13
思わぬ助っ人を得たカレンは、もう神殿に用はない。
「リュリュさん、行こ」
「かしこまりました」
笑顔で頷いたリュリュは、歩き出す。アオイも歩調を合わせてついてくる。
ウッヴァも馬車まで見送る気なのか、ランタンを掲げ、カレンたちを先導する。
神殿の門前には、護衛騎士たちが馬車と共に待機している。彼らの顔は総じて、紙のように白い。
カレンは振り返って、すぐに理解する。背後にアルビスがいるから、護衛騎士たちは怯え切っているのだ。
ダリアスに至っては、今にも辞世の句を読みださんばかりの勢いだ。
「外で待ってた人達を罰したら、承知しないわよ」
騎士たちは、己の仕事をしただけだ。聖皇后の命令は絶対であり、逆らうことなど許されない。
そして自分はウッヴァとの話を終えて、馬車に乗ろうとしている。なら何も問題ないはずだ。
そんな気持ちを込めてジロリとアルビスを睨めば、彼は心得たといった感じで頷いた。
「君がそう望むなら、そうしよう」
言い終えたと同時に、アルビスの足が止まった。馬車の前に到着したからだ。
御者が恭しく扉を開けるが、彼は乗り込もうとはしない。まるで見えない有刺鉄線が張られているかのように、そこから一歩も動こうとはしなかった。
「気を付けて帰るんだ」
「あんたに言われなくてもわかってるわよ」
馬車に乗り込みながらカレンが噛みつけば、アルビスはただただ目を細めて「そうか」と呟いた。
しかしまだアルビスには、言い足りないことがあるようだ。
「足が相当痛むのだろう?城に行ったら、すぐに医者を手配する」
「いらない」
「必ず手配する」
「いいって!」
「カレン、リュリュの顔を見てみろ。侍女を泣かせるのが、お前の望みか?」
「……医者はいい。リュリュさんに手当してもらう」
「そうか。わかった」
納得したアルビスは一歩後退して、アオイは馬車に素早く乗り込んだ。
それを合図に扉が閉められ、馬車は城へと走り出した。
静かになった車内で、カレンは大きな溜息を吐く。
今日は忙しい一日になると覚悟はしていたけれど、本当に疲れた。こんなに心を揺さぶられるのは、今日限りにしてほしい。
感覚的に、夕食の時間は過ぎている。でも疲れすぎて、食欲はまったくない。できれば着替えもしないで、ベッドに突っ伏したい。
しかしまだやることはある。ラッピングの下準備とか、当日の飾りつけの図面を書いたりとか。
ウッヴァはバザーの手伝いを引き受けてくれたけれど、彼がどこまでやってくれるのかは未知数だし、勢いで頼んでみたものの、神殿と協会は犬猿の仲だ。
(揉め事だけは起こさないでほしいな……ってか、マジで眠い……限界……)
背もたれに身体を預けてカレンは目を閉じ、ウトウトしはじめる。
すると突然、アオイが何かを思い出したかのように、ぶはっと豪快に噴き出した。
寝かけていたカレンの目が、パチッと開く。
「……ど、どうしたの?」
目をこすりながら尋ねれば、アオイは笑いを堪えつつ口を開いた。
「いやぁーさっきのこと、思い出しちゃって」
「さっきのことって?」
「カレン様が、椅子を蹴り倒したときのこと」
「あ、あれは!だってそうしないとウッヴァさん、殺されちゃいそうだったし。仕方ないじゃん!」
カレンが反論すれば、アオイは堪えきれないといった感じで笑いだす。なんか、感じ悪い。
「あははっ、あっははは……って、ちょ、ごめん。カレン様、そんな睨まないでよ。顔怖いって!」
「だって、そんなに笑うことないじゃん。行儀悪かったのは認めるけどさぁ」
「いや、そうじゃないよ。そこで笑ってるわけじゃないよ」
「じゃあ、なんなの?教えてよ」
拗ね顔になったカレンは、アオイが笑っている理由が本当にわからない。
「僕が笑ってるのは、カレン様が全力で”沈黙の儀式”をぶち壊しにしたことだよ」
「ちんもくのぎしき?……何それ??」
キョトンとカレンが首を傾げたら、アオイの笑いがピタリと止まった。
「え?カレン様……”沈黙の儀式”知らないの?」
「うん。知らない」
「……あー……だからかぁ……」
アオイは納得したみたいだけれど、こっちは全然納得できない。むしろ謎が深まるばかりだ。
「カレン様、”沈黙の儀”というのは、命を落とす直前まで無言を貫けば、釈明の機会を与えられる、罪人への最後の温情なのでございます。あの時、陛下が剣を抜いたのは、その儀式をなさるおつもりだったのでしょう」
割って入ったリュリュの説明で、カレンはやっとアオイが噴き出した理由がわかった。
「だからリュリュさん、私の口を塞いだの?」
「……はい。”沈黙の儀式”は陛下が行われる神聖なもの。何人たりとも妨害は許されないものでして……」
「そっか。ありがとう」
ひとまず感謝の気持ちは伝えたものの、カレンの心は複雑だ。
(つまり、私がやったことって、無駄だったってこと……か)
アルビスは最初から、ウッヴァを殺すつもりなんてなかった。それを自分以外の全員がわかっていた。状況をわかっていなかったカレンだけが騒ぎ、足を負傷した。
(なにそれ。私、馬鹿みたいじゃん)
知らなったことを後悔はしていないし、これからこの帝国の法を覚える気もない。しかし、覆せない事実を嚙み締めた途端、足の痛みが増したような気がする。
「……リュリュさーん、部屋に着いたら美味しいお茶が飲みたいです」
「すぐにとっておきのお茶を、ご用意させていただきますね」
二つ返事で頷いてくれたリュリュに「ありがとう」と言って、カレンは再び目を閉じる。完全に不貞寝である。
(もぉぉぉぉーほんっっっっと、疲れた!!)
このやり切れない気持ちは、リュリュの淹れてくれたお茶で飲み下そう。
これぞまさに「お茶を濁す」だ、とカレンは自嘲したけれど、本当の意味はなんかちょっと違うような気がする。
でも疲労困憊のカレンは、それすらどうでも良くなり、馬車の揺れに身を任せた。




