第二章 42話 ラングレーの戦い前編
その土地はラングレーという地名で呼ばれていた。特に何があるわけでもない、辺鄙な場所であった。グランバニア大陸中の人にアンケートを取れば、確実に知らないと答えるだろう地名だった。しかし、この日を境にどんな歴史の教科書にも必ず載る有名な地名となった。そう、古戦場として・・・・。
後世では「ラングレーの戦い」と呼ばれる有名な戦いは始まった。
◆
討伐軍10万人とカストール軍1千人は静かに対峙していた。そのさまは津波が人を飲み込む寸前のように見えるかも知れない。しかし、カストール軍は討伐軍に臆することなく、黒髪黒目の青年を先頭に対峙していた。
「ふむ、どうやら、あれはカズマのようだな。」
軍勢の先頭を進む領主からの報告を聞き、フォルラン侯爵は遠巻きにカストール軍を眺めていた。
「カズマのような策士が策もなく、小勢で構えるとは思えませんな。それにカストール軍が1千人だけと言うのも妙ですし。先陣の者達だけで攻撃をさせて、様子を見ますか?」
先陣を任せられたドーバー伯爵がフォルラン侯爵に聞いた。
「ふん!カズマなど小細工を弄すだけの男よ。小細工など、大軍でもって、小細工ごと叩き壊すのみ。むしろ、軍を分けては各個撃破の機会をカズマに与えるだけだ。それにカストール軍が小勢なのは主力がレイナール城にいるからだろう。あれはただの先遣部隊だ。ここは全軍で攻撃する!」
「それでは、物見を出しましょう。それから、行動しても遅くはありますまい。」
フォルラン侯爵の命令に不安を感じた、ドーバー伯爵は物見を出す事を提案した。相手は『シャナの千里眼』とも称される智将である。どのような罠があるかも分からなかった。それゆえ、ドーバー伯爵は慎重な用兵を進言した。しかし、次の瞬間、カストール軍から次々と罵声を浴びせられたことにより、ドーバー伯爵の進言は無駄となった・・・。
「ザーム産の豚が何の用だ?カストールには養豚場はないぞ!」
「あんまり近付くなよ!白豚の臭いが移ってしまうからな!」
「白豚が人間の嫁を貰おうなど、図が高いわ!豚なら豚らしく、メス豚を嫁に貰え!」
カストール軍の兵士達は腹を抱えて、ゲラゲラ笑った。この豚が誰を指しているのかはフォルラン侯爵にも分かった。フォルラン侯爵は体をプルプルと震わせ、怒り狂った。この瞬間、フォルラン侯爵の行動を誰も止める事は出来なくなった。
「物見など必要ない。あの程度の軍勢に何を恐れるか!鎧袖一触で叩きのめしてくれる!全軍突撃せよ!カズマの首を獲れ!」
フォルラン侯爵はドーバー伯爵の提案を一蹴すると、全軍での突撃を命じた。生まれて初めて、浴びせられた悪口にフォルラン侯爵の使い古した輪ゴムよりもキレやすい堪忍袋の緒はたちまち切れてしまっていた。一刻も早く、カストール軍を皆殺しにしなければ、フォルラン侯爵の気が済まなかった。その結果、物見を出す手間も惜しみ、フォルラン侯爵は全軍での突撃を命じた。
「ものども、我に続け!」
「カズマを捕らえれば、褒美は思いのままだ!」
「一気に揉み潰すぞ!」
フォルラン侯爵の命を受け、全軍がカストール軍に向けて、突撃を開始した。これに対し、カストール軍は次々と弓矢を放った。
放たれた弓矢は数百本にも及び、綺麗な放物線を描き、次々と討伐軍に降り注いだ。たちまち何十人もの兵が弓矢を浴び、倒れ込んだが、討伐軍にとってはその程度の被害は許容内であった。放たれる弓矢をモノともせずに討伐軍は突撃を続けた。
これにカストール軍は大した抵抗も出来ず、ずるずると後退していった。
