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03『少年と森の魔女』

 ――目を覚ますと、温かく柔らかな感触に襲われた。


 少年はゆったりと上体を起こし、自らの状態を確認する。

 見慣れない部屋だった。

 それは一見、ごく普通の木造小屋ログハウスだ。けれど、よく見れば《異常》な点が多々見受けられる。

 いや、異常というより――不思議というべきか。

 火もないのに、煌々と灯りを発する照明ランプ。天井近くで、風もなく回転する天球儀らしき謎の装飾。暖められたように熱を持つ毛布。

 目に映る全てが少年の常識から外れている。

 そこでようやく、彼はここがどんな場所なのかを思い出した。


「……そうか。ここ、魔女の――」

「そう。ここは魔女の家」


 背後からかけられた声に、少年は思わず寝台ベッドから跳ね落ちる。

 木張りの床へとしたたかに膝を打ちつけながら、彼は今しがたまでいた寝台ベッドのほうを向き直った。


 そこには、魔的な美貌を持つ妙齢の女。

 ――すなわち、魔女がいた。

 少年は森で魔女に出会い、そのまま彼女の住まいへと連れて来られたのだ。

 魔の森で張り詰めていた緊張の糸が切れ、少年は昨夜、眠るように意識を失った。さすがに疲労も色濃かったのだろう。だが、魔女の住居で意識を手放すなど、言い訳できない失態だ。

 なんの異常もないなんて、それこそ異常に感じられてしまう。


「そう警戒しないでよ。別に、何もしやしないんだから」


 魔女はわずかにむくれたような表情でそう零す。その言葉を、だが額面通り受け取ることなど少年にはできなかった。

 さすがに、少なくとも目の前の魔女が、少年に対し直接的な危害を与える気がないことは理解できる。納得はできないが、理性がそれを認めていた。

 もし少年を殺すつもりならば、わざわざこんな回りくどい真似をする必要はない。

 それこそ花を摘むよりも容易く、魔女は少年を殺せるだろう。きっと指先ひとつ動かす必要がない。


 だが《魔女》といえば、それは邪悪の代名詞だ。伝承に語られる魔女は、いつだって絶対の悪として描かれている。

 魔女は悪いから魔女なのだ。かつての罪に呪われて、魔に堕した存在を魔女と呼ぶ。

 彼女も魔女である以上、なんらかの罪を犯した存在であることは間違いない。

 信用できるはずがなかった。

 殺すつもりがないからといって、何かを企んでいないとは限らない。むしろ、なんらかの目的があったからこそ、少年をこの家に連れ込んだと考えるべきだろう。


 何を考えているにせよ、少年に選択肢などないのだが。

 たとえ最終的に殺されるのだとしても、少年は魔女に従うほかなかった。


 ――不死の果実を、少女の元へと持ち帰るために。


「おはよう。朝食は頂くかしら?」


 と、魔女が少年に問うた。彼女はさきほどまで、少年が眠っていた寝台ベッドにいる。

 目覚めに感じた感触は、何も毛布だけのものではなかったらしい。

 ――魔女と添い寝などぞっとしない。

 目を瞠る美女だったとしても、魔女は魔女だ。恐怖こそすれ、喜ぶ理由になどならない。

 というか、いったいなぜ同じ毛布に入っていたのやら。


「ちょっと。何か答えてよ」


 魔女が唇を尖らせて言う。

 悪意なく、それは純粋な感情の発露だった。

 話に聞いていた魔女と、目の前の女性はまるで似通うところがない。


「言っておくけど、別に毒なんか入れないわよ? 連れて来た意味ないじゃない」

「……わかった」

「よろしい! なら支度を始めましょうか」


 少年が押されるように答えると、魔女は心から嬉しそうに微笑んだ。

 なぜだろうか。

 それを見て、少年は町にいるはずの少女のことを思い出す。


 花が咲いたような魔女の笑顔は、とても穏やかで、楽しそうな色を含んでいた。



     ※



 意外にも、と言うべきか。

 魔女の料理は、今まで食べたことがないほど美味しかった。

 普段食べている固いぱさぱさの麺麭パンや、穀物と野菜ばかり入った汁物スープとは出来が違う。まるで貴族の食卓に並ぶ料理みたいだ、と少年は思った。貴族の食卓を覗いたことなどなかったけれど。

