初めましてと久しぶり
時刻は午後三時を回って少し。駅前広場は行きかう人々の織りなす多彩な音で満ち溢れている。
鉄柵のポールに半ば腰かけるようにして立っていた毛利香は、スマホの画面からちらりと目線を上げた。
自宅の最寄り駅とは真逆の喧騒。
(この辺ってナンパ多いんだよなぁ……)
同じ場所でかつて香も一度だけ声をかけられたことがある。人生初の体験に言語機能が麻痺し、日本語がめちゃくちゃになった。香のことを外国人だと勘違いしたまったく好みのタイプではない男が、曖昧な笑みを残して立ち去っていったのは今でも脳裏に焼き付くトラウマである。
香が再びスマホに目を落としたとき、雑踏の中を迷いのない足取りでこちらへ向かってくる影を視界の端にとらえた。
(この感じ、もしかして……?)
「ねえ、今って暇だったりする?」
(来た!)
心臓が飛び跳ねるのを感じつつ、香は毅然と顔を上げた。同じ過ちは、繰り返さない!
「あっ、あーっと、悪いんだけど今待ち合わせ――」
だが、目の前で香の華麗なカウンターを受け止めているはずの男はどこにもいない。
「わ、私ですか?」
「そうだよー」
一瞬で紅潮の冷めた顔を右に向けると、香と同様広場で人待ちをしていたらしい女の子に男が話しかけている。
そうと分かった香は可能な限り空気抵抗を抑えた最小限の動作で元の姿勢に戻り、スマホに視線を合わせた。やたらめったら画面をスクロールするが、その眼にはなにも映っていない。
(アタシじゃなかった……)
やりきれない孤独と惨めさを噛みしめながら、そっと右隣を盗み見る。
男のほうはこれといって特徴のない、いかにもノリの軽そうな男だった。
それに引きかえ女の子はというと――
(はー、なんとまぁ可愛らしいこって……)
艶のある黒くて長い髪に、薄化粧でも十分に引き立つ整った顔立ち。白いワンピースに桜色の薄いカーディガンを羽織り、バッグ両手に背筋を伸ばして立つ姿は香でさえ惚れ惚れするほどの大和撫子っぷりだ。香は自分の金髪の毛先に目をやった。
(やっぱ髪色元に戻そっかねぇ)
「あ、あのでも私今は……」
「あっちゃーっ!! もしかして、彼氏と先約あっちゃったりしちゃったりする感じだったり!?」
「かっ、かか彼氏なんてとんでもないっ……ただその、待ち合わせがあって」
「ああーっはいはい、友達的なね!?」
「え、ええまぁ……」
「ちょっ…………っとだけでいいからさぁ、お茶しちゃったりしない!?」
「でも、もうすぐ来るかもしれないし……」
「じゃあさじゃあさ、そこのお店あんじゃん」
男は駅の1階にある喫茶店を指で示す。
「あの店で友達待ちながら、俺とお茶っちゃわない!?」
「で、でも……」
「ねえ、ちょっと」
男と女の子が同時に顔を横に向ける。二人の視線の先にいたのは、金色の毛先を指でいじくりながら男を不審げに睨む香だった。
「アタシの友達になんか用? 悪いけどあなたすごく怪しいんですけど、言葉遣いが特に」
「き、聞かれちゃってた? ハハハ……」
「今日は二人で遊ぶから。放っといてくんない?」
「りょ、了解でーす。じゃあっ……チャオ~」
そそくさと退散していく男の後ろ姿を眺めていた女の子が香を振り向く。
「すっ……すごいです!」
「へ?」
「急に知らない人から声かけられて私、どうしたらいいか分からなくなって……。あなたが間に入ってくれなかったら、多分ずっと断り切れなかったです」
「ああいうのはさ、ズバッと言ってやったほうがいーんだよ。まごついてるとどんどん相手のペースになっちゃうから」
「勉強になります! すごぉい、男の人から声かけられ慣れてる感じですねっ」
「まぁね。この辺ナンパ多いからあなたも気をつけたほうがいいわ……むっ」
背後の駅の方角から一直線に接近する足音。
「来る……」
「な、なにがですか?」
「ナンパ男よ。あなたを狙ってる」
「わっ、分かるんですか? 経験を積んでいくとそこまで行きつくものなんですか!?」
「さっき教えたこと忘れちゃダメよ。ズバッと! いい?」
「は、はいっ」
香は急いで女の子から離れ、先ほどまでの所定地に戻ってスマホを取り出した。
(あれ? よく考えたらそのままアタシがいてあげりゃよかったのでは……)
「あのさ、よかったら俺とお茶でもしない?」
スマホの画面をいじるフリをしつつ、そっと右隣を盗み見る。
(っておい!!!!)
