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アルビスと視線が絡み合う。
さっきまでの冷徹さはないけれど、彼の怒りは、まだ消えていない。
(臆したら、負けだ)
カレンは、威嚇するように腕を組む。
「あのさぁ──」
「足は、痛むか?」
話の腰を折ってまで訊くことか?それ。見ればわかるでしょ。痛いに決まっている。
そう言い返そうと思ったけれど、脱線するのは目に見えているからやめた。
「あんたが何を聞いて、ここに来たのかは知らない。けど私、この人との話を邪魔されて、メチャクチャ怒ってるんだけど?」
「……話?」
「そう。話をしていたの」
暗に誘拐されたわけじゃないとアルビスに伝えれば、彼は訝し気な顔をする。
背に庇っているウッヴァも、戸惑っているのが気配でわかる。
(ちょっと!おじさん、ここは乗っかってよ!)
今からやるのは、真実を変える演技だ。しかもただの男ではなく、帝国では神のような存在に向けて。一つでも、間違えてはいけない。間違えたら、即終わりだ。
「あんた多分、勘違いしてる。それとも、あんたが選んだ人以外、話をするなってこと?もしそうなら、マジで軽蔑する」
ギロリと睨めば、アルビスは何か言いかけて、口を閉じる。
「それと門限とかも知らない。っていうか、あっても関係ない。そういうことを押し付けないで。迷惑だから」
キツイ言葉を吐いてはいるが、アルビスがここに来た理由はわかっている。
だけど神殿と皇室の力関係とか、政治のこととかは、何もわかっていない。
今の自分は、ただの感情だけで動いている。もっと詳しい内情を知っていたら、ウッヴァを庇わないかもしれない。でも、それでもいいと思っている。
「今すぐ帰って」
カレンの要求に、アルビスは答えない。
何かに耐えるように、グッと歯を食いしばっている。
「ウッヴァさんとの話が終わったら、私もそっちに行くから」
説得しているように聞こえるが、ウッヴァとの話を終えるまでは、ここに居続けるとカレンは主張している。
「……それは、できない」
苦渋の決断をしたような顔をするアルビスに、カレンは舌打ちする。
(丸く収めたいだけなのに!)
もう、いいじゃん。と、言えばアルビスは、引いてくれるだろうか。それとも、可愛くおねだりすれば、わかったと言ってくれるだろうか。死んでも嫌だけど。
「ねぇ……殺さないでよ」
色々と頭の中で考えたけれど、結局、口から出たのは、ストレートな願いだった。
「私もウッヴァさんにイラついたことは認める。ちょっとだけ怖いと思ったのも。でも、今は違う。本当に話をしたいだけなの。ウッヴァさんは、あんたがいると怖がって話ができない。だから、帰って」
──お願い。
最後の言葉は口に出さなかった。でもアルビスは、これが”お願い”であることに気づいたようだ。
「カレン」
意思のある声で名を呼ばれ、カレンはゴクリと唾をのむ。
アルビスを怖いとは思わないけれど、ウッヴァを救えないのは恐ろしい。
次に放たれる言葉はなんだろう。これまでの経験上、望みどおりになる可能性は極めて低い。
不安から目を逸らしたくなる。でも、逸らしたら負けだという変な意地のおかげで、向き合っていられる。
アルビスの唇が動く。しかし、声を放ったのは彼ではなく、ウッヴァだった。
「もう……もう、いいのです。おやめください」
涙声で訴える相手は、どっちなんだろう。そんな疑問を抱えつつ、カレンは振り返る。すぐに、ぎょっとした。
ウッヴァは子供みたいに泣いていたのだ。目から大粒の涙を流し、鼻水すら出ている。汚い泣き顔だ。でも、醜くはない。
とはいえ、大の大人が泣いている事態に、カレンはひどく慌てた。慌てすぎて、よろめいて、身体がぐらりと揺れる。
普段なら、たたらを踏むだけで終わるが、痛めた足のせいで上手くバランスが取れない。これは間違いなく、倒れてしまう。
何か掴もうと手を伸ばすが、虚しく宙を切る。
しかし、カレンは転倒しなかった。傾いた身体は、突如現れた何かに阻まれ、そしてグイッと押され、元の姿勢に戻ることができた。
その何かは、大股で一歩近づいたアルビスだった。
背を手に回すことも、腕をつかむこともせず、肩だけを使って、カレンの身体を支えたのだ。絶妙な力加減で。
事情を知らない者からすると、随分と乱暴な扱いに見えただろう。
でも、これはアルビスにとって、最善のやり方で、それ以外の方法は許されない。触れないという約束を守ろうとした結果だ。
(約束……覚えてるんだ)
正直、びっくりした。どうせ反故するのだと、思い込んでいた。そういう奴だと思いたかった。
「……すまない」
助けた側から謝罪を受けて、カレンは唇を噛む。
こんな時、どんな言葉を返していいのかわからなかった。




