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我安くんぞ君の隣を離るるを得んや


「すまない」


頭を下げたのは意図してではなかった。ヴェールの顔を見たら今まで裏側に隠れていた罪悪感が溢れ出して、謝らなければと思ったのだ。

ヴェールは急に部屋へ入ってきたかと思えば謝罪を口にする俺に戸惑ったようだ。


「え、どうしたの、取り敢えず顔あげてよ」


ヴェールの声は不安を滲ませた。


「イル…」


「何?」


途端に硬質になるハリのある声。それは明るい少年の声から一変して青年の声になっている。


「イルのこと、傷つけた」


「どういうこと。話して」


目を合わせる。言葉はいつもと同じく、うまく出てこなかった。


「お前も知っている通り、イルは軍法会議に引き出されていた。容体を聞きに医務室に行って先生と話をしていたら、イルが来て…」


「それだけ?」


「髪が、白くなってたんだ」


翡翠色の双眸が見開かれる。空気の温度が下がる。


「…な、え、師匠の…?」


「イルは見せるの嫌がってたのを、無理矢理見た。…今は気を失って医務室で寝てる」


顔を、あげていたくないと思う。生命力に溢れた少年の瞳の光を真っ直ぐに受けるには今の俺は弱すぎた。それでも顔を下げることは許されなかった。許されないと感じた。


ヴェールもまた、俺と目を合わせたままだった。そのまま、目が動揺を語る。次々に感情が入れ替わるのが分かった。

その感情は、一つのところで停止する。


「…っ、」


頰へ受けた衝撃、熱。静まり返った部屋に響く重い音。息を飲む音。


その感情は怒りだった。


「…ディオ兄の、馬鹿!」


見据えた緑の瞳が僅かに潤む。痛かった。殴られた頬のことではない。スナイパーの彼の拳にさほど威力はない。避けることだってできただろう。もし、避けようとさえすれば。

痛むのは心臓の奥だ。そこを切り取って捨ててしまいたいぐらいに痛い。


後悔なんて、軽い。死をもって償うなんて甘い。

途方にくれるような絶望感が、渦巻く。


「なんで、師匠の気持ちも分からないで!馬鹿!!ディオ兄が分かってあげないで…!なぁ」


今にも掴み掛かりそうだ。そうしてくれたら、気がすむまで殴ってくれたら許されるのか。俺の気もすむか、イルの悩みは消えるか。そんなことを考えた。

やめろよ、とおずおずヴェールの仲間が制止する。

添えられた腕を見てヴェールは大きく息を吸った。

それを吐き終えた時、彼はもう自分を取り戻している。その瞬間もう、子供じゃないんだな、と痛感する。一人の男が目の前に立ちはだかっていた。


「…それで?まさかこれを伝えに来ただけじゃないんでしょ?」


「イルの無罪を証明する。軍法会議はおそらく不正なものだ。取り調べもないなんて、不自然すぎる。ただ、証拠が欲しい」


「…幹部会に逆らえるところ、か」


特別部隊の隊長とはいえ俺に権限はない。もっと上、しかも幹部会の影響のない上層部。そこに力を借りない限り無実は証明されない。


「あちら側が証拠を出して来た以上、こちらもそれなりの証拠を出さないと収まらないだろう」


「…そんな、あっちの証拠なんてどこから!」


スナイパーの一人が声を上げる。


「確か、ヴィトス少佐、だったか…ありもしない書類を提出したらしいな」


「ロシュさんが!?」


これには部屋にいた全員が揃って反応した。

この様子を見るに相当信頼されていた人物なのだろうと推測できた。そんな人間に陥れられて、そんな中でずっと一人で立ちむかってきたのか。それが、原因で髪の色も変わってしまったんだろうか。先程の会話を思い返す。また、胸が痛んだ。


