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真夜中の取引

 成長期、だからだろうか。少年と大人のちょうど真ん中に位置しているとき、肉体はしばしば本人でさえ持て余してしまうくらい予測不能で制御困難な状態に陥る場合がある。

 いくら寝たって寝足りなくて授業中にウトウトしていたかと思えば、どんなに部活でクタクタに疲れ果てていても真夜中まで目が冴えてしまうことだってある。


 そんなわけで、男子高校生の夜はときに早く、そしてときに……とても長い。


 俺はガバッと布団を引っぺがして起き上がると、すぐさま椅子に座りPCの電源を入れた。真っ暗な部屋の中、ぼうっと輝く青白い画面に並ぶスライムモンスターのアイコンをクリック。開いたウィンドウから続くファンタジックな世界に俺はいつもの調子で足を踏み入れた。


 そのMMORPGは俺と友人のCにとって、仮想現実の世界での絶好の遊び場であり、たまり場だ。

 普段から俺とCがチャットでだべるときのためだけに使う、いわゆる「過疎っている」サーバーに入ると、果たしてCはそこにいた。


「おーっす」


 あいさつもそこそこに俺は高く跳び上がってCの隣に着地する。


「お前なにしてんの?w明日絶対授業中寝るだろ」


 それはお前もだよ! というのが何度となく繰り返したいつもの流れ……のはずなのだが、Cはなぜか真顔で俺を見つめるばかり。俺はCの周囲を跳ね回って返答を待つが、Cはひたすら棒立ちで沈黙するばかり。


 おいおいどうした、まさか寝落ちしてんのか?


 さらにチャットを打ち込もうとしたとき、俺は背後からスライムの攻撃を受けた。ある程度レベルが上がった俺とCからすれば蚊にかまれたくらいのダメージだが、鬱陶しいので反撃して消えていただく。

 俺が振り返りスライムを倒した瞬間、Cのキャラクターが驚いたようにジャンプした。その場で狂ったように垂直飛びを繰り返すCに俺は満面の笑みを向ける。


「おう」


 俺のチャットに反応したか、Cはようやくジャンプをやめた。


「こんばんは」

「もしかして寝てた?」

「うん、ちょっと」

「俺も一回布団入ったんだけど、なんか寝れなくてまた起きちった」

「あるよねー。私もそうだもん」


 うんうんそうだよな……ん?


