プロローグ2(祐希視点)
所員「いまのゆうき君?」
あたしは、昨日書き終えていた履歴書を持って来なかった事を後悔していた。 『学生ですか?』と訊かれ、とりあえず見せた学生証には、ふりがながふられていなかったのだ。
そして、『君』付けされている事から分かるように、あたしは名前からも姿からも、性別を間違えられる事が多かった。 声も中性的だけど、別に女らしくするのが嫌いだとか、男に憧れているとかじゃなくって、むしろ逆…。
まあ、とにかくそっち方面は、妙なスイッチを入れない方が、あたし自身のためと解っている。
それに、慣れてしまえば、スカートよりパンツスタイルの方が断然楽で、今日もデニムジーンズとTシャツというかなりラフな格好をしている。
祐希「『こんの』です。 あと、名前は『ゆき』って読んで、一応女の端くれやらせてもらってます」
所員「あら、ごめんなさい」
慣れた口調で告げるあたしとは反対に、恐縮した様子でその所員の人は言った。 自分が酷く失礼な勘違いをしてしまったと思ったのだろう。
祐希「気になさらないでください。 名前が読みにくいのも性別不詳なのも、いつもの事ですから。 それよりもすみません。 アポもないのに押しかけてしまって」
ここは、あたしの通っている大学への通り道にある、とある研究所だった。
研究所と言っても小さな所で、何か新しいコンピューターの研究をしているらしいと聞いた事があるくらい。 今までは、興味を持ったりはしなかったのだけれど、あたしは夏休みのバイト候補の1つとして、この研究所を考えるようになっていた。
大学の通り道なので、定期券がそのまま使えるし、見知った所の方が安心だしね。
しかも、時給が最高で1800円ももらえるという、最近じゃあり得ないくらいの高収入バイトだった。 お金が全てだとは思わないけれど、あるに越した事はない。 こんななりをしていても一応は女の子だから、化粧品だって必要になるし、甘い物だって食べたい。
だけど同時に、1800円も貰えるという破格の条件に、いくらか疑念を持ってもいた。
だから、ここが土日には一般にも解放されている事を思い出して、こうして見学に来てみたのだ。
所員「そう言ってもらえると助かるわ。 それで、今度の最終テストの被験者になってくれるんだっけ?」
祐希「他に面接して頂いた所もありますので…。 ご縁があれば、ですが」
あたしはまだ破格の条件の理由が分かっていなかったので、逃げ道を残すような嘘をついた。 嘘は失礼とも思ったけれど、変な所では働きたくなかった。
単にシフトがキツいとか、重労働だというなら頑張る自信はあったけれど、それ以外の事に気を遣わなければならないのは嫌だった。
所員「そう。 まあ、縁がある事を祈っているわ。 今日は所長もいないし、日曜だから所員も広報担当しかいないけれど、こう見えても普段はけっこうにぎやかで、楽しい職場なのよ?」
対応してくれた所員さんは、そう言って微笑んで見せた。 それが余計にこの研究所への愛着を感じさせて、あたしは嘘をついた事を少し後悔した。
祐希「…ですが、このご時世に、こんなにお給料を頂けるなんて、少し信じられないです」
そんな裏表のなさそうな所員さんに、あたしは核心を突いてみる事にした。 この理由を確めない限り、勤めることは難しい。
所員「やっぱりそう思うわよね。 所長にも言ったんだけれど、『どうしても優秀な人材がいるから』って聞いてもらえなくて。
でも、不安がらなくて良いのよ? 危険性がないのはもう立証されている実験だから。 ただ、どうしても理解されにくい研究ではあるのよね」
その所員さんによると、ここでは脳と直接信号をやり取りして、本来はその場に無いはず物を見たり、架空の現象を体感したり、違う人になったかのような感覚を味わえるのだそうだ。
さらに感じるだけでなく、動かす事までできると言う。
あたしは思った。
研究は気味が悪くないと言えば嘘になる。 高収入なのは、それをカバーするためなのだろう。
だけど、それ以上に私は、説明してくれている所員さんの表情に好感を持った。 表情は生き生きしていて、所員さんが研究を生き甲斐にしている事が見て取れたから。 こんな所員さん達と一緒に働けるなら、未知の技術相手でも…ね?
続けていくつか言葉を交わしたあたしは『他のバイトを探すのは、もう少し先でもいいかな?』なんて思い始めていた…。