探偵と屋根と少女と出逢い1-1
顔に何か冷たい液体がかかって、それで幅木要は目覚めた
非常に嫌な臭いのする液体だ。
ゆっくりと目を開くと、前髪から茶色い滴が垂れているのが見えた。ぽたぽたとひっきりなしに落ちている。邪魔くさいので、頭をぶるぶると振って払い、四方八方に飛び散らせる。
すると、周囲から怒号が聞こえた。しかも何人もの声で。
そこで要は初めて、自分が椅子に縛り付けられていて、おまけに周りに大勢の人影がある事に気づいた。
家具も何もない殺風景な部屋の中、ざっと見ても二十人は居る。
背丈が大きいのもいれば小さいのもいて、太っているのもいれば痩せているのもいて、外国人らしいのもいれば日本人もいて。いかにも種々雑多といった感じだが、その全員に共通している事があった。皆、黒服にサングラスなのだ。おまけにバットやら鉄パイプやら――つまりは“凶器”を持っていた。
「――お目覚めかい、兄さん」
声がかけられた。鋭くドスの利いた声が。
要が正面に視線を戻すと、そこには、椅子に座った男がいた。
周囲と同じように黒服にサングラス。黒い髪を全て後頭部の方へ、整髪料できちっと撫でつけている。要するに、荒事専門の人種の典型のような風貌の持ち主ということだ。よく見れば頬にうっすらと一文字に肉の盛り上がった筋があって、それがまたその印象を強めている。
「……誰だよ、お前」
言うと同時に、視界の外からの拳が要の頬を襲った。鈍い音がして、視界が一瞬白くなった。口の中に血の味が広がる。
やめな、と男が言うのが聞こえた。
血の混じった唾を汚れの目立つ床に吐き捨てると、要は視線を正面に戻す。
「すまんなあ兄さん……ったく、近頃の若いのは血の気が多くて困る」
「まったくもってその通りだ、飼い犬の躾ぐらいちゃんとしやがれ」
再び一撃。再び血の混じった唾を床に吐き捨て、再び視線を正面へ。
「あんた面白い男だねぇ」
くっくっくと、声を出さずに男は笑っていた。言葉に悪意は感じられない、本当にそう思っているようだ。ただし風貌が風貌なので迫力満点だが。
「評価してもらって嬉しい限りだよ――じゃあさ」
「駄目だね。そいつは、駄目だ」
逃がしてくれない? と要が言うよりも速く、男の拒否の言葉が場を制していた。いつの間にやら、真顔に戻っている。
「いやね、こちらとしても面倒事は避けたいんだわ」
言いながら、男はポケットから何かを取り出した。
折り畳みナイフだ。金色の柄と、鈍く光る銀色の刃。それを慣れた手つきで弄びながら、男は言葉を継いだ。
「でもねぇ……頭がカンカンなんだよ。巫山戯た真似してくれやがって、ってさ」
男は傍らの黒服に向けて、眼で合図を送った。それを受けて、黒服は懐から取り出したものを要でも見える辺りの床に放り投げた。
床に落ちて散らばったそれは、写真だった。三、四枚くらいか。白髪で中肉中背の好色そうな男が女と映っている。ピントも写真の中心も、すべて男だ。
対して、いずれの写真でも女は撮影者の方に背を向けているので詳しい風貌などは分からない。分からないが、写っている部位から判断するに、美しいようだ。長く艶やかな黒髪と、白い首筋にちらりと見える何かの刺青が印象的だ。
「この写真に見覚え、あるよね?」
剥き出しの刃を連想させる笑顔を浮かべながら、穏やかな口調で男は要に訊いた。
「……」
けれど、要は答えない。じいっと写真を見ていた。
見覚えが無いということではない。むしろ、あり過ぎるくらいだ。
何せこの写真を撮ったのは、要本人なのだから。