「そう言えばロシュはヘルマン中将の弟子だったよね」


「俺はこれから司令に会いに行く。幹部会の影響はないところはここしか思いつかなかった。」


そう言ってから数名のスナイパーを見回す。最後にヴェールの透き通った目を見る。


「…すまない、協力して欲しい」


✴︎


ティム・ルートヴィッヒ陸軍作戦司令。サインの入った書類は手の中にあった。


これが、これだけが命綱で、イルを確実に救える手段だった。


これで、なんとかなる。走る自分の足音を聞きながら、そう思った。なんとかあいつを救ってやれる。俺は無力じゃないんだ、という暗示。


法廷へ向かう前、ヴェールにはイルを迎えに来るように頼んでおいた。

ヴェールなら大丈夫だ。万が一にもイルを傷つけることはないし、安心させてやれるし守ってやれる。


そうだ。俺と違って。


所詮俺などは他人の気持ちは分からない。平気で傷つけてしまう。拠り所になれるほど優しくない。

なにをもってしても、ヴェールが適任だ。

俺ではいけないと思いつつも手離せない。だから、これはせめてもの俺の善意だった。罵って欲しいくらいだ。イルにも、ヴェールにも。でもそうされたって俺はあいつから離れられない。求められてなくたって捉えておきたいと思う。

矛盾している。確かにそれはちぐはぐだろう。身を引きたくない。でも安らげる場所があって欲しいだとか。


俺は、善意のつもりでヴェールを利用しただけなのかもしれない。イルのことを本当に考えて最善を尽くしたつもりだが、否めない。


結局俺はどこまで貪欲なんだろう。

あいつの支えに、俺はなれているのだろうか。


そこまで思って思考を止めた。


とにかく、今は目の前のイルを守るべき時だ。

くだらない私情は要らない。

扉から声が漏れ聞こえた。


「裁定を言い渡す!」


法廷の扉を押し開く。


✴︎


「その必要はありません。中将閣下。」


声は、法廷によく響いた。視線が一度に集まるのを感じながら中将を見据える。これは、お前への果たし状だ。分かるか?


「帝国陸軍特務部隊部隊長、ディオ・アデルカ少佐です。ティム・ルートヴィッヒ陸軍作戦司令の勅命で只今より、この軍法会議を査察致す。恐れ入りますが『幹部会』の皆様にもご協力願いたい。」


機械みたいに決まり文句を口に出す。敬語を使うのすら吐き気を伴った。中将は腹立たしげにする。目は背けない。背けさせる気などない。


「アデルカ。今回の軍法会議を査察する、だ?この会議は正式に執り行われて…」


「正式に?」


死ねばいいのに。唐突に思った。

殺してしまいたい。今すぐ撃ち抜いてしまいたい。

この顔が今すぐ目の前で弾け飛んだら。

それはそれは壮観だろう。

不謹慎にもほどがある想像に、自分自身はっとした。


「令状こそ作ったとはいえ、取り調べもなければ法廷にいるべき弁護人の存在も伺い知れませんが、中将閣下はそれでもこの軍法会議が正式だと仰られるのか。」


中将が目を背けたがっているのが分かる。させるか。お前のやったことのツケが回ってきたんだ。当然の結末だ。文句なんかないだろうが。

一つ残らず聞きやがれ。


「作戦司令は私が報告するまでこの軍法会議の『存在すら』知らなかったと仰っているが、公的な手続きはとられたのか?」


とどめを刺す。中将は顔を下げた。目線が外れる。それは俺と彼にとって負けの合図でもあった。


法廷を囲む群衆を見回す。こんな量、こんな奴らに毎日、毎日。


「……見世物になんかしやがって。」


こんなに怒りを表に出したのは初めてのことだった。自分の怒りの感情が分かる。


「傍聴席にいる者はすぐに退出しろ。ここからは査察対象だ。」


査察は特務部隊以外の人間は関係者以外は居合わせてはいけない、という軍務規定があった。

傍聴席にいた下士官は列をなして退出扉へ急ぐ。


「お前は、どうする?」


隣に立つ友人に問うと、彼は予期していなかった俺の声がけに戸惑ったようだった。


「……熱もある。俺の部隊の人間も出入りする。無理に同行してもらうつもりはない。」


どうせ、自分も残ると言うだろうと踏んで尚この質問をした。そうして彼は期待を裏切らない。


「でも、俺も関係者だから……」


どうせ俺に迷惑がかかる、なんて考えているのだろう。そんなことどうだっていいのに。それよりもイルの肩が震えていることが気になる。抱きしめたい。そうしたらその震えはおさまってくれるだろうか。


