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行くか否か、愛也は目を閉じて考えていた。
「でねっ! どぉーっしても知りたくてね、わたし調べたら、ペリーの本名は“マシュー・カルブレイス・ペリー”だって!!」
「へー!! そーなんやー! よー調べたなー嬢ちゃん!」
「でしょでしょーっ? でもねー、テストでそーやって書いたら『調べたのは偉いけど、教科書通りに書いて下さい』って△だったのーっ!」
「そーなんか!? ひどい先生もおんねなー!」
「おにーさんもそー思うーっ? でもねー、通知表のとこの『関心・意欲・態度』はCからAに上がったの!」
「ほんまー!? よかったやーん! せやたら(5段階評価で)5やったん?」
「そーなのー! そのとき初めて(10段階評価で)5だったのー!」
ゆっくりと、目を開く。
――単細胞生物め。
見ているだけでこっちが疲れる。
愛也は気怠そうに溜息をついた。
今日はこのまま寝て、面倒臭いことは明日に回してしまおうか。まぁどうせ明日になったらまた同じこと考えるんだろうけど。
――めんどくせぇ……。
そう思いながら2度目の溜息をついた時、無駄に大きい焦茶の扉が、古くさくギィ…と音をたててゆっくりと開いた。
「あら、まだいらしたんですか?」
入って来た椿が開口一番にそう言った。
「いちゃ悪ぃか」
「誰もそんなこと言ってません」
椿はゆっくりと扉を閉め、これまた無駄にゴツい焦茶の机に歩み寄っていく。椿の机ではない。愛也の机だ。
「さっさと行ったらどうですか。貴方様が行かなければあの子はどうすることもできないんですから」
説教染みた椿の言葉を聞きながら、だからこそ今考えてるんだろうが。と心の中で悪態をつく。
「必要な資料はここに置いておくので、行く気になったら目を通しておいて下さいね。困るのは私なんですから」
痛い事を。
椿は机の上に置いた、何百枚あるのかわからない資料を指してそう言った。
「ならお前が行けばいい」
「『此処の総ては俺様が決めんだから課せられた仕事以外に勝手なことはするな』。そうおっしゃったのはどちら様でしたか?」
もちろん愛也だ。
来たばかりの椿があまりにも好き勝手するからそう言ってやった。
それが今、裏目に出るとは。
椿は素知らぬ顔で自分の机に着き、仕事である書類に目を通し始めた。
愛也も、また目を閉じる。
「隣のクラスの担任が熱血教師のすっごいムカツク奴でね! リボンが指定のものじゃないってくらいで呼び出しするの。しかもスカートはひざ丈じゃないとダメとか言って校門で定規持って毎朝立ってるんだよ!? セクハラだよ!」
「ひざ丈!? 何言ってんの! 女子高生の生足は男子高生からサラリーマン、果てはお堅い政治家までの辛い日常の中の唯一の癒しやねんで!! それをひざ丈て! ありえへんよ!」
「でっしょー!?女子高生が足出すためにどんなけ努力してると思ってんのあのゴリ沢!!(本名:針沢 哲司)毎日血の滲むような努力がね! あるんだよ!?」
「(女子高生にそんな辛い裏事情があるんや…)たしかにあれはあかんね。ガリ子ちゃんとデブ子ちゃんのミニスカ。ガリ子ちゃんは不健康であかん。デブ子ちゃんに至っては見るに堪えれへんねん。なんで太いのに足出したがるんよ。隠しぃよ」
「おにーさんちがうちがう。誰かが言ってあげないと女の子は自分の太さに気付けないんだよ」
「そーなんやー。でもミニスカデブ子ちゃんは雰囲気が怖くて近付けへんねん。言えへんねん」
椿は愛也を見た。見たというよりは、ほとんど観察に近いのだが。
その顔にはくっきりと浮かぶ眉間のシワ。その様子を見ながら椿は、日に日に眉間のシワが濃くなっていく理由を教えてやろうかと考える。まぁ、考えるだけで、実際は、面白いから当分言うつもりはないのだけれど。
