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第一回孤児院救済会議から10日後。
今日も今日とてカレンは、城内の神殿で祈りを捧げている。
しかしここ最近、デフォルトになった元の世界に戻りたいという願いの他に、もう一つお願うことがある。
「……神様お願いです。どうか試作品が上手に作れますように。あと、当日のバザーが成功しますように。完売してくれますように」
祭壇の前で膝を付いて祈るカレンの表情は、鬼気迫るものがある。
なぜなら今日は、バザーに出す予定の”りんご飴ならぬフルーツ飴”の試作をするからだ。
孤児院とやり取りをしたり、材料を手配したりと思いのほか時間がかかってしまったため、バザーまで一ケ月を切っている。万が一不評でも、もう一度メニューを考えるのは、時間的に厳しい。
もちろん、文化祭準備では最後まで候補に残っていたメニューだし、自宅で練習も嫌というほどしたから、しばらくキッチンに立っていなかったとはいえ失敗しない自信はある。
それにフルーツ飴は、リュリュに頼んで他の王宮内のメイド達にも調査したところ、やっぱりこの世界では馴染みがないそうだ。
コツさえ掴めば誰でも簡単に作れて、美味しく、見栄えも良い。運が良ければフルーツ飴は、革命的な菓子になるだろう。
けれどやっぱりここは、異世界。受け入れられるかはやってみなければわからないから、カレンは最終手段の神頼みをしている。
「ま、とにかく神様。これぐらいは手を貸してよね……ってことで、行くとするか」
1周まわって神様を脅して祈りを終えたカレンは、よいしょと立ち上がると出口扉に立っているリュリュに視線を向ける。
すぐさまリュリュは心得たように頷き、扉を開けてくれた。
扉を出て厨房に向かうカレンは、文化祭の準備が始まる前に担任が言っていた言葉をふと思い出す。
『いいか、お前ら。文化祭の準備はお前らが自由にやっていいぞ。どんな店でも展示でも好きにやれ。先生がゴリ押しして絶対にやらしてやる。ただし自由と責任は背中合わせだ。そのことを忘れるなよ』
あの時は、新婚の担任が手を抜きたいからだと、クラスの皆は冷やかした。
でも今になって担任の言葉が、とても重いものだったのかよくわかる。
自由とは何か。辞書には他からの強制や支配などを受けないで、自らの意思や本性に従うこと、と書いてある。哲学っぽい言い方をするなら、自由とは人間的欲望の本質。
カレンは、自由とは責任行動だと思っている。行動により生じた結果は、本人が引き受けるべき。やりたいようにする以上、誰のせいにしてもいけない。
「頑張らなくっちゃ」
城内は広く、使われていない調理場あるらしい。今日は、そこを使わせてもらう。既にアオイは調理場にいるのだろうか。
一応側室ということになっているアオイが、他の側室に意地悪されていないか心配だけれど、彼ならきっと要領良くかわしてくれるだろう。
「リュリュさん、神殿で時間を食っちゃったから急ごう。アオイを待たせるの、悪いし」
「かしこまりました。ですが、そう慌てなくても大丈夫かと……」
「え?なんで?」
キョトンとするカレンの頭上に、馴染みのある声が降ってきた。
「遅いから迎えにきたよーカレン様」
「あ、アオイ。おはよ」
高い木の枝の隙間から顔を覗かせたアオイは、そのままぴょんと飛び降りて、難なく着地を決めた。
「すごいね」
「あははっ。ありがとう、カレン様。こんなことで褒められるとは思わなかったけどさ」
「褒めてないよ。っていうか危ないから、もうそんなことしちゃ駄目だよ」
「ん、じゃあカレン様がいるところではもうやらない」
「えー、そういうことじゃなくってさー」
そんな軽口を交わしながら三人そろって調理場に向かっていたけれど、突然アオイが足を止めた。
「それにしてもカレン様は信仰心熱いよねー。毎日神殿に来るんだもん」
あっけらかんと笑って神殿をチラ見するアオイは、カレンが毎日毎日飽きもせず元の世界に戻りたいと祈っていることを知らない。
無論、カレンとてそれを伝える気は無い。でも勘違いされたままでいるのは癪に障る。
「あのね、私が毎日お祈りをしているのは、別に信仰心があるからじゃないよ」
謙遜ではなく強い拒絶を感じたアオイは、不思議そうな顔をする。
「じゃあ、なんで毎日あそこに?」
「それは……」
なんとなくとか、暇だから。そんな曖昧な言葉が舌から滑り落ちそうになったけれど、それを噛み砕いてカレンは沈黙する。
アオイに全部を伝えることはできない。でも、嘘は吐きたくない。
そんな気持ちからカレンは本心を口にすることにした。
「私が神様に祈るのは、怖いからだよ」
「怖い?」
「そう。怖いから。あと後悔したくないから、毎日ここに来るの」
アオイから目を逸らさず、カレンはそう言った。
奇麗事や正論しか言わない神様や天使にも是非聞いて欲しいと願いながら、更に言葉を重ねる。
「あのね、この世界に来てから私、たくさん神様に祈ったの。でもねどれだけ祈っても神様は一度だって自分の味方をしてくれることはなかったんだ。……それでも毎日、祈り続けるのは、あの時ちゃんとお祈りしとけばよかったなって後悔したくないから、ここに来てるだけなんだ」
「じゃあカレン様にとって神様って悪魔に近いってこと?」
痛いところを突いたアオイの発言に、カレンは笑おうとして失敗した。頬が歪むのがわかる。
「そうかもね」
せめて、声が震えていませんように。
カレンは怖い怖い神様に祈りながら、止まっていた足を動かし始めた。




