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馬車の周りでいつでも出立できるよう騎士達が待機している中に、着飾った一人の少女が紛れ込んでいた。
「おはようございます。聖皇后殿下」
カレンの姿を認めた少女はそわそわと落ち着かない様子から、ぱっと笑顔になってこちらに駆け寄って来る。
もちろんカレンが笑みを返すことはしない。露骨に「何だコイツ」という訝しい表情を浮かべる。
けれど少女は気にも留めず、優雅にスカートの裾を持ち上げ腰を落とす。
「ご機嫌うるわしゅうございます、聖皇后殿下。本日はお願いがあってこちらで待たせていただきました」
「お……お願い?」
「さようでございます。どうしても直接、聖皇后殿下に申し上げたくてずっとここで待っていたのでございます」
(うっわー。ここにもストーカーがいた)
不審者を見る目になったカレンだが、ここではたと気づく。
見かけない顔だと思ったが、この少女を遠目から窓ガラス越しに見たことを思い出した。
(この子、アイツの愛人じゃん)
いつぞやの朝、アルビスを取り囲んで嬉しそうにはしゃいでいた人物だと気づいた途端、カレンの表情はみるみるうちに険しくなる。
去年の冬、シャオエから暗殺者を送られたことは記憶に新しい。あんな経験は一生に一度で十分だし、たとえ彼女の首と胴が離れた今でも一生忘れることはないと思っている。
そんな厄介で、面倒で、危険な人物からの願い事。これはどう考えても、ロクなものじゃない。
「悪いけど、無理」
「せめて聞くだけでも聞いてくださいませんか?」
「えー、それも嫌なんだけど……」
少女があまりに悲しそうな表情をするものだから、カレンは目を逸らして答えてしまった。
(なんかシャオエと違うタイプの気がするけど……)
けれどこの少女がカレンに向けて、嫉妬や憎しみを抱えていないとは言い切れない。
聖皇后という立場を盾に愛人たちにマウントを取りたいわけではなくて、カレンはただ一刻も早く孤児院に向かいだけ。
そうなるとここでゴネるのは得策ではないかもしれない。
悶々と悩んだカレンは、リュリュに助けを求めることにした。
リュリュは自分と違って異世界生まれの異世界育ち。そして宮殿生活も長いから、きっと上手に断ってくれるだろう。
「……リュリュさ」
「聖皇后陛下、本日はわたくしもご同行させてくださいな」
「はぁ!?」
許可を得ぬまま申し出た少女の突飛な発言に、カレンは目を剥いて声を張り上げてしまう。
ずっと沈黙を守っていたリュリュが、さすがに我慢できず割って入ろうとするけれど、それを制するように少女が口を開いた。
「実はですね、もう既に聖皇帝陛下から許可はいただいているんです」
にこっと可愛らしい笑みを浮かべた少女の視線は、リュリュに向いていた。
聖皇帝陛下はメルギオス帝国において、法であり秩序でもある。
神様のように敬われる存在が許可したとなれば、リュリュとて少女を止めることはできない。
「……カレン様、陛下に確認を取ってきます」
リュリュが小声で尋ねるが、カレンは頷くことはしない。
(ったく、アイツは何をしたいわけ?)
夜会で自分を助けてくれたと思ったら、今度は愛人同伴で外出しろという。これを奇行と呼ばずに何と言おう。
夜会の帰り道、カレンはアルビスのことが全くわからないことに気付いたが、このやり取りで更にわからなくなった。
「リュリュさん、行かなくていいよ」
孤児院に到着時刻は伝えてある。こんなくだらないやり取りで遅刻なんてしたくない。
「悪いけど、あなたに構っている時間はないの。今日は諦めて」
「……さようですか。でも……わたくし、聖皇帝陛下から許可を貰ったのに、聖皇后陛下と共に外出できなければお叱りを受けることになります」
しゅんと肩を落とす少女はこの後、アルビスに責められることを本気で恐れているようだ。
アルビスがどう愛人達に接しているわからないカレンは、心が揺れ動く。
しばらく悩んだが、我ながらお人好しだなと思う結論を下してしまった。
「好きにして。でも、邪魔はしないでよ」
「はいっ!もちろんでございます」
ぱぁっと輝かんばかりの笑顔を浮かべる少女は心から喜んでいるようだった。
(はいはい、そうですか)
カレンは見て見ぬふりをして、馬車へと乗り込んだ。




