探偵と夜と少女と涙 1-2
葵は横目で上司の顔色を窺う。嘘をいうような人柄ではないというのは十二分に承知していた。が、これでは疑わざるを得ないだろう。
第一、と、葵は再び視線を粘液に戻す。そして考える。
第一、もしこれが本当に人間だったのだとして、彼――或いは彼女――の身に何が起これば、人間がこうなるというのだ。
顔半分を酸で焼かれた人間を、かつて葵は見た。ぼろ雑巾のようになった皮膚の下から表れたピンク色の肉がてらてらと光に照っていたのを覚えている。また、口の中に釘やらねじやらを詰めた状態で顔を殴られた男を見たこともあった。抉れ、削られ、穴が空き、口が口ではなく、何かオブジェのように見えたのも覚えている。
だが、今回のこれは。
誰がどうやれば、人間をこんなものに変換できるというのか。人間には白い骨がある、ピンク色の脳みそだってある。しかし、この液体にはそういった者は見受けられない。単一の色で、何か大きな破片のようなものだって見当たらない。
本当に、本当にこれが人間なのだとしたら、犯人はその全てを細かく細かく――。
そこまでが、限界だった。
羞恥を乗せて喉元をせり上がってきた酸っぱい液体の存在を感じ、葵は慌てて顔を背け、手を口で押える。久しぶりの感覚だった。刑事になってから五年。最後に吐いたのは、確か一年くらい前だったか。
抑えたまま数秒ほどじっとしていると、吐き気は驚くほど素直に、どこかへ引いて行った。
「大丈夫か」
巌の声がした。つっけんどんで、やもすれば怒られているのかと感じさせるような声だ。
しかし、それが間違いであることを、葵はよく知っている。不器用なのだ、この上司は。そのうえ顔立ちも無骨だから、なおさらなのだ。
「……失礼しました。もう、大丈夫です」
前に向き直り、確かめさせるように、巌を見る。目が合った。
「――もう一度、頼む」
葵を一度見てから傍らの男に視線を映して、巌は促す。男は分かりました、と頷いてから、こちらも同じように葵をちらりと見て、それから手元で広げた手帳に目を落とし、話し始めた。
「ガイシャは五百数名。何人かを除いていずれも身元不明。ただし場所が場所ですので、そこまで照会に手間取ることはないでしょう」
傍らに立っていた別の男が手を上げ、発言する。
「身元不明なのに、どうして具体的な人数が?」
まったくだ。同じことが気になっていた葵も、小さく頷く。
すると、問われた男は少し口籠るようにして、
「……あったからだよ」
あったから。それは、どう云う事なのか。
問うた男も、葵も同様に、首を傾げる。それを見て、答えた男は吐き捨てるようにしていった。
「人数分の人差し指だけが、残されていたからだよ」




