石川県金沢市 ─兼六園
休日の朝6時前だというのに、東京駅は人でごった返していた。スーツケースを持った人、休日出勤であろうサラリーマン、おにぎり屋さんに並ぶ海外の人…。さまざまな人がコンコースを行ったり来たりして、この駅を駅たらしめている。
といっても避けなければならないほどの人混みはまだない。私はボストンバックを片手にまっすぐコンビニへ向かう。今日は4時起きだったので、おなかが空いていた。
コンビニに着くと、狭い店内をぐるっと囲うようにして列ができていた。入口からはみ出した最後尾に並び、店内を覗きながらめぼしい商品を探す。思ったよりも速く列は進み、5分待たずに店内に入れた。
しっかりおなかに入れたいものの、食べたいものが浮かんでこない。こういう時は米がベストなのだが、ツナマヨ184円の文字を見て買う気が失せてしまった。いつからおにぎりは100円じゃなくなったのか。
前に並んでいた婦人が買い残したものがあったのか、列から外れたので少し順番が早くなった。その分デザートコーナーに一歩近づく。甘いものを食べる気分じゃなかったけど、カロリーを摂取するという意味ではいいのかもしれない。仕事終わりによく食べているチョコバナナクレープが目に入ったので、手に取る。これなら気分じゃなくても食べられるだろう。
列がもう一歩進んだと思うと、さきほどの婦人が困ったようにきょろきょろしていた。一瞬私に近づくような動作をして、結局最後尾に並びなおす。
「あの人、列に戻ろうとしたんじゃない?ちょっと遅いよねぇ」
琴華ちゃんがそういうのですぐに詰めなければ良かったかも、と思ったがまぁ仕方がない。気づかないふりをして並び続けていると5分ほどでレジになった。
会計を済ませて時計を見ると、出発まであと15分。ちょうどいい時間だ。そのまま新幹線の改札に向かう。今日は北陸新幹線に乗って、金沢まで行く予定だった。
事前にえきねっとでチケットを購入したので、ICカードで改札を抜ける。えきねっとから来ているメールを見て、座席番号を確認しながらエスカレーターに乗る。
ホームに上がると、すでにかがやきが停まっていた。車内で待てるのはラッキーだ。
車内は存外に空いていた。コンコースの混み具合からしてもう少しいるものかと思っていたが、北陸行の人達ではなかったらしい。自分の席にたどり着くと、窓側にはすでに人が座っていた。昨日チケットを取った時は空きだったのに。隣に人がいることはあまり気にしないが、この人の少なさでなぜ他の席を選ばなかったのかは疑問だった。窓側はすべて埋まっていたのだろうか。
ボストンバックを足元に置いてペットボトルを出す。かがやきはペットボトルホルダーがあるらしい。東海道新幹線にはないので少し嬉しい。
2時間半の道中を潰すために昨日買った本を広げながら、私は最近エックスで見た小さな論争を思い出した。
発端となるポストは、夜行バスの座席を2席買っておきながら直前で1席だけキャンセルするというもの。どうも隣に人が来ないように座席を確保しておくことが目的らしい。こすい考えをする人もいるものだと感心していたところ、「わざと通路側の席だけとる人もいるよね。隣に人来てほしくなさそうだからそういうの見かけたら窓側の席とって埋めてあげてる」という嫌味たっぷりなポストも見かけた。
私はなるべく知らない人をまたぎたくないから、いつも通路側をとるようにしていた。トイレが近いのでその方が気が楽なのだ。でもそんな風に思っている人がいると知ってしまったので、もしかして、隣のおじさんも嫌味タイプなのではないかと疑ってしまう。だってこんなに空いている車内で人がいるところをわざわざ選んでるんだもの。
「ちょっと、あんまりじろじろ見ないでくださいよ」
久慈くんに諭されて、間一髪でガン見するのをやめた。危ない危ない。どうせ大宮から人が乗ってくるから空きが少ないんだろうし、サイトにおまかせで席を選んでることもある。ワイドショー気分の頭をふりふりして、小説に集中することにした。
定刻になり、新幹線が出発した。いったん小説を閉じ、さっき買ったクレープを取り出す。なんとなく、出発前に食べてはもったいない気がしてとっていたのだ。新幹線に揺られながらご飯を食べるというのが、旅の醍醐味のひとつだろう。
チョコバナナの気分にもちゃんとなっていたので、意気揚々と口に運ぶ。と、思っていたのと違う味が口に広がった。なんだこれ、キャラメル?