「…体中震えてるお前に関係者だから残れ、なんて俺は言えない。ヴェールがこっちに向かってるから一緒に医務室に戻れ。」


「っ……」


友人は体の震えに初めて気づいたようだった。


「……被ってろよ。」


しゃがみこんだイルに自分の軍帽を被せる。気休めにもならないだろうが、多少はましになるかと思った。そのくらいしかしてやれることは思いつかなかった。


扉が開く。


「ヴェール・ディサイプ中尉、現着しました。」


隣の友人は、肩を大きく揺らす。

俺は静かにその場を離れた。


「……貴方がたを許すつもりなど、俺は毛頭ありませんから。」


色のない声。初めて聞くその声を背中で受け止めた。少し後、柔らかい声が続く。


「ししょー、帰ろうか。」


振り返らなかった。俺は、ヴェールがイルを連れて出て行くまで一度も振り返らなかった。



査察が終わり、仕事もひと段落した。特殊部隊からのヘルマン中将への評価は失墜していたようだ。

同じ隊の者に仕事を増やした謝罪をすると、仲間は笑った。


「なにを謝る」


「間に合って良かった、お前の友人なんだろ?」


礼を言うので精一杯だった。俺を信頼してついてきてくれる仲間が、ありがたいと思う。

親の七光りと揶揄され続けてきた俺にとっては本当に幸せなこと。初めて認められたような気がした。



容態を悪化させたイルの見舞いにも行けずまた日にちが経つ。

結局休みを取ることができたのは容態が落ち着いてきてからであった。


その日、ヴェールと連れ立って医務室へ向かっていた。


「ね、ディオ兄」


ヴェールは不意に口を開く。


「なんだ」


「殴ってごめん」


彼にしては珍しい静かな口調。


「…俺が悪い。謝るな」


ヴェールが頷くのを待たず歩を進める。謝られることじゃないし、謝らなければならないのは俺の方だった。


「ヴェール、イルのことなんだが」


「ディオ兄、」


「なにも言わずに聞いてくれ」


足音が止む。


「俺は、あいつのことが大切だと思う。守ってやりたい。だが、それができるだけの力は俺には、ない」


息を吸うヴェールを手で制止する。他でもない、この男に聞いて欲しいのだ。


「だから、頼む、」


「ディオ兄は、そういうところがだめなんだよ」


被せられた台詞に面食らった。ヴェールの声は真面目だ。からかっているわけではない。


「は…?」


「師匠の気持ちは考えないで自分で完結しちゃうんだから。それ、俺が決めていいことじゃないよ」


歪めた表情。全てが本心ではないことは理解できてしまった。彼の表情や目線。それらを追えば彼の気持ちを察することなんて容易だった。それは俺もよく知っていた思いだから。


「…聞かなかったことにしてあげる。今回だけ」


ふっと微笑んで見せた。白髪が煌めいたのを見て、その色がイルと同じだと思う。


「二度と言わないで、師匠を悲しませないで」


立ち止まった青年は、もう大人だと今更ながら思う。確かに高くなった背格好、はっきりした骨格、澄んだ瞳。どれをとっても。


ヴェールの方が、正しく愛してくれる。


分かってしまっても、これ以上喰い下がれない自分がいた。誰より、俺はイルと一緒に歩いていたい。一番そばにいるのは自分でありたい。例え、なにを敵に回しても。

美しく愛せないと分かっているから、尚更、愛しているなんて口には出せない。そんな思いでも抱いていていいのだろうか。

自ら身を引くヴェールを前に、言葉はなにも出てこなかった。


沈黙を肯定と捉えたヴェールは俺の前を歩き出す。

あぁ、とっくに越されていたんだ。大きくなった背を見てその事が漸く、深く脳内に及んだ。



ヴェールと医務室に入るとイルはまた、手前のベッドに横になっていた。前と違うのは、ひどくうなされて眠っていた事。


「師匠…!」


すかさず彼の弟子は駆け寄ってゆり起こす。俺も後に続く。昔はよくうなされる友人を見たものだが、最近は頻度が減っていた。やはり、会議の後遺症だろうか。こんなひどくうなされるなんて、どんな夢を見ているのだろう。