ソファの横にある、木のテーブルの1本しかない足はあまりにも細くて、上に置いてあるグラスや麻雀牌の重みに堪えられず、いつか折れるのではないかと、常々期待している。
5人掛けのソファを寝転がり1人で使って考えるその姿は、やはり傲慢だ。頬杖がよりその傍若無人さを引き立たせている。
性格はあまりにも理不尽だし、俺様主義すぎだし、こんな上司に付き合いきれないと思ったことは数え切れないほどあったが、今では一応この職に落ち着いている椿だ。
去る者追わずのこの俺様も、人のことをしっかり考えていたりするし。面倒臭がりだけど。
結構空気読めるし。かなり自己中心的だけど。善悪はしっかりわかってるし。それでも慈悲も慈愛も微塵のかけらも感じられないけど。
まぁ、それだけ嫌なところを見つけてもまだ、この俺様の下で働いていて嫌な気はしないのだけれど。
「ゴリ沢は保健の奈美先生が好きでね、しょっけんらんよーってやつで(?)よく保健室に行ってるの。でもね、ゴリ沢36歳で、奈美先生24歳で、ふつうにつり合わないよって感じだし、ゴリ沢名前の通りゴリラみたいな顔で、奈美先生はすっごいかわいいのね。ほんとつり合わないったら。それに奈美先生、おさななじみの人とラブラブらしいし、結婚するらしいし、ゴリ沢失恋決定なんだよ。だからか知らないけど今度退職するらしくてね、放課後の美術室(美術教師じゃないのに)で、なんか『おれは鳥になるっ!!』って夕日に向かって叫んでたらしいよ」
「奈美先生結婚すんの!?(奈美先生知らんけど) 相手ニクいな〜っ! かわいい先生とイケナイ恋愛すんねは男子高生の憧れやねん! それを幼馴染みってだけで奪っていきよんねん!! しかもそーゆー奴に限ってかっこいいねん! ひどいねん! 男子高生のささやかな(?)夢ブチ壊していきよんねん!!」
「まぁまぁ。おにーさんも結構かっこいいよ?」
――あー、うぜぇ。
面倒なことは早く済ますか後に回すか。どっちにしろあーゆー奴は一筋縄ではいかないからな。鬱陶しいくらいに文句をつけてくる。どうにかして手間のかからない方法はないものだろうか。
――……ねぇな。
自問自答によりそうは思っても、まだ行く気にはなれない。
──めんどくせぇ……。
「面倒臭いとか思っているでしょう」
書類に書き込みをしながら顔も上げないで、椿が冷たい声で図星をついてきた。
「溜息5回目ですよ」
数えてたのかよ。
愛也はおもむろに頭を掻いた。
「ツバキ」
愛也は傍らのテーブルに手を伸ばし、そこに置いてあるグラスからコインを取り出して椿に見せた。
「どっちだ」
「裏です」
「変えんなよ」
そう言うと愛也は今さっきまでのダラダラした態度から一変、勢いよく身体を起こし、ソファの上で片膝を立てあぐらをかいた。
キィインと音をたて弾かれたコインは、くるくると跳ね上がり、落ちたところを愛也の手の甲と手の平に挟まれた。
愛也がゆっくりと手の平を開ける。
裏だ。
「行ってらっしゃいませ」
勝利の笑みを口許にたたえながら椿はそう言ったが、黒ぶちメガネの奥の目はちっとも笑ってなんかいない。
愛也は舌打ちする。
「俺様の仕事も片付けとけよ」
言葉にはくやしさを混ぜながら立上がり、ソファの横に立て掛けていた3本の刀を鷲掴み腰に帯刀する。
愛也は椿に向かってコインを弾いた。
「言われなくても」
ペンを置き、手を顔の高さまで上げると、弾かれたコインがちょうどその手に収まった。
「生意気言ってんじゃねぇよ」
椿の淡々とした返事にそう吐いて、無駄にゴツくて重っ苦しい扉を26.5cmの白い素足で蹴り開けると、愛也はまたもや眉間にシワを寄せながら8度目の溜息を吐いた。
どぉせまた、俺の言うことなんざ聞きゃあしねぇんだろうなと思いながら。