デザートも塩味
「惟定くん、どうして私のパンツ見ながらキムチ食べてるの!?」
「それは……白い物を見たら白米を連想してキムチが食べやすくなると思ったからです!」
「だったらご飯くださいって言ってよ!」
「いや、さすがにちょっと失礼かなーと……」
「人のパンツをご飯がわりにするほうが失礼ですッ」
「美雪さん……」
惟定くんは箸をテーブルに置くと、私に向き直った。
口の周りが唐辛子で真っ赤だけど、なんだか改まった感じだ。
「塩コーヒーに始まり、辛口醤油せんべい、そしてこの山盛りキムチ……私め、あなたのお怒りは身をもって十分理解しました。文字通り味わい尽くしてもう俺の腹は限界です。どうか、どうか先日のパンツの件はお許しくださいいいいっ!!」
言うや、惟定くんはバタッと私に向かって体を投げ出した。
ど、土下座……!? どうして惟定くんは私に土下座なんか!?
「ちょっと待って、惟定くん……私の怒りとキムチと、なんの関係があるの?」
「正直に言ってください美雪さん。俺が将司を通じてあなたのパンツ画像を要求してたこと、怒ってるんでしょう? そうじゃなきゃ、美雪さんがあんなに非道いことするはずがないっ!」
「ち、違うよ。私は惟定くんがキムチ好きなんだなって思って……全部食べてねって言ったのもきっとお腹が空いてるんだろうなって思って――」
「だからって食べるわけないじゃないですか、キムチだけをあんなにたくさん!!」
「そりゃ、ちょっとはおかしいと思ったけど……」
「ちょっとぉ!? 本場韓国でも真顔でドン引きされるレベルだとおもうんですが!?」
惟定くんの言葉が胸にグサグサ突き刺さる。
またやっちゃったんだ、私……。
「……ごめん」
「あっ、いえいえいえいえいえ!! 今のはついいつもの癖が出たっていうか、その、もとはと言えば悪いのは俺なんで……うっ」
惟定くんがお腹と口を押えて青い顔をする。
「だ、大丈夫っ?」
「つ、罪を償うつもりでつもりでため込んでたキムチが枷を解かれて、食い物としての自我を……うぷっ」
うずくまりブルブル震える惟定くんの背中をさすってあげながら、あまりのいたたまれなさに涙がこみあげてくる。
私はいつもそうだ。大事なことを伝えようとしている相手の気持ちに気づかないで、一人で空回りしてしまう。
「惟定くんっ……!」
「ふわおっ!?」
私は惟定くんの頭を抱き寄せ、半ば強引に膝の上に乗せた。
少しでも苦痛がやわらぐようにとそっと頭をさする。
「みみみみ美雪さんっっっっっっ!?」
「謝らなくたってよかったのに。私なんかに申し訳ないなんて思わなくていいのにっ……」
私のこの申し訳なさは、惟定くんに対してだけ向けられているわけじゃない。私の「ニブさ」のせいで傷ついた人たちは惟定くんのほかにもたくさんいた。
「……美雪さん!?」
惟定くんが声を上ずらせた。
いつしか私の目からはポロポロ涙がこぼれていて、頬を伝って落ちた雫が惟定くんの顔を濡らしている。
「皆さぁぁぁん、すいませぇぇぇんっ!!!!」
「皆さんってだれ!? 急にどうしたんですか!」
「惟定くん、私ね……ぐすっ、男の人の気持ちが……分からないの」
「男の人の……キムチ? はうっ」
「うぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~んっ!!!」
「すいません! NGワードにかすってたもので……男の人のキム……気持ち?」
「私、中学も高校も女子高で、周りは女の子ばっかりだったの……でも大学に入ったら急にいっぱい男の人たちが身の回りに現れるようになって……」
「幽霊みたいな言い方ですね」
同じことを香さんに相談したとき言われたことが頭をよぎる。香さんによれば私は「黙っていればモテるタイプ」なんだそうだ。それは本当なのかもしれない。私は大学でたくさんの男の人と知り合った。みんな優しそうだったけど、その優しさがどういう種類のものなのか私にはちっとも判別がつかなかった。
「男の人との接し方が全然分からなくて……気づいたら『大学内の男子はみんな一度は長曾我部にフラれた』ってことになってて……」
「皆さんって大学の男全員かよ! 大学生勉強しないってマジだったんだな!!」
「香さんに『男女間に友情なんか成立しないから。男は全部獲物なのよ』って言われて……それから私、男の人と話すのも怖くなっちゃって……」
「うちのバカ姉が、ご迷惑をおかけしました……」
泣きながら話しているうちに気持ちが少しずつ落ち着いてきて、私は変なことに気がついた。
惟定くんだって男の子なのに、どうして私はこんなにスラスラと正直に話せているんだろう。
将司の親友で、昔は私もよく一緒に遊んでいたから……でも、それだけじゃない気もする。
この前ゲームの中で話したとき、私は初めて男に不安とは違う意味でドキドキした。
