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贈られた指輪の正体がアオイの心臓だと知ってカレンが悲鳴を上げたころ、アルビスは会議中だった。
その後、全ての会議を終えたアルビスは、外廷と内廷を繋ぐ渡り廊下を歩いていた。護衛騎士である、シダナとヴァーリを伴って──
「いやぁー疲れたぁー。なぁ、シダナ。お前さぁ、カレン様の作ったフルーツ飴っての、食べたか?」
「あなたねぇ、会議中に堂々と居眠りしていたくせに、良く疲れたなどと……フルーツ飴は食べてません。それより切腹はどうしたんですか?」
「え?あれ、冗談だろ?」
「どうでしょうね。カレン様に直接お尋ねになったらどうですか?」
「いやそれ、一番やっちゃ駄目なヤツ」
「……はぁー、さすがに馬鹿でもわかりましたか。残念」
「おいこら!」
低次元の喧嘩を始めた側近二人に「やめろ」と声をかけようとしたアルビスだったが、ふと人の気配を感じて足を止めた。
「何か気になることでも?」
「どうされましたか?陛下」
ピタリと喧嘩をやめたシダナとヴァーリに、アルビスは顎で行き先を示す。
「先に行ってろ」
「……ですが」
「いや陛下一人にはできな──」
「行け」
「かしこまりました」
「へぇーい」
皇帝陛下の命令に逆らえない騎士二人は、しぶしぶながら内廷へと歩き出す。
一人になったことを確認したアルビスは、物陰に向けて声をかけた。
「出てこい」
瞬間、風が吹き抜け、物陰から水色のドレスの裾が揺れる。誘われるように姿を現したのは、側室の一人──に、扮したアオイだった。
「うふふっ、わたくしのためにお時間をいただきありがとうございます。嬉しですわ。お忙しい陛下が、足を止めてこちらを見てくださった時、この胸は──」
「くだらぬ演技はいい。虫唾が走る。それよりカレンに何かあったのか?」
まるで恋い慕う相手かのように、潤んだ瞳を向けていたアオイの表情が一変する。
「もぉー王様、聞いてよぉー。返品されちゃったよ、これ」
拗ねた顔でドレスのポケットから、ある物を取り出したアオイは、それをアルビスに放った。
パシッと片手で受け取ったアルビスの手のひらに、生々しい赤色の宝石がついた指輪が収まった。
「カレン様ったら、マジひどい。僕の心臓だって説明したら、お化けが出たみたいな声で叫ぶんだよ。僕の心臓なのにさぁー。しかも、元に戻して来いって!言うことメチャクチャだよ。しつこいけど僕の心臓だよ?これ。あっちこっち移動させる身にもなってよねー」
怒涛の勢いで不満をぶちまけるアオイと、指輪を、交互に見たアルビスの眉間に皺が刻まれる。
「ただの指輪として、渡したはずだが?」
「だって、説明しなきゃ捨てられるとこだったんだよ」
「捨てられないよう努力をしろ」
「努力する前に、捨てられそうだったの!!」
地団太を踏むアオイは、まるで子供が癇癪を起こしているみたいだ。
(面倒くさい奴を相手にしてしまった……)
アルビスは溜息を吐く。会議は終わったけれど、政務はまだ山ほど残っているというのに。
「お前はどうしたい?」
「え!?僕の好きなようにしていいの?やったぁー。王様やっぱ、優しいね」
「……黙れ」
「あ、もしかして照れてる?」
「さっき踏みつぶしておけば良かったな」
酷く後悔するアルビスは、今にも指輪を地面に叩き落としそうな勢いだ。
からかい過ぎたことを認めたアオイは「ごめんなさい」と深く頭を下げて、望みを口にした。
「このままでいいよ。指輪は王様が持ってて。でも、このことカレン様には秘密にしといて。二人だけの約束でいいでしょ?」
人差し指を唇に当て方目を瞑るアオイはに、アルビスは頷き、指輪を懐にしまう。
そしてこれで要は済んだとばかりにローブを払って、アオイに背を向け歩きだそうとしたが、アオイに引き止められてしまった。