「いつも買ってるの、セブンだから。今日はニューデイズだったから、そもそもチョコバナナなかったんじゃないですか?」
ショックを受ける私に、久慈くんが淡々と指摘した。それなら買うときに言ってほしかった。すっかりチョコバナナの口になっていたのに。
キャラメル味の何がショックかといえば、空腹を満たす質量がないことだった。バナナの噛み応えを期待していたのに、食べても食べてもやわらか~いキャラメル味のクリーム。ナッツっぽいものが入っているのがせめてもの救いだが、求めていたがっつり感はない。幸先のいい旅とは言えないかも。
「そんなことより着いたらなにするか決めましょうよ」
そうだった。実はここまでなんの計画も立てないで来てしまっていた。行くところを決めないと、せっかくの早起きがもったいない。
これまた昨日買ったばかりのポケットサイズのるるぶを開く。ぱっと開いたページには海鮮丼がいくつも並んでいて、食欲をそそる。
「うわ、美味しそう~海鮮絶対食べたい!」と琴華ちゃん。
「僕、兼六園行きたいです」と久慈くん。
よし、着いたらまずは兼六園にしよう。そしてお昼は海鮮丼を食べる。
ガイドを見ると兼六園は朝7時から開いているらしい。金沢駅着は9時なので、待つ必要がなくてありがたい。
とりあえずの行先も決まったので、小説を開きなおす。しかし朝4時起きが効いてきて、目が滑って仕方がない。到着までまだ2時間もあるので、読むのは諦めて眠ることにした。
◇◇◇
「由実さん、そろそろですよ」
久慈くんに起こされて目を開けると、富山に着いたところだった。もしかして過ぎた?!と焦って経路検索すると、次が金沢駅らしい。勝手に富山の方が奥だと思っていた。
30分くらいして金沢に到着する。荷物をまとめて座席を直していると、他にも動き始める人がいた。富山よりも降りる人は多そうだ。
ホームを降りて改札が見えてくる。目線の先には『ようこそ北陸へ』の旗が意気揚々と掲げられていた。いよいよ旅が始まった。
改札を抜けると構内の広い通りに出た。目の前にはおみやげ処があり、朝5時台の東京駅と変わらないくらいの人が行き交っている。
まずはボストンバックを置きたいのでホテルを目指す。東口の案内を見て右に進むと、出口すぐに大きな地図があり、横のモニターにはバスの出発時刻が掲示されている。不案内な人にもわかりやすくてありがたい。バスは10分から20分間隔で出ているようなので、時刻表はあとで確認することにする。
上を見上げると駅から伸びたガラス天井がドームを作っていた。三角に組まれた銀色の骨組みがいくつも連なって、ドームを支えている。どこからどうみても金属なのに、その細かい組み方のおかげか、木で作られているような錯覚を覚えた。
ドームの終わりを目で追うと、赤く大きな鳥居が見える。第一の観光スポットに来た。鼓門だ。
「鳥居じゃないですよ。門です」
久慈くんがすかさず訂正する。ガイドブックを見ると確かに鳥居とは書いていなかった。単に赤い色と2本の足から連想したのだろう。
近づいて門をくぐり、振り返る。浅草寺の雷門をイメージしていたけど、その3倍くらいは大きかった。少し色褪せた紅色が、やっぱり鳥居みたいだ。巨大な足は、十数本の柱をぎゅっと束にして、雑巾絞りしたような形をしている。名前の通り、鼓を模しているらしい。
真ん中を陣取って、正面から写真を撮る。この旅一枚目だ。
門に背を向けると、小さな小さな噴水があった。その噴水が、まるで電光掲示板のように『ようこそ金沢へ』の文字を浮かべている。なんてかわいい。こちらも記念に一枚撮る。
徒歩で5分のホテルに荷物を置いて、駅へ戻ってくる。ちょうど5分後に周遊バスというのが来た。兼六園やひがし茶屋街などの観光地を回っているバスだ。とはいっても、観光専用ではないらしい。見た目は都営バスとさほど変わらず、ありがたいことにSuicaが使えるのでピッとかざして乗る。
バスに揺られて15分ほどすると、兼六園下・金沢城バス停に着く。着いてみて初めて、兼六園と金沢城が隣り合っていることを知った。
下、という名にふさわしく、バス停から兼六園に行くには上り坂になる。通りにはお土産屋さんが並び、「和」をイメージしたような形の朱色の街灯が均等に立っていた。
「あ!金箔ソフトだよ!」
琴華ちゃんが言った。出た、金箔。金沢に来たからにはぜひとも食べてみたいが、もう少しいろんなお店を回ってからでも遅くない気がする。食べ物はいったん目的を果たしてからにしよう。
土産通りを抜けると、桂坂口と呼ばれる兼六園の入り口にきた。『兼六園』の看板はおそらく建設当初からあるであろう石を彫ったものと、比較的新しそうな木に書かれたもののふたつある。どちらも一枚ずつぱしゃり。少し先にチケット売り場があるので列に並ぶ。やはりそこまで混んでいなそうだ。
チケットを買って、すぐ左の門を抜ける。すると、眩しい新緑が視界を満たした。
