ブルーノ─穏やかな日々─
拙いと思いますが、生暖かい気持ちでお願いします。
お待たせいたしました。
ひとときのほほんとよろしくお願いします。
不定期になりますが、のんびりお付き合い
いただければ幸いです( * ॑꒳ ॑*)
「ブルーニョ……、おてんたく、きでいきでい……なゆの」
膝をついて土を弄っていた私は、背後から届いた柔らかな声に、思わず目尻を下げました。
振り返れば、そこには侯爵家の次男、レオン坊ちゃまが立っておいでです。
世間では「泥遊びは発育に悪い」などと喧しいようですが、ヴィクトール閣下はそんな声など一蹴されます。
「レオンがやりたいことをして、健やかに笑っているのが一番だ」
我ら使用人も同じ思いです。
三歳の坊ちゃまが、小さな手で土に触れ、何かに夢中になる。
そのお姿こそが、この屋敷の平和そのものなのですから……。
「これ、たぼんとう。きでいきでい……しゅる」
坊ちゃまは、小さな手のひらをぱっと広げて、ハーブエリアの隅を指し示されました。
お洗濯がきれいになる魔法の草、サボンソウ。
もともとは坊ちゃまからの相談でした。
服の汚れをきれいにしてくれるものはないかと……。
(このサボンソウで、かつては殺しの証拠を洗い流したものだが、それが今や、レオン様の汚れを落とす。……道具も使いようだ。悪くない)
坊ちゃまが「やりたい」と仰るのなら、私は全力でお手伝いするまでです。
二人で内緒の苗を植え終えると、坊ちゃまは満足げに、泥だらけの手を後ろに組みました。
そして、私への礼を尽くそうと、静かに居住まいを正されます。
「ブルーニョ、ありがちょ」
……ちゅたっ♪
控えめなかけ声とともに、坊ちゃまは膝を折ろうとされました。
おそらくアルベルト様がなさるような、見事な礼を真似ようとされたのでしょう。
この当時は練習されてました。
けれど三歳児特有のまあるいお腹が、太ももに「ぷにっ」とつっかえ、それ以上の降下を拒みます。
(……ああ、やはりお腹が……)
「……んんん」
声を殺して見守る私の前で、坊ちゃまは静かに息を止め、お腹の丸みに抗おうと奮闘されます。ですが、一生懸命に姿勢を低くしようとした結果、重心が後ろへと逃げていきました。
「あ、あで……?」
ポッコリとしたお腹に押し返されるようにして、重心がふわりと後ろへ……。
坊ちゃまはそのまま、柔らかな毛玉が転がるように、ゴロンと後ろへひっくり返ってしまいました。
「坊ちゃま!」
駆け寄ると坊ちゃまはお尻をついたまま、目をぱちくりさせておいででした。
泣きもせず、泥のついた靴をぴょこぴょこと揺らしながら、不思議そうに一言……。
「……おちょら、まわって、みんと、におい……しゅるの」
そのあまりの無防備な愛らしさに、私は思わず口元を袖で隠しました。
世間がどう言おうと関係ありません。
こののほほんとしたお姿を、お父様も、お兄様もお姉様も、皆が愛しておいでなのです。
「さあ……、お立ちください、坊ちゃま。お洋服の汚れも、この『たぼんとう』で、一緒にきれいにいたしましょう。坊ちゃまがやりたいことを、誰も邪魔などいたしませんよ」
午後の柔らかな日差しが降り注ぐ菜園……。
土の匂いと、隣で小さなスコップを振り回す坊ちゃまの「しゅごい!おっきい!」というはしゃぎ声を聞きながら、ふと自分の「かつての日常」を思い出しました。
視界にあるのは、常に「血の色」と「鉄の匂い」……。
暗闇に潜み呼吸を殺し、標的の心臓を貫くまでの秒数を数える日々……。
かつて自分にとって、人間は二種類しかなく、「消すべき標的」か「利用すべき駒」か……。
「感情など、任務の邪魔でしかない」
そう自分に言い聞かせ、鏡の中の自分の瞳がどんどん死んでいくのを、冷めた心地で眺めている。
仲間すら作らず、誰とも言葉を交わさず、夜の街を影のように渡り歩いたあの頃、確かに「人」ではない「凶器」でした。
「フフフ……貴方にはわかるのね」穏やかな中に覚悟を決めた女性、レオンの母エレーナ……。
怪我で隠密をやめる際、王妃の紹介で引き合わされました。
「瞳がとても優しい色をしているのね。貴方なら安心だわ」
そう言って……、手に託されたのは温かくて、ひどく脆い生まれて2ヶ月ほどの赤子……。
「死」しか生み出せなかった自分の腕に、初めて「生」が重なった瞬間でした。
「……ぶーの? ねんね?」
ハッと我に返ると、お坊っちゃまが泥だらけの指で私の膝を叩いておりました。
「……いや。何でもありませんよ。さぁ、お坊っちゃま。そちらの苗は……優しく、撫でるように。そう、上手です」
かつて人を殺めるために研ぎ澄ませた指先で、今は幼子の小さな手を包み込み、土の温もりを教える。
冷酷だった過去の自分は、もうどこにもいない。
「……幸せだと言えば、笑うだろうなぁ……」
自分でも気づかぬほど穏やかで不器用な微笑みを浮かべて、坊ちゃまとの平穏な「任務」に戻るのでした。
「にこ、じょがいも……ここに、ねんね、しゅる」
坊ちゃまは土に掘られた浅い溝を、小さな指でそっと指し示されました。
今日はじゃがいもの植え付けの日。
見習いのニコが隣に跪き、坊ちゃまの手の届くところに種芋を並べています。
