探偵と猫と少女と疑惑 6-9
やっぱりか、と要は思った。不思議なほどに、動揺はなかった。必死に頭を回して考えたあれこれ。そのどれもがただの現実逃避だというのが、内心で分かっていた。
そう、逃げる事など最初から出来るはずが無かったのだ。ぐさり、と刺されてそれでお終いだ。全身の力が抜けていくのが分かった。
男の目が弓のように細くなる。笑っているのだ。勝ち誇るかのように、嘲るかのように。屈辱だ。
しかし、だからといって要に何が出来る訳でもない。出来る事と云えば怒りに歯を噛みしめることぐらい。刃が体に突き立つのをただただ待つ事ぐらい。
――そして、その時は遂に訪れる。
ゆるゆると、男が拳を頭上へと上げる。その手のうちにあるナイフは、刃を地面に向けるようにして逆手に握られている。切っ先が向いているのはのは要の左胸、つまりは心臓だ。
あと数秒もしない内に、人生の幕を閉じることになる。それでも、要は目を閉じようとはしない。
ここまで来て、抵抗できるとは思っていない。男は捕まるかもしれないし、刑罰を受けることになるかもしれない。けれども、自分がその情報を得ることはないと、要は思っている。何故なら、ここで死ぬからだ。ここから逆転する事など出来るはずが無い。
ならば、どうして目を閉じないのか。目を閉じれば少しぐらいは恐怖が和らぐかもしれないのに。
その問いの答えは誰にも、要本人にも分からない。
ぴたり、と男の拳が上昇を止めた。月の光を背から浴びて、影は何かを誇っているかのように、拳を天へ突きあげている。その拳から垂れ下がる、獣の牙のような刃を、要はじっと見つめる。
そして、男の全身に力が満ちたその次の瞬間、勢いよく拳が降りてきて――。
男の姿が消えたのは、要の体に刃が突き刺さるその直前だった。
肉を裂き、血をまき散らす筈だった刃が、気絶しそうなほどに近くに来た死が、その刹那に姿を消したのだ。
一体何が起こったのか、すぐには解らなかった。寝そべったまま、男の姿が消えてからも要は夜空を睨みつけ続けていた。ひゅうひゅうという耳障りな音が自分の呼吸の音だと気付くのにさえ、しばしの時間が必要だった。
瞬きをした覚えは無いが、幻想を見ているとも思えない。男がいなくなった視界も、瞬く星も、全て現実だ。
そう。だから、理由がある筈だ、きっと。男の姿が消えた、理由が。
いつの間にか、耳障りな呼吸音も消えていた。ゆっくりと、要は身を起こそうとして――そこへ手が差し出された。見覚えのある、白い手が。




