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「しっ! 嬢ちゃん逃げるで!!」
学校の保健室がかなり広くなってかなり質素になったような部屋の、微妙な位置に1台だけ置かれてあるパイプベッド(っぽいもの)の上で、理音の目は覚めた。
とりあえず体を起こして、寝ぼけ眼のまま状況確認をする。
正面は、10mほど先に真っ白な壁。右手も15mほど先に真っ白な壁。左を向くと、5mほど先にぽかりと空いた縦1m横1m30cmほどの穴(おそらく窓)。後ろを向くと、6mほど先に板チョコみたいな両開きのゴツいドア(もはや何かへの扉に見える)。
そして天井を見上げると。
「うわっ! もう見つかってもた!!」
青年。
忍者ですか。初めて見たよ天井に張り付いてる人って。
「…わぁ」
いかにも寝起きです的な掠れた声で驚く。一瞬で頭が冴えた。
「いや嬢ちゃんすばらしい! オレを見つけた早さ8″53不動のNo.2抜かしての第2位入賞やおめでとさん☆」
すいません、できれば順序を追っての説明をお願いします。
そしてやはり忍者の如く降りて来て(シュタッとか効果音付きそう)ベッドの横にあった丸イスに陽気に腰掛け下手するとうざいくらいのハイテンションでしゃべり出した。
そんな謎のおにーさんと世間話にもつれ込んだのが、理音の感覚で約1時間前のこと。
そして今、男の怪しさなんか忘れて、まるで女子高生のように和やかに(キャピキャピと)会話を繰り広げていた最中、急に、忍者もどきのおにーさんこと英二はそう言い素早い動作で廊下側の壁に張り付き、理音に静かにするようにと人差し指を唇に当てた。
「どーしたの? おにーさん?」
いきなりの珍妙な行動に、理音は首をかしげた。
「……来る…!!」
英二は血迷ったような目をしながら耳を壁に引っ付けた。
これが噂の壁に耳あり? ショウジにメアリーさんはいずこ?(ちがう)
「なにが?」
「オレの上司や!!」
英二はすでに半泣きと言っても過言ではない顔で勢いよく理音を振り返った。
「上司なら逃げる必要ないんじゃない?」
「あかんねん!! オレ無断で水まきしてもてん!! バレたらやばいねん!!」
英二の顔がしだいに青褪めていく。
「あああ…!! 口にすんねも恐ろしい!! あれは4日前の昼下がり…そう…オレはあまりの天気の良さに秘密基地で空を眺めてたんや…」
「(あ、聞いてもないのに語り出しちゃった)それで?」
続きを促す理音に目を向けて、英二はフ…、と自嘲した。
「オレは日頃の疲れが溜まり、思わず寝てしもたんや…。せやけどほんの2日やで!? 起きひんかったんは19歩ゆずってオレのせいやとする。しかし! しかしな!? そんなけ起きひんほどオレは疲れてたんや!! そしてそこまで疲れさせたんは誰や!! オレの上司や!! なんっやあの女男…人ンこと使うだけ使うといて休みもくれんとコキ使いやがって……」
「あ。あえて19歩しかゆずれないんだねっ。しかも2日ってほんのって時間じゃないよ☆ おにーさん」
「ほんでな、ほんとはその寝てる間にやらなかんはずやった大事ィ〜な仕事が当然の如く残っててな〜?」
「(あ、シカトされた)うん、それで?」
「その上司がカンカンに怒ってもたん…」
「うん、当たり前だと思うよ」
「ほんでな、そいつのあまりの傍若無人さにさすがに堪えれんくなってストライキしたんよ」
「(あ、またシカト?)ストライキって、おにーさん1人でしょ?(ストライキって団体じゃなかったっけ)」
「(……ほんまや)ほんで昨日ハライセに立ち入り禁止区域の花畑に無断で水撒いてやったんよ」