「まだ、何かあるのか?」
振り返ったアルビスは、うんざりした口調でアオイに問う。
それでもアオイは、アルビスのローブを離さない。
「……カレン様はずっと寂しそうな顔してる。笑ってても、泣いてるみたい。ねぇ王様……カレン様は、ここが嫌なの?」
「さぁ、どうだろうな」
溜め息とともに吐き出した言葉が、嘘だとわかっていても、アルビスは別の言葉が見つからなかった。
アオイは更に、顔を歪める。今にも泣き出しそうだ。
「僕はカレン様にとって、どうでもいい存在なのかな?あっさり捨てられるのかな……僕……」
アルビスは何も言わない。それを答えだと受け止めたアオイは、目に涙が滲む。
「……ひどいよ、カレン様……僕を自由にしたくせに、居なくなろうとするなんて……」
「あれは、居なくなるわけじゃない」
アルビスは、本格的に泣き始めたアオイの頭に手を置く。
「戻るだけだ」
そう。ただ、元通りになるだけ。だから、悲しむことはない。泣く必要もない。
「王様はそれでいいの?」
「私がアレを止めれると思うか?」
狡いとわかりつつ、質問を質問で返したアルビスに、アオイはクスっと笑う。
「無理だね」
「……口を慎め」
苦虫を嚙み潰したような顔をするアルビスに、アオイは目に溜まった涙を吹いて笑みを見せる。
「うん、わかった。でも僕は、カレン様が元の世界に戻る時、きっと引き留めると思う……じゃあね!」
駄目だと言われるのがわかっていたのだろう。アオイは、アルビスが口を開く前に、ドレスの裾を翻して、あっという間に建物の中へと消えていった。
残されたアルビスは、額に手を当てて溜息を吐く。
「……まったく。一度、シダナに教育させたほうがいいかもしれない」
やらなければならない事が、また一つ増えてしまった。
得も言われぬ疲労感で、こめかみを揉むアルビスだが、心の中は別のことで支配されている。
「カレン……皆がお前を忘れても、私は忘れはしない。忘れることなど、できるわけがない」
アルビスが凍てつく世界から抜け出すことができたのは、カレンのおかげだ。
恋しさも、愛しさも、切なさも、遣る瀬無さも、全てカレンがいなければ生まれることのない感情だった。
そして一度人間らしい感情を持ってしまえば、以前の自分に戻ることは不可能だ。
カレンと過ごした日々は、魂に刻まれ、死ぬ瞬間まで大切に抱えて生きていくだろう。それがアルビスにとっての幸せなのだ。
愛する人は、この世界の人々に穏やかな忘却を望んだ。
しかしアルビスは、アルビスだけは、それを受け入れることができない。許されざる罪を犯したというのに。誰よりも、彼女の願いを叶えなければならないのに。
「どうか、許してくれ」
見上げた空は、茜色だった。予知夢の光景も日暮れ時だったが、空の色はもっと柔らかかった。
(……今の季節が過ぎるまでは、カレンはここにいてくれる)
たったそれだけの事実に泣きたいくらい安堵したアルビスは、片手で顔を覆って俯く。
守ろうと、アルビスは再び決心した。以前より、もっと強い想いで。
こんなにも自分に幸せを与えてくれた彼女が、不幸のままで生涯を終えていいわけがない。
どんな手段を使っても、カレンとの約束は守る。
元の世界に戻りたいと願い続ける、彼女の心を含めて全部。たとえ──誰かの血が流れたとしても。
覆っていた手を外して、顔を上げる。シダナとヴァーリが少し離れた場所で、こちらの様子を窺っているのが視界に入った。
「今、行く」
冷徹な皇帝に戻ったアルビスは、しっかりとした歩調で進み出した。
<おわり>
長々とお待たせして申し訳ございません!
お付き合いいただきありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ




