの住人達は人と顔を合わせるたびに、あることが話題に上るようになっていた。
それは……
「バロモンド様はやはり、我らの味方だった!」
「聞くところによると、シャナ管区では腐敗した司教達を追放しているそうだぞ?」
「ありがたや、ありがたや。あの方こそ、現代に蘇った聖人よ!」
「私もランパールに移り住もうかしら?」
そういった声が大なり小なり聞こえていた。
いずれも、バロモンドがゼノン教から独立をしたことを肯定した内容だった。
無論、反論する声も少なからずある。
「何を言う。あの者は悪魔に誑かされたのだ。もはや、シャナ管区は悪魔の巣窟よ」
「教皇様もシャナ管区を不浄の土地だと正式に認定されたというぞ」
「全くもって、嘆かわしい。かつて枢機卿の重職にあった方が悪魔の手先になられようとは……」
前者は一般の信徒。後者は旧ゼノン教で高位にいる者達だった。
一般信徒達はバロモンド卿が起こした宗教革命を喜び、高位にいる者達は己の既得権益を脅かされることを不安に思っていた。
両者に共通していたのは新たな時代が幕を開けたことを感じ始めていたことである。
最もそのことを意識していたのが、彼らのトップに君臨するスペンサー教皇その人だったが。その為、彼は様々な手を打ち始めていた。そのうちの一つの成果がその日、彼の下へと届けられた。
◆
セントレイズ帝国皇帝ギルバートからの返書を受け取ったスペンサー教皇は執務室で目を通していた。
「ふむ、なかなか興味深い内容だな」
一通り目を通したスペンサーはひとまずの成果を出したことを満足しつつ、どこか不機嫌そうに呟いた。
「それでは、猊下。セントレイズ帝国は手を結ぶと?」
傍らにいた大司教がスペンサーに問うた。
「うむ。あやつらもシャナ王国を叩きつぶす好機じゃからな。セントレイズの小僧どもと手を結ぶのは癪だが、背に腹は変えられん」
見下している相手と手を組まねばならぬ現状にスペンサー教皇は更に不機嫌になった。
「致し方ありますまい。シャナ王国までもが、バロモンドや悪魔の後ろ盾をしております。伝家の宝刀である、王の破門が効果ない以上、兵力が少ない、我らにはどうしようもありません。猊下の判断は英断でございます」
腹心の大司教が教皇を取り成すように褒め称えた。
「分かっておる。じゃから、手を結ぶ事にしたのだ。しかし、愚者とハサミは使いようだな」
見え見えのお世辞に適当に答えつつ、教皇はギルバートから届いた返書のなかの一部分を思い出し、手を組むことを決断した、己の英断に初めて、満足そうに頷いた。
「猊下、それでシャナ王国をどうやって、攻め込みますか?シャナ王国には『シャナの絶対防壁』の異名を持つ、難攻不落のローランド要塞があります。あの鉄壁要塞を陥落させぬことにはシャナ王国に一歩たりとも攻め込めませんが?」
「それなら、問題ない。あやつらは面白い策を用意しておった。愚者は愚者なりに考えるものらしい」
「どういった策でございますか?」
教皇の勿体ぶった言い回しに興味を持った大司教が策の内容を聞いてみた。
「簡単なことだ。ローランド要塞からシャナ王国を攻め入るのが無理なら、別の進路から進撃すればいい」
「げ、猊下、まさか?」
「そのまさかだ。このランスを進軍させて欲しいと言ってきたわ」
スペンサー教皇はひどく愉快そうに笑った。
だが、スペンサー教皇の言葉に大司教は顔を一瞬で青くさせた。
それまで、教皇に追従しか述べていなかった大司教は初めて、反対の意見を述べた。
「し、しかし、猊下!ランスは初代教皇シモン様の教えにより、一度も軍勢の通過を認めた事はありません。その不文律を破るわけには・・・・!」
シモン教皇は「ゼノン教は中立であれ」と常に言い、ランス周辺をいかなる軍勢が通過することを許さなかった。それはスペンサー教皇の代になっても、ゼノン教の不文律として、伝わっていた。
「ふん、今はワシが教皇だ。それに何事も柔軟でなければ、いかん。古い時代の教えに縛られては、上手くいくものもいかん。今回のことは良いキッカケになるわ。大司教、違うか?」
スペンサー教皇は言葉では大司教に同意を求めていたが、実際は最後通牒であった。