「夏に来て良かったですねぇ」と久慈くん。うん、良かった。この色は好きだ。ありもしない瑞々しい記憶が──メイとトトロが出会ったときのような──私の心に湧き上がる。
入口の坂を上がりきると、人だかりが見えた。なにがあるのかは分からなかったが、気になるのでとりあえず並ぶ。
私のすぐ後ろに並んだのは海外から来た女性だった。そういえば、東京駅に比べて外国人が少ない。いかにも日本文化を感じとれそうな場所だが、もしかして通しか知らない穴場なのか、それともインバウンドでもう行き尽くされたのか。
少し列が動くと、発生源が見えてきた。どうやらフォトスポットらしい。入り口でもらった地図をみる。ここは徽軫灯籠と呼ばれる、池に足を掛けた灯籠が見れる場所だった。ちょうど灯籠の前に小さな橋があって、みんなそこに乗って写真を撮っている。
列がさらに短くなると、池の全体が見えてきた。地図を見た時から思っていたが、広い。これが個人所有の庭園だったとは、羨ましすぎる。東京ではワンルームに7万円出しても風呂とトイレがくっつけられているのに、こんな豪邸を持とうと思ったらいくらかかるのだろう。
「由実さんも株とか始めましょうよ。豪邸住めますよ」久慈くんがせせら笑う。
もう一度地図に目を落とすと、ここは霞ヶ池と書いてある。奥の方には池にせり出した木造家屋が見え、中でお茶を楽しめるようになっていた。
「由実さん、これ、みんなで撮りあってるみたいですよ」
久慈くんの声で橋に視線を戻す。確かに前のグループが後ろのグループの写真を撮ってあげていた。何事もおひとり様は慣れているのでこういう場面も結構あるが、今日はちょっと、撮られたくない。汗をかくと思って、あんまり気合の入ってない格好で来てしまったのだ。というか撮る順番、普通、逆じゃない?
順番が来ると案の定、「撮りますよ」と前の人が声を掛けてくれた。が、恥ずかしいので断る。本当にいいのかな、というような顔をして去っていく夫婦を横目に、とりあえず無人の景色を何枚か連写する。一応、自撮りも一枚。次の人が控えているので顔の確認はしない。そのままそそくさと橋を渡って逃げるように立ち去る。「なんか悪いことしてる人みたい~」琴華ちゃん、うるさい。
池から離れていくつか川を通り過ぎる。地図には順路が載っていたが、もう自分がどこにいるかわからない。
ふと、紫の花が凛々しく咲くのが目に入った。菖蒲か燕子花か分からないが、光琳の絵が好きなので、燕子花ということにしておく。野津美術館で屏風を目にして以来なので(要するに初めて)、テンションが上がる。主張の強い太陽を上品にするのにふさわしい色だ。
先を進むと、腰ぐらいの位置に白い花がふわっと咲いているのが見えた。名前を知らなかったのでGoogle先生に尋ねる。これはシャクナゲらしい。名前だけ聞いたことはあっても、こんなにかわいい花だとは知らなかった。薄くかかったピンクが奥ゆかしい。シャクナゲ色にたそがれる、とはオレンジの夜がかった夕日ではなくて、朝焼けのように淡い夕暮れ空のことなのかもしれない。
そんなことを考えていると、気づかぬうちに坂を降りていた。流れに沿って細い階段を抜けると、目の前に噴水が現れる。
噴水といっても、例えばデフォルメされたクジラの潮吹きのようにふんわりとはしておらず、ましてやベルサイユ宮殿のような絢爛豪華さもなかった。
たった1本、まっすぐに打ちあがっているだけの水だ。打たせ湯の逆バージョンみたいだ。ただひたすらに上を目指しているだけのその姿が、なんだか武士にも見えてくる。これは風情といっていいのだろうか。武骨な姿が正直シュールで、ちょっと面白かった。
「由実さん、わかってないですね。これ造られたの、江戸時代ですよ?モーターとかないんですよ?それなのに水を打ち上げる技術があるって、相当すごいことじゃないですか」
久慈くんが力説してきた。なるほど。看板を見ると、水源である霞ヶ池との高低差でうまいこと吹きあがるように設計されているらしい。日本最古の噴水のひとつともいわれている。風情がなんだのと言っていた自分が恥ずかしい。でもそれなら名誉ある名前を与えてもいいのに、看板にもただ「噴水」としか書かれていない。
「分かってないですね。原初の噴水だから、他と区別するための名前なんて必要ないんですよ」
久慈くんがまたもや力強く言った。「なんかかっこいい~」と琴華ちゃん。
またもや適当に歩いて方向を見失っていたら、いつの間にか出口に来ていた。
「レンタル着物とかすれば良かったねぇ」
前を歩くカップルを見ながら琴華ちゃんが言う。確かに、園内のいたるところがフォトスポットだった。
「じゃあ次は金沢城に行きましょう」
久慈くんが鼻息荒く隣を指さす。行きたい。せっかく隣なので行きたいが、今日は弾丸旅なので時間がない。お昼は海鮮丼だ。
「きたぁー!!」テンションの上がる琴華ちゃんを引き連れて、周遊バスに乗る。目指すは近江町市場だ。




