探偵と猫と少女と疑惑 6-10
「お怪我はありませんか、要様」
続いて聞えたのは、涼しげな声音。何事も無かったかのような、聞き覚えのある声。
顔を確認するまでもない。
「……遅かったじゃねえか」
助けようと差し出されていたた手を無視し、自力で立ち上がった要に、ユキは平然と答えた。
「申し訳ありませんでした、少々道に迷っていたものですから」
「……何だと?」
いつの間にか別れていたものだから正確な数字は分らないが、それでもユキが姿を消してから今まで十分以上は経っている。要が男を追跡して、逡巡して、戦って。その時間を、ユキはただ迷って過ごしていたというのか。一体どこまで行ってたのだ。
怒りに頭が熱くなる。だいたいお前は、と。勢い任せにユキに詰め寄ろうとした要は、しかし、すんでのところで思いとどまった。
結局のところ、ユキが助けてくれたことには違いないのだ。どのような過失があろうと、その恩を忘れ去るのは平等ではない。
「……ちっ」
とはいうものの、すんなり引き下がれる訳もなくて。やりきれないモヤモヤを抱えた要は、舌打ちをして、ユキから視線を離し、辺りを見回した。
数メートルほど離れた位置、路地のどん詰まりの壁に、男がもたれかかっているのが見えた。糸をすべて切られた操り人形のように、足を投げ出し、背中を壁に預けて、ぺたりと坐り込んでいた。
蹴られたのか殴られたのか、はたまた別の攻撃を食らったのか。とにかく、ユキの一撃によって、要の上から吹っ飛ばされたのだ。かなりの威力だったようで、コンクリート製である壁の、男より少しところに軽くひびが入っていた。一撃を食らって、吹っ飛んで、それでもなお死ななかった勢いによるものだろう。
まったく、遠目から見て居ると本当に等身大の人形の様だ。身動き一つ、ぴくりともしないのだから。
「……おい」
余りの動かなさに、何やらうすら寒いものを感じて、要はユキに問おうとした。
すると、それより先に答えが帰って来た。
「生かしてあります」
「……本当か?」
念を押すように尋ねると、ユキは要から男へと視線を移して言った。
「お望みならばどのようにも『処理』致しますが。証拠を一切残さず、まるで水が蒸発したかのように」
何もかもを消し去って。
そう語るユキが男に向けているその目は、明らかに『モノ』に対してのそれだった