「私ってお前wwwww女子かw」

「ごめん間違えた!俺だったわ」

「いやわざとだろw」

「一つ訊いてもいいかな?」

「なに」

「俺らって友だちだよな?」


 軽やかにキーボードを叩いていた手が、ピタリと止まってしまう。だが、無論答えに詰まったわけじゃない。

 俺は少し間を置いてから、いくぶんゆっくりとキーを押した。


「俺は親友だと思ってるぜ」

「そっか。安心した」

「どしたー? なんかあったか?」

「なんでもないよ! でも寝れなくて大変だね」

「そうなんだよー、マジ辛いわ」

「そっちこそ、なにか悩みでもあるんじゃないの? 俺でよかったら聞くよ」


 いや、悩みというかなんというか。

 男子高校生が眠れない理由、それはたいてい内なるドロドロに煮えたぎった劣情にもだえ苦しんでいるからに他ならない。

 要するに、非常にムラムラしている。


「悪いんだが、例のヤツを頼むマスター」


 それは俺とCの間だけで通じる合言葉だった。


「例のヤツ?」

「とぼける奴があるか!w」

「ごめん、本当に分からないんだけど」


 そんなことはありえない。

 Cは俺をからかってるのか? それとも、いまさらになって契約を反故にするつもりか。

 Cの意図は図りかねるが、この取引に応じないということは互いにとって重大な信用問題となる。


「もとはと言えば、お前が先に言い出したんだろ」

「だからなにを?」

「俺の姉ちゃんのパンツ頼むから見せてくれって」

「え、本当に?」

「はい、言いました」

「それで、見せたの?」

「見せたよ! 何枚も! 俺が送った画像スマホに大事に大事に保存しとるだろーが」


「ちょっと待ってて。スマホ取ってくる。部屋に置いてるみたいだから」


『ああっ!』

 のけ反って天井を見上げる。椅子の背もたれがギイッと悲鳴を上げた。

 頬杖を突き、人差し指で机を連打しながら待つ数十秒……。


「画像あった」

「それ見たことかwwwwシラを切ろう立って無駄無駄ァ! 証拠があるんだからw」

「やっぱりこんなことしちゃいけないと思う」

「は?」

「もしバレたらお姉さん傷つくよ」

「だからバレないようにやるんでしょーがw 俺の隠密スキル舐めんなよ!」

「いつかバレます、絶対に。ていうかバラします」


『な……』

 なんなんだ、今宵のCの清廉っぷりは。俺たちは誓い合ったはずじゃないか。たとえこれから犯す罪がどれだけ重く心にのしかかったとしても、決して互いの姉に友を売るような真似はしないと。二人は一蓮托生なのだと。


「今頃になって後悔しても、お前の体も心も落ちない汚れにまみれている。分かってんのか?」

「俺はもうやめる。自分が間違いを犯してたってことを、今に思い知るだろうから」

「まさかお前、姉ちゃんにバレたんか?」

「姉ちゃんはもう知ってる。眠りから覚めた俺を待ってるのは、現実という悪夢なのだ」

「どーいうこと?w」

「正直に答えなさい。君も僕のお姉ちゃんの画像持ってるの?」

「なんか口調おかしくねwww」

「どうなんだね!?」

「持ってますとも! 大切なお宝だもの!!」

「すぐに消して」

「いーやっ。消さないよーだ。べー」

「怒るわよ」

「わwwwwwよwwwwww」

「もういい。どうなっても知らないから」

「笑かそうとしたくせに。なんでそんなカリカリしてんの??」

「本当に分からない?」

「全然。一切」

「教えてほしい?」

「いやべつに……」

「え? なんで? 本当は知りたいでしょ?」

「どうしてもって言うなら聞くけど? そのかわり、ちゃんとお願いしろな」

「どうしても言いたいので、聞いてください。お願いします」

「はい」

「もし君にほかにも親友がいたとして、そいつにもお姉さんがいたとしたら、そいつとも画像交換する?」

「そりゃするだろ」

「ふうん。やっぱりしちゃうんだ。そーいうのがよくないと思うんだよねー」

「偉そうだな。同類のくせに」

「俺だって、男の子のそういう欲求は理解してるつもり」

「お前がやり始めたんだもんな」

「でも女の子からしたら、べつにだれでもいいやって気持ちで自分のそういう画像を見てほしくないなって思っちゃうのよ」

「べつにだれでもいいってわけじゃないと思うぞ、多分」

「え?」



「どういう意味?」

 Cからの疑問を前にして、俺は腕を組み宙を見つめる。

 俺とCは小学校時代からの付き合いだ。Cの家に遊びに行くと、奴の姉とも顔を合わせることもあった。

 昔から黒くて長い髪がキレイだった。性格は優しくおしとやかで、狂暴かつガサツな俺の姉とは正反対。親友の手前表には出さなかったが憧れを抱いたことがなかったと言えば嘘になる。

 ちょっとしたことでもすぐにケラケラ笑って、いつもニコニコしていた。なのにスカートめくりなんかすると顔を真っ赤にして怒るのが面白くて、あの人が泣くまで俺はスカートをまくり続けた。

