第二章 29話 Drクーダ診療所
人間の環境適応力の高さは異世界に来た時から肌で感じていたが、まさか、地獄のような場所でも適応出来るとは思わなかったよ。案外、本当の地獄も住んでみれば、居心地がいいのかもしれないなぁ。昔の人は住めば都とはよく言ったものだ。
カズマがバトゥーリ収容所に収監されて、驚いたことがある。
収容所自体は高い塀で囲まれていたが、中に入ると、囚人を入れる牢屋も監視塔などの建物がないことだ。あるのはただ野晒しになった土地だけだったのである。
バトゥーリ収容所の入口までは逃走防止用に警備兵がついてきたが、囚人達が収監されている谷底に向かう道からはカズマとクーダだけで行かされた。
仕方なく、歩き続けて、谷底に着いたカズマが最初に目にしたのはその野晒しになった状態の広場だった。唯一の建物と言えば、広場の中央に掘立小屋のような代物がポツンと一つあるだけだった。
とりあえず、広場の端に移動し、カズマとクーダは腰を下ろした。
どうやら、この収容所には個室の牢屋なんていう贅沢なモノはなく。
各々勝手に、野晒しの地面に布を引いて、そこで寝るシステムとなっていた。
待遇的にはバトゥーリ収容所を豚小屋だとすれば、日本の刑務所が五つ星ホテルのスィートルーム並みの違いである。
それにしても、カズマが周りを見渡しても、何人かの囚人は自由に収容所内を歩き回っていたが、ほとんどの囚人は死んだように動かないというか、死体っぽいヒト?や
時折、咳をしている寝たきり状態の囚人のほうが圧倒的に多い。
やっぱり、病気に罹るのかなぁと思うと、カズマは気落ちした。
そう思うと、腐敗臭の混じった空気を吸う度に気分が悪くなっていく気がした。
何だかカズマは胃やら腸から、何か競り上がってくる感覚もあったが、涙目になりながらも耐えることにした。
「確かにこんな場所なら、墓場とか言われるハズだよなぁ。
こんな病原菌自動生産工場のような場所に看守が入りたがるはずもないし。
必然的に囚人の管理なんて、放棄するよな。
まぁ、お陰で強制労働もなく、最低限の食事もあるし、ある意味理想的な場所だけど・・・。」
カズマはそう言って、周りを見渡してから落ち込んだ。
「・・・やっぱり、止めとこう。さすがにいつ死ぬかも分からない場所だし。」
「そうですか?私的にはここは楽園ですよ?見て下さい、あそこの人を!
あの咳の仕方はウォルロ熱ですな〜。ほらほら、見て下さい!赤死病の患者もいますよ!もう、堪りません!バトゥーリ収容所に来て良かった〜!」
カズマが落ち込んでいる横でクーダ医師は地面を転がりながら悶えていた。
そのうち「病原菌の玉手箱や〜」と言いそうだなとカズマは思った。
クーダ医師の年齢は50歳をいくつか超えているが、背筋は真っ直ぐに伸びており、40代でも通りそうである。白髪も混じった髪を整えられており、大人の魅力を醸し出す、渋いオジさんだった。このクーダ医師はシャナ王国では腕利きの医者である。
彼の治療法は画期的であり、数えきれない患者の命を救ってきた名医と言っても良い。
腕も確かで、外見も渋いオジ様である。
そんな非の打ちどころのないクーダ医師にはかなり致命的な性癖があった。
・・・・重度の病気マニアなのである。
クーダ医師の耳に見た事のない病気が発生したと聞けば、火の中、水の中、病原菌の中。
あらゆる場所に飛び込んでいく病気マニアである。と言っても、未知の病気を発見するだけでなく、それを治すのも生き甲斐にしていた。
その結果がカズマの隣のクーダ医師である。
「よく、喜んでいられるなぁ。病気に罹るとか、思わないのか?」
「あぁ、それなら大丈夫です。こういう病気は一度罹って、治ると、二度目は罹らないのですよ?私は既に体験済みですので。そういえば、最近はなかなか病気にならなくて、何だか物足りない毎日ですよ。」
どうやら、クーダの免疫は度重なる強敵との戦いで、難攻不落の防衛能力を手に入れたらしい。今の彼の免疫なら、某ゲームのゾンビ化ウィルスも防げるかもしれないとカズマは思った。
「それに流行り病は清潔にしていれば、そこまで怖くないですよ?人間の体は結構、強いですからね。清潔にさえしていれば、大抵死ぬ事はないです。この収容所は衛生環境が悪いから、重症化するのですよ。」
