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ウッヴァの不遜な態度が崩れていく。薄暗く息が詰まる部屋の空気が、哀愁を帯びていく。
背後に立つリュリュとアオイが、小さく息を呑むのが気配でわかった。
「ねぇ、おじさん……」
思わず「泣いてるの?」と尋ねそうになって、やめた。
ウッヴァはカレンが言葉を止めても、項垂れたまま肩を震わしている。何も言わないし、こちらを見ようともしない。
それがとても、もどかしい。彼が伝えたかったのは一体何だったんだろう。何を求めていたのだろう。もしかして『金と名誉と地位』とかじゃなくって、もっと別の何かだったのだろうか。
今のウッヴァは、神殿の守り人の仮面を外した、ただのおじさんだ。自分ひとりじゃ抱えきれない悩み事を抱えて、苦しんでいる。
きっとこの苦しみから解放されたくて、自分に救いの手を求めたのだろう。欲望を満たしたかったのではなく、助けてほしかったのだ。
(だったら、こんな回りくどいやり方なんてしなくていいのに)
こんなやり方は間違っている。人の心を動かしたいなら、もっと別のやり方がある。
「おじさん、やって欲しいことがあるなら、ちゃんと言って。押し付けたりなんかしないで。思い込みだけで話をしないで。そうしたら、私……ちょっとはあなたの話を聞くよ」
異世界人だからとか、聖皇后だからとか、そういう線引きをしないで。
「私、おじさんが思ってるよりも、できることは少ないよ。やりたくないこともいっぱいある。でも……できなくても、できないなりに一緒に考えるよ」
ついさっきまで関わり合いたくないと思っていた相手に、こんな言葉をかけてしまうなんて。急激な心の変化に、カレン自身が戸惑ってしまう。
でも不思議と不快ではない。
「私に何をしてほしいの?何を求めてるの?ねえ、おじさんの言葉で、聞かせて。教えてくれなくっちゃわからない。なんにも答えられないよ」
カレンが心を込めた言葉はウッヴァに届き、彼はゆるゆると顔を上げる。そして初めて、カレンを見た。
「……あなた様じゃなきゃ、できないことなのです」
絞りだしたウッヴァの声音はか細く、震えていた。
「私じゃなきゃできないことって、何?」
「……それは」
「うん」
「この神殿の……大切な……」
「うん」
「わ、わたくしが命より大事にしております……」
「うん……ん?ど、どうしたの??」
辛抱強くウッヴァの言葉に耳を傾けていたが、急に部屋の空気が変わった。
ピリピリと肌を刺すような緊張に包まれ、ウッヴァの表情が凍り付く。
何事かと、椅子に座ったままの状態で振り返る。リュリュとアオイを見ようとしたカレンの目が、限界まで開かれた。
「ちょっと、何であんたがここにいるのよ」
これ以上無いほど嫌な顔をされたカレンに、乱入者──アルビスはバツが悪そうにしながらも、口を開く。
「鐘の音はとうに鳴った」
「は……?」
「門限を守らないなら、迎えに行くのは当然だろう」
「え……意味わかんないんだけど」
門限が定められているなど、聞いていない。
何をしてもいいと言われても、結局は護衛と称して四六時中誰かに監視されているのに、一方的に門限まで定められていた現実に、カレンはカッとなる。
これでは動物園のサルと一緒ではないか。
「そんなの聞いてない」
「聞かれてはいないから、伝えていない」
「なにそれ──もういい。出ていって」
これ以上付き合っていられるかと、カレンはアルビスに背を向ける。
姿勢を元に戻した先にいるウッヴァは、委縮しきっていて、もう話せるような状態ではない。
(ああっ、もう!)
やっとウッヴァと向き合うことができたのに。これじゃあ、台無しじゃないか。
これまでの苦労が水の泡になってしまったカレンの怒りの矛先は、もちろんアルビスだ。
「どうしてくれるのよ、もう!」
バンッとテーブルを叩いて立ち上がったカレンは、再びアルビスと向き合う。
「あんたねぇ、突然出てきて……っ、ちょ、リュリュさん──んぐっ!」
アルビスに噛みつこうとしたら、なぜかリュリュの手によって口を塞がれてしまった。
侍女のまさかの裏切りに、カレンはくしゃりと顔を歪ませる。
「ご無礼をお許しください。そして、どうか少しの間だけご辛抱を……後で、どんな罰でも受けますので」
囁かれた声音は、カレンを案じる響きだった。




