焦りのドライブ。
焦っていた。
確かに、ドアを叩かれてビビっていたことは事実だ。
しかし、それ以上に、なぜこの女性は汗をかいているのか。
謎だ。
いや、そんなことはどうでもいい。
とりあえずどうするか。
ドアは開けるべきか?それとも窓だけ開けて一旦話を聞いた方がいいのか?
勝手に考えているとまたドアを叩く音が聞こえた。
しょうがない。
叱られる決心を決めてから窓を開けた。
「よかった…。私急いでいるんです!乗せていただけませんか?」
女性は少し息を上がらせながら安堵した表情を見せた。
そんな中私は困惑していた。
家族ですら乗せたことがないこの車に、見ず知らずの女性なんて乗せてもいいのか?
いや、そんなこと考えたってしょうがない。
人助けだ。
「目的地はどこです?ナビまだ使えないから案内してもらうようになるけど。」
咄嗟に言葉が出ていた。
「ありがとうございます!スマホがあるのでそれでどうにか!」
女性は少し笑顔になった。
「とりあえず後ろ開けますのですぐ乗ってください。もちろんシートベルトは着用してくださいね。」
ここにきて元事業用車のメリットが出てきた。
本当は友達〈ほとんどいないけど〉を乗せる時に面白かなと思って残しておいてもらった自動ドアがこんなことで活躍するなんて。
私は運転席の横にあるレバーを手前に引いた。
スッと後部座席のドアが開く。
女性は間髪入れずに乗り込んできた。
「とりあえずこの道をまっすぐ行ってください。曲がる時になったらなるべく早くお伝えします。」
「了解です。道案内よろしくお願いします。」
事務的な会話を済ませるとハンドブレーキを解除し、レバーをまたドライブに入れてゆっくりと発進した。
「法定速度は遵守しますのでご承知置きを。もちろん、なるべく急ぎますが。」
「すいません。ご迷惑をおかけして。」
窓の外を見ながら落ち着かないような感じで返事が来た。
漆黒の車は赤いレンガ造りの駅舎を背に、走り出す。
バックミラー越しに見る女性はずっと落ち着かない様子で外を眺めている。
そんなに急いでどうしたんですか。
喉仏くらいまで出かかった言葉は、外に出る寸前で止まった。
「この先の信号を右に曲がってください。」
スマホを見ながら女性は言う。
今じゃない。
聞くタイミングを伺おう。
言われた通りにハンドルを動かす。
「次はどの辺で曲がるかわかります?」
なんとなくした質問に対して、女性はなぜか慌てている。
「申し上げにくいんですが…。」
あ、これ私やらかしたパティーンですかね。
あー申し訳ねぇなぁ。
「もしかして間違えました?」
「はい…。左右逆だったみたいです…。」
俯向きながら女性は言う。
この人も慣れてないんだな。
もしかしたらココがチャンスなのかもしれない。
意を決して口から吐き出す。
「もしかしてこの辺初めてですか?」
「そうなんです。駅の中がこんなに大きいだなんて思ってなくて…。迷路でした。」
やっぱりそうなんかー。
地方出身者とか憧れるなぁ。
そんなエピソードないもん。
むしろ羨ましい。
ん?なんか違う。
聞きたいことはこういうことじゃない。
核心を突く質問がなぜ出てこない私!
自己嫌悪パラメーターが一気に上昇した私は、なんかよくわかんない勢いに任せてぶん投げてしまった。
「それは大変でしたね。やっぱり初めてだと大きい駅は迷いますもんね。」
もう一声。あともう一歩。
どうにか私の声は続いた。
「そういえば、あなたはどうしてこちらへ?」
言えた。
ようやっと言えた。
これにレスポンスがあればもう完璧だ。
「あ、次のところ左に曲がってください。」
これ、聞いてなかったやつだ。
コミュ障の全力ここにて潰えたり。
気にしないフリをして、事務的な会話を続ける。
「次は左で大丈夫なんですね?」
「今度は大丈夫です!」
割と元気な返答があり、なぜか悲しくなってくる。
私は指示通り交差点を左折した。
こうして何度か事務的な会話を続けながら順調に大通りを進んでいく。
会話の際はバックミラー越しではあるが、何度か女性と目を合わせた。
女性経験が皆無の私からすれば、小っ恥ずかしいようなよくわからない感情を抱いていた。
よく見ると美人だなぁ。
ダメだダメだ。どーでもいい事だ。運転に集中せねば。
白のレース地のワンピースに白いベレー帽をまとった女性の姿がチラチラと目に入る。
さっきまでは忙しなく物事が進んでいたこともあって、あまり服装には目が行かなかった。
気づくと、後部座席の女性からは清楚なオーラを感じるようになった。
目の前の信号が赤に変わる。
私はこれまで通りゆっくりとブレーキを踏み込んだ。
止まったタイミングでまた女性の姿が目に入る。
白い袖のないワンピースからスラッと伸びる手と、細すぎる脚。
全体的に細身すぎる。ちゃんとご飯食べてるのか?