クーダの説明に成程とカズマは思った。死体が転がっているわ、トイレなんていう上等な代物がないから、そこら辺に用を足している収容所は確かに最悪の衛生環境だろう。
カズマが日本にいた時にインフルエンザが流行った時も うがいや手洗いで防げることをニュースで言っていたことを思い出した。
「それはそうと、あの掘立小屋は何ですか?」
クーダ医師が指差した先には広場で唯一の建物があった。
「あれか?どうやら、牢名主が住む場所みたいだな?」
ちょうど、掘立小屋に入る囚人がペコペコしながら入っていく姿がカズマに見えた。
その姿がカズマにある程度、囚人の中でも上の立場にいる人物が小屋にいることを想像させた。
それにしてもカズマはさっきから小屋を見ているが、囚人達が忙しげに小屋を出入りしていた。どうも、何かに慌てているようだ。
「それでは、あの人に頼み込めば、あの掘立小屋を診療所として、使わして貰えますね。」
カズマが何かを考え始めたが、クーダはそんな事を気にせずに行動を開始した。
掘立小屋にいる男に向かうクーダを必死にカズマは引き留めようとしたが、カズマの手をすり抜けて、クーダは一足先に小屋から出て来た囚人達に声をかけていた。
「おーい!牢名主は中にいるのかね?話をしたいのだが?」
「この忙しい時に何だ、お前は!この小屋はダリウス兄貴の住み家だ!」
「テメェ、新入りだな!殺されないうちにどっか行きな!」
クーダ医師の提案は殺気立った牢名主の取り巻きに即座に却下された。
「いや〜、スミマセンね。まだ、新入りでして、口の聞き方がなっていないのですよ。
ほら、クーダ先生、行きますよ。」
カズマは「言わんこっちゃない。」と思いながらも、クーダが殺される前に連れていこうとした時、先生と聞いた、囚人が呼びとめた。
「お前、先生と言う事は医者なのか?それとも家庭教師のことじゃないだろうな?」
「私は王都で医者をやっていました。」
囚人は「ふ〜む」と唸りながら、クーダを値踏みするような目で見ていたが、とりあえず、事情を話した。
「俺達が兄貴と慕うダリウス兄貴が、今朝から急に病気で寝込んじまってよ?そいつを治してくれないか?」
「病気ですか?病気ですね?病気ですよね?すぐに私を患者のところに連れていって下さい!」
クーダは病気と聞いて、興奮しながら、囚人に詰め寄った。
「分かったから、俺に寄るな!ダリウス兄貴は小屋の中だ!」
囚人は本当にこんな奴をダリウス兄貴に診せても良いのだろうかと一瞬、疑問を浮かべた顔をしたが、駄目で元々と小屋へ案内した。
小屋の中は臭気が漂っていた。カズマは咄嗟に鼻を摘まんでしまう程である。
ベッドにはダリウスらしき牢名主が苦しんでいた。そのベッドの周りは彼が吐いた吐瀉物と下痢で汚れていた。
「あなたがダリウスさんでしたかね?ちょっと、診せて貰いますよ?」
ダリウスが承諾する前にクーダは彼の顔を両手で掴むと、間近で診察を始めた。
こういった光景を見ると、クーダを尊敬してしまうカズマだった。
家族でもない他人の吐瀉物塗れの顔に躊躇なく、触れるクーダはやっぱり医者なのだなと感じるからだ。
「ちょっ、お前!」
病気で苦しんでいたら、急に見ず知らぬの他人に顔を覗かれて、焦るダリウスと言う名の牢名主にクーダは一切気にせず、時間をかけて、熱っぽい眼差しで彼の顔を眺めていた。ひょっとして、そういう趣味の持ち主なのかと誰もが思い始めた時、クーダがダリウスの顔を離した。
「ふ〜む。どうやら、症状的にラコーレ病のようですね。水と塩はありますか?」
潤んだ顔(病気を見つけて、喜んだ顔)から、いきなり医者の顔に変わったクーダに呆気にとられた囚人だったが慌てて、塩と水を用意した。
「本当ならキチンと綺麗にした水を使いたかったけど仕方がない。」
用意された水に塩を混ぜて、出来た塩水をダリウスに飲ませ始めた。
「おい!そんな塩水でダリウス兄貴は本当に治るのか?何か薬はないのかよ!」
クーダに言われるがまま、塩と水を用意した囚人が簡単な処方に不安を感じたらしく、クーダに詰め寄った。