揺さぶられてイルが目を覚ます。


「っ…は、ぁ……」


呼吸を整える友人。


「師匠?」


「イル、大丈夫か?」


イルは緩慢な動作でこちらを見て、ほんの少し表情を硬くした。いつもなら、表情は緩むはずなのに。

ヴェールが柔らかい声でイルに話しかける。


「すごいうなされてたよ。師匠、大丈夫?」


「あっ…うん、へーき。」


彼は無理に作った笑顔を見せた。おかしい。


「汗、すごいぞ、お前。」


取り敢えず、額の汗を拭うため手を伸ばす。


次の瞬間、その手の触れるはずの対象は目の前から逃げて、部屋の前で小さくなっていた。


「師匠……?」


「イル、どうした?」


肩が震えた。


その事を認識するまで時間が必要だった。俺の声に怯えるなんて事、今までに一度だって。呼吸が僅かながら苦しくなる。

俺は、動揺していた。

放っておくこともできなくてイルに近づく。


「やだ……こないで、」


「イル?」


「おれ、きもちわるいんでしょ……でぃおのっ、となりなんて、も…あるけないから…やさしくしないでっ……おねがい……。」


小さくくぐもった声で、途切れ途切れにそんな告白をする。やっとの事で吐き出したらしい言葉。

それは、俺の言葉じゃない。いつ、俺がお前を疎んだ。いつ遠ざけようとした。隣を歩きたいのは、お前を追いかけるのはいつも俺の方だ。


「イル。こっち向け。」


「っ……」


「イル……?」


本当になにがあったんだ。俺に、教えてくれればいいのに。秘密にされるのは慣れてない。

…怪我をした方の目、それに問題があるのだろうか。不意にそう考えた。


「こっち向けって。」


ゆっくりと顔を上げた、その長い前髪を一度にかきあげる。


硬く瞑られたよく知った瞳、その色は宝石のような青。それを、見てみたい。怪我をしてから一度も見ていない。


「大丈夫。ちゃんと見せて。」


友人は目を開いた。


鮮血のようだ。


背後からも驚く空気が伝わってくる。イルの怪我した右目は鮮やかな赤だった。


少しの後、赤は俺の瞳から逸れる。逃れるように。

その代わりのように、彼を抱きしめる。

細い弱い肩。


「……イル。お前の何が気持ち悪いんだ?」


「…だって、かみも、めもいろかわっちゃった…」


「でも、イルはイルだろう?何も変わらないだろう?」


撫でた髪の色は眩しい白髪。


「でもっ…かみ、もうきれいじゃ、」


「何言ってるんだ。」


そんなことで。


「今も綺麗だよ。イルの髪。」


嫌いになれるならこんなに悩みはしない。


「っ……」


「これからも触っていいか…?」


仄かに顔を赤くした友人が小さく頷いた。


「ちょっとディオ兄…、」


後ろから彼の弟子が抗議の声を上げる。


「師匠独り占めにしないでー!!」


腕を離す。温もりが名残惜しかった。

場所が逆転して、ヴェールがイルに抱きつく。


「ディオ兄ばっかりずるいんだから!」


「…悪い。」


あどけなさを残す青年は、頬を膨らませて見せた。

イルが笑声を漏らす。


「あ、師匠やっと笑った。」


頭に伸びたヴェールの腕がイルの白髪をかき混ぜる。


「ちょ…ヴェール、頭…」


「言ったでしょ?気持ち悪いなんて思わないって。」


ちゃんとディオ兄とも俺とも一緒にいてね?


イルが笑って首を縦に振るのが見えた。


***


その日は晴れていた。

いつもの癖で早朝に起きてしまった俺は、隣のベッドで眠る彼を起こさないように枕元へ歩み寄る。


朝の光を受けた白髪はこの世のどの色よりも美しく映った。かつての金髪も見たこともないくらい綺麗だと思ったが、最近気づいたのだ。要は大切なのは色ではなく、こいつの一部であるということだけらしい。


どこまでも馬鹿みたいに惚れているな、と苦笑しながら髪を弄る。それはさらさらと指を通り抜けた。

友人は寝返りを打つ。これはそろそろ起きるかな、とそばを離れようとして立ち止まった。


もう一度屈んで、すくい上げた髪に口付ける。


「…隣にいてくれて、ありがとう」


俺の隣を選んでくれて。


今度こそ友人の枕元を離れ、朝の支度を始めた。これから先がどうなろうと構わない。お前の隣を渡す気は無いんだ。すまないな、俺はお前と一緒なら地獄へだって喜んで行くだろう。いや、地獄なら、俺が連れて行く方か。


何回目か。何度願っても終わらない願い事。


俺はまだ、お前の隣に生きていたい。


部屋の窓から、朝焼けの欠片が差し込んでいた。

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