女の子に顔を近づけ甘い言葉を囁きかけているのは、少女漫画の世界から抜け出してきたかのようなバラ色のオーラを全身の穴という穴から発散させる筆舌に尽くしがたいほどの美男子だった。
(ごっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっつイケメん!!!!!!!)
驚愕のあまり凍りつく香に気づいた女の子が密かに視線を寄こし、微笑とともに小さくうなずいて見せる。
(…………?)
「とても言いにくいんですけど、あなたとお茶するくらいなら道端の泥水でもすすっていたほうがマシっていう価値観の持ち主なんです、私は」
「……!?」
「金輪際私の半径50メートル以内に近づかないでください。どうか、お願いします」
「あっ……………………ハイ。すみません……でした」
イケメンがゆらりと女の子に背を向けた。
フラフラとおぼつかない足取りで香の前を通り過ぎる。
「あーあ、フラれちゃったね」
「え?」
「アタシでよかったら慰めてあげよっか?」
「……」
イケメンの憔悴しきっていた顔ににわかに生気が戻った。腕組みをしてふんぞり返り、勝ち誇った表情で香を見下ろす。
「……泥水でもすすってたほうがマシだよ!」
「なんでさ!?」
すっかり自信を取り戻し、イケメンは颯爽と立ち去って行った。
その後ろ姿に力なく手を伸ばす香に女の子が近づいてきた。
「あはははは、フラれちゃいましたね~。でも、ドンマイっ」
「おのれぇぇぇぇぇぇぇい!!!」
香のチョップが女の子の脳天にめり込んだ。
「あっつぅぅぅぅぅ。どうして見ず知らずの人からチョップされなきゃいけないんですか!」
「香よ。毛利香」
「ちょ、長曾我部美雪と申します……………あら? 毛利……?」
「アンタの友達おっそいねー。ま、アタシのほうもだけど。なにやってんだか……」
「あ、実は友達じゃなくて弟なんですよ」
「えっ?」
香は目を丸くして自分の顔を指さした。
「うわぁすっごい偶然。アタシも弟と待ち合わせしてんのよ。高校生でさ、授業終わったあと映画行く約束してたんだ」
「私も同じです。あの、毛利さんの弟さんってまさか……」
「むむむっ、ちょっと待って!!」
香は額に手を当て眉根を寄せる。
「またこっちに向かってきてる。今度は……二人組!」
香が勢いよく振り返ると、駅のほうから制服姿の男子高校生が二人歩いてくる。猫背で陰気な顔をしているのは香の愚弟・惟定。もう片方の背が高いスポーツマン風は惟定の幼馴染の将司だ。
「悪い、遅くなった。待ち合わせの場所が被ってることが分かってから、惟定のやつが急にぐずぐずし始めて――」
「すみません美雪さん。将司がウンコしてたせいで遅くなりました」
「うふふ、久しぶりだね。惟定くん」
「……………どもっす」
美雪と目を合わせずに不愛想に会釈した惟定の脳天にチョップが炸裂した。
「っつぅぅぅぅぅぅ!!!」
「香さんお久しぶりです。長曾我部将司です。こっちは姉の美雪で……」
「あ、さっき自己紹介はしたんだよー」
うずくまってつむじを抑える惟定のそばに、美雪がしゃがみ込む。
「私もさっき香さんからチョップされちゃった」
「っっっっはぁぁぁぁぁっ!? おい初対面の人になにやってんだバカ姉!!」
「まー、とにかく」
腰に手を当てた香が美雪と将司の顔を見比べながら言った。
「せっかくだから、4人で映画見に行くか」