 驚いたことに、魔女は料理に魔法を用いなかった。少なくとも、少年が見てわかるようなものは一切。

 魔女は、どこの家庭でも行われている、ごく普通の料理をしたように思う。

 味がいいのは食材と、単に魔女の腕がいいからなのだろう。


「――美味しい?」


 無邪気な笑顔の魔女に訊ねられる。

 認めるのは癪だったが、嘘をついて機嫌を損ねるのも馬鹿らしい。

 少年の生殺与奪は今、目の前の魔女に握られている。

 結局、少年は無言の首肯を答えに代えた。

 魔女はやはり愉快そうに頷いて、「よかった」と、そう言葉にする。


「料理を作るなんて久し振りだったけど、腕は鈍ってなかったわね」

「……食べないのか?」


 少年は疑問に思って訊ねた。魔女は料理を振舞うばかりで、自分で食べようとはしなかった。

 問いに、魔女は少しだけ目を伏せるようにして答える。


「魔女に食事は必要ないの。別に食べられないわけではないけれど、そこに意味はないわ」

「……なら、なんで食材がある? おれを太らせて食べる気か?」


 魔女はしばし呆気に取られたあと、それからおもむろに失笑した。


「その発想はなかったわ。魔物と魔女は違うんだから、人間を食べたりしないわよ」

「…………」

「ここは森よ。奥のほうには動物もいないわけじゃないんだから、食材くらいいくらでも採れるわ。たまに、娯楽代わりに料理をしないわけじゃないし」


 では食卓に饗された魚や茸は、この森で採れたものなのか。

 魔の森に、ここまで上等な食材があるとは思わなかった。もっとも知ったところで、誰も狩りになど来ないとは思うが。


「貴方いったい、魔女をなんだと思ってるのよ」


 問いに、けれど答える言葉はなかった。

 ――邪悪な存在だ。

 そう口にするのは簡単なはずが、どうしてかそれを口にしようとは思えない。

 まあ、機嫌を損ねて殺されても困る。これは、それを避けるためだ。

 少年はそう自分に言い訳した。

 その説得力のなさに、自身でも気がつくことはなく。



     ※



 食後、少年は魔女が淹れたお茶で喉を潤す。

 少年は四角い食卓テーブル越しに、魔女と向かい合う形で座っている。

 魔女は優しかった。

 まるで幼子を見守る母のような瞳で、少年の行動を逐一眺めている。

 なぜかむず痒く思うものの、決して不快な視線ではない。監視されているようには思えなかった。


「――……」


 飲んだこともない味の、不思議な飲み物。

 怪しいと思わなかったのは、そもそもお茶なんて高級品、少年は口にしたことがないからだ。

 これはこういうものなのだろう、と素直に納得する。

 そんな少年の様子を、やはり魔女は心底から楽しそうに見つめていた。


「……少し、お話してもいいかしら?」


 ふと、魔女がそんな風に切り出した。

 途端に少年は身構える。ついに馬脚を現すか、と戦々恐々してしまった。

 だが魔女は、少年にひとつ、静かに問いを投げただけだ。


「貴方は、いったいどこで何をして暮らしているのかしら」

「……?」


 雑談みたいな問いだった。

 不思議に思うも、少年は正直に答える。


「町で、狩人をしている。俺はその弟子なんだ」

「狩人……ってことは、貴方はサギタの弟子なのね」

「師匠を知ってるのか?」

「有名だもの、名前はよく知ってるわ。別に会ったことはないけれどね。サギタは森に入れないから」


 魔女は瞳を細めて呟く。

 これで案外、森の外の様子にも詳しいらしい。

 何かの魔法で、外を窺っているのだろうか。


「なるほど。魔物に見つからず、森の奥まで来られるわけだわ。狩人の才能があるのね」

「そんなことない。弓は下手だし、師匠から皆伝を貰うにはまだまだだ」

「貴方ならできるわよ」


 なぜ自分は魔女に応援されているのだろう。状況がわからない。

 首を傾げる少年に構わず、魔女は言葉を重ねていく。


「それじゃあ、次は森に来た理由だけれど」

「…………」

「いったいどうして、不死の果実が欲しいのかしら?」


 先ほどの雑談は、きっとこの問いを投げるための前振りだったのだ。

 そのとき、少年はそう確信した。

 彼の警戒を解くための、魔女の話術だったのだと理解した。


「見たところ別に、貴方自身がそれを求めている風ではないわね。誰かに渡したいの?」

「それは――」

「ただの興味よ。それ以上の理由はないわ」


 言葉巧みに、魔女は少年が纏う警戒の網をほどいていく。

 溺れてしまうような心地よさはない。ただ、魔女の言葉どこまでも普通(丶丶)だった。

 魔女が普通だなんて、それこそ意味がわからないけれど。

 少なくとも、気を張り続けていることが難しくなってしまうくらいには、少年は魔女に気を許していた。


「……病気のともだちが、いるんだ」


 少年は、だから、理由を魔女へと伝えていた。

 彼女の所有物を分けてもらおうというのだから。

 せめて、真摯であろうと思った。


「教会で、聖女って呼ばれてる奴なんだけど……なんだか病気になっちまったらしい」

「……そう。聖女が」

「なんの病気かはよくわからねえ。あいつにはあまり会えないから……でも聞いたんだ! 教会の連中が話してるのを。もう治せない病気なんだって。このままだと、一ヶ月もしないうちに死んじまうって!」

「それで、彼女のために果実が欲しいと思ったのね」

「不死の果実なら、病気も治せるって聞いて。そんなもんあるわけないって師匠も言ったけど、でもほかに、おれができること何も……ないから」


 ただの狩人でしかない少年が、聖女のためにできることなんてない。

 医者でも治せない病気だ。司祭でも癒せない苦痛だ。狩人にいったい何ができる。

 そう考えて、でも、それでも諦めることもやっぱりできなくて。

 なんとかしてあげたいと願ったから。

 だから――伝説に過ぎない魔法の果実に、少年は縋ったのだ。


「おれ、知ってんだよ。あいつが教会に行ったお陰で、院の奴らにお金が入ってんの。あいつは独りでがんばってるんだ! だから……それなのに死んじまうなんて。そんなの――そんなの、ないだろ……」