「大丈夫ですよ。ラコーレ病は脱水症状による、死亡が多い病気です。失った水分を取り戻すのには塩水が一番吸収しやすいのです。そのうち、ダリウスさんの体が持ち直しますよ。」
囚人を安心させるようにクーダ医師が言った。
そのクーダ医師の言葉通り、時間経過とともにダリウスの顔が和らいでいった。
素人目にもダリウスが峠を越えたことが分かった。
「もう安心だね。あとは時間が治してくれるよ。」
「先生、有難う・・・ございます。」
ベッドで横になりながらも、自分の体調が良くなったことを感じたダリウスがクーダに礼を言っていた。
「それでさ、ここの衛生環境の状態だと、また、いつ病気になるか分からないよ?そんなの嫌でしょ?だから、ここの小屋を診療所として、使わして貰うから。それと、衛生環境を改善するから、君達にも手伝ってもらうよ。宜しくね?」
そう言うと、クーダがあらゆる女性を恋に落としそうなダンディズム溢れる微笑みを浮かべていた。
「はい、クーダ先生!俺の小屋で良ければ、いくらでも!・・・そして、ゆくゆくは二人の愛の巣に。」
・・・・・・・・・訂正しよう。
女性と男性の一部を恋に落としそうな危険な微笑みを浮かべていた。
元から、その気があったのか知らないが、どうやら、筋肉ムキムキ牢名主様は死の淵に瀕した所で、クーダに救われ、更に命の恩人の魅力的な微笑みで止めをさされたらしい。
ドラマや小説では有りがちな、命の恩人に恋する女の子(?)の展開なのだが・・・。
カズマは初めて、この展開で羨ましいという感情を感じなかった。
そんな兄貴の姿にダリウスの舎弟らしき囚人は呆然と見ていた。
彼の今までの価値観がガラガラと崩れる音がカズマには聞こえた気がした。
哀れに感じたカズマは囚人の肩に思わず、ポンと手で叩いて、己の気持ちを彼に伝えた。
『気持ちは分かる』と
その後、健康になったダリウスは思い人の言うままに動き、取り巻き連中も恋する兄貴の命令には逆らえず、ダリウス兄貴の住み家を二人の愛の巣に・・・ではなく、Drクーダ診療所として、作り直す作業を手伝った。
また、クーダの指示のもと、打ち捨てられていた死体をキチンと火葬してから埋葬した。更に下水道完備とはいかないまでも、収容所の隅にトイレの設備を作った。ついでにカズマが日本にいた時に得た知識で考案したろ過設備に水を流し、その水を飲料水として使用するようになった。バトゥーリ収容所内の衛生は急速に改善されていったのである。
その為、病気に罹っていた者も大半はクーダの的確な治療で順調に回復し、再び病気に罹ることも無くなったのである。
この日を境にバトゥーリ収容所では死人がほとんど出なくなった。
この事実は時間が経つにつれ、看守から、地元住人へ。
そして、王都の住民へと伝わっていった。しかし、王都の住人に伝わる頃には間違った噂に変わっていた。
王都の住人達はカズマと言う名の賢者がバトゥーリ収容所に収監されていたことを知っていた。その賢者が収容所に収監されてから、収容所内に病気が無くなったという噂を聞いたのである。
その為、王都の住人達は自然に病気を治した者とカズマとを結びつけてしまったのである。
元はクーダという医者が病気を治したという噂だったのが、カズマが病気を治したという噂を王都の住人によって、立てられた。
この噂はゼノン教を信仰している王都の信徒達にある小さな疑念を抱かせた。
『カズマは本当にゼノン神に仇なす者なのだろうか?』と。
この小さな疑念はその後も各自の心に燻り続けた。やがて、その小さな火は後に巨大な火となって、シャナ王国中を焼きつくすことになる。
29話をお届けします。今回は収容所を舞台にした話になっています。書き終わって気づいたのが、カズマは働いていない!ということ。本当にバカンスしている・・・。考えてみれば、キチンと一応働いていたクーダなんて、噂でも忘れられ、かなり不遇な立場だな・・。それはともかく、次回はプリズンブレイクの序章のような話を書く予定です。
そういえば、書いてて、思い出しましたが、筆者は昔、漫画のDrコトーをDrコパ(風水の先生)の伝記(?)だと思っていました。(汗)
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