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「せいこーごーへーかさまぁ、またあそびにきてね!」
「ティータもまたあいたいって!」
「こんどは、もっといっぱいあそんでね!」
マルファンに暇を告げて孤児院を去ろうとしたカレンに、イルたちが声をかける。
寂しさと親しみがこもったそれにカレンが頷けば、子供たちは、ぱぁっと顔を輝かせて「またね!」と言いながら手を振る。
小さく手を振り返しながらカレンは、少し離れた場所に停めてある馬車まで移動した。そして馬車に乗り込もうとした瞬間、また声を掛けられた。
「聖皇后陛下、本日こそはロアンナ神殿にお越しいただけると思いまして、こちらでお待ち申し上げておりました」
太く低いそれは、聞き覚えがある年を重ねた男の声だった。
声のする方に視線を向ければ、見覚えのある男──ウッヴァと、もう一人、聖職者の衣装を着た壮年の恰幅の良い男がいた。
今日は神殿に寄る予定もなければ、通達をした覚えもない。なのに神殿の守り人たちがここに居る。
(なんで?)
カレンはそこまで考えて、ぞっとした。
この二人は、いつ来るかわからない自分をここで見張っていたのだ。もしくは、王城から出発した馬車の後を尾行していたのかも。
孤児院は帝都の離れにある。周囲は緑が多くて、身を潜ませる場所はいくらでもある。
(賄賂を受け取らなかったから?どうしても援助を頼みたかったから?あの日、立ち寄らなかったことが気に入らなかったから?)
思い付く理由を頭の中で並べ立てても、答えなんて出てこない。ただただ気味が悪いだけ。その気持ちは消えるどころか、どんどん大きくなっていく。
「どうされました?さぁ、一刻も早く馬車にお乗りください」
「ちょっと待って。私、今日は……そんなつもりじゃ」
口元だけに笑みを張り付けて近づいてくるウッヴァに、カレンは狼狽して後退る。
そうすればウッヴァは、きょとんとした。
「まさか神殿に来ていただけないと?……孤児院には足を向けたというのに?」
「は?」
これまでのカレンにとったら、孤児院と神殿はセットだけれど、ウッヴァにとったら無関係のはずだ。カレンの眉間に皺が寄る。
(どうして?)
カレンが心の中で呟けば、まるでそれを聞いていたかのように、ウッヴァが口を開く。
「恐れながら申し上げますが、孤児院はもともと教会が設立したものでございます。そして聖皇后陛下は尊き存在であり、その立場の御仁が神殿を蔑ろにするなど許されぬ行為ではありません」
「ちょっ、なに言って……」
「はっきり申し上げます。教会に肩入れするのはお控えください。聖皇后陛下は魔力が衰退し、地に落ちてしまった神殿の権威を立て直す使命がございます。それをお忘れになるとは、何とも由々しき事態……今一度ご自身の役割を見直していただきとうございます」
「いや、だから……ちょっと待ってよ……」
ペラペラと喋るウッヴァの言葉に、カレンは呆気に取られてしまった。
神殿を蔑ろにするなど許されぬ行為?
神殿の権威を立て直す使命?
自身の役割を見直せ?
どれ一つとっても、理解の範疇を超えた内容で、カレンはとにかく逃げたい気持ちから更に後ずさる。でもウッヴァは、空いた距離の分だけ、歩を進める。
どこまでもついてこられそうば恐怖に襲われたカレンは、縋るようにすぐ隣にいるリュリュを見つめる。見上げたリュリュは、何かが枷となって動けないようだ。
でもリュリュは迷いを振り切るように、カレンの盾になる為一歩前に出たその時──
「ねぇーまだ帰らないんですかぁー。わたくしもう疲れましたのぉー」
場違いなほど、能天気な声が緊迫した空気を切り裂いた。
声の主は、アルビスの愛人である少女だ。
これまでずっと良い子だった少女の豹変に、カレンはぎょっとしてそこに目を向ける。ばちっと音がしそうな程、視線がぶつかってしまった。
「ねえ聖皇后陛下、わたくしはいつまでここで立ち往生しなければならないの?早くお部屋に戻りたいですわ」
頬を膨らませ不機嫌そうな顔をする少女は、ウッヴァの前に移動した。
「聖皇后陛下は、この後わたくしとお茶をする予定となっておりますの。ごめんあそばせ」
カレンに背を向けているから、少女の表情は見えないが、ウッヴァが忌々しげな顔をしている。よほど憎たらしい笑みでも浮かべているのだろう。
そんな中、少女はおもむろに振り返った。シフォンのドレスがふわりと舞って、さっき見た花壇のお花みたいなだなと思ってしまう。
でもウッヴァは、花でも蝶でも踏みにじる人種だった。
「ふざけるなっ。側室風情が、我々にそのような物言いをするとはっ」
ウッヴァは、乱暴に言い捨てながら荒々しくい少女に手を伸ばす。
これは下手をしたら殴られてしまうかもとカレンが息を呑んだ瞬間、なぜだかわからないけれどウッヴァはその場に尻もちをついた。
「っ!……えっ!?」
ウッヴァを助け起こそうとしたもう一人の守り人も、尻もちを付いた。二人は揃ってふくよかな体系で、なかなか起き上がることができない。
「さぁ、聖皇后陛下。今のうちに帰りましょう」
唖然としているうちに、少女が腕を絡ませる。
世界で一番憎い男の愛人との腕組みなど嬉しくないが、カレンは振りほどく時間を惜しんで馬車へと駆け込んだ。