「……その子のことが、大事なのね」


 魔女は、慈しむような、それでいて悼むような表情で少年を見る。

 彼はその視線には気づかず、ただ告解するように呟くだけ。


「おれ、いつもあいつに助けてもらってたから。なのに、何もしてあげられたことなくて……」

「そんなことないと思うわよ?」

「――え……?」


 魔女の言葉に、少年は思わず顔を上げる。

 それは、赦しの言葉だった。

 教会でさえ贖えないと思っていた罪を、少年は魔女に赦される。


「その子もきっと、貴方に救われてたんだと思う。ヒトは、なんの理由もなくがんばったりできないんだから」

「……そんな、こと」

「あるわよ。私が保証してあげる。――魔女のお墨つきなんだから、貴方も少しは誇りなさい」


 魔女の保証なんて、貰ったところで困るだけだ。

 どこかでそう思う少年だったが、けれど少しだけ、気分が楽になったような気もしていた。

 だから、知らず少年は笑って頷いた。


 この森を訪れてから。

 あるいは少女の病を知ってから――きっと初めて見せた笑顔だった。


「――その子のためなら、貴方はなんだってできるのね?」

「ああ。……命だって要らない。だから魔女、おれの命が欲しいなら――」

「要らないわよ、そんなもの」

「ならどうすればいい! どうすればおれに果実をくれる!?」


 少年は声高に、詰問するかのように言う。

 もはや魔女に対する怯えや遠慮など持ち合わせていない。

 少女には時間がないのだから。

 一方の魔女は、どこか静かな口調で彼に告げる。


「口ではなんとでも言えるもの。本当になんでもできるのなら、その覚悟を見せてもらわなくっちゃ」

「どういう、意味だよ……」

「簡単なことよ」


 魔女は、やはり微笑みながら言葉にした。

 先ほどまでは違う、それは初めにあの白樹の前で見せた、魔女らしい魔的な微笑だ。

 少年は今さらながらに、魔女の契約という言葉を思い出していた。

 魔女が望みを叶えるのは、常に対価と引き換えだと――。


 魔女は、片手をこちらへ伸ばして、告げる。


「――この森の王を、殺してあげてほしいのだけれど」



     ※



 その晩、少年は夢を見た。

 走馬灯のように、目まぐるしく風景の変わる奇妙な夢を。


 まず初めに見たのは、ひとりの男の夢だ。

 若い少年だ。おそらく年の頃は、今の少年とほぼ変わらないくらいだろう。

 見たことのない男だった。

 けれど、なぜか酷く懐かしいような、いたたまれないような、言葉にできない気分を覚えてしまう。


 ――少年はごく普通の平民の出だ。

 見知らぬ町で、雑用まがいの仕事をして口に糊していた。

 あるとき彼は仕事の途中、ひとりの少女に出会う。

 美しく、しかし儚い少女だった。身分は教会の聖女で、本来なら彼のような人間が口を利ける相手じゃない。

 それ以来、彼は騎士を目指すことを決めた。

 少女の顔を、もっと近くで見たいから――それだけの理由で、彼は見習いとして教会に所属した。

 結果、わずかではあるが、彼と聖女との距離は近づいた。


 ――どこか似ている。そう、直感的に思った。

 これはきっと、傍にいることを諦めなかった別の自分の姿なのだと。


 時間が飛び、少年は青年へと変わった。

 細かった身体は鍛えられ、振るう剣は以前と比べ物にならない鋭さを得るに至った。

 そう。青年には才能があった。

 剣士として類い稀な能力を発揮した彼は、数年ののちには教会騎士団の要職へと就く。