って何を考えている。たまたま乗せている赤の他人じゃないか。
集中しなくちゃ。
心がちゃんと切り替わったくらいで信号が青になる。
パッと前に視線を移し、走り出す。
まだ、彼女は落ち着かない様子だった。
「時間は大丈夫なんですか?」
何も考えずに出ていた。
急いでくれと言っているのに。
「まだどうにか。このまま順調に流れてくれれば間に合うと思います。」
安心してはダメだ。
ちゃんと間に合うように目的地に連れて行かなければ。
タクシーの運転手でもないのに、そんな使命感が生まれていた。
恐るべし黒塗りの高級車。
ちょっと急ぎめで続く大通りを走る。
こんな美人に恥をかかせる訳にはいかない。
彼女のために、しっかり目的地まで案内するんだ。
「この二つあとの交差点を左で。」
事務的な会話がまた始まる。
気づけば若者の街なんて言われる場所に近づいていた。
学生時代もこんなとこ縁がなかったのに、なぜ初めてのドライブで訪れる事になったんだろう。
劣等感を感じながら、進み続ける。
「もう少し行くと目的地になります。」
またしても事務的な会話。
「わかりました。」
この幸せな空間が終わってしまう。
終わらせたくない。ただ、彼女のためには時間に間に合うように連れて行きたい。
天使と悪魔が喧嘩を始める。
選ばれたのは、天使でした。
ちゃんとご案内する。
心に決めた。
「言ってなかったですけど。」
彼女から久しぶりに事務的な会話以外なワードが出る。
「今回東京に来たのは、オーディションを受けに来たんです。」
「そうだったんですね。」
我ながらそっけない返事だな、と出た返事に悲しみが溢れてきそうだった。
「昔からアイドルに憧れていて、今回初めてオーディションを受けに出て来たんです。」
地方でも大変だなぁ。
そんなこと思いながら言葉は紡がれていた。
「出会ってから一時間も経っていないですけど、あなたなら大丈夫ですよ。いくら時間がギリギリでも、絶対受かります。あなたみたいなアイドルの子がいたら絶対応援していますから。自信持って絶対勝ち取ってください。」
くっそくっせぇセリフを吐き出してしまった。
自分らしくないなぁ。
ふと彼女を見て見ると、涙目になっていた。
え、なんで?
こんなクッサい台詞が響いちゃったの?
「すいません。実は周りの反対を押し切って東京まで出て来たので。」
「そうだったんですね。」
「自信があんまり無かったんです。こんな田舎者が急に東京に出て来て本当に大丈夫なのかって。ちょっとした言葉でも自信になるんです。本当にありがとうございます。」
「私は思ったことを伝えたまでです。絶対になんて保証ができないのが申し訳ありませんが、自然体でいればきっと大丈夫です。」
「ありがとうございます。あ、もうすぐ目的地に近くなります。」
あぁ、もうこの幸せな瞬間は終わりなのか。
でも、それでいいんだ。私と無関係な彼女がこれでオーディションに間に合えば。
たとえ落ちたとしても、いい経験になる。彼女が生きていくうえで大事な財産になるはずだから。
「この辺ですかね?」
「ちょっと言ったとこにあるトンネルの前にビルがあります。そこで降ろしてください。」
「かしこまりました。」
大きいビルの前に車をつける。
「料金はいくらですか?」
しまったー。
これタクシーじゃないって伝えてなかったー。
恐る恐る伝える。
「実は、タクシーじゃないんです。お金もらっちゃうと違法行為で私が捕まっちゃうんでお代はいりません。その代わりと言ってはなんですが、必ずオーディション合格してくださいね。」
彼女は驚き、非常に申し訳なさそうな顔をする。
わかりやすい人だなぁ。
こういう素直な女の子がモテるんだろうなぁ。
なんて幻想がボロボロと出てくる。
「あ、じゃあ。」
彼女はおもむろにメモを取り出し、なにかを書き始めた。
「これ。私の電話番号とメアドです。今日の18時以降なら連絡できると思うので、一度連絡いただけたら幸いです。」
「大丈夫?知らない人だけど?」
また、恐る恐る聞いてみる。
「私にとっては恩人になるような人だと思うので。それでは、また。」
彼女がそう言ったタイミングで、自然と右手が後ろのドアのレバーへと動いていた。
「ご武運を。あなたらしく頑張ってください。」
「申し訳ありませんでした。そして、本当にありがとうございました。連絡待っていますから。」
そう言い残して彼女はビルの入り口へと足早に向かった。
名前も知らない。
そんな彼女と過ごした現実を受け止められないまま、これからどうしようか迷う私がいた。