スペンサー教皇にそう睨まれては大司教に反対の意見を出す勇気は無かった。
ここで、さらに反対をすれば、彼はたちまち、窓際に追いやられることを長年、スペンサーの側近を務めていた大司教には良く分かっていた。
彼の後釜を狙う者は掃いて捨てても、湧いて出てくるほど、いるのである。
「わ、わかりました」
「分かればいい。ただ、帝国軍がランスを通るのに条件を付けねばならん」
それっきり大司教に興味を無くしたスペンサーは右手でこめかみをほぐしつつ、どういった条件を付けるか、しばし考えた。
「猊下、それでどのような条件を付けるのですか?」
しばらくして、考えが纏め終わったらしい、教皇に大司教はおずおずと聞いてみた。
「まず、ランスを帝国軍が通過することは認めるが、駐留は認めん」
ランスに帝国軍の駐留を認めると、人には旧ゼノン教がセントレイズ帝国の庇護下に入ったと思われかねない。それは自尊心の高いスペンサーには認められなかった。
「もう一つはシャナ王国に進攻する帝国軍にゼノン教が誇る聖堂騎士団を一緒に行動させる」
「聖堂騎士団を?」
大司教はスペンサー教皇に思わず聞き返した。
聖堂騎士団はゼノン教が有する唯一の兵力である。
彼らの任務は簡単に言えば、ゼノン教を守護することであった。
もし、ゼノン教を国家が害そうとすれば、彼らが真っ先に立ち塞がることになる。
その聖堂騎士団はグランバニア大陸各地のゼノン教支部に配属されていた。
「そうだ。聖堂騎士団の目的は大いなる災厄をもたらすカズマとゼノン教を裏切ったバロモンドの捕縛、もしくは殺害だ。帝国軍だけでは不安だからな。二人の首を見るまで安心できぬ」
旧ゼノン教と違い、帝国軍の目的はシャナ王国を征服することであり、カズマとバロモンドの身柄を拘束することではない。その為、もし二人が逃げ出したとしても、帝国軍にとっては優先順位が低く、そのまま逃げ切られる可能性がある。スペンサー教皇はそれを恐れた。そこで、聖堂騎士団を帝国軍と一緒に行動させることにした。もし、二人が逃げても地獄の底まで追わせる為に。
「そういえば、猊下の命令通り、シャナ王国からの攻撃に備えて、各地の管区から聖堂騎士団をランスに集結させていました。ではその為に、集結させていたのですか?」
バロモンドがゼノン教から独立を宣言し、ラファエル王がその後ろ盾となったことで、シャナ王国はゼノン教と敵対することを明言したに等しい。その為、シャナ王国の領地と接することになったランスは最前線となってしまっていた。
シャナ王国がランスに攻めよせる兆候は現れていなかったが、いつ攻め寄せるか分かったものでない。
そこでスペンサー教皇は各地の支部から聖堂騎士団をランスに掻き集めていたのである。
「備えあれば憂えなしよ。数はどのくらい集まっている?」
「現在、6万人の集結が完了しております。近日中には7万人の集結が完了する予定です」
「ならば、問題は無さそうだな。ランスの守備には2万人ほどいれば、当座は大丈夫だろう。残りの5万人を帝国軍と行動させる。大司教はすぐに帝国軍に加わる聖堂騎士団の編成を行え」
「畏まりました。すぐにでも、行います。」
「うむ、これで、問題は片付くな」
スペンサー教皇は散々手こずらせてくれたカズマをついに捕らえることが出来そうだと、この日、初めて満足そうに頷いた。
このスペンサー教皇の条件をギルバートは呑むことになる。
ギルバートの戦略にはランスを進軍出来る事が大前提だったゆえ、この条件を呑むしかなかった。
その為、ギルバートの予定ではランスを補給基地にする予定だったが、急遽ランスの近くに陣地を作り、そこを後方基地とすることになった。
とはいえ、ギルバートの戦略の大部分は予定通り進行していった。
ギルバートがスペンサー教皇の条件を呑んでから、5日後。
コーウェン将軍率いる20万人の帝国軍と 聖堂騎士団5万人の大軍勢がシャナ王国の国境を犯し、進撃を開始した。
シャナ王国に試練が訪れようとしていた。
48話を更新しました。
予告のサブタイトルを少々変えました。
次回は王都に話が戻ります。
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