 だが彼の地位が聖女へ近づけば近づくほど、互いの距離はむしろ離れていくばかりだった。責任のある立場になり、任される部下の数が増えるのに比例して、彼は仕事に忙殺されていく。

 聖女にお目通りの叶う時間は、彼が強さを増していくごとに減っていった。


 かの聖女が不治の病を患ったのは、ちょうどそんな頃だった。


 ――風景が変わる。

 続いて少年の視界に飛び込んだのは、ある教会の風景だ。

 礼拝堂には誰もいない。

 いや、きっと誰かがいるのだろう。だがその誰かの視界を借りている少年に、詳しいことはわからなかった。


 誰かは祈りを捧げていた。

 聖歌を奉じ、神への祈りを天に届ける。

 下手くそな歌だった。

 幼馴染みの少女とは比べるべくもなかったし、もしかしたら少年のほうがまだましなくらいかもしれない。


 けれど、どうしてだろう。

 その下手くそな歌は、強く心に沁みるのだ。

 自分のことを歌う歌じゃない。

 世界のことを歌う歌じゃない。

 それは、ただひとり、大切な誰かのためだけに捧げられた歌だった。


 ――どうかあの人の行く先が、光に包まれていますように。

 いつかあの人が、大切な誰かとともに、祝福の中を歩いていけますように。

 あの温かくて柔らかい微笑みが、いつか老いて死ぬその日まで、ずっと続いていきますように――。


 そんな、祈りの歌だった。


 ――風景が変わる。

 三度、少年が夢の中で見たものは、町で帰りを待つ少女の姿だった。

 まだ彼と彼女が、同じ寝床でいっしょになって、他愛もない話をしていられた頃の光景だ。


「神さまって、いると思う?」


 少女に問われた。

 少年は咄嗟に答えようとするが、口は自由に動かない。

 ただ、かつてをなぞるだけの夢なのだから。

 ――いるわけないよ。

 かつての少年は、そんな、素直じゃない言葉を口にする。

 教会の司祭に聞かれでもしたら、間違いなく大目玉を喰らう不敬だ。

 だが少女は、いつだって同じ微笑みで答えてくれる。


「わたしは、いると思うんだ」


 天上付近の天窓から、満天の星空を眺めて彼女は言う。

 少年の口は、かつての答えをただなぞった。


 ――どうして。


「だって、そのほうが素敵でしょ? お空の上から、わたしたちをずっと見守ってくれる神さまがいるから、きっとみんながんばれるんだよ。誰かのために――祈れるんだよ」


 ――そうかな。神さまがいるなら、不幸な人間がいるはずないじゃないか。


「きっと神さまだって、誰も彼もを助けられるわけじゃないんだよ。誰かの人生に、世界に手を出すことなんて、ほんとうは神さまにだってできないのかもしれないよ」


 ――そんなの神さまって言えないよ。


「でも――きっといつだって、わたしたちを見守ってくれている。それって、すてきだって思わない?」


 ――……。

 少年は答えられなかった。少女もまた、答えを求めていなかった。

 ここで何も言えない、そんな自分が少年は嫌いだ。

 彼女が求めていることなんて、いつだって自分はわからない。


「わたしは、そういうひとになりたいの」


 天にまします神のように。

 いつも微笑んで、誰かのがんばりを見ていられるような。


「――そんなおとなに、なりたいの」


 けれど。

 その願いが叶わないことを、少年はすでに知っていた――。

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