「はい、レオン坊ちゃま。ここに置きますね」
こっくり……。
「め、うえ、やさしく、しゅるの」
坊ちゃまは、小さな手で種芋をひとつ持ち上げ、土の溝へそっと置かれました。
泥がつくのも構わず、指先で芋の向きを丁寧に整えるお姿は、見ていて飽きることがありません。
私はそのすぐ後ろで、坊ちゃまの作業を邪魔しないよう、ゆっくりと追肥を施していきます。
「ごはんですよ」と私が呟くと、坊ちゃまは振り返って、ふにゃりと口元を緩められました。
「ブルーニョ、ごはん……たっぷでちゅね」
その飾らない笑顔に、私もニコも、思わず顔を見合わせて目尻を下げてしまいました。
ひと通りの植え付けを終え、坊ちゃまは土のついた膝を払って立ち上がられました。
「にこ、ブルーニョ、ありがちょ」
そう仰って、こちらを見上げてふにゃふにゃと笑う坊ちゃま……。
そのあまりの愛らしさに、私たちの心まで春の陽だまりのように温かくなります。
ですが次の一歩を踏み出そうとした時、三歳児ならではのまあるいお腹の重みに、ふわりと重心が後ろへ持っていかれました。
「あ、あで……?」
抗う間もなく、そのままストンとお尻から土の上に座り込んでしまいます。
ニコが慌てて手を伸ばしましたが、坊ちゃまは泣くこともなく、座り込んだまま目をぱちくりとさせておいででした。
「……つちのにおい……しゅる」
座り込んだ拍子に鼻をくすぐった、耕したばかりの土の匂い。
坊ちゃまはそれを楽しむように、のんびりと呟かれました。
お尻が泥だらけになっても、坊ちゃまの表情はどこまでも穏やかで、幸せそうです。
世間の常識など関係ありません。
こうして土に触れ、失敗して転び、土の匂いを覚える。
この一瞬一瞬が、レオン坊ちゃまの心を豊かに育てているのだと、その無垢な笑顔を見て確信いたしました。
「……さて、坊ちゃま。お着替えの前に、その泥だらけのお手てを洗ってみましょうか」
私が手を差し出すと、坊ちゃまは「あわあわ……!」と少しだけ声を弾ませ、私の指をぎゅっと握り返されました。
水場へ向かい、先日植えたばかりの「たぼんとう」の葉を数枚、桶の水に浸します。
「たぼんとう、くしゅくしゅ……しゅるにょ」
坊ちゃまが小さな指先で葉を揉み始めると、やがて指の間から白い泡がぷくっと顔を出しました。
「あ……あわあわ、でた♪」
坊ちゃまの瞳が、驚きで丸くなります。
さらに手を動かすと、泡はどんどん増えていき、坊ちゃまの小さな両手をふんわりと包み込んでしまいました。
「ブルーニョ、みて……しろい、てぶくろ♪」
泡のついた手をそっと持ち上げ、私に見せてくださる坊ちゃま。
その口元が自然に緩み、ふにゃりと柔らかな笑みがこぼれました。
何か特別なことを言おうとするわけでもなく、ただ「楽しいな」という気持ちがそのままお顔に滲み出ているような、混じりけのない笑顔です。
「にこの、おてても……きでいきでい」
坊ちゃまは、泡のついた手をニコの泥だらけの甲に「ぺたん」と重ねられました。
「わあ、ありがとうございます、レオン坊ちゃま!」
ニコが照れたように笑うと、坊ちゃまも満足そうに、またふにゃふにゃと笑い返されます。
水で泡を洗い流すと、そこには元の白くて柔らかな坊ちゃまのお手てが戻っていました。
坊ちゃまはご自分の手をじっと見つめ、最後に私の顔を見て、一言……。
「……たぼんとう、しゅごい」
その一言と、飾らない笑顔。
それだけで、今日一日の疲れも、世間の喧騒も、すべてがどうでもよくなるほど、私たちの心はほんのりと温められたのでした。
坊ちゃまが楽しそうに蝶を追いかける姿を、私は少し離れた場所から、剪定バサミを動かし見守りました。眼差しの奥では「もしも」の瞬間を、かつての冷徹な思考回路でシミュレートしながら……。
他国からの偵察、あるいは欲深き貴族たち……。
彼らにとって、この小さな命は「希望」ではなく「標的」に過ぎない。
隠密として数々の城を落とし、喉元を掻き切ってきた自分にはわかる。
「城壁に絶対はない。人の心がある限り、必ず穴は開く」
その時、レオン様を守る『最後の砦』は、侯爵でも王妃でもない。
――古傷を抱え、かつての冴えを失った、ただのとうの立った庭師の俺だ。
(……いいだろう。この右脚と引き換えに、俺は『牙』を捨てたはずだった)
だが、もしレオン様の指一本にでも触れようとする者が現れるなら……。
自分の中に眠る「一匹狼の死神」をいつでも呼び戻す覚悟ができている。
「……坊ちゃま、そちらへ行っては危ない。足元に石がありますよ」
ゆっくりと立ち上がり、レオン様の影に重なるように歩いて行く。
(約束だ。エレーナ様の忘れ形見は、俺が死んでも傷一つつけさせない)
その瞳には、先ほどまでの穏やかさは微塵もありません。それは獲物を待つ獣よりも鋭く、深い闇を湛えた「守護者の眼」でした。
読んでくれて、ありがとうございます(*´ω`*)
たくさんのブクマやポイント
ありがとうございます( * ॑꒳ ॑*)
とても励みになり、がんばろうと思いです。
メールもとても嬉しいです。
ネタになることもあります♪
誤字脱字もありがとうございます。(о´∀`о)