惟定くんは年下なのに妙に大人びていて、生意気で、いつも本気なようで冗談みたいな口ぶりや態度が私の胸の鼓動をちょっとだけ焦らせる。まるでスキップするみたいに。
「ねえ、惟定くん……」
「はい?」
「私……このまま一生、恋愛なんてできないのかなぁ……?」
不覚にも、萌えた。
心地よすぎる膝枕に頭を乗せて、美雪さんの泣きじゃくる姿を見上げながら感じているモヤモヤした感情を俺はそう結論づけた。
そう言えば、昔はよく泣かせてたっけか。
美雪さんが中学に入ってからはだんだん会う機会が少なくなって、俺のことなんてすっかり忘れられているんだろうと思ってた。久しぶりに再会したらしたで美雪さんはとんでもない美人になってたし、当然彼氏だっているんだろう。そう思っていた。
なのに今目の前にいる美雪さんは、俺がその昔スカートをめくりまくって泣かせたときと変わらぬ泣き顔で涙をこぼしている。
もっとずっと遠くに行ってしまったと思ってたのに――
「意外と近くにいたんだな……」
「え……?」
美雪さんがきょとんとした顔で首をかしげる。
その拍子にポロっと落ちてきた涙の雫を俺は口を開けてキャッチした。
「……美雪さんの涙って塩辛いんですね」
「な、なんで? 涙なんだから普通でしょ?」
「てっきり蜂蜜ローヤルゼリー的な甘露かと……さすがにもうしょっぱいのはいいや」
後ろ髪を根こそぎ抜かれそうなほど引かれつつ起き上がり、美雪さんにハンカチを差し出す。
「あ、ありがとう」
「水くさいじゃないですか、美雪さん。そういうことなら最初から俺に相談してくれればよかったものを」
「え?」
「残念ながらうちの姉ごときにいくら相談しようと時間の無駄です。奴はうわべだけを着飾ってイケてる女を気取っちゃあいますが、実際は惚れっぽいだけで恋愛経験なんてほぼゼロ。そのくせ人の世話だけは焼きたがるからタチが悪い。あんなのにアドバイスなんて求めたらそれこそ一生恋愛なんて不可能です。いいですか?」
「は、はいっ」
俺の勢いに押されて美雪さんは背筋を伸ばす。どこまでも生真面目な人だ。
「俺の見たところ、美雪さんのポテンシャルにはなんの問題もありません。むしろ容姿、性格ともにトップレベルと言っていいでしょう。では残された最後のピースとはなにか? それはズバリ………………軍師!!」
「ぐっ、軍師!?」
「どんなに優れた強者もその武を生かすことができなければ意味がない。その点ラブロマンス界に転生した諸葛孔明ことこの毛利惟定さえそばにいれば! 美雪さん……どんな少女漫画の大恋愛だって、夢じゃありませんよ」
「ほっ、本当!?」
そのとき、ガチャリと部屋のドアが開け放たれた。
ぬうっと部屋に入ってきたのは、いつもの無表情に輪をかけて憮然とした顔の将司だった。
「よく言うぜ。お前だって女子と付き合ったことなんか一回もないだろ」
「あ、おかえり将司」
「将司! ようやく自分の愚かな過ちに気づいて戻ってきたか……あれ? お前、なんか怒ってる?」
「お前がやけに楽しそうだったからな」
将司は大股に近寄ってくると、俺の胸倉をつかんで引っ張り上げた。
そのまま有無を言わせずゴリラ並みにでかい拳が俺の脳天に叩きつけられる。
「いっっっっってぇ!?」
「し、将司!?」
将司はどかっと腰を下ろし、テーブルに頬杖をついてそっぽを向いた。
その拗ねた横顔の額のところにポコッとこぶが浮いている。
「お前、そのたんこぶ……」
「お前ん家に行ったら香さんが出てきて、問答無用で殴られた。お前が姉ちゃんをどうやってたぶらかしたか知らんが、俺だけ殴られんのは不公平だ」
「馬鹿、聞いてただろ? 俺は軍師として美雪さんを影から支えるべく――」
「いーからさっさと課題終わらせようぜ。だれかのせいで時間がないからな」
「お・め・え・だよ!!!! ……ったく」
「姉ちゃん、キムチの皿片付けといてくれよ」
「あっ、うん……ねえ、惟定くん」
「はい」
「さっきの話なんだけど、よかったらお願いできるかな……惟定くんになら、きっといろいろ話せると思うから」
美雪さんのまだ少し潤んでいる瞳が、切実な眼差しで俺を見つめていた。
こみ上げてくる喜びをこらえつつ、俺は腕組みして眉根を寄せる。
「ああは言ったものの、俺も暇ではないので……まあ、美雪さんが『是非に』と仰るなら考えなくもありませんが」
「ぜ、ぜひともお願いしますっ!」
「もう一度……あ、語尾に『にゃあっ』てつけてもらっていいですか?」
「ぜひともお願いします……にゃあ?」
「最後にもう一回、今度は『ご主人様』で」
「ぜひともお願いします、ご主人様っ」
「オーケーです、すみません。一応孔明なので、三顧の礼ということで」
「ご、ご主人様だと逆じゃない?」
そんなやりとりをする俺と美雪さんをよそに、一人将司はため息をついた。
ボソッと独り言を言ったみたいだが、俺にはなにを言ったのか聞き取ることはできなかった。
「なーにが軍師だ。まどろっこしいんだよ、お前は」