「ふん、我が前に1千人程度の兵力で立ち塞がった勇気は誉めてやろう。だが、相手が悪かったな!それ、一気に攻め立てよ!我も前線に出るぞ!」
勢いに乗る討伐軍を見たフォルラン侯爵は勝利を確信した。もはや、カズマを捕らえるのは時間の問題だろう。誇りあるザーム家の当主である自分を愚弄し続けたカズマをついに捕らえる事が出来るかと思うと、フォルラン侯爵は興奮した。もはや、居ても立ってもおられず、自ら前線へと赴いた。
勢いに乗る討伐軍は猛然とカストール軍を追撃していた。しかし、カストール軍も巧みに地形を利用して、後退を続けた。それはカストール軍があらかじめ、この辺の地形を調べていた証拠でもあった。そうでなければ、これほど、迷いのない後退が出来るはずが無かった。しかし、その事にフォルラン侯爵は気付く事は無かった。
「その程度の相手に何をしている!さっさと捕捉せよ!」
なかなかカストール軍を捕捉しきれないことにフォルラン侯爵は苛立っていた。カストール軍はすぐそこにいるのだが、なかなか尻尾を討伐軍は捕まえられずにいたのである。
「聞けい!生死は問わぬ!カズマを捕らえた者には金貨100枚を褒美とする!また、領主にはカストールの領地を一部くれてやっても良い!」
怒り狂ったフォルラン侯爵にとっては、その程度の出費は惜しくはなかった。このフォルラン侯爵の言葉は兵達だけでなく、領主にも強烈なカンフル剤を投与した。兵は一生遊んで暮らせる金が手に入り、領主は一部とはいえ、豊かなカストールの領地が自分のモノになるのである。
「一番槍は私のモノだ!」
「他の者に遅れを取るな!カズマの首は我らが頂く!」
「どけどけ!我らが先陣だ!」
次の瞬間には猛烈な先陣争いが討伐軍の中で起きた。どの領主も他の領主を押しのけながら、先を急いだ。その為、後陣を守っていた領主軍も先陣に加わろうと押し寄せ、討伐軍の陣形は味方同士で入り乱れるという、非常に混沌としたものになっていた。もはや、陣形は有って、無きものであった。当然、指揮系統は混乱をきたしていたが、誰もそんなことに気付いていなかった。もはや、彼らの目にはカストール軍しか映っておらず、それゆえ、地形の変化に誰もが気付かなかった。もし、気づいていれば、即座に立ち止まり、回れ右、駆け足をしていたことだろう・・・。
いつのまにか、カストール軍は二つの森が前方の視界を塞ぎ、左右を沼沢で囲まれた湿地帯の中央にある、3、4人並んで通るのがやっとの畦道を後退していたのである。小勢のカストール軍だからこそ、さほど、時間も掛からずに通り抜けたのだが、大軍である討伐軍はそうはいかなかった。ただでさえ狭い畦道を互いに押し退けながら、通るのである。畔道はたちまち、大渋滞を引き起こしていた。これに痺れを切らした者が膝まで埋まる沼をモノともせずに突き進んだ。それを見た者も「遅れてはなるものか」と続々と沼へ足を踏み入れていった。
◆
「全軍反転!攻撃準備!」
その光景を見たカズマはカストール軍に反転を命じた。これこそ、カズマが待ち望んでいた瞬間であった。この瞬間の為だけにカズマは策を練ったと言っても過言ではなかった。
わざわざ大軍が大軍の利を生かせない地形をバルカンに探させ、このラングレーという場所で見つけた。あとはいかに討伐軍を引き連れるかだった。そこで、カズマが囮部隊の先頭に姿を現すことで、討伐軍が追わざるを得ない状況を作り出した。更に挑発することで、フォルラン侯爵が怒りで我を忘れさせた。
そして、カズマの策略は8割方完成した。
「全軍反転、弓矢を構えるでやんす!!」
