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車を手にしてしまった。

  社会人になり、初めてのボーナスを頭金にして、少年時代からの憧れの車を買った。

  タクシーなどで使われている、一般的には高級車の部類に入る車だ。

  まぁ事業用の払い下げなので、走行キロも凄いことになってるし、そんなに高いわけではなかったが。

  それでも、社会人一年目の私からすれば大きい出費だ。

  大して給料がいいわけでもない。ローンもあれば保険や駐車場代だってのしかかってくる。

  学生時代からバイトで少し貯蓄していた分と、入社後から始めた五百円玉貯金もいつ底をつくのかわからない。

  それでもどうしても車が欲しかった。

  理由は特に大きなものはない。

  ほら、憧れてたものが手に入りそうな状況になったら買ってみたくなるじゃん?そんな衝動的なもの。

  そんな衝動的に買ってはいけなそうな大きな買い物も、ついに納車の日を迎えた。

  有難いことに整備会社の人達が丁寧に仕上げてくれていたお陰もあって、納車の際にはこれからお客様を乗せると言われても全く違和感が無いくらいにピカピカに磨きあげられた車体と、レースがかかった車内の座席に感動して若干涙した。

  この車を買うとなってから色々な人に相談をしたのだが、初めての車ということもあって、周囲からは反対意見も多くあった。まぁそりゃそうだろうな。

  走行キロが凄いだけあって部品の交換も高頻度で必要だろうし、それより部品自体の価格だって洒落にならないやつだってあるだろう。

  ただ、どうしてもこの車に乗ってみたかった。だって憧れだもん。

  お客様を乗せ、長い距離を安全に走り続けた車から漂うものは、カーライフを支えてくれそうな安心感が強かった。

  憧れを手にした今、このウキウキに浸っていたい。

  そう思った私は、納車された翌日にちょっとしたドライブへ行くことにした。




  ドライブ当日。

  なんとなくネクタイを締め、スーツを羽織ってみる。

  キメた理由は特には無い。なんかこっちの方が面白いような気がしてた。それだけ。

  友人の少ない私は、誰を乗せるなんてことはなく、ただ独りで家を出た。もちろん車の鍵と浮かれまくった少年心もいっしょに。

  家を出て駐車場に向かう足どりは、スーツを着ているのに、会社へ向かう足どりの何倍も軽く、何倍も速かった。

  少し離れた駐車場。近づけば近づくほどに目立つ漆黒の私の車。

  これがマイカーなのか。初めての私の車なんだな。

  そう実感しながらドアのロックを解除し、運転席に乗り込む。

  座った瞬間に身体がシートに包み込まれる。

  これが安全に多くの人を乗せてきた運転席なのか。そう思うとなんか緊張するな。

  重責を感じながら一度深呼吸をする。

  そして、ハンドルを握る。

  これまではレンタカーや、家族の車のハンドルしか握っていなかった私が今、私の車のハンドルを握っている。

  なんだこれは。

  湧き出てくる高揚感と同時にくる違和感を抑えつつ、ブレーキを踏み込み、キーを回す。

  メーターは一気に振り上がり、エンジンの音が身体に響き渡る。

  静かだ。

  静かなはずなのにしっかりと、しかし確実に揺れているシートに幸福感を持ちながら、ゆっくりハンドブレーキを解除した。

  さぁ、どこに行こう。

  行く先も決めず、何度なくレバーをドライブに入れ、流れるように走り出した。



  とりあえず大通りに出よう。

  安直な考えだが、これが最善と考えた私は、優しくアクセルを踏み込んだ。

  柔らかい加速。しかし、しっかりと地面を掴みながら走ってくれているのがハンドルから伝わってくる。

  これが多くの人を運んでいた車の走りなんだ。

  安心感に包まれながら走ってゆく。

  大通りに出る交差点の信号は赤だった。私はゆっくりとブレーキを二回に分けて踏んだ。

  静かに速度を落として、停止線のちょっと手前に漆黒の車は停止した。

  信号が変わり、青になる。

  そしてまた、ゆっくりとアクセルを踏み込む。

  フワッとした走り出し。

  なぜここまで違和感を感じているのかわからない。

  これだけ走っているのにまだ私の車ということが違和感なくらいに。

  まだまだ消えそうもない違和感を車内に漂わせつつ、交差点を曲がり、大通りに出た。

  今日は初めてだし、そんなにスピードは出さないでおこう。

  そう決めて、左側の車線を制限速度に満たない程度を保ちながら都心へと走り出した。

  大通りに入っても、コイツの走りは安心させてくれる。

  こんなにのんびり走っているのに、時たまビルのガラスから見えるこの車は、大物のオーラを醸し出している。そんな気がしていた。

  私が寝ていたとしても、コイツが自力で走ってくれるんじゃないか?という錯覚さえ抱きながら、なんとなくだが車が集まっていく方へ足を向けた。




  大通りを走り始めて小一時間くらい走っただろうか。

  気づけば大きな駅の近くまで来てしまっていた。

  いい加減目的地を決めないとな。

  そう思った私は、駅の近くに車を停め、SNSを見ながら目的地を決めることにした。

  流れていく道路の車達は、いつもとは違うように見えた。

  私みたいな若者が乗るにはふさわしくないこの漆黒の車。圧倒的な存在感がここにはあった。

  車好きの友人はどこに行くんだろう。

  なんとなくその友人の投稿を辿ってみる。

  えっと、レインボーブリッジに、タワーに、大きな神社ねぇ。

  こんなに近い距離に観光スポットが固まっていたことに改めて驚く。

  元々都心の近場で育っただけに、異世界のような感覚を覚えたりはしないが。

  割と行ったことがない所も多いなぁと感心していた。

  とりあえず、カーナビに目的地を入れて走りだそう。

  ようやく動き出す決心がついた時、急に歩道側からドンドンとドアを叩く音がした。

  駐停車禁止の場所だった!?

  脇汗が止まらなくなりそうなくらいにビビっている。

  買った初日にこれはマズイ。免許返納しないと。

  ドンドンと変な方向に考えが進んでしまう。

  一旦落ち着こう。きっと大丈夫だ。

  警察だったら素直に謝って退散せねば。

  焦りつつ窓を見ると、そんなに暑くはないはずなのに、汗かきながら肩で息をする若い女性の姿があった。

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