1
「……なんであんたがここにいるのよ」
ありったけの敵意を込めて睨み付けても、アルビスは何も答えなかった。
ただ手に持っているトレーの中身が気になったのだろう。視線はカレンの顔ではなく試作品に向いている。
バザーの手伝いをすることは、アルビスには伝えていない。バレたらバレたで「だから何?」と開き直るつもりだが、できることなら隠したままでいたい。
「邪魔、どいて」
トレーを背に隠したいが、そんなことをすればどうぞ気にしてくださいと言っているようなもの。だからカレンは、敢えて堂々とトレーを持ったままでいる。
一方、アルビスはカレンに退けと言われても、動かない。それどころか、一歩近づこうとして、すぐにたたらを踏んだ。まるで、触れるのを恐れるかのように。
そんなふうにされたら、こちらが虐めているようだ。
謙虚というより、卑屈なアルビスの態度に、カレンは別にそこまで極端にならなくてもと、一瞬だけ思った。
でも、すぐに舌打ちした。
アルビスに気持ちを向けようとした自分が、ひどく嫌だった。だって距離を保つのが当然なのだ。
それなのに一方的に罪悪感を押し付けるアルビスと、この程度で気持ちが動いた自分に得も言われぬ怒りがこみ上げる。
「リュリュさん、行こ」
「は、はい」
これ以上足を止めていたら、感情に任せて必要以上にひどいことを言ってしまいそうな予感がして、カレンは動かないアルビスを無視して横切ろうとした。
しかしすれ違う直前、カレンの肩にアルビスの頭がもたれ掛かってきた。
息を吞む間もなく抱きしめられ、手に持っていたトレーが派手な音を立てて床に転がった。
「ちょっと……!!」
戸惑いより、恐怖が勝った。
あの日以来、自分に触れようとはしなかったアルビスから、こんな風に積極的に触れられるなんて思ってもみなかった。
裏切りられた。やっぱりこの男は口先だけの最低な人間なんだ。約束なんて毛ほども大事にする気なんてなかったんだ。
床に転がった飴は酷い状態で、食べられそうにない。どうしてくれるんだ。
そんなふうに、ありったけの大声で罵倒してやりたい。でもアルビスに抱きしめられた現実に、不快さと恐怖で思うように声が出ない。
「……おねがい……離れて……ねえ、ねえってばっ」
喘ぎながら何とか訴えれば、ようやっと背に感じていたアルビスの腕が離れた。けれど、その身体は離れるどころか更に密着する。
「やだ……ねえ、やだっ……っ!!」
自由になった腕でアルビスを押しのけようとしたけれど、体格差のありすぎてびくともしない。
しかも全体重をかけられ、支えきれずにズルズルと押し倒される形で床に組み敷かれてしまった。
「リュ……リュリュさん……たすけ……え?ちょ、ちょっと!!」
立場上、傍観せざるを得なかったリュリュのつま先が見えて、カレンはここでようやっと助けを求めれば良かったことに気付く。
しかし声を発する前に、アルビスの異変に気付いた。
彼は自分の意思で、押し倒したわけじゃない。自力で立っていられない程、体調が悪かったのだ。その証拠に、圧し掛かる身体はひどく熱い。
「……す、すまない。……すぐに……すぐに離れる。すまない……すぐに」
うわ言を繰り返すその息は、掠れて小刻みに震えている。
(この人、病気なんじゃ……)
立てない程の高熱に、実は大きな病気を抱えているんじゃないかと焦ったカレンは、リュリュに叫んだ。
「リュリュさん、大至急、この人を寝かせる場所まで運んで!!」
「御意に」
聖皇后の為だけに存在する侍女は、主の願いを叶えるために何の抵抗もなく、偉大なる聖皇帝を軽々と俵担ぎした。




