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カレンたちが超特急で馬車に乗り込めば、御者の手によって扉が派手な音を立てて閉まる。次いで、思わず「おっと」と言いたくなるような急発進をして、馬車は王城へと向かい始めた。
ガタガタと揺れる車中では、誰も口を開く者はいない。
カレンは上がった息を整えるのに忙しく、リュリュは僅かに開けた窓から背後を確認している。
少女は声こそ出してはいないが肩を小刻みに振るわし、必死に笑いを堪えている。まるで悪戯が成功した子供のように。
「ねえ、あなたなんなの?」
「え?……そう申されても……わたくしは……」
息が整ったカレンが率直に尋ねれば、少女は困ったように眉を下げた。
「隠さないでよ」
カレンはきつい口調で吐き捨て、そのまま今日一日ずっと抱えて感情を少女にぶつける。
「急に付いていきたいって言ったり、変な演技したり、おっさん転ばせたり……怪しいところばっかりじゃん。気持ち悪いっ」
「……気持ち悪いって……そんな……」
最後は怒声になったカレンに、少女はひどく傷付いたようだ。口元に両手を当てた少女の薄紫色の瞳は、みるみるうちに潤み始めてしまった。
馬車は行きよりも遥かに速度を上げているせいで、ひどく揺れている。その振動で、今にも涙が零れ落ちてしまいそうだった。
(あ……しまった。言いすぎたかも)
人を傷つけることに慣れていないカレンは、はげしく動揺してしまう。謝らなければと思ったその時、 突然少女が腹を抱えて笑い出した。
「あははっははっははは」
先の読めない少女の行動が不気味すぎて、カレンは思わずリュリュにしがみついてしまう。非情かもしれないが、本気で馬車を降りて欲しい。
一方、リュリュはとても落ち着いていた。
慌てることなく力任せに抱き着いたカレンの肩を、優しく抱き寄せながら口を開く。
「からかうのはおやめなさい。今すぐ、カレンさまに真実をお伝えしなさい」
「え?いいの?」
リュリュはカレンにとってかけがえのない存在ではあるが、ただの侍女だ。側室に、こんな物言いをするのは許されない。
でも少女は、そんなことは気にも留めず目を丸くする。その瞳の奥は、嬉しさと期待が混ざっている。
リュリュは「不本意ですが」と前置きしてから再び口を開いた。
「陛下には許可をいただいてはおりませんが、カレンさまがここまで怯えているのです。正体を晒した方がいいでしょう。罰はわたくしが受けま──」
「いやいや、リュリュさん大丈夫っ。私、怯えてないし。聞かなくっていいよ。あなたも余計なこと言わないでっ」
”罰を受ける”という言葉に過剰に反応して、カレンはリュリュの言葉を遮った。
けれど少女は、カレンの言葉を無視して「じゃあ、改めまして」と言いながら自身の髪に手をかけた。
するり、と少女の髪が流れるように移動する。桃色の髪が剥かれ、柔らかそうな黄金色の短髪が現れた。
「あー暑かった」
ふぅっと肩で息をした少女の声はかなり低いが、不自然さは無かった。信じられないが少年だったのだ。
少年は、犬が毛並みを整えるように軽く頭を振る。動きに合わせて、ふわりと揺れる髪はまるで稲穂のようだった。
「っ……!!」
カレンの目が限界まで開く。
記憶違いじゃないか確認するために、軽く目を閉じて記憶をたどる。3回確認したけれど、やっぱり記憶の通りだった。
こくんと唾を呑んで覚悟を決めたカレンが目を開ければ、少年は人懐っこい笑みの中に、僅かに不安を滲ませてこちらを見つめていた。
「久しぶり、聖皇后さま。僕の事……覚えてる?」
「……まさか。あ、あなたトゥ・シェーナ城で会った……や、会ったは変だな。えっと何ていえばいいんだろう。ヴァーリとシダナさんに剣を向けられ……や、それも物騒だ。えっと、あの人に首を……って一番エグイわ。とにかく私、あなたのこと覚えているからっ」
目の前の少年が誰かわかっているが名前を知らないカレンは、、共通するワードを並べて知ってると伝えようとする。
それはとても稚拙で説明不足でだったけれど、少年はちゃんと理解してくれた。
「うん。覚えてくれているみたいで嬉しいよ」
安堵の息を漏らした少年は、眩しそうに目を細めてそう言った。
少年は、かつて皇后候補だったシャオエに命じられカレンの息の根を止めようとした暗殺者。
そしてカレンがアルビスに懇願して、斬首は免れたものの一生獄中生活を強いられるはずの──ロタと呼ばれていた者だった。