 もしも万が一今チャットしているのがCでなく姉のなりすましだったとしたら、涙目で俺に抗議してくるに違いない。

 まあ、そんなことはありえないけどな。



「お前の姉ちゃんは、ほかとはちょっと違うってこと」

「急にそんなこと言われましても!」

「いやー、おかげで俺もスッキリしたわw自分の気持ちに気づいたっていうか」

「ちょっと待って。それって俺のことが好きってこと?」

「いや、お前じゃないよ」

「お姉ちゃんのことが!?」

「まあ多分……そうなんじゃねーかな」

「それ俺に言っていいの? 気まずくない?」

「気にすんなwwww第一お前の姉ちゃん、あんだけ可愛いけりゃ絶対彼氏いるだろw」

「いないよ!!! 異性への免疫なさすぎて大学では保護指定動物だよ!」

「あ、そうなん。でも向こうからしたらただの弟の友達だろうし、どうこうなりたいなんて思ってないから安心してくれ」

「そんなの分かんないじゃん! 相手の気持ちも知らずに決めつけちゃダメだよ!!」

「じゃあ逆に聞くが、可能性はあるのか?」

「それは……お姉ちゃんも君がそんな風に思ってたなんて、全然知らないだろうし」

「気遣うなって。なんか惨めになんだろーが」

「顔熱くなってきちゃった。頭もくらくらするし……」

「全部忘れろ。今日のことはすべて」

「黙っててごめん」

「あん?」

「実は私、弟じゃなくて姉なんです」

「はいい!!!???」

「弟の部屋に漫画返しに行ったらゲームつけっ放しで寝落ちしてて、ちょっと動かしたりして遊んでたらあなたが来て会話が始まっちゃって……」

「いやいやいやwwwwwwさすがにそれは無理があるwwwwww」

「本当に本当なの、信じて!」

「マジでお前大丈夫か……?」

「こんな形で君の気持ちを知ることになっちゃってごめんね。でも私のことをそんな風に思っててくれて嬉しいです」

「あーなるほど、はいはいいいですもう十分。あのさー、そういう変な気の回し方されるとこっちが恥ずかしくなってきちゃうから!」

「いいよ、そんなに言うなら証拠見せてあげる」

『証拠?』


 

 声に出して呟きつつ、首をひねる。するとキーボードの横に置いてあったスマホがぶるっと震え、メールの着信を知らせた。

 送り主はC。メールを開き、添付された画像を表示した俺は慄然とした。

 机の上に広げられた純白の布きれ。それはまさしく女性用下着以外のなにものでもない。

「なんだこれは」

「私が今履いてるパンツ」

「えげつないもん送ってくんな阿呆!!!!!」

「どう? これで信じてくれた?」

「確信したよ。お前が俺の予想のはるか上を行く変態だってことをな」

「分かったわよ、じゃあブラの画像も送るわよ!!」

「ブラまで着けてんのかさっさと外せ! そして本当に信じてもらいたかったらそのスマホで電話かけてこいよ!!」

「あそっか。あ、でも電話は無理そう」

「ほー、なぜ?」

「ゴソゴソしちゃったから弟が起きそうなの!!!」


 俺は手にしていたスマホを瞬時に操作し、Cに発信した。

 数度のコールのあと、Cが電話に応答する。

『よう』自然と冷たさを帯びてしまう俺の声。

『ああ……ねみい』Cは長いあくびを終えたかと思いきや、次は背伸びをして寝起き感を演出している。どこまでも白々しい奴だ。

『正気に戻ったか?』

『正気? ああ、ネトゲしてたら寝落ちしててさぁ……それより聞けよ、今電話かかってきたときさ、姉ちゃんが俺にスマホ投げつけて部屋から出てったんだよ、走って』

『言い訳は明日学校で聞くから。とにかくお前は今すぐ姉ちゃんの下着を洗え。洗濯機に入れんじゃねーぞ、手で洗え。心の中で姉ちゃんに謝りながらな』

『待って待ってどういうこと? ホントだ机の上に姉ちゃんのパンツあるわ! そういやさっきの姉ちゃんケツ丸出しだったし……やっべぇ意味わかんねぇ』

 俺はため息をつきつつCとの通話を切った。非情だとは思ったが、これ以上親友の見苦しい言い逃れを聞いていられるほど俺は強くない。明日、Cがひとまずの平静を取り戻してから奴の性根を叩き直してやるとしよう。

 Cからの連絡を遮断するためにスマホの電源を落とす、その前に俺は再び純白の下着画像を画面に出した。

 削除を押しかけた指が妙な力に後押しされるようにして横へ逸れる。それは俺の直感がもたらした一瞬の判断だった。

 保護された画像を眺めながら俺は一人頷く。そうだ、これは教訓なのだ。

 いったいなんの?

 たった一枚のパンツが、人生の命運を左右することだってある。



 


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