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夜会会場にカレンとアルビスが姿を見せた途端、楽団の演奏がピタリと止み、くるくるとダンスを踊っていたペアも、動きを止め上座に向かい深く腰を落とす。
偉大なる聖皇帝とその伴侶である聖皇后の登場に、参加者達は敬意の念を表した。
その表情は揃いも揃って絶対的な何かにすがろうとする狡猾さが見え隠れしていて、カレンは鼻で笑い飛ばしたくなる。
「皆のもの、続けよ」
アルビスは普段からそんな視線に慣れているのだろう。規格外に整った顔を崩すことはせず、抑揚がない声でそう言った。
無駄に良く通る声は大した声量ではないのに会場の隅々まで届いたようで、すぐに楽団が音楽を奏で始める。まるでカレンとアルビスを歓迎するかのような軽快な曲を。
(あー、帰りたい)
カレンは到着してたった3分で、もう限界だった。
そんなカレンの心情を読んだように、背後ではダリアスとルシフォーネが鉄壁の守りのように立ち憚り、官僚や貴族たちがこぞって上座へと登ってくる。
往生際悪くルシフォーネに助けてと目で訴えれば、非情にも首を横に振られてしまった。
カレンは腹をくくって、官僚達の挨拶を受けることにする。しかめっ面を隠すことはできないが、そのくらいは許してほしい。
けれどカレンの前に立つ者は、一人もいなかった。官僚や貴族達はアルビスに膝を付き長々と挨拶の文言を紡ぐけれど、カレンに対しては短く礼を執るだけ。
これはラッキーとカレンは心の中でにんまりとしていたが、4人目に挨拶に来た貴族の男が自分の前で跪いた瞬間、気づいてしまった。
男が顔を上げ口を開こうとした瞬間、アルビスの表情が険しくなり肘掛けに置かれた指先がトンッと音を立てた。すぐさま貴族の男は後ろ髪を引かれるように、その場を離れていく。
カレンの目には、アルビスが会話を禁じているようにしか見えない。
(今のってさ、膨れっ面の私を家臣に見せたくないってこと?)
そんな可愛げの無いことを考えたカレンだが、アルビスなりの心遣いだったということに気付いている。
(アイツには、とことん嫌なやつでいてほしいのに……)
そうしてくれないと、心の底から憎むことができない。
好きの反対は、嫌いじゃない。無関心だ。でも、カレンはアルビスに対して無関心になることができない。心の芯を傷つけられ、無かったことにできないほど、めちゃくちゃにされたのだ。
「……カ……ン」
アルビスのことを、カレンは知りすぎてしまっている。どんな人生を送ってきたのか。どれだけ愛情に飢えているのかも。
人の記憶は、必要な部分だけ都合良く消すことができない。消しゴムを使うように、これまでのことをきれいさっぱり消すことも、アルビスを居ない者として扱うこともできない。
「……カレ……ン、……か?」
アルビスの気持ちは、カレンにはわからない。全てを手に入れたアルビスは、もう執着心はなくなっているかもしれない。実際、彼は愛人のところに通って子作りに励んでいるはずだから。
(なら、今さっきの”トン”は自分の保身のためだったんだね)
ぐるぐると思考を巡らせたカレンがひねくれた答えにたどり着いたその時、横から強い口調で声をかけられた。
「カレン、悪いが少しいいか?」
今まさに憎らしいと思った人物からの問いかけを、カレンは睨み付けることで返事とする。
睨まれたアルビスは、ムッとすることなく口を動かした。
「これらが君に謝罪したいそうだ」
「なんで?」
食い気味に質問を返すカレンに、アルビスはわずかに眉を動かして答える。
「神殿の守り人が君になにか不手際をしたらしい」
「っ……?」
神殿という言葉にカレンは、アルビスの前で膝を付いている中年の男に目を向けた。
ゆったりとした光沢のある灰色の上着は、確かに神殿にいる聖職者が身に付けている衣装だが、このふくよか体系の男には見覚えが無い。
(誰?この人)
ここまで特徴のある体系なら忘れることはないはずなのにとカレンが首を傾げれば、神殿の守り人は発言の許可が下りたと解釈し勝手に話し始めてしまった。
「ご機嫌麗しゅうございます。聖皇后陛下。わたくしはロナンア神殿に務めるウッヴァと申す者です」
「……はぁ」
流暢な自己紹介を受けても、カレンは気の抜けた返事しかできなかった。