「立ち入り禁止区域? なんで花畑が立ち入り禁止なの? 荒らし対策?」
「んあ? なんでて…せや、嬢ちゃん今日来たんやっけ。まぁ…なんてゆーんか…所有地? オレの上司の第2の仕事場?」
「ふぅ〜ん。でも花畑なんでしょー? 水やったんだから別に怒られないんじゃ…」
「せやねん!! 水やったとこまでは問題なかったんや!! ノープロブレムや!! けどそのあと綿の色変わってもたん!! あ、綿っちゅうんは地面のことな!」
英二が付け加えたところで理音は考えた。
花畑と、色の変わった地面。思考を廻らせる。
「あ!! オレンジ色の花畑(?)!!」
自分が物体Xに落とされて、気を失った場所だ。
理音は英二を両手で指差しながら言った。
英二も同じように両手で理音を差しながら答える。
「せやそれや!! 水撒いたらあんな色になってもてん!!」
「そうゆうことかこのボケッカス」
「!!」
急に第3者の声が入った。
2人して身体を跳ね上がらせて、声がした方を振り向く。
いつの間に入って来たのか、閉まっていたはずの部屋の扉に持たれ掛かり腕を組んでいかにも不機嫌そうに眉を顰めている、女。
「あ。」
理音は思わず声をあげた。
見覚えのあるその人物は、忘れもしないハリウッド女優並の麗人。ゆるく結んだ三つ編みが、やはり肩に流れている。派手な顔立ちの、名付けるなら『黄金美人』。
「……いやん…っ」
……ん? 『いやん』?
英二がなんとも微妙な言葉を発したので、思わず理音は首を傾げて振り返る。
「おにーさんっ!?」
そのおにーさんは窓からダイブ1秒前。
が、ダイブはできなかった。
なぜなら。
「よォ、エージ。やっぱりてめぇか犯人は」
今までドアに持たれ掛かっていたはずの麗人が、10m以上は離れているだろう窓に移動して、英二の後頭部を片手で掴んでいた。
瞬間移動? しかも握力強そう。
「すんません。ほんますんません。ほんの出来心やったんです。わざとなんかと聞かれたらはいそうですとしか言えへんねんけど悪気はなかったこともないんです。こんちくしょう人のことなんだと思ってんねんサボってたことくらい大目に見ろやドアホなんて断じて思っていません」
英二がその場でこれ以上伏せれないというほどの土下座をした。
謝ってる? いやあれは謝ってるとは言わないだろう。むしろ言わなくていいことを暴露している。
「ほォォオ? いい度胸だなこのガキめが」
あっ! 暴力反対!! 土下座してる人の頭を蹴るのはいくらなんでもひどいんじゃないでしょうか!!
あまりにも一方的な暴力は単体リンチみたいだ。
「ちゃうやん!! あいやんは嬢ちゃんに用があんねやろ? オレなんかに構ってる暇なんかないやんか〜☆」
見るも無残なほどに蹴られているのになぜかあまりダメージを受けていない調子で英二が軽く言う。
「そうだな。いつもより早く片付けてやる」
聞きようによっちゃいかがわしい言い回しをしながら、なお蹴る黄金美人。性格は外見通り派手なんですね。
あぁ、おにーさん。おにーさんの左目の泣きぼくろ、上司にいびられて泣き過ぎてできちゃったって言えばきっと奈美先生は信じて同情してくれるよ。情緒があって人情深い人だから。 がんばれおにーさん。開放への扉(窓)はまだ開かれているよ(閉めるものがないからね)。ほら、窓の向こうでは綺麗な小川が流れてる。
……あれ。
「そーいえばさー。ここどこ? おにーさんとおねーさん誰?」
そう聞いた瞬間、空気が張り詰めた。
麗人の暴力と英二の動きがきれいに止まる。
「じょー…ちゃん……」
まるで機械のように不自然にカクカクと振り向く英二の、この世の終わりみたいな顔を見れば、この場に適当な発言ではなかったことは明らかだ。