「第三大隊弓構え!」
バルカンが大声でカズマの命令を全軍に行き渡らせていく。前線指揮官達は即座に己の部下達に命令を下し始めた。
すばやくカストール軍は反転を終えると、弓矢の先を討伐軍へと向けた。狭い道を押し合い、泥に足を取られ、なかなか思うように進めずにいた討伐軍に・・・。
「全軍、放つでやんす!!」
バルカンの合図を皮切りにカストール軍は引いていた弦を一斉に放した。それと同時に放たれた矢は次々と討伐軍に降り注いだ。沼や畦道で思うように動きが取れずにいた討伐軍は面白いように倒されていった。一瞬にして、畦道の周辺は討伐軍の死傷者で溢れた。
「押すな!下がれ、敵の罠だ!」
事態に気付いた兵が後退しようとするが、後から後から事態を知らない味方が押し寄せ、身動きが取れなかった。その間にもカストール軍の手は休まる事は無く、死傷者を量産し続けていた。もはや、討伐軍の先陣は混乱状態になっていた。
◆
その頃、フォルラン侯爵は沼の手前で立ち往生していた。
「一体、何事だ!先陣は何をしている!」
先陣の騒ぎはフォルラン侯爵にも伝わっていたが、前方の視界は討伐軍の将兵で埋まっており、詳細な情報が分からなかった。分かったのは討伐軍の行軍が止まったことだけであった。
「カズマの罠です!フォルラン侯、急ぎ、お退き下さい!」
前線からドーバー伯爵が泥だらけになりながら、退却を進言した。
「何故だ!我が軍は10万人の軍勢だぞ!」
事態を正確に把握出来ていなかった、フォルラン侯爵は苛立ちながら、ドーバー伯爵に聞き返した。
「沼で身動きの取れない先陣にカストール軍は雨あられと弓矢を降らせました。もはや、先陣は混乱をきたしております!他にどのような罠があるか想像もつきません!一旦、退却をし、態勢を立て直しましょう!」
ドーバー伯爵は必死に言葉を紡ぎ、フォルラン侯爵に退却を促した。だが、討伐軍が退却する時間を与えるほど、カズマは甘くはなかった・・・・。
次の瞬間、ドーバー伯爵の言葉を裏付けるように討伐軍の左右を伏兵が襲った。
「敵だ!!森から敵・・・ッグ!」
フォルラン侯爵の近くにいた兵の一人が別動隊が放った矢が当たり、絶命した。
ようやくフォルラン侯爵は事態に気付いた。だが、あまりにも遅すぎた・・・。
「10万人の軍勢が何たることだ・・・!お前らは戦って、我が輩の逃げる時間を稼・・・・グハッ!」
フォルラン侯爵は顔を恐怖で滲ませると、馬首を返し、逃亡しようとしたが、どこからともなく、飛んできた矢がそれを許さなかった。矢はフォルラン侯爵の首を正確に貫いた。名門ザーム家当主として、常に栄光溢れる世界に身を置いていた侯爵はあまりにもあっけない最後を遂げた。
その矢はカストール軍の別動隊の一人である、暗い雰囲気を漂わせた青年が正確無比に放った矢であった。フォルラン侯爵はカズマを追いかけることに夢中で沼の近くに存在した二つの森に注意を払わなかったのだ。そのツケは自分の命で払う事になってしまった。
この瞬間、崩壊寸前だった指揮系統は完全に瓦解した。
名門ザーム家当主フォルラン侯爵はラングレーという片田舎で不本意な戦死を遂げ、この瞬間、総司令官を喪った討伐軍は逃げ惑う敗残兵の群れへと成り下がった。
もはや、敗残兵の群れに出来る事は逃げ惑う事だけであった・・・。
42話更新しました。
シャナ王国戦記譚で初めての本格的な戦闘シーンはいかがだったでしょうか?
評価、誤字、脱字、感想 お待ちしております。
また、ちょくちょく、拙者の活動報告にて、更新予定日が載るので
たまに見ると吉!




